初陣
木々の間から差し込む西日が揺れる栗色の髪に反射してきらきらと眩く光る。
池を後にしたトウヤとアオイは自分たち以外の誰かと会うため、速足で森を歩き続けていた。
「ねぇ、段々暗くなってきてない…?ちょっと不気味じゃない?」
「確かにそうだな。一応時間の概念はあるっぽいな。」
元の世界では当たり前にあった時間の概念すらもこの時を迎えてやっと信じられる。
何もかもが未知の世界だ。手探りで探っていくほかない。
時折冷たい風がアオイの頬を撫でると、口をとんがらせ身震いしてはきょろきょろと周りを見回す。
「村なんてホントにあるのかなぁ…。」
「まぁ…。無いなら無いでここよりましなどこかで夜を明かそう。」
日が落ちてきているのは二人の目で見ても明らか。ならばいずれは完全に火が落ちて夜が来る。
幸い今まで出会った生物は花々に群がる蝶ばかりだったが、なにせゲームの世界だ。異形のモンスターが襲ってくることもないわけではないだろう。
二人が行動を共にすると決まった瞬間、急いで見晴らしのいい池を後にしたのもお互いが少なからずその可能性を念頭に置いていたが故か。
トウヤが右手で腰に、アオイが両手で抱える木の棒。もといひのきの棒を握る力は徐々に強くなる。
「最悪火でも起こせればマシなんだけど…。魔法とか使えたりしない?」
「使えたら裸見られた瞬間にトウヤのこと焼いてたわよ。」
「さらっと怖いこと言うなよ…。まぁ初期状態で魔法使えるキャラなんていないか。」
ここがゲームの世界だというのならばモンスターも魔法もあって然るべき。あらゆるゲームをプレイしてきた二人はそんなファンタジーを共通認識として持っている。
そして完全に日が落ちた森がいかに危険な場所であるかも。
―――ガサッ…。
「…ねぇ。今そこの草むら…。揺れなかった…?」
「風じゃないのか?ビビりすぎ―――」
―――ザザッ。――ガサッ。
ああ、これ絶対によくないやつだ。
トウヤの身体からさっと血の気が引く。
四方八方から聞こえる草花の揺れる音はその足音と共に徐々にこちらに近づいてくるようにも見える。
「―――フゴッ。―フゴフゴッ。」
荒い鼻息交じりの唸り声が聞こえる。
あわあわと周りを見渡すアオイは何とも頼もしいかな、トウヤの持つそれよりも大分大きなひのきの棒をぎゅっと握りしめ既に臨戦態勢にある。
「多分囲まれてる…。全部倒すつもりでいったらまず間違いなく死ぬぞ。」
「じゃあどうするのよ!倒さないとこっちが殺されちゃうのよ!?」
顔を近づけひそひそと話し合う。
アオイからは焦りを感じるが、その全てを倒さんとする心意気はまさに脳筋。心強い。
「目の前の敵だけ倒して即離脱だ。今は逃げるしかない。」
「わかった。きっと二人なら数匹くらいは倒せるよね…。」
初期ステータスの二人に優しい敵であることを願いながら、木々にちらつく影が飛び出してくるタイミングをじっと待つ。
姿かたちや詳細な敵の数がわからない以上、こちらから攻撃をけしかけるのは愚策。
二人が探し求めていた第三の人間かもしれないという期待感も捨てきれない。
否。捨てたくない。
「―――ピギュァアアアアアアア!!!」
視界の右端。耳をつんざく鳴き声と共に影が飛び出す。
トウヤに迫ったその影の勢いを、両手で構えたひのきの棒ががっちり止める。
「―――な。豚かっ!?」
「猪でしょ!!牙見えないの!?」
アオイが正しい。
およそ人の腰の高さはあろう体躯に、突出した鼻と下顎から伸び出た牙。
二人のよく知る猪とは牙の長さも体の大きさもだいぶかけ離れてはいるが、それは猪と呼ぶほかない。
「―――うぉおおらぁっ!!」
鼻と二本の牙の間にちょうど良く挟まったひのきの棒を両手で押さえ、猪の動きを押さえたトウヤはその雄たけびと共に全身ごと前方へと押し付ける。
プギュアッと宙を舞って横倒しになった猪を見るとトウヤが続けて叫ぶ。
「アオイっ!あの猪飛び越えて逃げるぞっ!!」
「わかった!!今行く!!」
初対面にしては上々な連携。先陣を切るトウヤのあとをアオイが追う。
依然二人の周りには魔猪達の唸り声が止まずに響き続ける。
一心不乱に走るアオイを、倒れた猪を超えた先にいるトウヤがカバー。
幸いアオイを追う魔猪はいないように見える。トウヤが飛ばした魔猪を飛び越えたアオイがトウヤに合流する。
「アイツもそろそろ起き上がる。逃げるぞ!!」
派手に吹っ飛んだように見えてその実魔猪にダメージはない。地面に転がり、起き上がるのに苦心しているだけの時間稼ぎの一撃。
だがその一撃が二人の窮地を救う。その唸り声がが聞こえなくなるまで二人は脇目も振らずに走った。
「―――はぁ…はぁ…。死ぬかと思った…。」
「―――はぁ…。トウヤのお陰で命拾いしたわ…ありがとう…。」
膝に両手をついて、上がった息を整えながらアオイが礼を言う。
気にすんなと息交じりにトウヤが返す。
本来ならばプレイしていて胸躍るはずの初戦闘は、撤退という何とも情けない形で終結を迎えた。
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すっかり日が落ちて辺り一帯が暗がりに包まれる中。二人は一歩一歩を踏みしめるように、それでいて足早に森を歩く。
「このまま一晩中逃げ続けるなんてことないよね…?」
「村が見つからないならそうなるだろうな…。」
考えたくもなかった最悪の状況がアオイの一言でトウヤの頭の中に浮かび上がる。
げんなりしながら血も涙もない回答をアオイに突き付ける。
もう最悪…。とアオイが肩を落とす姿が横目に見えるが村が見つからない以上自体の好転は有り得ない。
池で矢継ぎ早に浮かんだ慰めの言葉も今のトウヤの口からは出てこない。
憔悴しきってはいるものの冷静に物事を考えられる今のアオイには慰めの言葉すら絶望に成り得る。今のこのタイミングにおいては沈黙は金なのだ。
「多分さっきのアレで全部なんてことはないだろうしな。村は見つからなくともまずは安全な場所を探そう。」
「そうね。ずっと歩き詰めじゃ疲れちゃうしね。」
人を探すという目的からずれはしたが、新たな目標が定まったのはいい傾向だ。
村や人の捜索は安全な場所で夜を明かしてからでも遅くはない。
改めて二人の活動方針を定めると、歩く二人の足取りが心なしか軽くなる。
ひのきの棒を握る手からは過度な緊張感が抜ける。
丁度よく暗闇に二人の目が慣れ始める。
変わらず不気味な雰囲気を漂わせる夜の森だが、その先には明るい何かが待っているはずと期待して歩く。
暗闇に光る赤の双眸が二人を捉えていることに気付かずに。