第七話 試合と勝利(前編)
◇◇◇◇
それから一週間の時が流れた。
ジーン邸に泊まりながら、3人はそれぞれの日々を過ごしていた。
特筆すべきはサラである。
アカデミーに顔を出したり、露店巡りをしたりと、サラは王都を満喫していた。
とても大会前とは思えないマイペース――それがサラである。
もっとも、サラにしても大会を忘れた訳ではない。
大事を前に平常を保つのが、サラの備え方であった。
サラに対して対照的なのは、ジーンとナオミである。
こちらは、大会に向けての特訓ばかりをしていた。
とは言え、これはジーンの強制ではなく、ナオミから切望したものである。
だがしかし、メキメキと腕を上げるナオミに対して、ジーンはいまひとつ不安を隠せない。
各々が思惑を抱えたまま、大会前日の昼である。
「何故、そんなに不安気なのですか?」
ジーンに向かってサラが聞く。
そんな2人の前では、ジーン邸の庭でナオミが素振りに励んでいた
「うん? ああ、大したことじゃねーんだけど……」
「ひょっとして、例のアレクサンドラ何某のことで?」
言い淀むジーンに、サラが重ねて聞く。
「いや、それは大丈夫」
きっぱりと否定するジーン。
「ほう……、私もナオミも随分と信頼されてますね」
「それも違う」
胸を張るサラを、ジーンが即座に否定した。
「……では、何が心配なのです?」
少し機嫌を損ねながら、サラが問う。
「アンナだよ」
「アンナって……、あのアンナ・シュバルツワルトですか? 憲兵隊の?」
ジーンの答えに、顔を上げたサラである。
「彼女、そんなに強いのですか? まあ確かに、私は畑違いですし、ナオミが武器を持ったのも比較的最近ですが――」
「あー、違う違う。論点がズレてる」
サラの言葉をジーンが遮った。
「俺が心配してるのは、この前来た刺客だよ」
「ああ、あの宿に泊まった時の……」
ジーンの指摘に、サラが思い出す。
王都に来る前日、サラとジーンは刺客に襲われた。
朝の起き抜けを襲われた体であったが、偶然早起きしたジーンによって、刺客は容赦なく蹴散らされるに終わった。
その際に、図らずとも皆殺しにしたせいで、今も背後関係は洗えていない。
「ということは、アレですか? あの刺客たちは、シュバルツワルト家の手の者だと?」
「かもしれないなーって……」
「でも、それだと変ではないですか?」
「何が?」
サラが聞いて、ジーンが聞き返す。
「貴方を狙う意味ですよ」
「いや、それ思ったんだけどな――」
サラの意見に、ジーンが続けた。
「あの時狙われてたの、お前だけだったんじゃねーかなって……」
「――っ!」
ジーンが言って、サラが絶句する。
「でも、もし仮にそうだとすると、ナオミが襲われていない理由が分かりません」
「ナオミは身分が低いからなー。最初からノーマークだったんだよ」
「アンナ嬢のあの態度はどうなのです? 貴方との結婚を、随分と嫌がっていましたが?」
「政略結婚に、本人の意思なんか無いからなー。アンナ本人も与り知らねーだろうよ」
「……さすが、命のやり取りに関しては頭が冴えますね。もしよろしければ、そう考えるに至ったきっかけを伺っても?」
「あの浴場にいた執事だよ。握手して分かったんだけど、あのジジイ、ああ見えてかなりの手練れだぜ。たぶん、元は傭兵……いや殺し屋かな? 暗器使い特有の雰囲気があった」
サラの疑問に、ジーンが淡々と答えていく。
2人の間に沈黙が流れた。
ナオミが切る風の音だけが「ビュンビュン」となっていた。
「それにしても、もう少し早く教えてほしかった。ここのところ、身辺に無頓着な生活でしたから」
サラの方から沈黙を破った。
「陛下のお膝元だから、それは大丈夫。何せ、相手も平民で身分が低いからなー。貴族同士の争いには及び腰でも、平民が貴族を殺そうとしたら、それこそ官憲が黙っちゃいねーよ」
「……なるほど」
ジーンの言葉に、サラが納得した時である。
素振りを止めて、ナオミが2人に顔を向けた。
「ジーンさん! 素振り1000回終わりました!」
「今日はそのくらいにしておけ! 明日に響くといけねーからな!」
「はい!」
「よーし、前祝いを兼ねて飯でも食いに行くか!」
「気が早いですよ、ジーン」
こうして、3人は町へと繰り出した――。
◇◇◇◇
そして翌日である。
天気は曇りで、もう少しで雨が降りそうな憂鬱な朝から大会は始まった。
開催場所は王城内部の、修練所である。
そんな鍛錬所は、石造りの建物であった。
形状はすり鉢状になっていて、闘技場を彷彿とさせる。
もっとも、規模はずっと小さい。
肝心の地面は20メートル四方しか無いし、観客席も精々が5段である。
さもありなん、娯楽施設では無いのだから、これは至極当然と言える。
観客席の最前列には、サラとジーン、そしてジーンの母であるマリアが座っていた。
「いやに人が少ないですね……」
観客席を見渡して、サラが言った。
サラの指摘通り、見物人は疎らである。
「まあ、一応は内々の行事だからなー。見世物には出来ないんだよ」
ジーンが答える。
ジーンが言うように、見物人は一般人ではない。
当事者の関係者か、衛兵隊の構成員くらいである。
「それよりもよー……」
「何ですか?」
「お前こんなところに居ていいの?」
「どういう意味ですか?」
ジーンが聞いて、サラが聞き返す。
「だってほら、お前も出場者じゃん」
もっともなジーンの疑問である。
もう一人の出場者――ナオミに至っては、すでに控室で待機していた。
「構いませんよ」
サラが続ける。
「どうせ射撃部門は後半なのです。それまでは観客を決め込んでおきたい」
「さいですか……」
あっけらかんとしたサラに、もはや諦め気味のジーンであった。
「2人とも、始まるよ」
「へいへい」
「畏まりました」
マリアに言われて、大人しくなるサラとジーンである。
観客が見守る中、闘技場の真ん中に男が1人現れた。
「皆さま、お待たせしました!」
顔を上げて、ジーンの父ライオネルが挨拶をかました。。
ライオネルの役目は、司会進行役を兼ねた審判である。
「これより、愚息ジーンの婚約者を決める、武闘会を開催したいと思います!」
ライオネルが言うと同時に、パチパチと疎らな拍手が鳴った。
「早速ですが、第一試合を取り行います。アンナ・シュバルツワルト、前へ!」
ライオネルに促され、アンナが1人現れた。
2メートルほどの棒を担いだアンナは、革の鎧を着ていた。
「おおっ! 隊長だ」
「頑張れーっ!」
アンナを見て沸き立ったのは、憲兵隊の面々である。
「おうっ!」
憲兵隊に向かって、アンナが答えた。
「ナオミ・ベイリー、前へ」
ライオネルが続けて、ナオミも現れた。
いつもの牛頭人の鎧を着て、ナオミは3メートルほどの棒を持っていた。
だがしかし、そんなナオミの出で立ちに、どよめき立つ闘技場である。
「おいおい……」
「あれでも女……いや、そもそも人間なのか?」
「噂に聞く巨人とやらでは?」
「どっちにしても、あれは無理だろ……」
圧倒的な体格差を見て、観客は懸念を隠せない。
「よ、よろしくお願いします……」
周囲の喧噪を余所に、ナオミがアンナの前に立つ。
「ふ、ふんっ! 下馬評を聞いて、いい気にならないことだ!」
体格に圧されながらも、アンナが啖呵を切った。
「このアンナ・シュバルツワルト、剣術だけでなく槍術も修めている! デカイだけの見掛け倒しなど、努々通用しないと心掛けよ!」
「は、はいっ!」
アンナが中段に構えて、ナオミも棒を大上段に構えた。
「双方準備はよいな? それでは……、試合始め!」
ライオネルが言って、戦いの火蓋が切られた――。
◇◇◇◇
最初に動いたのは、アンナである。
地面を蹴って、アンナがナオミに迫る。
「せいっ!」
気合いと共に、アンナの突きが繰り出される。
「きゃっ!」
慄きながらも、足捌きでこれを避けるナオミ。
「どうしたどうした? 避けてばかりでは面白くないぞ!」
挑発しながらも、突きを打ち続けるアンナである。
だがしかし、ナオミは攻撃に移ろうとしない。
相変わらず大上段に構えたまま、ナオミは足の動きだけで攻撃を凌いでいた。
「ちっ!」
呼吸を整えようと、アンナが下がった時である。
「え?」
目を点にするアンナである。
アンナの後退に合わせて、ナオミが動いていた。
「えいっ!」
ナオミの大上段が振り下ろされた。
ナオミの棒は、物の見事にアンナを捉えていた。
「何の!」
咄嗟に棒を盾にして、アンナが頭上を守った。
とは言え、ナオミの攻撃は強い。
「げふっ!」
棒ごと押し込まれ、ダメージを受けたアンナである。
もっとも、棒と兜に守られて、アンナは戦意を失わない。
「こ、このっ!」
頭をクラクラさせながら、アンナが顔を上げた時である。
「えーいっ!」
ナオミの強烈な横薙ぎがアンナを襲った。
「あ、危な……グハァッ!」
回避も防御も間に合わず、アンナが弾き飛ばされた。
棒を木っ端微塵にされ、アンナがゴロゴロと転がっていく。
10メートルほど転がって、アンナが止まった時である。
「くぁwせdrftgyふじこ!」
声にならない悲鳴を上げて、アンナがのたうち回った。
そうして10秒ほど体をくねらせた後、動かなくなったアンナであった。
「そ、それまで! 勝者ナオミ・ベイリー!」
ライオネルが宣言するも、闘技場はシンと静まり返っていた。
そして観客席である。
「あれ、死んだんじゃないですか?」
他人事のように、サラがジーンに聞いた。
「た、多分大丈夫だろ」
額に汗を浮かべながら、ジーンが答えた。
「あれだけ転がったってことは、衝撃を逃がしたってことだ。本当にヤバい時は、ストンと倒れるもんだぜ」
「尋常じゃない苦しみ方でしたが?」
「い、痛みで気を失ったんだろ。咄嗟に腕で庇っていたみたいだし、死にはしねーよ」
「その腕ですが、関節が何カ所か増えてますね……って、何か騒がしいですね」
評論の途中で、サラが顔を上げた。
サラの視線は、1人の見物人を捉えていた。
「うわーっ! アンナ! 私のアンナが!」
果たして、顔を青くするのは、でっぷりと太った商人である。
「誰ですか? あれ?」
「アンナ嬢の父親ですよ」
サラが聞いて、今度はマリアが答えた。
「旦那様、落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるか! 私もアンナの下へ行く!」
件の老執事と共に、観客席を去る父親であった。
「まったく美しくない」
アンナの身内に、辛辣なマリアであった。
「どういうことだよ、母ちゃん?」
「武家と縁組するなら、もっとどっしりと構えとかないと。アンナ嬢の腕っ節は別として、あれは家の身内に相応しくない」
「そういうもんかい」
「そうさ。それに比べて、あのナオミとか言うお嬢ちゃんはどうだい? まだ残心を崩していない。いやはや、アレクサンドラのお嬢ちゃんもいいけど、あの子も捨てがたいね」
ジーンが聞いて、ナオミにも心移りするマリアであった。
もっとも、マリアのナオミ評は行き過ぎと言えた。
確かに、ナオミは構えを解いてはいない。
だがしかし、これは凄惨な光景を前に、呆気に取られていただけである。
いずれにしても、これでジーンの身内が1人勝ち上がったことになる。
ジーンとしては、懸念が一つ減って万々歳であった――。




