第三話 壁と王都(後編)
◇◇◇◇
「こんなのでいいのですか……」
壁を背にして、ジーンがぼやいた。
件の検問所は、実にあっさりと隊商を通してしまった。
もちろん、これにはサラとジーンが有名人なことも手伝っているが、単に職務怠慢とも言える。
ちなみに、現在は隊商一行は解散し、銘々に散っていった。
サラたちの眼前に広がる光景は、緩衝地帯の田園である。
門を抜けた先は道が三つに分かれていて、中央のそれが王都への近道である。
現在はサラたちだけが、王都へ真っ直ぐ進んでいた。
「まあ、楽でいいじゃねーか」
サラに続いてジーンが言った。
「いえ、よくありません」
サラが否定する。
「明らかに、以前より杜撰になっている」
「ああ、そう言えば、お前ってここ何度か通ったことがあるんだな」
サラの言葉に、ジーンが得心する。
少し前まで、サラは王都の優秀な学士であった。
魔物学を専攻するサラは、頻繁にフィールドワークを行っていた。
もっとも、飛竜の卵を持ち込んでトラブルに見舞われたのは、今となっては苦い思い出である。
「お前でも悔やむことはあるんだな」
「ええ、まったく――」
ジーンの台詞に、サラが続ける。
「以前がこんな有様なら、飛竜の卵如きで、うるさく言われなかったでしょう。私だけ不公平極まりない」
「……ああ、そういうこと」
どこまでも自己中心的なサラに、ジーンが呆れ返った。
「それにしても、凄い壁でしたね」
口を挟んだのはナオミである。
今現在、ナオミはフリーとなっていた。
南部商業者連盟の馬車も、途中で別の町へ寄る算段である。
外界を抜けた今、ナオミはサラたちと同行していた。
「一体、どうやって出来たのでしょう?」
ナオミが聞く。
「まったくもって、分かりません」
サラが答える。
「単なる自然現象か、はたまた神の御業か……。いずれにしても、今の人間には余る代物でしょう」
「『今の』ってことは、昔の人間が造ったのか?」
サラの感想に、ジーンが重ねた。
「さあ――」
言って、サラが続ける。
「何せ、魔物の解明すら進んでいない不思議な世界なのです。大昔に何があっても、可笑しくはありませんよ」
「それもそうか」
「ですね」
サラが締めくくって、3人は郊外を進んだ――。
◇◇◇◇
郊外を進むにつれて、徐々に建物が多くなる。
「ふむ。やはりと言うか、代り映えしませんね」
サラが顔を上げた。
サラの視線の先は、区画整備がされた立派な町であった。
中央に尖塔が目立つ城が建っていて、周囲を高い塀と、水の張った堀で覆っている。
そんな城を、石造りの家々が取り囲っている、そんな町である。
「うわぁ、凄い……」
ナオミが息を呑んだ。
「あれ? でも、塀がありませんね?」
ナオミが首を傾げる。
「昔はあったのですよ」
言って、サラが続ける。
「もっとも、その目的は違いますが」
「目的?」
「人界は、魔物の脅威とは縁遠いですからね。主に人間同士の戦いのための塀があったのです。共和政時代には、都市国家間の争いが絶えなかったそうですから」
「へえ~」
「ちなみに、王都以外ではいくつも残ってますよ。例えば、私の実家とか……」
「サラさんの実家って、領地持ちの貴族様ですよね」
「ええ、まあ。田舎領主ですから、金銭的には結構恵まれた部類です」
「あん? 普通は田舎の方が貧乏なんじゃねーの?」
サラとナオミの会話に、ジーンが割り込んだ。
ジーンの疑問はもっともである。
概して、田舎の方が経済は小さく、貧民も多い。
「逆ですよ」
サラが答える。
「政府の目が届かない分、支配層は好き勝手出来るのです。無茶な税率を課したりと、その他諸々……。昨日の町を見たでしょう? あそこでも、代官とか役人の懐は潤っていたはずです。辺境領主に至っては、宮仕えの貴族とは比べ物にならないくらい贅沢ですよ」
「……聞けば聞くほど、お前を実家に連れて行きたくねーな」
サラの言葉に、ジーンが頭を抱えた。
ファルコナー家は爵位ですらない騎士階級な上、おまけに宮仕えである。
「でも、何でそんなの許してんだ?」
ジーンが聞いた。
「国境での防衛を任されますからね。要は機嫌取りです。そのために、辺境諸侯は爵位が高い傾向にあるのです」
「ああ、辺境伯とかそういう……」
サラに納得しつつ、ジーンが首を傾げた。
「あれ? でも、お前の家って男爵じゃあ……?」
ジーンの指摘は鋭い。
サラもといブラッドフォード男爵の領地は、王都より下って南西に位置していた。
外界の壁とも接している上、人界でも国境な場所である。
普通そういった辺鄙な場所は、辺境伯を以って守らせるのが常である。
「それは簡単な話で――」
サラが続けた。
「家が成り上がりだからです」
「うん? どういうこと?」
サラの説明に、ジーンが重ねて聞いた。
「……家は4代前、具体的に言いますと、曾お爺様の代までは普通の平民だったのです」
「へえ~。それがどうして貴族に?」
「何でも、仕事の途中で銀の鉱床を発見したとか。それを王室に献上して、爵位を賜ったのがブラッドフォード家の興りなのですよ」
「ふーん。それで、仕事って何?」
「それは……」
ジーンの質問に、サラが返答に詰まった。
「どうした?」
訝しんで、サラの顔を除き込むジーン。
「……いえ、何でもありません。曾お爺様は、名うてのハンターだったそうです」
「へえっ! じゃあ、今お前がハンターやってるのは、ある意味先祖返りって訳か!」
「それで、話は戻りますが――」
「聞けよっ!」
サラに無視され、ジーンが憤る。
「200年前の魔物侵攻の折、王都の壁は滅茶苦茶に壊されました。以降は経済的復興に重点が置かれ、捨て置かれている状態です。分かりましたか?」
「はい。ありがとうございます」
サラの説明に、ナオミが礼を言う。
「おっと。言ってる間に――」
言いながら、サラが顔を上げる。
3人はいつの間にか、城下町へと差し掛かっていた。
人の密度も高く、市場が賑わっている。
「よこそミッドガルド王国へ! ジーンともかく、ナオミは初めてでしょう?」
ナオミに向かって、サラが微笑んだ。
◇◇◇◇
ミッドガルド王国は、200年の歴史を持つ国である。
旧ミッドガルド共和国を引き継ぐ形で勃興し、諸侯の自治権を大幅に認める形で今日に至っている。
人口は1000万弱、王都だけでも3万を下らない大国である。
だがしかし、その支配は盤石ではない。
諸侯は好き勝手に領地を治め、王の威信は低下しつつある。
加えて、隣国には妖精の国が控えており、年中諍いが絶えない。
…――…――…――…
ちなみに妖精とは、人間とは異なる知的種族である。
人間より耳の長い彼らは、並外れた器量を持っていて、寿命まで押し並べて長い。
人間の平均寿命が50歳前後であるのに比べて、妖精のそれは100歳にも及んでいた。
およそ2倍の平均寿命である妖精は、知能も人間並みに高く、遠戦志向で弓矢を得意とする。
もっとも、遠戦志向とは言っても、別段肉体的に虚弱ではない。
身体能力的にも人間と同等以上――それが妖精である。
弓矢を扱うには相応の腕力が必要なので、至極当たり前と言えた。
そしてこの妖精、何かにつけて人間を嫌う傾向にあった。
その主な理由は、壁向こうの外界への接し方である。
妖精の文化圏では、外界との接触をタブーとする。
それに対して、人間は積極的に外界に赴くので、その辺りが摩擦の原因となっていた。
外界との接触をタブー視するだけあって、妖精は魔物ではない。
人間との混血が可能であるし、何より繁殖力が極端に低い。
もっとも、この繁殖力の低さが仇となって、人間への警戒を強めていたりするが、その事実に妖精が気付いているかは定かではない。
…――…――…――…
「す、凄いところですね……」
息を呑みながらも、必要以上に縮こまるナオミである。
「どうしたんだ?」
「ああ、そういうことですか」
聞くジーンに対して、納得するサラである。
「ジーン。もっと、周囲を見なさい」
「周囲って……ああ、なるほど」
サラに促され、ジーンが頷いた。
原因はナオミの背丈である。
ナオミは2メートル超の長身である。
始めて行く人里では、どうしても目立ってしまう。
「って、昨日はどうしたんだ?」
ジーンの疑問は、昨日の滞在である。
「部屋からは一歩も出ませんでしたから……」
もじもじとナオミが答えた。
南部商業者連盟が紹介した宿に、ずっと引きこもっていたナオミである。
「ま、気持ちは分かるけどなー」
ジーンの同情である。
ナオミが居ない間は、ジーンが王都一の長身であった。
目立つ身の辛さは、ジーン自身がよく知っている。
「まあ、俺の背中にくっ付いてきな。面倒な輩は追い払ってやるよ」
「は、はいっ!」
「貴方、ナオミと私とで、扱いが随分違いますね」
「しゃーねーだろ。ナオミとお前とでは、生命力が違う」
「たおやかな淑女を捕まえて、よくもぬけぬけと……」
「たおやか? 今たおやかって言ったか? ナオミ、こいつに意味を教えてやれ」
「えーと、えーと……」
こんな具合で、3人が駄弁っている時である。
「そこにいるのは、ジーン・ファルコナー! ジーン・ファルコナーに相違ないな!」
凛とした女の声が、ジーンを誰何した。




