第三話 壁と王都(前編)
◇◇◇◇
それから3時間ほど歩いて、つつがなく王都前に到着した隊商である。
なだらかな丘を下った先の大平原に、巨大な黒い壁がそびえ立っていた。
そして、そんな壁を貫くように、小さな四角い穴が開いている。大きさとしては、幌馬車が一台通れるくらいの門であった。
街道が向かうそこは、壁向こうへの検問所である。
「うーん、いつ見てもデカいな」
検問所に向かいながら、ジーンが感慨深げに言った。
後ろにはゾロゾロと、隊商が続いている。
「私、こんなの初めてです」
ナオミに至っては、あんぐりと口を開けている。
「前時代の遺物です。どうやって作られたのかは、誰にも分かりません。そもそも人の手による物かすら不明ですからね」
サラが付け加えた。
…――…――…――…
一口に巨大な壁と言っても、それは途方もないくらいの規模であった。
高さにして200メートル、厚さ50メートルの壁が、大陸を南北に縦断しているのである。
材質は不明で、継ぎ目は一切見当たらない。
黒い光沢を放つ壁は、人の手では破壊できない強度である。
この黒い巨壁は、実に何百年にもわたって、外界から人界を守っていた。
…――…――…――…
「しっかし、分からねーんだよなー」
ジーンが零す。
「何がですか?」
サラが聞く。
「魔物から守ってるって言うけどさ……。いや、俺でも地面で蠢いている連中は分かるぜ。地中に潜る魔物も、ひょっとしたら地下深くまで遮られているのかもしれねーし。でもよぉ……、空飛ぶ魔物は一体どう追い払ってるんだ?」
もっともなジーンの疑問である。
飛竜を始め、空を飛ぶ魔物は多い。
「いい質問ですね」
サラが頷いた。
「だろ? そこのとこ、どーなってんだ?」
「ぶっちゃけ分かりません」
ジーンが聞くも、にべもないサラである。
「……おい」
「いえ、何故入ってこないかは説明できますよ」
胡乱気なジーンに、取り繕うサラ。
「壁の上空に、魔物を寄せ付けない効果があるのです」
「何だそりゃ? くっさい臭いか何かでも出てるのか?」
サラの解説に、ジーンが追究である。
「いいえ」
首を横に振るサラ。
「私も専門ではないので詳しくはありませんが、何か目に見えない力が働いているようなのです」
「目に見えない力? おいおい、そんなの有り得ねーだろ」
サラの答えに、懐疑的なジーンである。
「食いっぱぐれた武芸者にあることなんだけどな――」
おもむろに、ジーンが続ける。
「ほれ、見世物とかで『気合いで吹っ飛ぶ』みたいのあるだろ?」
「ええ」
「あれって、基本的に嘘……っていうか、誇張なんだわ」
「ほう、続けてください」
ジーンの持論に、サラが喰い付いた。
「あー、分かりやすく言うとだな……。例えば剣術とかでもそうだけど、対峙してると隙の探り合いみたいになるだろ?」
「……そうですね」
剣術を齧っている手前、サラとて素人ではない。
「一方が圧倒的に強くて、相手の隙を突こうとする。別にこの時、実際に斬りかからなくてもいいんだ。フェイントでも何でも、そういう素振りとか雰囲気を出すだけでも構わない。そうすると、弱い相手はどうなる?」
「まちがいなく怯みますね。場合によっては、間合いを取るかも」
「そう。それが武芸で言うところの目に見えない不思議な力ってやつ。さっき言った大道芸人もどきは、それを大げさに表現しているだけ」
「なるほど。勉強になります」
ジーンの講釈に、サラが礼を言った。
「まあ、それはそれとして、見えない力は自然現象として存在しているのですよ」
「え?」
今度はサラのターンである。
◇◇◇◇
「磁石ってご存知ですか」
「あ! 磁石か。なるほどなー……」
サラの発言に、ジーンが頷いた。
騎士の嫡男ジーンとて、一応は貴族の端くれである。
平民が知らない事物を、知ることは多い。
「あの~、すみません。磁石って何ですか?」
聞いてきたのはナオミである。
野育ちのナオミにとっては、知らないことばかりである。
「磁石と言うのはですね、鉄に引っ付く鉱石のことです」
「へえ! そんなのがあるんですか!」
サラが説いて、ナオミが感心する。
「ちなみに磁石同士ですと、引き付け合ったり、反発したりするのです」
「なんか不思議ですね」
「なーなー」
サラとナオミの会話に、ジーンが割り込んだ。
「だったら、あの壁が魔物を追っ払ってるのも、磁石の力なのか?」
ジーンが聞いた。
「いえ、まったく同じとは言えませんね。何せ、肝心の鉄が引っ付きませんから」
「おいおい。それじゃあ、結局何も分からないじゃねーか」
「ですから、さっきそう申したでしょう。魔物が侵入できない理由は知っていても、その仕組みまでは分からないと」
「ああ、そういう……」
サラの説明に、ジーンが納得した。
「さ、それでは検問所に――」
そんなサラが、言いかけた直後であった。
「そう言えば貴方! どうやって検問所をすり抜けたのですか?」
今更ながら、気付いたサラである。
外界と人界を隔てる検問所は、その性質上警備が極めて堅い。
「どうやってって……、そんなもん無賃乗車に決まってるだろ。キ・セ・ル!」
「……え?」
悪びれないジーンに、サラが絶句した。
「もうちょっと詳しく」
「ああ、言ってなかったっけ?」
サラに促され、ジーンが搔い摘んでいく。
「いやな、俺が逐電した時の話なんだけどよ。誰かさんの荷馬車を借りて寝ていたら、気付いたら外界にいたって訳」
「ああ、そう言えば以前、『気が付いたら外界にいた』とか言っていましたね……」
「あの~、すみません。キセルって何ですか?」
サラとジーンの会話に、ナオミが口を挟んだ。
「……キセルと言うのは、交通機関にタダ乗りすることです」
「え? それって、いけない事ですよね?」
サラの解説に、ナオミが再び聞いた。
「もちろん、犯罪です。それも重大な」
言って、サラが続ける。
「あそこにそびえ立っているのは、人界と外界を隔てている、神聖にして不可侵な壁です。単なる町の門とは、訳が違います」
付け加えたサラである。
「でもよ~……」
ジーンが閉口した。
「存外だらしが無―よな」
「何がですか?」
不平不満なジーンに、サラが聞く。
「いや、あそこでやってる検疫だよ」
ジーンが続けた。
「俺、別に隠れてた訳じゃねーんだぜ? それで抜けちまう検疫って、お役所としてどうなのよ?」
「……言われてみれば、そうですね」
ジーンの主張に、サラが納得した。
「だろ? 危ねー魔物とかが隠れてたら、一体どうすんだ?」
「確かに心配ですが、ある程度は大丈夫です」
ジーンの疑問に、サラが答える。
「まず、大型の魔物はあの狭い門を通れませんし、壁向こうでは魔物の力は大きく落ちるのですよ」
「力が落ちる? 弱くなるのか?」
「いいえ。主に成長限界と繁殖力の低下です。もうちょっと簡単に言うと、大きくなれないし、そんなに増えないってことです。よしんば幼体がすり抜けても、外界ほどは育ちません」
「へえ~。だったら安心だな」
「……それが、そうとも言い切れないのですよ」
「へ?」
「え?」
サラの不安に、ジーンとナオミが続けて言った。
◇◇◇◇
「外で生まれたナオミはともかく、ジーンは知っているでしょう? 大昔に起きた、大災厄のことを――」
サラの指摘は、200年前に遡る。
…――…――…――…
当時、現在の王国は影も形も無く、共和制の国が隆盛を極めていた。
技術はもちろん、文化も進んだその国は、正しく繁栄を謳歌していたのである。
だがしかし、そんなある日に事件が起こった。
壁の力が、突然弱まったのである。
この好機を、魔物が見過ごさない訳がない。
まずは飛竜を始めとした、飛行型の魔物が人界に押し寄せた。
そんな混乱の隙を突いたのが、地上徘徊型の魔物である。
地虫やら小鬼、果ては豚巨人までもが門を破り、共和国は一気に修羅場と化してしまった。
ちなみに、この時活躍したのがジーンの先祖――初代ファルコナーである。
初代ファルコナーは、戦士を兼ねた鷹匠であった。そのため、人界で唯一魔物――雷鷲の飼育を許される身分であった。
その雷鷲を伴って、初代ファルコナーは人類救済に一役を買ったのである。
これが、ファルコナー家の興りである。
そうして、いつしか人々はこの魔物戦を指して、大災厄と呼ぶようになっていた。
…――…――…――…
「へぇ、そんなことがあったんですね……って、あれ?」
経緯を聞いて、ナオミが首を傾げる。
「ひょっとして、その時外界で迷子になったっていうのが――」
「ええ。おそらく、貴女のご先祖ですよ」
ナオミの推測に、サラが首肯した。
…――…――…――…
ナオミの先祖は、200年前に外界へ進出した開拓団である。
ある日を境に本国との連絡が取れなくなって、止む無く外界で暮らすことを選んだ一団である。
もはや文献は残っていないものの、状況から推察するに、共和国からの派遣団に相違ない。
…――…――…――…
「いやはや、人に歴史有りだよな~……って、おいおい!」
感慨に耽りながら、ジーンがある点に気が付いた。
「今、壁の力が弱まったって言わなかったか?」
「はい。言いました」
「それって、ヤバくねーか?」
「そうですね……」
ジーンに答えながら、サラの目がキツくなる。
「それもこれも、政府が悪いのですよ」
サラの不満が噴出した。
「『聖なる壁だ』とか何とか言って、学者たちに調査をさせないのです。こんな有様では、大災厄の再現は必至ですよ」
「まあ、人間誰もが、問題を先送りにするからな……」
「まったく度し難い」
「まあ、抑えて抑えて。ほらほら、もう到着だぜ。政府批判はほどほどにしないと、煩い連中もいるんだから」
ジーンがサラを宥めながら、隊商は検問に並んだ――。




