第九話 到着と治安(後編)
◇◇◇◇
「こいつはまた……」
斡旋所を前にして、ジーンが苦笑いを浮かべた。
周囲と同じく、石造りな二階建ての建物はマリーの店と似ていて、確かに斡旋所の趣である。
ひっきりなしにハンターが出入りして、ある種の賑わいを見せていた。
だがしかし、問題はハンターたちの風体である。
「こりゃあ、まるで娼館だな」
言いながら、ジーンが頭を掻いた。
ジーンの言う通り、出入りするハンターのほとんどが、女連れの男が目立っている。
そもそもの話、男社会なハンター業である。
サラやナオミは、例外中の例外と言えた。
そうとなれば、結論は一つである。
「街娼を連れ込んでますね。いえ、もしかすると、この斡旋所自体が手引きしているのかもしれません」
興味深げに、サラがのたまった。
…――…――…――…
ハンターの斡旋所は、基本的に宿屋を兼ねている。
これはすなわち、流れのハンターがための処置である。
ただし、それを含めても実入りは少なく、そのせいで公然と副業を持つことが多い。
もちろん、厳密に言えば違法行為であるが、暗黙の了解で認められていた。
マリーの場合は飯屋兼酒場であるが、この斡旋所に至っては娼館である。
もちろん、これはやり過ぎと言えた。
…――…――…――…
「まあ、それはそれとして――」
言って、サラが歩みを進めた。
「ちょ、おまっ! ストップストーップ!」
ジーンが慌てて、サラの首根っこを掴んだ。
ジーンはそのまま、サラを持ち上げる。
「何ですか?」
宙ぶらりんになって、サラが顔を顰めた。
「お前、このまま入る気かよ?」
「そのつもりですが、何か?」
ジーンの問いに、憮然と聞き返すサラ。
「ちょっと、来い」
サラを持ち上げたまま、ジーンが路地裏に引っ込んだ。
「こんなところに引きずり込んで、何の用です?」
ジーンに下ろされて、サラが聞く。
「その肝っ玉には、驚きだけどさ……」
呆れながら、ジーンが続けた。
「俺はともかく、お前は身バレしたらマズいだろ」
「あ……」
ジーンに諭されるサラであった。
半端者のジーンを別にして、サラは歴とした貴族である。
そんな身で娼館に入ったとなれば、さすがに外聞が悪い。
自領でならまだしも、王都の一部では揉み消すことも叶わない。
「……迂闊でした。しかし、これは困りましたね」
腕を組みながら、サラが唸った。
「だなー」
ジーンが同意する。
「このままだと、宿がありません」
サラの懸念は、今夜の寝床である。
この町では、荒みっぷりに比例して、ハンターの評判も悪い。
行き交う人という人が、サラとジーンを露骨に避けていた。
さすがに面と向かった差別はないものの、声をかければ逃げられてばかりである。
そもそもの話、サラとジーンは悪目立ちが過ぎた。
馬鹿でかい背嚢を背負ったムキムキの大男と、誰もが振り返る美少女の組み合わせである。
そんなのが武装しているとなれば、もはや堅気の雰囲気はない。
さもありなん、貴族である点を除けば本当に堅気ではないので、至極当然である。
「そうだ!」
ポンと手を叩いて、ジーンが背嚢を下ろした。
「お前、街娼に変装しろ」
「は?」
背嚢を漁るジーンを、サラが唖然と見つめていた。
◇◇◇◇
「お前のことだからどうせ……って、あったあった」
ジーンが言って、荷物を引っ張り出す。
果たして、取り出されたのは化粧箱と、フリフリのドレスである。
「……」
化粧箱の中身を見て、ジーンが無言になる。
「どうしました? 何か変な物でも入ってました?」
固まったジーンを見て、サラが首を傾げた。
「いや、体よく都合のいい荷物持ちをやらされて、ホイホイ受け入れている自分が不思議でな……」
「何を今更……」
ジーンの言い分に、サラが呆れた。
「ま、いっか……。それよりも、白粉は……って、これだな」
ジーンが言って、容器を開けた。
「ほれサラ、こっち来い」
「え、はい……って、貴方がメイクするのですか?」
「おう」
「私の美貌に?」
ジーンの手招きに答えながら、サラが聞いた。
ちゃっかりと美貌と言う辺りが、いかにもサラである。
「そんなこと自分で言うかねぇ……」
呆れながら、ジーンがサラに手を伸ばす。
「ちょっと!」
ドン引きながら、サラが抗議した。
「せめて、顔を洗ってから……。それと、ベースメイクも――」
「だーかーらー、そんなの要らないんだって」
サラの主張を、ジーンが退ける。
「いいか? これは街娼の化粧なんだ」
パフを持ちながら、ジーンが続ける。
「お前、あいつらの実態なんか知らねーだろ?」
「……確かに、ド底辺の生活なぞ、まったく知りませんね」
ジーンの問いに、サラが相槌を打つ。
さりげなく差別しているものの、サラに悪意はない。
自分以外を平等に見下す、それがサラである。
「ま、こういうのは任せておけよ。俗世間に関しては、俺の方が得意だろ?」
「……分かりました」
ジーンに押し切られ、サラが顔を差し出した。
「よし! これでいいか」
満足気に、ジーンが化粧を切り上げる。
「……ケバい」
手鏡で自分の顔を見て、サラが言った。
皮脂の上に、無理やり白粉を塗り込んだせいで、厚化粧が際立っている。
アイシャドウと口紅、それにチークで染めた顔は、むしろ喜劇役者に近い。
それでも美形を維持している点において、自分で誇るだけのことはあった。
「それでいいんだって。ちょっと背伸びした、新人の街娼に見える。さてと、他には……っと」
化粧箱を仕舞いながら、ジーンがドレスを手に取った。
「これ、貰ってもいい?」
「何に使うのですか?」
「小道具に使うから、細工したいんだけど……。多分、修繕不能になる」
「……まあ、いいでしょう」
ジーンの要望に、サラが許可を出す。
「ありがとよ。じゃあ――」
言って、ドレスに泥をつけるジーン。
そのままダメージ加工まで施され、ドレスは古着となった。
「これを着な」
「……分かりました」
ジーンの指示に、サラが素直に従った。
そして、そんなサラが鎧を脱ぎ始めた時である。
「ちょっと待て!」
慌てて、ジーンがサラの手を止めた。
「お前、何する気だ?」
「着替えるつもりですが、何か?」
ジーンが聞いて、サラが聞き返す。
「だからと言って、いきなり素っ裸になろうとするヤツがあるか!」
「……?」
ジーンの怒りに、サラが首を傾げた。
「誰も見ていませんが?」
「俺がいるだろ、俺が!」
怪訝な表情のサラを、ジーンが窘めた。
「まったく、もっと恥らいを持てよな……」
呆れながら、ジーンがサラに背を向ける。
「……減るもんじゃあるまいし」
サラがぶー垂れた。
「どちらかと言うと、それはこっちの台詞じゃね?」
「はいはい。……終わりましたよ」
ジーンが指摘して、サラが着替え終わった。
「どれどれ……」
振り向いて、サラを見分するジーン。
「うん、立派な世間にスレた娼婦だわ」
親指を立てて、ジーンが言った。
「それはどうも」
ぞんざいに、サラが礼を言う。
「それじゃあ――」
鎧を背嚢に詰め込んで、ジーンがサラを掻き抱いた――。
◇◇◇◇
サラを左腕で抱いて、ジーンが斡旋所の門をくぐる。
体格差があるので、さながら子供を抱いた父親の図である。
そして、斡旋所の中である。
果たして、中は乱痴気騒ぎを呈していた。
「なあ、いいだろ?」
「もう、ちょっとだけよ」
「キャハハハ!」
「こうか? これがええんか?」
食事処にも関わらず、ハンターが娼婦とおっ始めていた。
酒と情事の臭いが入り混じっていて、とても斡旋所とは言えない。
だがしかし、サラとジーンが現れて、そんな喧噪もピタリと止んだ。
「おい」
「何だあのデカブツ?」
「えらい別嬪連れてるな」
「あんな街娼、ここらにいたっけか?」
ハンターたちが騒めいた。
周囲の視線をどこ吹く風と、ジーンがカウンターに歩み寄った。
「よおっ!」
店主に向かって、ジーンが片手を挙げた。
「部屋空いてるかい? 一泊したいんだけど」
「……よそ者か?」
聞くジーンを、店主がジロジロ見つめた。
猜疑心まみれな中年店主は、脂でギトギトの人相が悪いデブである。
「……前払いで銀貨30枚。言っておくが、一銭も負からんぞ」
意地の悪い笑みを浮かべて、店主が答えた。
当然ながら、これはボッタくりである。
どんな宿でも、高くて一泊銀貨10枚が相場であった。
「そんなもんか。ほれ」
言われるままに、ジーンが銀貨を渡した。
「……二階、一番奥の部屋だ。記帳しな」
店主が帳面を広げた。
「はいはい。『ジーン・ファルコナー』っと。こいつの分は要らねーな?」
記帳して、ジーンがサラを指さした。
「街娼の分は要らねーが、それにしても見ない顔だな? 少なくとも、家の女じゃねえ……って、あんた『ジーン・ファルコナー』か!」
サラを疑う途中で、店主の興味が逸れた。
「『ジーン・ファルコナー』だと!」
「あの竜殺しか!」
「素手で人狼を殺したって噂の!」
「おいおい、マジかよ!」
場が一気に騒然となった。
「ちょっと待て。ジーン・ファルコナーって言えば……」
「ああ、昔王都で暴れまくったって言う……」
「軍隊まで返り討ちにしたらしいぜ」
「1000人殺しだっけ? こえー……」
「おいおい」
微妙に尾ひれが付いた噂に、ジーンが顔を顰めた。
「しかし、アレだな」
「ああ」
「竜殺し様ともなると、連れてる女も違うな」
「まったく、羨ましい……」
ハンターたちの視線がサラに向いた、その時である。
「お前ら、信じてるんじゃねー!」
男が一人、いきり立った。
店の奥に控えていた男は、身長だけはジーンに迫る大男である。
長い髪に長い髭を蓄えた大男は、ハンターたちの顔役であった。
年の頃は、30前後に見えた。
「そんなもん、法螺に決まってるだろーが!」
大男がズカズカと歩いて、ジーンの横に並んだ。
「おうおう兄ちゃん!」
大男が切り出した。
「竜殺しだか何だか知らねーが、この町でハンターを気取るには、それなりのルールってもんがある。分かるか?」
「……具体的には?」
大男が凄んで、ジーンが聞いた。
「これだよ。これ」
大男が言って、指で輪っかを作った。
上納金の催促である。
「ふーん。いくら?」
「お! 物分かりがいいじゃねーか!」
素直なジーンに、大男が気を良くした。
「本当なら、金貨一枚って言いたいところだが、俺も鬼じゃねー。今日は、その女で勘弁してやるぜ!」
言いながら、大男が「ガハハ」と笑った。
「ジーン……」
「分かってるって」
サラが耳を抓って、ジーンが小声で答える。
殊勝にならず牽制する辺りが、さすがのサラである。
「よし! 交渉成立だ!」
ジーンが答えて、男に右手を差し出した。
「よしよし」
大男がジーンの右手を握った、その時である。
「ギャアアアアアッ!」
悲鳴を上げて、大男が膝をついた。
『メキメキ』と音が鳴って、『グシャ』で止んだ。
「手ぇっ! 俺の手がぁぁぁっ!」
右手を抱えて、大男がのたうち回る。
そんな大男の右手は、握り潰されて骨が飛び出ていた。
「おまけだ。受け取れ!」
ジーンが大男を蹴り飛ばす。
一階の端から端を飛んで、大男が静かになった。




