第二話 サラと華麗なる一日(後編)
◇◇◇◇
「では、次はどこに行きましょうか」
ジーンの館から、サラが出た時である。
『ヒヒーン!』
馬車を曳いて、馬が一頭やって来た。
「おや、これはこれは」
言って、サラが馬の頬を擦る。
「ドウドウ。精が出ますね、ロシナンテ」
『ブルルル……』
サラの労いに、馬が鼻を鳴らした。
馬の名をロシナンテと言った。
サラたちの馬であったロシナンテであるが、今はこうして南部商業者組合で働いている。
ロシナンテは元々、ジーンを殺しに来た騎兵の馬である。
流星竜騒ぎの折に、流星竜が乱入して、ロシナンテは主人を失ってしまった。
そこをちゃっかり捕まえたのが、他でもないサラである。
そのままサラたちの愛馬となったロシナンテであるが、ジーンが館を手放す羽目になって、再び行き場を失っていた。
そんな折に、降って湧いたのが、南部商業者組合の町への進出計画である。
館を貸すと同時に、ロシナンテを売り付けることで、サラは南部商業者組合に貸しを作ることに成功した。
何と言っても、元々が騎兵用の軍馬である。普通の農耕馬より、馬体は二回りほど大きく、力も比べ物にならない。
ロシナンテの価値は、とてつもなく高い。
「あの~……」
遠慮がちに、御者が口を開いた。
「ああ、すみません。ほら、お行きなさい」
言って、サラがロシナンテから離れた。
「どうも」
『ヒヒーン。ブルル……』
馬車が行った、その時である。
「大変だ!」
男の声がした。
「何事ですか?」
サラが顔を上げた。
「あっちだ!」
「何だ何だ?」
「早くしろ! 遅れるぞ!」
「おい、待てよ!」
サラの視線の先で、人が集まっていく。
「何かの見世物でしょうか? まったく、これだからミーハーなアホ共は――」
サラが独り言ちた時――。
「事件だってよ!」
誰かが言った。
「……」
黙りこくるサラ。
日光がジリジリと照り付け、石畳が熱気を帯びている。
相変わらずセミが「ミンミン」と鳴いて、時間は昼に差し掛かっていた。
「……ま、あれですね」
逡巡して、サラが言った。
「たまには一般大衆に付き合うのも、悪くはないでしょう」
サラは学者である。
もっと言えば、オタクである。
気質が祟って、サラは好奇心に逆らえなかった。
「さて、私も早く行かねば」
自分に言い聞かせて、群衆を追いかけるサラであった。
◇◇◇◇
「ここですか」
サラが着いたのは、城壁の下である。
集まった人間が、わいのわいのと騒いでいた。
「あれだあれだ」
「あいつ、あんなところで何してるんだ?」
「危ねーよな」
人々の視線の先は、城壁の上であった。
「来るなーっ!」
十メートル程の高さで、叫びまくる男が一人。
そんな男を取り押さえようと、三人の番兵が、右側からジリジリ詰め寄っていく。
「危ないから降りてきなさい!」
下からも一人、若い番兵が窘めていた。
「よいしょっと……」
人垣をかき分けて、サラが番兵に歩み寄る。
「ちょっと君! 危ないから下がって……って、こ、これはサラお嬢様!」
サラの素性に気付き、番兵が敬礼した。
この番兵、最近まで門番を務めていたりする。
城門での検疫の時、ジーンに厳しかった門番である。
「一体何事ですか?」
サラが聞いた。
「何でも女性に振られたとかで……」
「自殺志願者ですか?」
「はい。我々も落ちても大丈夫なよう、下に藁を積んでいるのですが」
「なるほど」
サラと番兵が会話した、その直後である。
「へっ! そんなところに藁を敷いても無駄だからな! ちょっと横にズレたら、地面に当たるだろ!」
死にたがり男の横やりである。
「俺は死んでやる! 死んでやるんだ!」
男が言って、立ち位置をズラそうとした。
「まったく、とんでもない構ってちゃんですね」
呆れながら、サラが野次馬を見渡した。
そんなサラの視界に入ったのは、投石紐を持つ十歳くらいの少年である。
…――…――…――…
投石紐とは、石を投げるための道具である。
その仕組みはひどく単純で、一メートルほどの紐の真ん中に、石を包み込むだけの代物である。
石を包んだ状態でクルクル振り回し、遠心力に飽かせて放り投げるのが、投石紐の使い方であった。
威力はとても強く、当たり所によっては、大の大人ですら死んでしまう。
もっとも、構造が単純すぎて、完全に取り締まることは出来ない。
超絶危険な有害玩具、それが投石紐である。
…――…――…――…
「ちょっとそこのクソガキ……じゃなかった。少年、それを貸しなさい」
有無を言わせず、サラが投石紐を引っ手繰る。
「今、クソガキって……」
「言ってません」
少年を無視して、サラが小石を拾った。
「来るなよ! 本当に飛び降りるぞ!」
近くの番兵たちに気を取られ、男はサラに気が付かない。
「しめしめ」
これ幸いと、サラが投石紐に小石を挟んだ。
そのまま、サラは頭上で、投石紐をクルクル回す。
そして勢いがついた時――。
「せいっ!」
掛け声と共に、小石が発射された。
小石は真っ直ぐに、男めがけて飛んでいく。
「えんっ!」
眉間に直撃を受けて、男が目を剥いた。
そのまま城壁から落ちて、男がドスンと藁に突き刺さる。
「おい!」
「大丈夫か!」
人々が集まって、男の生死を確認する。
「生きてるぞ!」
誰かが言って、周囲がワッと湧いた。
「よしっ!」
「ご、ご苦労様です」
ガッツポーズをとるサラに、番兵が労った。
およそ投擲において、サラの右に出る者はいない。
とは言え、番兵の顔は凄く引き攣っている。
「いえいえ、どういたしまし……」
言いながら、サラの視線は手元の投石紐に移っていた。
「そうだ!」
「な、何でしょう?」
「武器ですよ武器!」
「ええ……」
突然思いついたサラに、番兵は押され気味である。
「次に行くところが決まりました。あ、これお返ししますね」
少年に投石紐を渡して、サラが意気揚々と去って行く――。
◇◇◇◇
それから十分後。
「何だか久しぶりですね」
サラが武器屋の前にいた。
ナオミの薙刀を買った、あの武器屋である。
石造りの壁に板葺きの屋根な店は、扉が開けっ放しであった。
「不用心ですね」
首を傾げながら、サラが中へと入っていった。
「ごめんください」
呼びかけながら、サラが扉を閉めかけた時――。
「暑いから扉は開けといてくれ……って、サラお嬢様ですか?」
カウンターで茹だっているのは、店主の中年男である。
「お久しぶりです。何か変わった物でも入りましたか?」
挨拶もそこそこに、物色を始めるサラ。
「うん?」
壁に掛かっている武器を見て、サラが小首を傾げた。
ズラリと並ぶ素槍や投槍の中で、一つだけ空白があった。
長さにして、一・八メートルの間隔である。
「何か売れたのですか?」
サラが空白を指さした。
「えっと、それは……」
「歩兵槍どころか、素槍にしても中途半端ですね。丁度まるで両手剣のような……」
言いよどむ店主を余所に、サラが推論を重ねた。
「あの、その……」
「なるほど」
脂汗を浮かべる店主を見て、サラが納得した。
「ジーンですね?」
「……」
確かめるサラに、店主は無言である。
「沈黙もまた答えです」
「勘弁してください」
サラの追及に、店主が諸手を挙げた。
サラが来る前に、ジーンが店を訪ねていた。
その目的は当然、両手剣である。
以前ジーンが欲しがって、サラに却下された、あの両手剣である。
「ジーンの旦那には、黙っておくよう言われたんですが……」
店主が白状した。
「構いませんよ」
「へ?」
「ジーンには、このことは黙っておきます」
「あ、ありがとうございます!」
サラの配慮に、店主が礼を言った。
「それはそうと、何か新しい物があれば見せてくれませんか?」
「は、はい! どうぞこちらに」
要求するサラを、店主は店の裏手へ案内した。
果たして、店の裏は細長い空き地である。
直線にして十メートルほどの長さがあった。
木の的が置かれていて、弩の試し撃ちにもってこいである。
「まずはこちらを」
店主が取り出したのは、弦が二重の弩である。
二つの弦に挟まれるよう当て布があって、そこに石の弾丸を収める仕様であった。
「弾弓ですか」
サラが一瞬で看破した。
太矢の代わりに弾丸を撃つこれを、弾弓と言う。
「お試しになりますか?」
「もちろん」
店主の勧めに、サラが弾弓を受け取った。
弦を引いて弾を込め、サラが的を狙う。
引き金が引かれて、弾は寸分の狂いもなく、的に吸い込まれていった。
コンと音を立てて、木の的が揺れた。
「お見事です」
「う~ん……」
店主が褒めるも、サラの顔は渋い。
「どうされました?」
「いえ、ちょっと威力不足かと。これなら、投石紐の方が強い」
店主の疑問に、サラが理由を話した。
…――…――…――…
弩に限らず、弓矢の威力は貫通力に依存する。
丸い弾丸を飛ばす以上、獲物に与えるダメージは衝撃だけである。
複雑な作りが仇となって、弾弓の威力は必要以上に落ちていた。
…――…――…――…
「そうですか……」
ガックリと肩を落とす店主である。
「ではこれを下さい」
「え?」
サラの申し出に、店主の目が丸くなった。
「精密に狙える点は評価できます。時と場合を考えれば、十分使えるでしょう」
「ありがとうございます!」
「後で自宅に送ってくださいね」
「はい!」
サラの要求に、店主が店に引っ込んだ。
「おや?」
サラが上を見上げた。
時刻はもう夕暮れで、空は茜色である。
「昼飯を食べ損ねましたね」
言って、サラが続けた。
「そろそろ帰りますか。ジーンの機嫌も、いい加減直っているでしょう」
独り言ちて、サラも店へと引っ込んだ。




