第六話 魔物と盗賊(後編)
◇◇◇◇
ジーンを見つけて、魔鶏が首をもたげた。
『クルルル……』
魔鶏が喉を大きく鳴らした。ちなみに、これは縄張りを主張する際の警告音である。
「うっ……」
ジーンが歩みを止める。
「ちくしょう! よく考えたら、こいつクソデケー鳥じゃねーか。俺って、デカイ鳥にはトラウマがあるんだよなー……」
今更のことを言いながら、ジーンが後ずさる。
「何をやっているのですか?」
ジーンの後ろから、サラが小声で叱咤する。相変わらず倒木に隠れているので、サラとマリーだけは魔鶏の死角にいた。
「貴方それでも男ですか? ちゃんとキン〇マ付いてるのですか? いつまでもメソメソと女の腐った奴みたいに、トラウマだの何だのと……。恥ずかしくないのですか? いっそのことハンターなんか辞めて、斡旋所の3人組に尻でも差し出せばいかがですか?」
「――なっ!」
最早ケチョンケチョンにけなすサラに、ジーンが青筋を浮かべた。
「なあ、ジーンのトラウマって何?」
「黙って下さい」
「……聞かないでくれ」
マリーが割って入ったが、サラとジーンには届かない。
「ええいっ! くそっ! どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって!」
罵倒に焚きつけられて、ジーンが再び歩き出す。
対して、魔鶏である。ムンムンと殺気を帯び始めたジーンに、魔鶏はいよいよ警戒を強めていた。
胸を前に突き出し、頭を前後に振りながら、魔鶏がジーンに歩み寄る。
両者の距離が3メートルくらいになった。ジーンが先に歩みを止めて、魔鶏もそれに倣った。剣を持ったジーンに、大きさでリーチを稼げる魔鶏である。お互いに、一足一刀の間合いであった。
「ゴクリ……」
ジーンが生唾を飲み込む。
それもそのはず、魔鶏の背丈ときたら、長身のジーンよりも頭一つ分高い。体積に至っては、言わずもがなである。
『コケッ』
動揺するジーンを見て、魔鶏が嘲笑った。その瞳には、侮蔑の色が浮かんでいる。
「こ、この野郎!」
ジーンの怒りが炸裂する。
「ニワトリにまで舐められて堪るか! よっしゃ! かかってこいや、コケ公! キエーッ!」
猿叫を上げて、剣を八双に構えるジーン。
『コケーッ!』
ジーンに答えて、魔鶏が羽をバサッと広げた。鳥類によく見られる威嚇のポーズである。
「ひっ!」
魔鶏の剣幕に、ジーンがたじろいだ。
さっきまでの威勢はどこへやら、ジーンの闘志がみるみる萎んでいく。
『クエーッ!』
勝機と見て、魔鶏がジーンに飛びかかる。鋭いカギ爪付きの蹴りが、ジーンに繰り出された。
「た、助けてくれーっ!」
恥も外聞もなく、ジーンが逃げ出した。
「うわーっ! こ、こっち来んな!」
『コココ、コケーッ!』
元の道を逆走するジーンと、それを追いかける魔鶏である。
「逃げましたね」
「逃げたね」
走り去る1人と1羽を見送って、サラとマリーが言った。
「いや、ここは急いで助けに行くべきじゃないかい?」
倒木の陰から出て、マリーが指摘する。
「大丈夫でしょう。ジーンは足だけは速いですから」
「いや、よしんば逃げ切れても、迷子になるだろ」
「ジーンもああ見えて、一通りのサバイバル技術は持ってます。子供じゃないのですから、1人でも町へ帰れますよ」
「そうかい……」
サラの説明に、マリーが納得する。
「とは言っても、せっかく見つけた獲物です。放置するつもりもありません。足跡を辿って、ゆっくりと追いかけましょう」
サラが言って、さっきまで魔鶏のいた広場へ向かった。
「ふむふむ。足跡から察するに、やはり大きな個体ですね。もっとも、ジーンとの対比で分かっていた事ですが……」
足跡を見分していたサラが、途中で言葉を区切る。
「どうしたんだい?」
マリーが聞く。
「伏せて!」
サラが言って、その場に伏せた。
「え? ちょ、ちょっと!」
頭に疑問符を浮かべながらも、マリーがサラに続いた。
「何がどうしたって言うのさ?」
匍匐前進でサラの横に並んで、マリーが聞いた。
「あれを」
サラが遠くを指さした。
「あれってもしかして……!」
サラの言った方角を見て、マリーが目を見開いた。
サラの指さす広場の向こうには、なだらかな丘陵地帯が広がっている。
高い木が生えておらず、草地だけのそこに人の営みがあった。
建築途中の大きな平屋が建っていて、それを取り囲むように、木の柵が二重に張り巡らされている。
周辺の地面も均されていて、このまま放っておけば、城塞になりそうな気配があった。
そんな城塞もどきを見張っているのは、5人の男である。
髭面の厳めしい顔をした5人は、手に武器を持っている。胴体を金属の鎧や、革の鎧で守っている割に、腕や足は剥き出しになっていた。
装備に統一感のない面々は、ハンターではあり得ない。
「盗賊のアジトですね」
「まさか、一発で引き当てるとは……」
サラとマリーに緊張が走った。
「どうする? まさか、仕掛けたりしないよな?」
「……撤収します。気付かれないように、この場を離れますよ」
「りょーかい」
2人揃って、その場から走り去ろうとした時である。
「おっと、待ちな!」
男の声が木霊した。
◇◇◇◇
果たして、サラたちの前に現れたのは、5人の男たちであった。
町でジーンをボコボコにした、あの5人組である。
以前と同じく全員が革鎧を着ているが、得物を木の盾と棍棒である。
「これはこれは」
サラが言って、マリーの前に出た。
「こんなところでお会いするとは、これまた奇遇ですね」
「ぐへへへ」
サラのあいさつを無視して、リーダー格が下卑た笑みを浮かべた。
「それともあれですかね? ずっとこちらを見張っておられたとか?」
サラが聞きながら、気取られないよう、弩に手を伸ばす。
一方で、黙って佇んでいるマリーである。こちらも、サラに合わせて、素槍を握る手に力を込めていた。
「……ほう」
リーダー格が眉根を寄せた。
「気付いてたのか?」
「まあ、そんなところですね」
リーダー格の質問に、サラが胸を張った。もっとも、より正確に言えば、気付いていたのはジーンだけである。
「なるほど。さすがは噂に名高いサラお嬢様だ」
男が言いながら、サラとの距離を詰めた。
「こちらからもよろしいですか?」
「何だ?」
サラが聞いて、男が聞き返す。それと同時に、男の歩みが止まった。
「わざわざ未踏領域まで、何の用です? 私たちのお零れにあずかろうとしても、採算が合わないでしょうに」
指摘するサラであるが、会話として自然である。
格上のハンターが目もくれない素材を、敢えて拾いまくる輩がいる。
ハイエナ魂に溢れた行為でも、盗賊のように余所様の上前をはねる訳では無いので、広く認められた稼ぎ方である。
だとしても、未踏領域にまで行くほどのメリットはない。
もっとも、サラの会話の運び方は、単なる時間稼ぎであった。
サラが弩の安全装置をそっと外そうとした時――。
「採算? 採算なら取れるともさ」
わざとらしく目を宙に泳がせて、リーダー格が答えた。
「ほう、理由を聞いても?」
聞きながら、サラが安全装置を外した。
「それはな――」
一拍置いて、リーダー格がサラをキッと見据えた。
「あんたらが獲物だからよ!」
言って、リーダー格がサラに飛びかかった。
だがしかし、サラにしても尋常ではない。
棍棒の一撃を横っ跳びに避けたサラは、転がりながら弩を発射した。
太矢は一直線に、リーダー格の首筋に向かった。しかし、刺さる事は叶わない。
リーダー格の持つ盾が、太矢を阻んだのである。
木の盾を半ば貫きつつ、太矢は半分ほどで止まっていた。
「むっ……!」
サラが眉を顰める。
サラにしては珍しく、その顔に焦りが見えていた。
それもそのはず、弩は連射が利かない。
「お嬢、後ろへ」
サラのピンチに、マリーが割って入った。
◇◇◇◇
「へ、へへっ! 危なかったぜ」
額に汗を浮かべながら、リーダー格がマリーに向き直る。
「お、今度は斡旋所の姉ちゃんが相手かい? さっきのお嬢様とはちと趣が違うが、これまた別嬪さんじゃねーの」
「そいつはどーも」
「止めておいた方がいいんじゃねーか? せっかくの綺麗な顔に傷が付くぜ?」
「はんっ! さっきお嬢に殴りかかった分際で、今更何を言ってんだい!」
言葉の応酬を続けながら、マリーとリーダー格が間合いを詰めていく。
「大人しく着いて来るなら、命だけは助けてやってもいいんだぜ?」
盾を全面に出して、リーダー格が降伏を迫った。
「ほざけっ! マリー様の槍の妙技、とくと味わうがいい!」
リーダー格の誘いを一蹴し、頭上で素槍をブンブン回すマリーである。
「行くぞっ!」
回転を止めて、マリーが素槍を水平に構えた時である。
「降伏します」
唐突に、サラが白旗を上げた。
「おっとっと……」
出鼻をくじかれて、マリーがたたらを踏んだ。
「ちょ、ちょっとお嬢! 一体どうしたのさ?」
「ですから、勝てないから降伏すると、申し上げたのです」
マリーが詰め寄って、サラが繰り返す。
「わ、私が負けると言うのかい?」
憤慨するマリーに、サラが「いえいえ」と首を振った。
「見たところ、あの方と貴女の実力は拮抗しています。得物の差を考えれば、勝算は十分にあるでしょう」
「だったら……!」
サラの見立てに、マリーが食い下がる。
「周りをご覧なさい」
「あ……」
サラに促され、マリーが状況を悟った。
今まで遠巻きに見守っていたせいで影が薄かったが、リーダー格の他にも、四人の仲間が控えている。
これを全部相手取るには、マリーの力量は不足していた。
「いやいや。でもさ!」
頭を振って、マリーが食い下がる。
「お嬢のクロスボウがあるじゃんか! 私が時間を稼いでいる内に、さっさと装填しなよ! そうすれば、道が開けるかもだろ?」
「……壊れました」
矢継ぎ早なマリーに、サラがボソッと答えた。
「え? 何だって?」
「ですから、弩が壊れたのです」
マリーが聞き返すと、今度ははっきりと答えるサラである。
「断っておきますが、整備を怠っていたわけではありませんよ。厄介な事に金属疲労です。こればかりは、残念ながら目に見えない。太矢を番える留め金、こいつがさっきの一撃で欠けてしまいました。ここでは修理が利きません」
「オーノー……」
続けるサラに、天を仰ぐマリー。
「そういうことで、降伏することを強くお勧めします。そもそも、彼らの装備からして、最初からそのつもりのようですから」
五人の敵を見渡して、サラが両膝を地面に着ける。
両手を頭の後ろに回して、無抵抗の意志を示すサラであった。
サラの言うように、五人の装備は偏っている。全員が全員、刃物の類を持っていない。
棍棒と盾だけで、これはむしろ、捕縛に適したスタイルと言えた。
「ちくしょう!」
言って、マリーが素槍を地面に投げた。
「もうどうにでもしやがれ!」
悪態をつきながら、マリーもサラに倣った。
「そうそう。大人しくしてろよ」
リーダー格が言って、懐から縄を取り出した。




