ハドラマウト防衛戦2
モンローの街は、戦場と避難の境界が曖昧に溶け合った異様な光景を呈していた。
焼け焦げた家屋、崩れ落ちた壁、血に濡れた石畳。
その中を、私兵や傭兵たちが住民を誘導しながら必死に走り回っている。
幼子を抱える者、肩を貸して負傷者を支える者、泣き叫ぶ声を押し殺して進む者――混乱は極まっていた。その混乱の只中で、誰もが一瞬、目を奪われてしまう。
視線の先にあるのは――シャイン傭兵団の戦い。
「……なんだ、あれ……」
誰かが呟く。
それは恐怖でもあり、畏怖でもあった。
巨人兵を相手に、まるで日常の作業のように戦う者たち。
巨大な肉体を軽々といなし、斬り伏せ、打ち倒していく。
ザックの槍が振るわれるたびに、巨体が裂ける。
ユキヒョウの剣が閃くたびに、敵が崩れ落ちる。
そして――「……あの弓……」
誰かの声が震える。
ケイトとリズ。
二人が放つ矢は、もはや“射撃”ではなかった。
ドンッ!ドヒュンッ!
空気を裂く音と同時に、遠くの巨人兵の頭部が弾け飛ぶ。
防ぐ術などない、距離も、障害物も意味を成さない。
「……あれに狙われたら……」
言葉を失う。
抗う手段が、思い浮かばない。
「……シャイン傭兵団が敵じゃなくてよかった……!」
それは、この場にいる全員の本音だった。
畏怖と安堵が入り混じる中――「おい!そこォ!!」鋭い怒号が飛ぶ。
「手が止まってるぞ!動け!!」
デチモだった。
避難誘導の指揮を執る彼は、戦場に背を向けることなく、しかし決して見入ることもなく、淡々と役割をこなしている。
「そっちは負傷者だ!止血を急げ!そこの二人、担架を持ってこい!」
的確な指示、混乱しかけた流れを、無理やり引き戻す。
「……ッ、は、はい!」
私兵たちが慌てて動き出す。
「デチモ!!」
駆け寄ってくる影。
未知傭兵団の団長、ミロシュだ。
「帝国軍が……!」
息を切らしながら叫ぶ。
「次々とルナイ川を渡ってきてるぞ!」
その言葉に、周囲の空気が凍りつく。
「……数は?」
「増えてる……!このままだと、すぐにこっちに集中する!」
デチモは一瞬、目を閉じる。
(……まずいな)
戦力が分散している今なら、まだ可能性はある。
(…今は無理だ)
ここには、守るべき者がいる。
避難が終わっていない、負傷者も多い。
この場を離れれば、確実に被害が拡大する。
「……くそ」
小さく吐き捨てる。
「今はこっちを優先だ!」
ミロシュに向き直る。
「お前たちは引き続き誘導を続けろ!戦闘は禁止だ、わかってるな!」
「……ああ!」
ミロシュも悔しさを押し殺して頷く。
「任せろ!」
デチモは再び戦場の奥を見る。
(ロイド……早く戻って来てくれ)
願う。
その頃――小さな広場。
戦いは、なおも続いていた、金属音が絶え間なく響く。
ディヤウ・フォン・ゼーレンは、微動だにせずその全てを見ていた。
(……なるほど)
内心で呟く。
(速さと重さ……か)
クリフの剣は異常な速度。
ロイドの一撃は破壊的な質量。
互いに補い合う連携、単純だが、極めて洗練されている。
目が細められる。
(——まだ“底”ではない)と感じ取っていた。
同時に――ロイドもまた考えていた。
(……強い)
ディヤウを見据える。
ただの指揮官ではない、間違いなく、前線で戦える“将”。
(兵も……思った以上だ)
盾の強度、膂力、反応どれも想定以上。
クリフもまた同じ結論に至っていた。
「……面倒くせえな」
小さく呟く。
ロイドとクリフの視線が交わる。
言葉はいらない、意図は共有される。
(……まだだ)
(……今じゃねえ)
力を出し切るには早い、ここで消耗するべきではない。
目的は一つ。
(時間を稼ぐ)
(……ザックたちを待つ)
それが来るまで、持たせる。
「――ッ!」
クリフが再び踏み込む。
ロイドがそれに合わせる。
攻撃は続くが、わずかに変化していた。
無理に崩さない、無駄に力を使わない、確実に削る。
一人、また一人と帝国兵が倒れていく。
ディヤウは静かに観察を続けていた。
(……なるほど)
わずかに口元が緩む。
(時間稼ぎか…それもまた一興)
見抜いていたが――彼もまた、焦ってはいない。
この戦場は、まだ序章に過ぎない。
広場に、再び金属音が響き渡る。
広場に張り詰めていた空気が、次の瞬間――一変した。
「ワハハハハッ!!」
轟くような笑い声。
低く、太く、そして圧倒的な存在感を伴ったその声は、戦場の喧騒すら一瞬押しのけた。
「待たせたなぁッ!!」
ザックだった。
巨躯を揺らし、皆朱の槍を担ぎながら、まるで戦場そのものを踏み砕くかのように踏み込んでくる。
ほんの一瞬——刹那にも満たない、わずかな時間。
その“音”は、確かに意識を奪った。
帝国兵たちの視線が、わずかに揺れる。
ディヤウ・フォン・ゼーレンですら、その存在を無視することはできなかった。
(来たか――ッ!)
ロイドとクリフ、二人の腕が同時にしなる。
握られていたのは、剣ではない。
隠し持っていた鉄釘。
それを――至近距離から、叩きつける。
ビシュッ!!
空気を裂く鋭い音、避ける間もない。
反応する前に――「ガッ……!」
帝国兵の顔面に突き刺さる。
目に、頬に、喉元に、完全な不意打ち。
一瞬の“崩れ”。
その隙間を――ロイドとクリフは、駆け抜ける。
一直線…狙いはただ一人、ディヤウ・フォン・ゼーレン。
二人の“制御”が外れる。
(ここだ――!)
(行くぜ……!)
溜めていた力、抑え込んでいた全てを――解放する。
骨が軋む、筋肉が悲鳴を上げる。
限界の、その先へ地面が砕ける、空気が爆ぜる。
速度が――跳ね上がる。
「――ッ!」
ディヤウの瞳が、初めて大きく開かれる。
(速いッ……!)
先ほどまでとは、別次元。
見えていたはずの動きが、もはや追えない。
その瞬間――ロイドとクリフの背後から、ドンッ!ドヒュンッ!!。
重く、鋭い破裂音、ケイトとリズの矢。
放たれたそれは、一直線にディヤウを射抜く軌道。
(――見えたッ?!)
ディヤウは、それを捉えた。
矢の軌道、速度、到達点すべてを。
(避けるしかないッ!)
身体を無理やり捻る、常識を無視した体勢、それでも、躱す。
矢が、頬を掠める、鎧を削る、直撃は免れる。
——その代償は、あまりにも大きかった。
体勢が崩れる、重心が流れる、反撃不能、防御不能。
完全な“隙”。
(しまっ――)
思考がそこまで到達した瞬間には、もう遅い。
ロイドが踏み込む、一瞬の遅れもなく狙いは――腕。
「はああああッ!!」
振り抜かれる一撃、剣が閃く。
ズバァッ!!
肉と骨を断ち切る感触。
ディヤウの右腕が、宙を舞った。
「グゥッ……!!」
それでも、ディヤウは動く。
残った腕で剣を抜こうとする。
「遅えよ――終わりだ」
クリフが、そこにいた。
ヒュン――一閃。
音すら遅れてやってくる、斬撃は、あまりにも正確だった。
首筋を、寸分違わず捉える。
ディヤウ・フォン・ゼーレンの首が、宙を舞った。
一瞬——時間が止まったかのような錯覚。
ディヤウの表情には――驚愕があった。
それとも、わずかな納得か。
(……なぜだ?)
その問いに、答えはない。
己の方が強い、負けるはずがない、選ばれた存在、そう信じていた。
見誤ったか?
ロイドとクリフの“全力”それは、想定を超えていた。
あるいは、ほんの僅かな油断、そのどちらか。
——もう、確かめる術はない。
ディヤウ・フォン・ゼーレンは、そのまま地に伏した。
「ワハハハハッ!!」
再び響く豪快な笑い声。
ザックが突入してきた。
「いいとこ持っていきやがったなァ!」
皆朱の槍が唸る。
一薙ぎ。帝国兵がまとめて吹き飛ぶ。
続いて――ユキヒョウ、ギャラガ。
さらに各隊が雪崩れ込む。
「遅えぞテメェら!」
「お前が早すぎんだよ!」
軽口を叩きながらも、動きに無駄はない。
一気に戦況が傾く指揮官を失った帝国兵たち。
連携は崩れないが、“目的”が消えている、ただの兵へと成り下がる。
「蹴散らせッ!!」
ザックの一声。
怒涛の攻撃。
やがて――広場に残るのは、静寂と無数の屍。
ロイドはゆっくりと息を吐いた。
クリフが肩をすくめる。
二人の視線が、ディヤウの亡骸に向けられる。
強敵だった間違いなく、その事実だけが、そこにあった。
広場に残ったのは、鉄と血の匂い、そして戦いの余韻だった。
ディヤウ・フォン・ゼーレンが地に伏し、帝国軍の兵士たちもほぼ壊滅。
張り詰めていた緊張が、ようやく僅かに緩む。
その中で、最初に駆け寄ってきたのはリズだった。
「ロイド!怪我はない?!」
息を弾ませ、心配そうに顔を覗き込む。
ロイドは軽く肩を回し、腕を握って確かめる。
「大丈夫だよ」
少しだけ息を吐き、笑みを浮かべる。
「だけど――久々に“本気”を出したよ」
その言葉に、周囲の空気がわずかに変わる。
「本気」——それは彼らにとって、そう簡単に口にするものではない。
「はっ」
クリフが鼻で笑う。
「ありゃあ中々の“もん”だったぜ」
剣を肩に担ぎながら、ディヤウの亡骸をちらりと見る。
「正直、面倒くせえ相手だった」
その言葉に、ユキヒョウが静かに頷く。
「君たちが本気を出す相手か……」
淡々とした口調だが、その目は鋭い。
「僕たちより強いと認識した方がよさそうだね」
決して軽くはない評価。
それだけの存在だったということだ。
「そう思って臨んだ方がいい」
クリフも同意する。
「ケイトとリズの矢を躱したのは、さすがに驚いた」
その言葉に、ケイトがわずかに眉を上げる。
リズも小さく息を呑む。
自分たちの矢を“見て躱した”存在。
それがどれほど異常か、本人たちが一番よく分かっていた。
「……まさか、そんな奴がうじゃうじゃいるとか言わねえだろうな?」
オズワルドが半ば冗談めかして言うが、その声にはわずかな警戒が混じっている。
ロイドは首を横に振った。
「彼は特別だと思うよ」
視線をディヤウへ向ける。
「第三軍副将軍だと言っていたしね」
その一言に、ザックが大きく口を開けて笑った。
「ヒュ~!大物じゃねえか!」
槍を肩に担ぎ、豪快に言い放つ。
「んじゃ次は将軍だな?」
まるで獲物を見つけた猛獣のような目。
「次の戦いはルナイ川流域だな」
ダグが現実的に口を開く。
「帝国軍を追い返さねえと話にならねえ」
これまでの戦いはあくまで前哨戦、本番はこれからだ。
「休む暇もねえな!」
ギャラガが笑いながら槍を振る。
「それも覚悟の上でしょう?」
マリアが肩をすくめる。
その表情に疲労はない。
むしろ、これからを見据えた静かな闘志。
「違いない!」
ロッベンが力強く頷く。
その一言に、一同の空気が軽くなる。
誰かが小さく笑い、それが広がる。
戦場に似つかわしくない、短い笑い声。
ロイドは一歩前に出る。
既に表情は切り替わっていた。
「ラモンさん」
呼びかける。
「おう」
即座に応じるラモン。
「私兵、傭兵たちの中から“盾持ち”と“弓兵”を集めてください」
的確な指示。
この場で必要な戦力を瞬時に見極めている。
「了解!」
ラモンは迷いなく動き出す。
その背を見送りながら、ケイトが口を開いた。
「相手の戦力が集まる前に叩きましょう」
冷静な判断。
「それと――」
一瞬だけ間を置く。
「見極めたうえで、撤退も視野に入れた方がいいわ」
その言葉に、誰も異を唱えない。
無理はしない、勝てる戦いだけをする、それがシャイン傭兵団の在り方。
「うん、その通りだ」
ロイドも頷く。
そしてリズが周囲を見渡しながら言う。
「幸い、今のところ私たちに負傷者はいないわ」
その報告に、わずかな安堵が広がる。
同時に――(それがいつまで続くかは分からない)
誰もが理解している。
戦いはまだ終わっていない、むしろ、ここからが本番。
「行こうか」
ロイドが静かに言う、その声に、全員が頷く。
武器を握り直す音、装備を確かめる仕草、再び、空気が引き締まる。
シャイン傭兵団は、再び動き出す。
戦場は、まだ終わらない。




