急報2
チョウコ町――役所庁舎内、大会議室。
重い扉が閉じられた瞬間、室内の空気が一変した。
外の喧騒は遮断され、残されたのは張り詰めた静寂と、集まった者たちの視線だけ。
長机を囲むように並ぶのは、シャイン傭兵団の面々。
カイセイ族の若き戦士たち、エイト商会側からナトカイ。
――息を整えたばかりの男、ニック。
額の汗はまだ乾いていない。
だがその目は、はっきりとした緊張と使命感を宿していた。
「……急報だ」
絞り出すような声。
その一言で全員の意識が完全に集中する。
ニックは一度だけ息を吸い、言った。
「カルバド帝国が動いた」
その瞬間――空気が、凍る。
「侵攻だ」
続く言葉。
「ノルダラン連邦共和国――ズライ自治区、ダーリウ自治区、ヘイレン自治区」
一つずつ、区切るように告げる。
「それに加えて――ダグザ連合国、カイセイ族の領土にも」
ざわり、と空気が揺れた。
だがニックは止まらない。
「さらに……アンヘル王国でも動きがある」
視線が一斉に集まる。
「旧コンラート領……現スニアス領、ヴィリエ領、ボーヴォワール領が反旗を翻した」
言葉を置く。
「バルムート公国側についた」
――重い、重すぎる情報。
やがて、ロイドがゆっくりと口を開く。
「……これから一層寒くなる時期だ」
静かな声。その裏にある危機感は明白だった。
「雪も降り積もる。その前に動いてきた、ということだね」
冷静な分析。
ノエルが続く。
「ええ……」
腕を組み、眉を寄せる。
「身動きが取れなくなることを前提に…!」
冬は、軍の動きを制限する。
補給も、進軍も困難になる。
だからこそ――今。
「チッ……」
舌打ち。クリフだった。
「嫌な時期に動いてきやがる」
短く、苛立ちが滲む。
エイラはすでに頭の中で状況を整理していた。
「……十中八九…ズライ自治区、ダーリウ自治区、ヘイレン自治区は落ちるわね」
断言に近い口調。
「商人の国だし、正規軍はない」
視線を伏せる。
「商会が抱えてる私兵や傭兵団じゃ、帝国軍相手に持ちこたえるのは無理」
現実的な判断だった。
ナトカイの表情がわずかに硬くなる。
ユキヒョウが一歩前に出る。
「ニック……だったね」
静かな声。
「その情報、どこで手に入れたんだい?」
問いは簡潔。核心を突くものだった。
ニックは頷く。
「俺は……カルバド帝国とズライ自治区の国境線近くで活動してた」
息を整えながら、言葉を紡ぐ。
「配下には、帝国内に潜り込んでる連中もいる」
その言葉に、何人かの視線がわずかに動く。
「そいつらから……前々から報告があった」
「報告?」
フレッドが低く問う。
「ああ」
ニックは頷く。
「物資の流れがおかしい、ってな」
部屋の空気がさらに引き締まる。
「通常じゃあり得ねえ量の兵糧、武具、資材が動いてた」
そして続ける。
「ズライ自治区側で注視してたところに……連絡が来た『帝国軍、動く』」
誰も息をしない。
「『カイセイ族、ズライ、ダーリウ、ヘイレンに侵攻』」
部屋の中に、重く落ちる。
フレッドが腕を組む。
「……実際に見たわけじゃねえんだな?」
確認の問い。
ニックは即座に答える。
「ああ。だが、信頼できる配下たちだ」
迷いはない。
「それに……その後、やることが山ほどあってな」
視線がわずかに下がる。
「各自治区の支店に指示を出した」
「撤退か」
ジトーが言う。
「報告と同時に、従業員を引き下げさせなきゃならなかった」
ニックの声には疲労が滲んでいた。
ナトカイが口を開く。
「……本店には知らせたのかい?」
同じエイト商会の人間としての確認。
ニックは頷く。
「配下の者を走らせた」
重苦しい空気の中で、ひとつの疑問が静かに浮かび上がる。
「……アンヘル王国での情報は、どうして分かるんですか?」
リズの声だった。
張り詰めた会議室の空気を、ほんの僅かに揺らすような問い。
だがその内容は核心に触れている。視線が一斉にニックへと向けられた。
ニックは、わずかに口の端を上げる。
「……情報ってのはな」
ゆっくりと息を吐き、言った。
「商人にとっちゃ命にも等しい時があるだろう?」
その声音は、先ほどまでの疲弊とは違う、どこか冷静で、計算されたものだった。
「まあ――ウチと協力関係にあるあんたらには教えとくか…情報屋を使ってる」
肩をすくめる。
沈黙の中、何人かが表情を変えた。
ニックは続ける。
「あんたらも、似たようなことやってるだろ?」
その言葉に、何人かが小さく息を吐く。否定はしない。
「ま、こっちは長年の積み重ねがある」
指で机を軽く叩く。
「王国内にも、公国側にも、それなりに“目”を置いてるってわけだ」
そして、ふと笑う。
「そろそろ一報が入るんじゃねえか?」
その言葉は予言にも近かった。
ミーナが腕を組み、感心したように頷く。
「……さすがエイト商会。抜かりはない、ってところね」
トーマスは苦い顔をする。
「俺たちも情報網の構築は進めてるが……まだまだだな」
現実的な評価だった。
オスカーが静かに続ける。
「仕方ないよ。エイト商会は昔から各地に根を張ってる。僕たちは、この地に来てまだ二年も経っていないんだから」
時間の差。蓄積の差。それは簡単に埋まるものではない。
ザックが腕を組みながら笑う。
「ま、そこは本部にいるベガ隊に期待だな」
軽口のようでいて、本気の言葉。
「アイツらなら、やってくれるだろ」
空気がほんの少しだけ緩む。
サーシャが、静かにシマを見る。
「さて……シマ、どう動く?」
その一言で、再び全員の意識が一点に集まる。
シマは腕を組み、しばし黙考する。
視線は机の一点に落ちているが、その思考は遠くまで伸びていた。
やがて、口を開く。
「……情報が足りねえな」
誰もが頷くしかない現実。
「ただ――この時期に動いたってことは、大規模な軍事侵攻じゃねえだろう」
その分析に、何人かが反応する。
ロイドがわずかに目を細める。
補給線、天候、地形――すべてを考えれば妥当な見立てだった。
エリカがすぐに言葉を重ねる。
「それでもズライ、ダーリウ、ヘイレンは落ちるわ」
冷徹な現実。
シマも否定はしない。
ケイトが続く。
「ギザ自治区、ハドラマウト自治区まで侵攻してきたら……厄介よね」
その言葉には、はっきりとした危機感があった。
メグも頷く。
「私たちも……エイト商会も、タダじゃ済まないだろうし」
交易路、物資、関係性。
すべてが影響を受ける。
ジトーが腕を組む。
「カイセイ族は……そんな簡単には負けねえとは思うが……」
言い切らない。
ギャラガが低く言う。
「人員次第だな。帝国がどれだけ戦力を投入してくるか」
現実的な見方。
ルーカスも頷く。
「装備も関係してくるだろう」
質の差。それは戦局を左右する。
会議室の空気が、さらに重くなる。
その中で――グーリスが口を開いた。
「……情報が足りねえ中で動くのはリスクがある」
誰もが理解していること。
「それでも今、動かなきゃいけねえこともある」
その言葉は、重く、そして現実的だった。
待てば安全かもしれない。
しかし、その間に状況は悪化する。
選択を迫られている。
複数の戦線。帝国の侵攻。
王国内の内乱。そして迫る冬。
一つでも重いのに、それが同時に動いている。
シマは、その中ではすでに――思考が動いている。
この町を守るために。家族を仲間を守るために。
何を選び、どう動くか。
決断の時は、すぐそこまで来ていた。
やがて“決断”という形を取り始めた。
「……カイセイ族の方には――」
ゆっくりと顔を上げる。
「俺とサーシャ、オスカー、メグ」
名を挙げていく。
「スタインウェイさん、フィン隊、それからラルグスたちカイセイ族」
その布陣に、何人かがわずかに頷いた。
スタインウェイは――「ぅわっはっはっは!」
豪快に笑った。不敵そのもの。
その顔には不安の欠片もない。
「久々に血が騒ぐわい!」
ラルグスもまた、口元を歪める。
「返り討ちにしてやるぜ……!」
低く、力のこもった声。
その背後で、同じくカイセイ族の若者たちの気配がざわつく。
その中でも一際、前に出る影があった。
「帝国のクソどもに……俺たちの力、見せてやる!!」
元チラン族――ペドロ。
血気盛んな青年の叫び。
その熱は、確かに周囲へと伝播する。
「おいおい」
低く、落ち着いた声がそれを制した、ゴードンだった。
この場にいるカイセイ族の中で最年長。
「今からそんなに逸るな」
静かだが、重みのある言葉。
経験の差が、そこにはあった。
シマはそれを一瞥し、次へと進む。
「ハドラマウト防衛には――ロイド、クリフ、ザック、ケイト、リズ」
次々と名前が並ぶ。
「氷の刃隊、灰の爪隊、ダグ隊、マリア隊、オズワルド隊」
それだけではない。
「ハドラマウト区長――ワイルジ・モコノにも協力させろ」
言い切る。
「もし断るようなら、引き上げろ」
その一言に、空気がわずかに変わる。
ザックが鼻で笑う。
「当然だな」
腕を組み、言い放つ。
「俺たちが命がけで守ってやる義理はねえ」
冷徹だが、正しい判断。
ケイトが静かに口を開く。
「……ダーリウ自治区、ヘイレン自治区は諦めるしかないわね」
重い現実。
誰も反論はしない。
リズも頷く。
「そうね……私たちの家族や仲間の方が大事だもの」
優しさと現実の間で選んだ言葉。
クリフが顎に手を当てる。
「つまり――専守防衛って形で当たればいいんだな?」
シマは即座に頷く。
「ああ、それでいい。無理に戦う必要はねえ」
その言葉に、ロイドが一歩前に出る。
すでに戦場を思い描いている目だった。
「ルナイ川が天然の防壁になる……」
地形を思い浮かべる。
「川沿いに防衛線を敷く形でやってみるよ」
合理的な案。
「それでいい」
シマは即答する。
「それと……わかってるよな?」
全員を見渡す。
その問いに、ユキヒョウが静かに答えた。
「勝ち目がない、危ないと思ったら――逃げる、ということだね」
シマも頷く。
「そういうことだ」
「わはははは!」
ギャラガの豪快な笑いが響く。
「そこはブレねえな!」
楽しそうに言う。
マリアも肩をすくめる。
「それがシャイン傭兵団の本質よね。“生き残ることが全て”」
その言葉に、何人かが小さく笑う。
ダグがぼそりと呟く。
「世間の評判からは……想像できねえだろうな」
確かにその通りだった。
“義理堅い” “頼れる” “シャイン傭兵団の前に敵なし”
そんな評価が世間には広まっている。
それは幻想ではない。ただし、真実の一面でしかない。
シャイン傭兵団は契約を守る。
戦いでは、“勝てる”と判断した上での話だ。
無謀はしない。無駄死にはしない。
守るべきもののために、生き残る。
それが――彼らの戦い方だった。
会議室に、笑いが広がる。
シマがゆっくりと口を開く。
「ハドラマウト防衛の指揮は――ロイドに任せる」
その一言で、視線がロイドへ集まる。
「食料品、住居の提供もワイルジ区長に要請しろ」
現地の資源を使う。補給線を無理に伸ばさないための判断。
「撤退時期は――ロイドの判断で好きにしてくれ」
一切の制約を設けない。
完全な現場裁量。
ロイドは即座に頷いた。
「了解!」
短く、力強く。
その目にはすでに戦場の構図が描かれている。
サーシャが腕を組みながら言う。
「……ズライ自治区が占領されたら痛いわね…アンヘル王国との交易路が閉ざされる」
その意味は大きい。
強大な敵が“隣”になるということ。
リズが続ける。
「つまり――アンヘル王国とギザ自治区に直接接するってことね」
地図をなぞるように言葉を重ねる。
「ギザ自治区を南下してアンヘル王国に入ることもできるけど……かなり遠回りになるわ」
ジトーが低く言う。
「それにだ、リーガム街、城塞都市に行くには……王都直轄領を通ることになる」
そして、吐き捨てるように。
「まだあそこは安定してねえだろうしな」
不確定要素が多すぎる。
デリーが口を開く。
「……ズライ自治区は落とさせる訳にはいかねえな…?」
その言葉に、数人が静かに頷く。
ドナルドが現実を突きつける。
「そうなると、俺たちが矢面に立つことになる…被害も相当出るぞ」
その言葉に、場が静まる。
マックスが続く。
「ザックが言ったように、俺たちが命張るってのも……おかしな話だろう?」
傭兵としての本質。
誰かのために「無条件」で死ぬべきではない。
フレッドが口を開く。
「当然、ズライ自治区区長にも協力させる。ギザ自治区区長にもだ」
責任は分担させる。
それが現実的な戦い方。
キリングスが頷く。
「それと――ブランゲル侯爵家と共同で当たるしかねえな」
その名に、空気がわずかに締まる。
ダルソンが続く。
「ズライ自治区での戦いは……難しい判断が求められるな」
単純な戦闘ではない。
政治、補給、撤退――すべてが絡む。
その中で、ニックが口を開いた。
「ギザ自治区は――実質、俺たちエイト商会がまとめてる」
自信を持って言う。
ニックは視線をシマへ向ける。
「力になれることは何でもするぜ」
ズライ自治区が落ちれば――次はギザ自治区。
それは誰の目にも明らかだった。
協力しないという選択肢は、存在しない。
ブランゲル侯爵家。シャイン傭兵団は“同盟”を超えた関係にあった――一心同体。
シマがゆっくりと口を開く。
「……ジトー、フレッド、トーマス、ミーナ、ノエル」
次々と指示が飛ぶ。
「鉄の掟隊、ダルソン隊、ルーカス隊、デリー隊、ドナルド隊、エリカ隊、ワーレン隊」
戦力が積み上がっていく。
「本部にいるライアン隊、ベガ隊にも参戦させ、エイト商会の警備はデシンス隊に任せろ。ジトー、ブランゲルと共同で事に当たれ…任せたぞ」
その言葉に込められた意味は重い。
「ダミアンからも情報を引き出せ」
エイト商会との連携も強化する。
シャイン傭兵団副団長――ジトー。
その名に、すべてが集約される。
ジトーは一瞬だけ目を閉じ、すぐに開いた。
「了解した」
短い返答。その声には揺るぎがなかった。




