再会10
城塞都市の一角――
鍛冶工房が密集する区画からほど近い場所に、その宿はあった。
「ゴヴニュの宿」
外観は質実剛健、石造りの壁に煤の跡が残り、鍛冶の街らしい荒々しさを纏っている。
朝の早い時間だというのに、周囲はすでに騒然としていた。
金槌が鉄を叩く甲高い音、炉に風を送り込むふいごの唸り、職人たちの怒号と笑い声。
鉄と火と汗の匂いが混じり合い、空気そのものが震えている。
その喧騒の中を、シマ、ジトー、クリフの三人が歩いてくる。
ミウオ商会の会頭シタマツがこの宿に泊まっていることは承知しているが、彼に用はない。
――未知傭兵団に会うこと。
宿に近づいた、その時だった。
ぎい、と木製の扉が内側から開き、一団が姿を現す。
最初に現れたのは、圧倒的な体躯の巨漢。
肩幅は広く、首は太く、無精髭に覆われた顔。
未知傭兵団副リーダー、パトリックだ。その背後に、さらに数名の団員が続く。
互いに、ほぼ同時に視線が合った。
一瞬の間。
だがそれは敵意を測るようなものではない。
「よう、パトリック!」
先に声を上げたのはジトーだった。
砕けた調子で、だが確かな親しみを込めて。
「ジトー!シマ!」
パトリックの顔が、驚きから一気に笑みに変わる。
「……あとは初めて見る顔だな?」
その視線が、クリフに向けられる。
未知傭兵団のリーダー、ミロシュも足を止めていた。
鋭い眼差しの奥に知性を感じさせる男で、部下たちもまた、驚きと喜びを隠しきれない様子だ。
クリフは一歩前に出て、軽く手を上げる。
「俺はシャイン傭兵団団長補佐のクリフだ。よろしくな」
気負いはない。
だが、その一言には、背負っているものの重みが自然と滲んでいた。
「ミロシュだ。未知傭兵団のリーダーをやってる」
「副リーダーのパトリックだ。よろしくな」
団員たちもそれぞれ名を名乗り、短いながらも丁寧な挨拶が交わされる。
空気はすぐに和らいだ。
この場にいる誰もが、“話ができる相手だ”と直感していた。
だが――「……ここらはうるさくてな」
ミロシュが周囲に目をやり、苦笑交じりに言う。
金槌の音が、まるで会話を遮るかのように響く。
炉の唸りは止む気配がない。
「おちおち寝ていられねえ。話をするにも落ち着かねえしな」
そう言って、シマたちに視線を戻す。
「どこか、腰を落ち着けられる場所に移ろうぜ」
シマは頷き、ジトーは肩をすくめる。
「だな。じゃあ――アパパ宿にしよう」
その名を聞いて、未知傭兵団の面々が軽くざわつく。
シャイン傭兵団が城塞都市に滞在中は拠点とも言える定宿だ。
こうして一行は、「ゴヴニュの宿」を後にする。
喧騒の鍛冶区画を抜け、次の舞台――アパパ宿へ。
午前中のアパパ宿は、拍子抜けするほど静かだった。
普段なら朝から人の出入りが絶えず、笑い声や食器の音が入り混じる一階も、この時間帯はがらんとしている。椅子はきちんと並べられ、卓上にはまだ朝の名残の湯気がうっすらと漂うだけ。
窓から差し込む光が、磨かれた床板に淡く反射していた。
理由は明白だった。
ライアン隊、マリア隊(マリア本人を除く)は、今日も揃って観光に出ている。
エイト商会のルドヴィカとナトカイを先頭に、子供たちをぞろぞろ引き連れて。
ギャラガの娘シンジュ、グーリスの息子クライシス、キリングスの息子たち――フォルカーとシュテファン。さらにガンザス、ダンドスの子供たち、アニー、ウエンス、エバンス、ミライまで加わり、なかなかの大所帯だ。
団員たちはルドヴィカの買い物の荷物持ちと子供たちの見守り役を兼任させられているらしい。
「俺たち、観光どころじゃねえかもな……」
そんなぼやきが漏れた団員がいた、という噂もあながち誇張ではないだろう。
そんな静かなアパパ宿の扉が開いたのは、その少し後のことだった。
先頭に立つのはシマ。
その後ろにジトー、クリフが続き、さらに見慣れない顔ぶれが数人――未知傭兵団だ。
ミロシュ、パトリック、そして団員四名。
だが、それにいち早く気付いたのは店主だった。
「これはこれは! 団長さんではありませんか!」
声を弾ませ、カウンターの内側から身を乗り出す。
シマは足を止め「うちの者が迷惑をかけていないか?」と聞く。
あくまで穏やかに、だがこの宿を気遣う言葉。
「全く問題ありませんとも!」
店主は即座に胸を張る。
「皆さん礼儀正しいですし、何より――賑やかで助かっておりますよ」
一行は奥のテーブルに腰を下ろす。
椅子が引かれ、木が軋む音が静かな空間に響く。
「飲み物は?」
店主が声をかけると、自然と注文が飛び交った。
「エール」「俺もだ」「こっちも」
その流れの中で、シマだけは変わらない。
「ジュースを」
ミロシュが一瞬だけ目を瞬かせ、ジトーが肩を揺らして笑う。
注文を聞き終え、店主が厨房へ引っ込むと、パトリックがニヤリと口角を吊り上げた。
「……で? 今日はお前らの驕りか?」
遠慮の欠片もない言い草だが、そこには探るような含みよりも、場を和ませる意図が透けて見える。
「好きなもん頼んでいいぜ」
即答したのはジトーだった。
パトリックが楽しそうに笑う。
ほどなくして、エールの泡が立つ音、グラスが並べられる音が戻ってくる。
黄金色の液体と、透明なジュースがテーブルに揃う。
喉を潤す者、まだ手を付けずに相手の出方をうかがう者――
その中で、シマはいつも通り落ち着いた様子でジュースのグラスに指を添えている。
「……さて」
と、場の空気を切り替えるようにシマが口を開いた。
「まず、クリフ。こいつらのことだがな」
視線が未知傭兵団――ミロシュ、パトリック、団員たちへ向く。
「名乗りは“未知傭兵団”だが、正確には傭兵じゃねえ」
ミロシュが小さく肩をすくめた。
「冒険者だ。ただこの辺りの国じゃ“冒険者”って言葉があんまり馴染みがねえだろ? だから便宜上、傭兵団って名乗ってる」
クリフは腕を組んだまま、じっと彼らを見ている。
その視線に気圧されたのか、団員の一人が背筋を伸ばした。
「総勢八人の小規模な連中だ。腕は悪くねえとは思うが……」
シマはそこで一度言葉を切り、ジトーに視線を投げる。
「こいつらはよ、秘境だとか、誰も知らねえ場所に行って――調べて、見て、記録したいんだとさ」
ジトーがグラスを持ったまま、肩をすくめて言う。
「未知の土地、未知の遺跡、未知の生き物。ロマンはあるが、現実は厳しい、装備も準備も、知識も……正直言って足りてねえ」
シマの言葉は容赦がなかった。
否定ではなく、事実の指摘だ。
「だから俺が判断した。今の依頼が終わったら、こいつらにはチョウコ町に来てもらう」
クリフがゆっくりと目を細める。
「……生き残る術を教える、ってことか」
「理もな」
シマは短く頷いた。
「勢いと好奇心だけで踏み込む場所じゃねえ。知らなきゃ死ぬこと、知ってりゃ避けられること……その線引きをな」
クリフはしばし黙り込み、やがて問いを投げる。
「で?俺たちに何の得がある」
その瞬間、場の空気がわずかに張り詰めた。
未知傭兵団の面々が息を呑むのが分かる。
シマは気負う様子もなく答えた。
「こいつらが見たもの、感じたもの、調べて記録した――その全部を、俺たちが買い取る」
ジトーが続ける。
「文章、図、地形、伝承、噂話でもいい。全部集めて本にまとめる」
「後世に継ぐためだ」
シマの声は静かだったが、芯があった。
「今はまだ日の目を見ねえかもしれねえ。金にもならねえ。正直、割に合わねえ」
そこで一瞬、視線がクリフに向く。
「だがよ……知らねえことを、知らねえままにしておくのも癪でな」
クリフはふっと息を吐き、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「……確かにな」
グラスを傾けながら、ゆっくりと言葉を噛みしめる。
「俺も嫌いじゃねえ。そういう話」
その一言で、未知傭兵団の空気が一気に変わった。
「わかるか?!」
堰を切ったようにミロシュが身を乗り出す。
「誰も行ったことのねえ場所だぞ!地図に載ってねえ谷、記録に残ってねえ遺跡!」
パトリックも拳を握りしめる。
「未知の生物だっているかもしれねえ!伝説だと思われてるものが、本当にそこにいるかもしれねえんだ!」
次第に、団員たちの声も熱を帯びていく。
「あそこには何があるんだろうなって考えると、夜も眠れなくなるんだ」
「怖えけどよ、それ以上に見てえんだ」
アパパ宿の静かな午前の空気の中で、未知傭兵団のテーブルだけが、冒険への渇望で熱を帯びていった。
それを、シマとジトー、そしてクリフは、どこか懐かしむような目で見つめていた。
未知傭兵団の面々が語る言葉は、まだ形になりきらない夢と、胸の奥から溢れ出す熱に満ちている。
荒削りで、危うくて、それでも真っ直ぐだ。
――ああ、そうだったな。
クリフの胸に、遠い記憶が静かに重なっていく。
スラム街で生まれ育ち、明日の飯すら確約されない日々。
運が悪ければ殴られ、奪われ、さらに奴隷狩りに捕まり、理不尽が日常で、希望という言葉が笑い話だった頃。
事故に巻き込まれ、深淵の森へと投げ込まれた十五人の少年少女。
普通なら、そこで終わっていたはずだ。
だが、終わらなかった。
恐怖と不安に震えながらも、誰かが誰かの手を掴み、歯を食いしばり、生きることを諦めなかった。
深淵の森は優しくはなかった。
獣は牙を剥き、自然は容赦なく、知識も力もなければ即座に死が訪れる場所だった。
それでも――彼らは、生き残った。
互いを支え、学び、鍛え、傷つきながらも少しずつ力を蓄えていった。
血の繋がりなどない。それでも確かに“家族”だった。
時を経て、彼らは森を飛び立った。
自分たちのためだけではない。
守りたい家族がいて、叶えたい夢や目標があったからだ。
「俺たちがやらなきゃ、誰がやる、俺たちがやるんだ“家族たち”のために!」
そんな言葉を、何度も交わしてきた。
恐れや不安がなかったわけじゃない。むしろ常にあった。
だが、それ以上に――希望があった。
自分たちが力を合わせれば、どんな困難だって越えられる。
根拠なんてなかったが、信じて疑わなかった。
そして実際に、今はその通りになっている。
シャイン傭兵団は名を持ち、力を持ち、王侯貴族でさえ無視できない存在にまでなった。
ジトーもまた、未知傭兵団を見つめながら、無言で鼻を鳴らす。
クリフは腕を組んだまま、熱を帯びて語るミロシュたちを見て、ふっと小さく笑う。
「似てるな」
誰に向けたともなく、静かに零れた言葉。
彼らを突き動かしている原動力は、シマたちとは少し違う。
家族のためでも、生き残るためでもない。
好奇心。情熱。
そして、未知への挑戦。
知らないものを知りたい。
見たことのない景色を見たい。
誰も踏み込んだことのない場所に、自分たちの足跡を残したい。
その純粋さは、かつての自分たちにも確かにあったものだ。
形は違えど、進む理由は違えど、
「前に進まずにはいられない」という衝動だけは、驚くほどよく似ている。
シマはグラスを置き、未知傭兵団の面々を改めて見渡した。
――守る側と、挑む側。
――家族の夢と、未知への憧れ。
どちらが上でも下でもない。
ただ、同じ“生き方”の延長線上にある。
未知傭兵団の熱に満ちた語りを聞きながら、シマたちは静かに確信していた。
――こいつらは、簡単には折れねえ。
――そして、折らせるつもりもねえ。
同じ道を、違う理由で進む者同士。
今、この場所で交わった縁は、きっとこの先も続いていく。
そんな予感だけが、アパパ宿の穏やかな空気の中で、確かに芽吹いていた。
「……他の二人はどうしたんだ?」
エールの杯を置きながら、クリフがふと思い出したように問いかける。
未知傭兵団は八人編成のはずだ。ここにいるのは六人。
ミロシュが肩をすくめ、苦笑混じりに答えた。
「シタマツさんの護衛だ。朝一番で市場に向かったよ」
その言葉に、すぐさま別の声が被さる。
「いやあ、しかし凄え人混みだよな!」
そう言って大げさに両手を広げたのは、団員のエッポだ。
「身動き取れねえくらいでさ。」
「それもこれも、シャイン傭兵団の公演目当てらしいぞ?」
ロータルが顎をしゃくり、いかにも“聞きかじった情報”といった調子で続ける。
市場に集まる人々、噂話、商人たちの浮き足立った様子――すべてが一つの理由に収束している。
「城塞都市じゃ、お前らの噂を聞かない日はねえよ」
低い声でそう言ったのはフーゴだった。
無駄口の少ない男だが、その分、言葉の重みがある。
「いや、改めて思ったよ。お前ら、本当に凄えな」
隣でフリッツが大きく頷く。
「同感だ。俺も最初は誇張だと思ってた。でもこの街の空気、商人の動き、兵の緊張感……全部、お前らが原因だろ?」
無邪気とも素直とも言えるその言葉に、場の空気が一瞬だけ静まる。
――そして、すぐに崩れた。
「今の言葉はな」
シマが軽く咳払いをし、わざとらしく真顔になる。
「ザックとフレッドにだけは言うなよ?」
一瞬の間。
「マジで、あいつら調子に乗るから」
その一言で、張り詰めていた空気は一気に弾けた。
「ははははは!」
「わかる!」
「想像つくのがまた腹立つな!」
未知傭兵団の面々も、ジトーも、クリフも、堪えきれずに笑い出す。
ジトーなどは「もう遅えかもしれねえけどな」と肩を揺らし
クリフは「言わなくても自分で嗅ぎつけそうだ」と苦笑した。
シマはため息をつきつつも、口元には僅かな笑みを浮かべている。
こうして笑い話にできるほど、シャイン傭兵団の名は広まってしまった。
街を動かし、人を集め、噂が噂を呼ぶ。
だがその中心にいる彼ら自身は、相変わらずだ。
冗談を言い、笑い、仲間の悪ノリを警戒する。
それが、彼らの日常だった。
アパパ宿の静かな午前。
市場の喧騒とは裏腹に、ここでは肩の力を抜いた笑い声が、ゆったりと流れていた。




