再会3
領主館応接間。
重厚な木製の扉が閉じられ、外界の気配が遠のいた空間には、暖炉の火が静かに揺れていた。
グラスに注がれた酒の香りがほのかに漂い、先ほどまでの再会の余韻がまだ空気に残っている。
ワーレンは一息置いてから、ふと首を傾げた。
「……そういえば、デシャン様は?」
その問いに、マリウスは少しだけ表情を曇らせ、しかしすぐに肩をすくめる。
「つい先日ね、緊急の貴族会議招集がかかってさ。呼び出しを受けるなり、慌ただしく出ていったよ」
ワーレンたちの視線が集まる中、マリウスは続ける。
「おそらく、ブランゲル侯爵様たちと合流して、そのまま王都へ向かうだろうね」
その言葉に、場の空気がわずかに引き締まった。
「……王都で、何か動きがあったということですね?」
低く問いかけたのはコルネリウスだった。
戦場慣れした男特有の、嫌な予感を隠さない声音。
マリウスは頷く。
「だろうね。ただ事ではない“何か”が」
ワーレンは腕を組み、ゆっくりと言葉を継ぐ。
「緊急貴族会議が開かれること自体が、普通じゃありませんからね」
「その通りだ」
マリウスは椅子の背にもたれ、視線を暖炉の火に向けた。
「だがね、王都で何が起ころうと、私がすることは変わらない。リーガム領を守る――それだけさ」
その言葉には、次期領主としての覚悟が静かに滲んでいた。
そしてマリウスは、ふっと視線をワーレンたちへ戻す。
「君たちは……例の“取引”に来たわけではなさそうだ」
一瞬、応接間の空気が張り詰める。
「だからといって、あえて詮索はしないよ。どうせ、シマから直接聞くことになるだろうからね」
その名が出た瞬間、ワーレンは苦笑し、深く頭を下げた。
「助かります」
少し間を置いて、言いにくそうに続ける。
「……それと、ちょっとお願いがありまして。できれば、風呂を頂けたらと」
一拍の沈黙。そして――
「あははは!」
マリウスは声を上げて笑った。
「そんなの、たやすい御用さ!」
手を叩きながら、さらに言う。
「それに、まだ宿が決まっていないなら、ここで寝泊まりしていきなよ」
その瞬間、ワーレン一行の表情が一斉に明るくなる。
「いやあ……何から何まで、本当にありがとうございます」
「私とシャイン傭兵団の仲だろう?」
マリウスは柔らかく微笑む。
「遠慮は無用だよ」
その流れで、ブレーズが一歩前に出た。
「ついでと言っちゃあ何ですが……信頼できる速達人か、行商人を紹介してもらえませんか?」
「どこまでだい?」
マリウスの問いに、ワーレンが答える。
「……ドノヴァン砦までです」
その瞬間だった。
マリウスの視線が、自然とヤンとルボシュへと向けられる。
じっと、値踏みするような目。
「君たちは……シャイン傭兵団じゃないよね?」
一同が息を呑む。
「スレイニ族かな」
疑問形でありながら、そこには妙な確信があった。
デルガーは、感心したように眉を上げる。
「……鋭いですなぁ。御明察です」
「おいおい、いいのかよ。バラしちまって」
ビョルンが小声で突っ込む。
「いずれ、シマから聞くことになるだろう?」
「まあ……そうかもな」
ブラスが肩をすくめる。
その様子を眺めていたワーレンが、ようやく違和感に気づいた。
「……ちょっと待て?マリウス様、“シマから直接聞く”って、どういうことですか?」
その問いに、マリウスはにやりと笑う。
「やっと気づいたか」
椅子から身を乗り出し、楽しそうに言った。
「君たち、城塞都市で公演するんだろう?正確には……リズ嬢たちが、だけどね」
ワーレンは目を見開く。
「……まさか」
「私も観に行くからね」
そう告げるマリウスの顔は、次期領主ではなく、一人の観客のそれだった。
応接間に、再びざわめきが広がる。
マリウスは思い出したように口を開いた。
「さて……速達人か行商人の紹介だったね。ドノヴァン砦までとなると、正直に言ってそれなりに値が張るよ」
その声音は事務的でありながら、含むところのない率直さがあった。
ワーレンは即座に頷く。
「問題ありません。足りなければ……組合でしたか? そこから借ります」
それを聞いたマリウスは、少し目を細め、軽く手を振った。
「いいさいいさ。万一足りなければ、私個人が貸すよ」
「ほう……マリウス様は『持つ』とは言わないんですね?」
デルガーがいたずらっぽく口角を上げての一言に、マリウスは肩をすくめる。
「親しき中にも礼儀あり、だろう?」
その返しに、誰からともなく笑いが起きる。
立場も身分も超えた、気のおけない空気がそこにはあった。
「紹介状は、私が書いておくよ」
マリウスがそう言うと、ワーレンはすぐに深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
それに続いて、ヤンとルボシュも無言のまま、だが礼を尽くした動作で頭を下げた。
異民族でありながら、ここでの扱いに偽りがないことを、彼らは肌で感じ取っていた。
その時、控えていた側近の一人――ハインツが、一歩前に出て静かに告げる。
「マリウス様。シャイン傭兵団との“例の取引”ですが……およそ十日後には来られるかと」
マリウスは頷き、すぐに場を見渡した。
「そうか。なら、取引が終わったら――その後は、みんな一緒に城塞都市へ向かおう」
その言葉に、場の空気が一段と明るくなる。
だが、エッケハルトが腕を組み、苦笑混じりに言った。
「……それまで、タダ飯喰らいってのは、居心地が悪いな」
その率直な言葉に、モーガンが即座に反応する。
「それなら、鍛錬に付き合ってもらうってのはどうだ?」
さらに、指を立てて続けた。
「それと、これだけの人数がいるんだ。領軍の方にも、出向してもらうのはどうだ?」
提案というより、実に現実的な発想だった。
「いいね!」
マリウスは即答し、楽しそうにワーレンを見る。
「ワーレン、どうだい?」
「承知いたしました」
迷いのない返答だった。
すると、モーガンが口の端を吊り上げる。
「お前が、どれだけ腕を上げたか……確かめてやるぜ」
その挑発に、ワーレンは静かに笑う。
「ふっ……お前…ユキヒョウは別格だが、デシンスには歯が立たなかったって聞いたぞ?」
応接間に、わずかなざわめき。
「俺は、あいつとは五分とまでは言わねえが……いい勝負はするぞ」
その言葉には、虚勢ではない自信があった。
モーガンは、目を細めて応じる。
「……それも含めて、確かめるさ」
二人の間に、かつての戦友同士の、言葉を超えた火花が散る。
そのやり取りを、マリウスは実に楽しそうに眺めていた。
次期領主としてではなく、一人の武人として、あるいは観戦者として。
やがて、マリウスは椅子から立ち上がる。
「さて……私は政務に戻るよ」
その声は、先ほどまでの柔らかさを保ちながらも、明確な切り替えを感じさせた。
「城塞都市に行くまでに、片づけなければならない案件がいくつかあるからね」
そう言ってから、ふっと笑みを添える。
「夕飯は、みんなで一緒に食べよう」
その一言に、応接間の空気がさらに和らいだ。
去っていくマリウスの背中を見送りながら、ワーレンは胸の内で思う。
――この地での滞在は、単なる“待ち”では終わらない。
鍛錬、交流、そして次なる舞台への準備。
シャイン傭兵団交易隊がリーガム街に到着するまで、残された時間はおよそ十日。
ワーレン一行は、その時間を決して無為には過ごさなかった。
まず、最優先事項となったのはヤンとルボシュの件である。
二人はスレイニ族の密偵であり、ドノヴァン砦へと確実に情報と生存を知らせねばならない存在だった。
ワーレンは、マリウスから紹介された速達業者と直接会い、条件を詰めた。
値は高かった。
通常の行商や簡易な伝令の比ではない。
「確実に、だ。途中で投げ出すことも、内容を他言することも許されない」
業者は一瞬だけ目を細め、やがて静かに頷いた。
「この金額なら、命を懸ける価値はある」
そうして、ヤンとルボシュの手紙は封蝋され、二重三重の手配のもと、ドノヴァン砦へと送り出された。
二人が肩の力を抜いたのは、それを見届けてからだった。
また、リーガム街領主館では、思いもよらぬ光景が日常になっていた。
マリウスは政務の合間を縫って鍛錬場に足を運んでいたのである。
「次期領主がここまでやるとはな……」
エッケハルトが半ば呆れ、半ば感心した声で呟く。
マリウスの剣は、相変わらず美しかった。
剣筋は素直で、型は教本通り、無駄がなく、洗練されている。
だが、それこそが弱点でもあった。
「……やはり、以前ユキヒョウが言ってた通りだな」
ベルンハルトが腕を組み、低く言う。
「素直すぎる。“騎士の剣”としては上等だが、戦場の剣じゃない」
マリウス自身も、その指摘を否定はしなかった。
騎士として、正しく、誇り高く学んだ剣。
その癖は、そう簡単に抜けるものではない。
だが――。
「それでも……」
キャシーが微かに目を細める。
「素質は、本物よ」
踏み込みの速さ、間合いの感覚、剣を振るう身体の軽さ。
どれを取っても、天性のものがあった。
「戦場を知って、窮地を味わって、それでも生き残れたなら……一皮どころか、二皮は剥けるでしょうね」
だが、その“もしも”は、マリウスにとって叶わぬ可能性でもあった。
次期領主である彼が、命を賭して戦場を駆ける場面は、そうそう訪れない。
鍛錬の中で、もう一つ変わったものがあった。
側近であるハインツとビリャフの戦い方だ。
以前は、相手を倒す剣だった。
だが今は違う。
「……守りに徹してるな」
デルガーの言葉通り、二人の剣は“時間を稼ぐ”ためのものになっていた。
敵を倒すより、マリウスを逃がす。
前に出るより、後ろを固める。
その変化は、モーガンとキャシー――元王家特別監察官である二人の進言によるものだった。
「主君を守る剣は、英雄の剣じゃない」
「生き残らせる剣よ」
その言葉を、ハインツもビリャフも、重く受け止めていた。
そして――一対一の模擬戦。
結果は、あまりにも明確だった。
シャイン傭兵団側で、負けた者は――誰一人、いなかった。
マリウス、ハインツ、ビリャフ、モーガン、キャシー。
彼らは顔を見合わせ、そして揃って乾いた笑いを漏らすしかなかった。
「……これは、参ったな」
マリウスが苦笑する。
特に、ワーレンと対戦したモーガンとキャシーにとって、その衝撃は大きかった。
「……違う」
キャシーが小さく呟く。
「私たちの知ってる、昔のワーレンじゃない」
一撃一撃が、重い。
ただの力任せではない、芯を捉えた重さ。
足元の砂礫を蹴り、視線を散らし、間合いを狂わせる。
剣を持つ手を狙い、踏み込みを殺し、削るように戦う。
嫌らしい。
徹底的に、嫌らしい。
だが、それだけでは終わらない。
間合いが詰まった瞬間、ワーレンは剣を捨てたかのような動きで懐に入り、体を捌く。
アイキドーを取り入れた体捌き。
力を受け流し、崩し、転ばせる。
その瞬間、勝敗は決していた。
キャシーは素直に剣を下ろした。
モーガンも、苦笑しながら頷く。
「こんなに……実力差が開くとはな」
その言葉に、ワーレンは肩をすくめる。
「俺も一応、隊を預かる身になったんでな」
そう言って、背後に立つワーレン隊の面々を見る。
「こいつらに認められねえと、話にならねえから」
その言葉に、誰も茶化さなかった。
それが虚勢ではなく、積み重ねの結果であることを、誰もが理解していたからだ。
スレイニ族軍の密偵であるヤンとルボシュは、ようやく致命傷から立ち直ったばかりだった。
そのため模擬戦への参加は許されず、領主館の鍛錬場の端、日陰になる場所で静かに見学していた。
剣と剣がぶつかる乾いた音。
踏み込み、交差し、倒れ、笑い声が上がる。
その一連を、二人は言葉少なに見つめていたが――やがて、堪えきれずにルボシュが声を漏らした。
「……やっぱ、この人たち……凄ぇわ……!」
純粋な感嘆だった。
戦場を知る者として、強さの“質”が違うことが直感的にわかる。
ヤンは腕を組み、あきれたように鼻で笑う。
「出鱈目な強さだよな。正直、同じ人間とは思えねえ」
言葉は軽いが、その目は真剣だった。
鍛錬場には、敗北を受け入れた者の苦笑と、次はこうしようという前向きな笑い声が響く。
それは血なまぐさい戦場のものではなく、鍛え合う者同士の健全な空気だった。
数日後。
ワーレン一行は、モーガンの案内でリーガム領軍の訓練場へと出向した。
迎えたのは、領軍副団長ギーヴ・コーエン。
背筋の通った精悍な男だった。
「遠路ご苦労。訓練を見て、思うところがあれば、遠慮なく言ってほしい」
その言葉に、兵士たちの背筋が一斉に伸びる。
訓練は規律正しく、号令も整い、兵士たちは真剣に取り組んでいた。
怠慢はない。
だが――。
ワーレンたちは、無意識のうちに互いを見た。
「……」
誰も口には出さない。
だが、感じてしまう。
必死さが、足りない。緊張感が、薄い。
頭では理解している。
シャイン傭兵団の基準と比べること自体が酷だということも、軍と傭兵団では戦い方も思想も違うということも。
「……なんだか、ぬるいな」
ぽつり、と零れたのはブレーズだった。
その瞬間、空気がわずかに張り詰める。
「ほう……ぬるい、か?」
耳聡く聞き取ったギーヴが、ゆっくりと視線を向ける。
「気にしないでくれ、ギーヴ殿。こいつの戯言だ」
デルガーが即座に割って入る。
だが、ギーヴは怒るでもなく、むしろ興味深そうに顎に手をやった。
「シャイン傭兵団……今や飛ぶ鳥を落とす勢いで名を上げている。その実力、一度は見てみたいと思っていた」
その一言が、流れを決定づけた。
気づけば話は進み、なし崩し的に演習が決まる。
――乱戦を想定した模擬戦。
シャイン傭兵団十九名。
対するは、リーガム領軍選抜百名。
兵士たちは沸いた。
あのシャイン傭兵団と、実際に剣を交える機会など滅多にない。
そして――。
結果は、あまりにも、あっけなかった。
開始の合図と同時に、ワーレンたちは散開した。
三人一組、スリーマンセル。
前衛、支援、制圧――明確な役割分担。
一方、リーガム領軍は数の優位を信じ、一斉に押し寄せる。
だが、それが裏目に出た。
足並みは揃わず、声は重なり、視界は遮られる。
乱戦を想定しているとはいえ、統制が取れていない。
ワーレンたちは、隙を逃さなかった。
倒すのではない。崩す。分断し、囲み、無力化する。
一人一人の武も確かに強い。
だが、それ以上に恐ろしいのは、集団としての完成度だった。
それは、シマたちに叩き込まれ、身体に染みついた戦い方。
――個ではなく、群で勝つ。
演習が終わる頃には、勝敗は誰の目にも明らかだった。
「……お前ら、異常だよ」
ぽつりと漏らしたモーガンの言葉が、すべてを物語っていた。
鍛錬場に残ったのは、圧倒された沈黙と、そして確かな実感。
シャイン傭兵団の真骨頂は、個の武ではない。
集団戦――それこそが、彼らを“異常”たらしめる所以だった。




