再会2
――王都で政変が起きる、その少し前のことである。
ワーレン隊、そしてベガ隊副隊長ベルンハルト率いる一行は、ゼルヴァリアに囚われていたスレイニ族軍の密偵、ヤンとルボシュを救出し、そのまま商団を装って北東へと進んでいた。
表向きは交易商。
だが、その実態は誰の目にも怪しかった。
鍛え抜かれた肩幅、厚い胸板、無駄のない歩幅。
長年武器を握ってきた者特有の身体つきは、どう取り繕っても商人のそれではない。
「……どう見ても、胡散臭えよな」
ブレーズが、ぼそりと呟く。
馬車は二台のみ。
護衛と称するには人数が多すぎ、商団と名乗るには規模が小さすぎる。
本人たちも、そのことは重々承知していた。
だからこそ、スニアス領では極力目立つ行動を避けた。
街や村に立ち寄るのは、最低限の補給だけ。
宿は取らず、日が落ちれば街道脇や森で野営を繰り返す。
焚き火は小さく。話し声も低く。視線は常に周囲を探る。
――ここは敵地だという自覚が全員にあった。
そして数日後。
一行はようやく、リーガム領へと足を踏み入れた。
城壁に囲まれたリーガム街が見えたとき、誰ともなく息が漏れる。
「……ここまで来りゃ、一安心だな」
ベルンハルトがそう言うと、皆の肩から力が抜けた。
「久々に、ちゃんとしたベッドで寝てぇ……」
ブレーズが天を仰ぐ。
「……風呂に入りたい」
切実な声で呟いたのはコルネリウスだった。
「ホントそれなぁ~……」
一同が大きく頷く。
「俺たちも、贅沢になったもんだ」
デルガーが苦笑し、皆が「全くだ」と笑い合う。
つかの間、緊張が解けた瞬間だった。
「マリウス様のところに行けば……もしかしたら、風呂に入れるかもな」
ワーレンの言葉に、空気が変わる。
「牛糞燃料の件、ルーカスたちが伝えたって言ってたし」
一瞬の沈黙のあと――
「おおっ!」
「マジか!」
「それは希望だな!」
喜色が一斉に広がる。
「よし、領主館に行こうぜ!」
チリッロが声を張り上げる。
……が。
「待て」
ビョルンが、ぴたりと足を止めた。
「俺たち、身分を証明するもんがねえぞ……!」
その一言で、現実に引き戻される。
ワーレン隊は、スニアス領の動向とルダミック商会の不正を探るため。
ついでに、コンラート領主親子の内情も探っていた。
ベルンハルトたちは、ゼルヴァリア国内の状況を洗い出す役目。
いずれも極秘行動だ。
身分を証明するものもシャイン傭兵団だと言う証も持っていない。
そのため入街料一人につき一銀貨と五銅貨の入税を払い街に入ったのだった。
「マリウス様と面識があるのは……ワーレンだけだろ」
コルネリウスが腕を組む。
「領主館に行ったって、すぐ会えるわけじゃねえ」
「……いや」
エッケハルトが記憶を辿るように言う。
「確か……ワーレンの元同僚が、ホルダー家に仕えてたはずだ」
「元・王家特別監察官だった連中か?」
ブレーズが眉をひそめる。
デルガーが、年長者らしく声を落とす。
「……今も、どこかで見ているかもしれんぞ」
その言葉に、空気が一気に引き締まった。
「あり得るな」
ワーレンが短く答える。
元・王家特別監察官だったからこそ分かる。
“監視される側”の感覚。
一行は、それとなく自然な動作で周囲を確認する。
視線を泳がせず、会話を続けるふりをしながら。
――そして。
いた。
街角の物陰。
行商人に紛れ、酒場の客を装い、何気ない風を装って――モーガン・エステベス。
その視線は確かに、謎の一団――ワーレンたちを捉えていた。
気づかれぬよう、しかし決して目を離さず。
リーガム街に足を踏み入れたその瞬間から、この邂逅は、すでに必然だったのかもしれない。
領主館の応接間は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
分厚い絨毯が足音を吸い込み、白い壁に掛けられた絵画と年代物の調度品が、この地が長く統治されてきた証を静かに語っている。
「……しっかし、何でバレたんだ?」
ソファに深く腰を下ろしたモーガン・エステベスが、顎に手を当てて首を傾げる。
その視線は、向かいに陣取るワーレン一行を値踏みするようでもあり、同時に旧友を見るようでもあった。
「おいおい、俺たちを誰だと思ってるんだ?」
ブレーズが肩をすくめ、ニヤリと笑う。
「シャイン傭兵団だぜ?」
その一言に、場の空気がわずかに緩む。
「シマたちから薫陶を受けてるからな……」
ワーレンが苦笑いしながら続ける。
「……まだまだ甘いらしいが」
「……あの、おっかねぇ男か」
モーガンは短く息を吐き、納得したように頷いた。
「そりゃあ、気付かれるわけだ」
その瞬間、応接間の扉が静かに開く。
執事長クレメンスが、音もなくカートを押して入ってきた。
磨き上げられた銀のトレイには、軽食の盛り合わせ。
チーズ、燻製肉、焼き菓子。
その脇には、赤ワイン、エール、果実酒が整然と並べられている。
「マリウス様は現在、政務の最中でございます」
穏やかで隙のない声。
「一段落いたしましたら、お顔をお出しになるとのこと。今しばらく、こちらでお待ちくださいませ」
「これは……ご丁寧にありがとうございます」
ワーレンが立ち上がり、軽く頭を下げる。
クレメンスは一礼すると、そのまま静かに退出した。
扉が閉じると同時に、ワーレン一行は次々と酒に手を伸ばす。
「久しぶりだな、モーガン」
「まったくだ」
再会の喜びが、ようやく言葉になる。
戦場でも密偵任務でもない、ただの“旧知の間柄”としての時間。
モーガンは改めて、ワーレンをじっと見つめた。
「……お前、身体一回りでかくなってねえか?」
「気づいたか」
ワーレンは肩を回し、苦笑する。
「一年前の服じゃ、もうぴちぴちだ」
「一年でそんなに変わったのか……?」
「“超回復”って言うらしいぞ?」
首を傾げるモーガンに、コルネリウスが横から口を挟む。
「俺もよくわからねぇがな。訓練した後は、風呂に入って、よく食って、飲んで、寝る。次の日は、しっかり休息だ」
「それがシャイン傭兵団流でな」
エッケハルトが、どこか誇らしげに付け加える。
モーガンは目を丸くした。
「……毎日訓練するわけじゃねえのか…?」
「あ、そういや」
ブレーズが思い出したように言う。
「風呂は入れんのか?」
その問いに、モーガンはふっと笑った。
「……清潔好きな傭兵団なんて、聞いたことねぇぞ……入れるようになったさ」
「何?」
「お前ら……ルーカスたちが、牛糞燃料の使い方を教えてくれてな。あれ以来、毎日だ」
一瞬の沈黙のあと。
「毎日だと……」
「すげぇ進歩だな」
「文明の勝利だ」
「ワーレン!」
チリッロが勢いよく身を乗り出す。
「マリウス様に頼んでくれよ!今日は絶対、風呂に入りてぇ!」
「わかってるよ」
ワーレンは苦笑しながら、杯を掲げる。
「ここまで来たんだ。少しくらい、骨休めしても罰は当たらん」
応接間には、久方ぶりの安堵と笑い声が満ちていた。
だがその裏で、彼らが背負ってきた任務と火種は、まだ何一つ終わってはいない。
それを全員が理解したうえで――今だけは、この静かな時間を、誰もが噛みしめていた。
領主館応接間の扉が、静かに、しかし確かな存在感をもって開かれた。
先頭に立って姿を現したのは、貴公子然とした佇まいの青年――
デシャン・ド・ホルダー男爵家当主の嫡男マリウス・ホルダー。
整えられた淡い色の髪、細身ながら無駄のない体躯。
だが何より印象的なのは、その表情だった。
人を警戒させない、柔和で温かな笑み。
それでいて、視線の奥には鋭さと知性が宿っている。
その後ろに、無言で一歩下がる形で続くのは二人の側近。
実務を一手に担う寡黙なハインツ。
そして、常に主君の意図を先読みするビリャフ。
さらに――
一行の最後に入ってきたのは、淡い金髪を後ろで束ねた女性だった。
背筋はまっすぐ。
歩みは音を立てず、しかし油断のないそれ。
元王家特別監察官、キャシー・ネイサン。
入室と同時に、応接間の空気が一段引き締まる。
「――」
ワーレンをはじめ、一行とモーガンは一斉に立ち上がった。
「やあ!」
場の空気を和らげるように、マリウスが朗らかに声を上げる。
「ワーレン、久しぶりだね。シャイン傭兵団のみんなも……どうぞ楽にして」
軽く手を振りながら言い、ふとモーガンに目を向ける。
「モーガンも、そのままでいいよ」
形式ばったやり取りを最初から崩す、その自然な振る舞いに、張り詰めていた空気がわずかに緩む。
だが――マリウスの視線は、再びワーレンへと戻った。
「……ん?」
一拍。
「ワーレン……君、でかくなった?」
その一言に、場が一瞬止まり――次の瞬間、笑いが零れた。
「ご無沙汰しております、マリウス様」
ワーレンは姿勢を正し、しかし過度に硬くならぬよう意識しながら答える。
「訓練の賜物です」
「ははは!」
マリウスは心底楽しそうに笑った。
「やっぱりね。シマたちに、相当鍛えられたんだろう?」
「……全くもって、その通りです」
苦笑混じりにそう返すワーレンに、マリウスは満足そうに頷く。
「いやぁ、連日のように聞くよ。シャイン傭兵団の噂は」
少し腰を下ろし、場を見渡しながら続ける。
「君たちは……どんどん大きくなっていくね」
その言葉に、デルガーが一歩前に出る。
「おそれながら申し上げますと……意図して、そうなったわけではありません」
年長者らしい慎重な物言いだった。
だが、マリウスはそれを聞くと、少し困ったように笑った。
「ああ、ああ……そうか」
手を軽く振り、
「そんな、かしこまった話し方はやめよう」
その声は柔らかいが、はっきりしている。
「シャイン傭兵団とはね、私は腹を割って話す仲でありたいと思っている」
視線を一人一人に向ける。
「だから――もっと砕けた感じで話してくれないかい?」
一瞬の沈黙。
そこに、デチモが少し悪戯っぽく口を挟む。
「……ザックやフレッドみたいに、ですか?」
わざとらしく首を傾げてみせる。
次の瞬間。
「あはははは!」
マリウスが、堪えきれないといった様子で声を上げて笑った。
「そうそう!彼らくらい、気やすくていい!」
肩を叩くような仕草。
「敬語も、形式も、今日は置いていこう。ここは戦場じゃないし、裁きの場でもない。久しぶりに再会した、“仲間”との場所だ」
その言葉に、応接間の空気ははっきりと変わった。
キャシー・ネイサンは、壁際から静かにその様子を見守っている。
微かな視線の動きで、一行を観察しながら――だが、口は挟まない。
ハインツとビリャフもまた、互いに視線を交わし、
「問題なし」と無言で確認し合っていた。
ワーレンは、そんな空気を感じ取りながら、ゆっくりと息を吐く。
(……やはり、この人は只者じゃない)
貴族であり、次期領主でありながら、人の懐に踏み込む距離を、自然に理解している。
そして――シャイン傭兵団という存在を、「利用価値」ではなく「友」として見ている。
マリウスは、応接間に満ちた和やかな空気を確かめるように一度見渡し、軽く咳払いをした。
「キャシーもワーレンに会うのは久しぶりだろう。私に気兼ねする必要はない。思うように話してくれて構わないよ」
壁際に控えていたキャシー・ネイサンが、
一歩だけ前に出る。
鋭さを秘めた瞳が、まっすぐワーレンを射抜いた。
「……ワーレン」
低く、しかしはっきりとした声。
「久しぶりね」
その一言に、ワーレンはわずかに肩を強張らせる。
(来たか……)
次の瞬間、キャシーはほんの少し口角を上げた。
「――ソフィアを、泣かせてないでしょうね?」
空気が、ぴしりと凍りつく。
応接間にいた全員が、一斉にワーレンへと視線を向けた。
ブレーズが口を押さえ、コルネリウスは肩を震わせ、デルガーは「やれやれ」といった表情で天井を仰ぐ。
ワーレンは、深くため息をついた。
「……お前なぁ」
頭を掻きながら、少し呆れたように言う。
「久々に会った第一声が、それかよ」
キャシーは答えない。
ただ、じっと見つめるだけだ。
その沈黙に耐えきれず、ワーレンは続ける。
「泣かすわけねえだろ。あいつは今、チョウコ町で生き生きと生活してるよ」
声は素直だった。
飾り気も、誇張もない。
「畑仕事も覚えたし、町の連中ともすっかり馴染んでる。笑ってるところの方が、圧倒的に多い」
キャシーの瞳が、ほんの一瞬だけ和らぐ。
「……そう」
短く呟き、しかしすぐに表情を引き締める。
「ならいいけど」
一歩近づき、低い声で続けた。
「もしソフィアを泣かせたり、不幸にしたりしたら――」
視線が、鋭くなる。
「その時は、私が許さないからね」
冗談めいているようで、決して冗談ではない。
元王家特別監察官。
そして、幼馴染としてソフィアを知る者の言葉だった。
ワーレンは、両手を軽く上げて降参の姿勢を取る。
「へいへい、了解です~」
わざと気の抜けた声でそう返す。
「お前に睨まれるのは、昔から敵より怖ぇんだからよ」
その言い草に、キャシーは小さく鼻を鳴らした。
「分かってるなら、よろしい」
ふっと視線を逸らし、元の位置へ戻る。
その背中を見送りながら、マリウスが楽しそうに微笑んだ。
「はは……相変わらずだね、二人とも」
場の空気は完全に和み、緊張は冗談と笑いに溶けていった。
だが、そのやり取りの裏には、確かな信頼と、深い絆があった。
ワーレンは改めて思う。
――自分は、守るものを得たのだと。
そしてそれを、黙って見守り、時に牙を剥いてでも守ろうとする者が、ここにもいるのだと。




