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光を求めて  作者: kotupon


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473/532

リュカ村を発つ

夜明け前の空気は、すでに秋の匂いを帯びていた。

吐く息がわずかに白み、草に残る露が靴底を冷やす。

朝夕はすっかり肌寒くなり、リュカ村にも初秋が訪れていた。


村外れの街道に、二台の馬車が並ぶ。

木製の車輪がきしみ、馬たちが鼻を鳴らすたび、静かな朝の空気が震えた。


御者席にはロイドとオスカー。

ロイドの隣には、厚手の外套に身を包んだヤコブが腰掛け、遠くの地平線を眺めている。


オスカーの隣にはトーマスの父、カウラス。

少し緊張した面持ちで手綱の動きを見守りながらも、その口元にはどこか安堵の色があった。


馬車の中では、マーサ、アン、イライザが肩を寄せ合い、毛布を膝にかけて揺れに身を任せている。

アンは外を覗き込み、「寒くなってきたわね」と呟き、イライザが「でも空気が気持ちいいわ」と笑った。

マーサはその様子を穏やかに見守り、時折、荷の具合を確かめるように視線を巡らせている。


馬車の周囲では、にぎやかな一行が街道を進む。

ジトーはエバンスを肩車し、エバンスは高い位置から「すごい!遠くまで見える!」と声を弾ませている。

トーマスはアニーを、ザックはウエンスを、フレッドはミライを肩に乗せている。


シマは仔狼のアルを抱え、歩きながら一行を見渡していた。

アルは腕の中で大人しく丸まり、時折キュン、と鼻を鳴らす。

その後ろを、ガンザスとダンドスが黙々と歩く。


街道の先には、見渡す限りの草原。

風に揺れる草の波の向こう、かすかに連なる山々が青く霞んでいる。

二日かけて城塞都市へ――その距離を思いながらも、不思議と重苦しさはなかった。


シマは、ふと昨夜のことを思い出す。


炊事班の三人を呼び止めた。

「声は出すなよ」と念を押し、厨房を借りて、小さな鍋を火にかける。

宿から少しだけ買い取ったパンと、リュカ村特産の濃厚なチーズ。


溶け始めたチーズをゆっくり混ぜると、乳の香りが立ち上り、夜気の冷たさと混じり合った。


「……なんだこれ……」

ネオが目を丸くする。

「団長、めっちゃいい匂いするんですけど……?」


「チーズフォンデュだ。」

シマは短く答え、パンを小さく切って鍋に浸す。


一口食べた瞬間、三人の表情が一斉に変わった。


「……うまっ!」

「なんだこれ……溶けたチーズだけなのに……」

「寒い日に出したら、絶対喜ばれますね!」


「だろ。」

シマは静かに笑った。

「お前らとマルク隊には、一冬この村で過ごしてもらうことになる。つらい任務だが、食い物が良けりゃ気持ちは持つ。」


さらに続ける。

「他にもミルク鍋ってのがある。ここならミルクはいくらでも手に入る。試してみろ。」


「……ミルクを鍋に……?」

ネオが首を傾げる。

「想像もできないですね……。」


「団長が言うんだ、試す価値はありますよ。」

別の団員が頷く。


「やりがいはあるな!」

最後の一人が、目を輝かせた。


その光景を思い出しながら、シマは歩を進める。

アルの体温が、腕に心地よい。


馬車の軋む音、子どもたちの笑い声、草原を渡る風。

そのすべてが混じり合い、初秋の街道に溶けていく。

一行は、ゆっくりと、しかし確かな足取りで街道を進んでいった。



草原を渡る風は午前中よりも冷え、汗をかいた身体には心地よい。


「ここで小休止にしよう。」

シマの一声で、一行は足を止めた。

馬車を道の端に寄せ、馬たちを繋ぐ。

ロイドとオスカーが手際よく飼い葉袋を外し、乾いた草を広げると、馬たちは待ちきれない様子で鼻を鳴らした。


「よしよし、ゆっくり食え。」

トーマスが優しく声をかけ、蹄や脚に異常がないかを確かめる。


ジトーとフレッドは馬車の車輪を覗き込み、軸の緩みや傷を確認し、ザックは荷縄を締め直していく。

旅慣れた者たちの動きには無駄がなく、短い休憩の中でも、それぞれがやるべきことを自然と理解していた。


一方、シマたちは木陰に腰を下ろし、簡素な昼食を広げる。

乾パンに近い固焼きのパン、塩漬け肉を薄く切ったもの、干し果物を少々。

水袋を回し飲みしながら、静かな昼の時間を味わう。


「夕飯は、もう少しまともな飯を出せるからな。」

シマは子供たちを見回し、穏やかな声で言った。

「今はこれで我慢するんだぞ。」


「はーい!」

エバンス、アニー、ウエンス、ミライが揃って返事をし、アルも「キュッ」と短く鳴いた。


「なに、食べられるだけ幸せだ。」

カウラスがパンをかじりながら、しみじみと言う。


その言葉に、アンとイライザは顔を見合わせ、やがてアンが口を開いた。

「団長さん、午後は私たちも歩くわ。」


イライザも頷く。

「ずっと座りっぱなしじゃ、なんだか落ち着かないもの。」


「そうだな……。」

シマは少し考え、笑みを浮かべた。

「無理はするなよ。」


「俺も歩こう……。」

カウラスが遠くを見つめながら呟いた。

「リュカ村を出たなんて……何年ぶりだろうな……いや、何十年ぶりか……。」


「親父、出たことがあるのか?」

ガンザスが驚いたように聞く。


「ああ……。」

カウラスは少し間を置いて答えた。

「村の男たちと一緒に徴兵されてな……帝国との戦の時だ。」


空気が、わずかに張り詰める。


「ん?……帝国はどこから攻めてきたんだ?」

フレッドが静かに問いかける。


「ノルダラン連邦共和国を通ってやってきたと聞いたな……。」

カウラスは記憶を辿るように目を伏せた。


「戦った場所は?」

ザックが続ける。


「アンヘル王国とノルダラン連邦共和国の国境地帯だ……。」

「もっと分かりやすく言えば、城塞都市と……ノルダラン連邦共和国の……ズライ自治区?だったか……その国境辺りだな。」


「親父も戦ったのか?」

ダンドスが息を詰める。


「いや……俺たちは後方待機?だって言われてな。」

カウラスは苦笑した。

「実際に戦うことはなかった。まあ、出たところで役には立たんだろうがな。剣と槍の訓練は受けたが……。」


「……確か、あの時……。」

マーサが静かに口を開いた。

「二年以上、村に帰ってこなかったのよね。」


「そうだ。」

カウラスは小さく頷く。

「いつ前線に出されるか分からなくてな……。毎日びくびくしながら過ごしてた。帰れる保証なんて、どこにもなかった。」


「……二年以上か……。」

オスカーが息を吐く。

「そうなると……国力がものを言いますね。」


「人、金、食糧、物……。」

ジトーが低く呟く。

「半端ねえだろうな。」


「恐ろしいのは帝国だね。」

ロイドが遠くを見つめる。

「遠征してきて、それだけの継戦能力がある……。」


重くなりかけた空気を、アンがぱっと振り払うように言った。

「……なんか、変な方向に話が流れていっちゃったわね。」


「子供たちの前でする話じゃねえな。」

トーマスが肩をすくめる。


「詳しいことは、ブランゲルに聞けばいいだろ。」

ザックが軽く言い、場を和ませる。


子供たちは、難しい話の意味までは分からずとも、大人たちの声色の変化を敏感に感じ取っていた。

だが、パンをかじり、水を飲み、アルを撫でるうちに、また笑顔が戻っていく。


やがて、馬たちが飼い葉を食べ終え、落ち着いた様子を見せ始める。

ロイドが立ち上がり、「そろそろ行けそうだよ。」と告げた。


シマは周囲を見渡し、一人ひとりの顔を確かめる。

「午後はアンたちも歩きに混じる。無理せず、ゆっくり行こう。」


草原の向こうには、まだ長い道が続いている。

しかし今は、昼の静けさの中で、確かな足取りと共に進めばいい。


一行は再び動き出した。

馬車がきしみ、草が揺れ、秋の街道は、ゆっくりと彼らを先へと導いていった。

街道はゆるやかにうねり、見渡す限りの草原が秋の光を反射していた。

空は高く、雲は薄く流れ、風は冷たさの中にまだ夏の名残を含んでいる。


ロイドたちの少し後ろを、二組の列が並んで歩いていた。

ガンザスが左に、アニーが右に手を伸ばし、その真ん中にアン。

ウエンスはアンの反対側で、ぎゅっと小さな手を握っている。


そのすぐ横では、ダンドスとエバンスが歩調を合わせ、イライザが二人を見守りながら、もう一方の手でミライの手を引いている。


「ちゃんと前見て歩きなさいよー、石ころ多いんだから。」

アンが少しだけ声を張ると、「わかってるって!」とウエンスが不満そうに返す。

それを聞いて、アニーがくすっと笑った。


後ろでは、カウラスとマーサが並んで歩いていた。

若い頃のように手をつなぐことはないが、互いの歩幅を自然に合わせ、途切れ途切れに言葉を交わしている。


「……こうして歩くのも、久しぶりね。」

マーサが道を踏みしめながら言う。


「ああ。」

カウラスは遠くの連峰を眺め、目を細めた。

「馬車に揺られるのも悪くないが、こうして土の感触を確かめながら歩くのも、悪くない。」


その後ろを、二台の馬車がゆっくりとついていく。

御者席にはシマとジトー。

手綱を軽く引き、歩く人々の速度に合わせて馬を進めている。


そして、そのすべてを縫うように――

仔狼アルが駆け回っていた。


草むらに飛び込み、何かを見つけたように鼻先を突っ込み、次の瞬間には子供たちの足元へ飛び出してくる。

「きゃっ!」

とミライが声を上げると、アルは楽しそうに「キュキュッ!」と鳴き、くるりと方向を変えてまた走り出す。


「元気すぎるだろ、あいつ……。」

シマは苦笑しながら、手綱を握る手を緩めた。


「なぁ、ヤコブ。」

御者席の隣に座るヤコブに視線を向ける。

「アルは生後三週間ってことにして……。あんなに動き回るもんなのか? それに、あいつ……大きくなったよな?」


ヤコブは白いひげを撫で、アルの動きをじっと観察した。

「……ワシも狼の生態に詳しいわけではないがの。」

少し考え込み、言葉を選ぶ。

「生後三週間であれば、まだ授乳期のはずじゃ。あれほど走り回ることもなければ、ここまでの体躯になるのも早すぎるのう。」


「だよな。」

シマはアルがジャンプして石を飛び越えるのを見て、眉をひそめた。


「成長が早いのう……。」

ヤコブは続ける。

「ただ、それ以上に気になることがある。」


「なんだ?」


「普通、狼は春先に産まれるものじゃ。」

ヤコブは空を仰いだ。

「夏の終わりや秋口に生まれるというのは、聞いたことがない。」


「俺たちが出会ったのは八月上旬だった。」

シマは記憶を辿る。

「時期的に……確かにおかしいな。」


ヤコブは小さく頷いた。

「うむ。加えて、あの白い毛並み、赤い瞳……変異体であることは、まず間違いないじゃろう。」


アルはちょうどその時、馬車の前に駆け寄り、シマを見上げて「キュキュッ!」と鳴いた。

まるで話題にされていることを理解しているかのように。


「……言語も、理解しているようじゃな。」

ヤコブが静かに言う。


シマは手綱を片手に、もう一方の手でアルの頭を軽く撫でた。

「……瀕死の状態だったんだぞ、こいつ。」

低く、しかしどこか温かい声で続ける。

「それがよくもまあ、ここまで元気になったもんだ。」


アルは満足そうに目を細め、また草原へと飛び出していく。


「アルが何であれ……。」

シマは前を向いたまま言った。

「家族であることに変わりはねえか。」


「そうじゃな……。」

ヤコブも穏やかに頷く。


しばし沈黙が流れたあと、ヤコブが思い出したように口を開いた。

「ところで、シマよ。」


「ん?」


「マルクたちには……説明しておらんじゃろう?」


「……。」

シマの表情が一瞬、固まった。

「……忘れてた……!」


ヤコブは大きくため息をついた。

「全く……お主は……。」


前方では、子供たちの笑い声が風に乗って響き、アルがそれを追いかける。

背後では馬車がきしみ、馬の蹄が規則正しく地を打つ。


草原はどこまでも続き、空は澄み、道は静かに先へと伸びていた。

不思議な仔狼と、不思議な縁を連れた一行は、そんな初秋の街道を、確かな足取りで進んでいった。

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