巡り合わせ
夕刻、街道から少し外れた緩やかな窪地に、踏み固められた土と焚き火跡が残る一角があった。
風を避け、荷馬車を寄せやすく、水場も遠くない。
旅人や行商人、商隊が何度も利用してきたのだろう、草は円を描くように倒れ、杭を打った痕もいくつか残っている。
「ここだな。」
シマの一声で馬車が止まり、一行は手際よく動き始めた。
まず馬の世話に向かったのはロイドとフレッドだった。
手綱を外し、馬を落ち着かせ、飼い葉袋を用意する。
水袋を引きずってきたのはウエンスとエバンスだ。
「こぼすなよー。」
フレッドが声をかける。
「わかってる!」とウエンスが胸を張る。
エバンスは馬の首を撫でながら、目を輝かせて言った。
「ねえ、フレッド……ぼく、馬に乗ってみたい。」
「僕も!」
ウエンスもすぐに続く。
フレッドは一瞬考え、ロイドを振り返った。
「明日、少しだけならいいよな? 横についてりゃ大丈夫だよな?」
「そうだね。」
ロイドは微笑みながら、馬の様子を確かめる。
「ガーベラたちは賢いから。歩かせるだけなら問題ないよ。」
「……お前、馬の名前覚えてんのかよ。」
フレッドは感心半分、呆れ半分で言った。
「っていうか、みんな似たようにしか見えねえんだけど。」
「全然違うよ。」
ロイドは即座に否定する。
「それだから君たちは嫌われるんじゃないかな。」
フレッドが首を傾げる。
「ちゃんと世話してんのに何でだ?」
ロイドは答えず、馬の鼻先を軽く撫でた。
その様子を見て、ウエンスとエバンスが笑う。
――ザック、フレッド、そしてここにはいないがクリフ。
なぜか揃って馬に嫌われる面々である。
一方、少し離れた場所では、オスカーが組み立て式テントを広げていた。
ものの数分で一張り目が立ち上がる。
続けて二張り目も同様に完成した。
「……おお……。」
思わず声を漏らしたのはカウラスだった。
ガンザスもダンドスも、目を丸くしてテントを見上げている。
「巷では……こんな便利なものがあるのか……。」
カウラスは感心したように言った。
そこへ馬車の点検を終えたトーマスが口を挟む。
「親父、これはまだ世に出てねえ代物だよ。」
「まだ改良の余地があるからね。」
オスカーが苦笑する。
「馬車の点検は終わったぜ。異常なしだ、オスカー。」
ジトーが報告する。
ガンザスは腕を組み、唸るように言った。
「なぁ、トーマス……俺は学がねえからよくわからねえが……これって凄いことなんじゃねえか?」
「これが世に出たら、バカ売れだろ?」
ダンドスも続く。
「まだまだ未完成だから、売りに出すつもりはないよ。」
オスカーは静かに答えた。
「それに、これを作れるのが僕一人ってのも問題だ。」
「だよな。」
トーマスが頷く。
「……へえ……。」
ガンザスは改めて一行を見渡した。
「お前たちって、ほんと何者なんだ?」
「家を建てて、公衆浴場を作って……学もある。」
ダンドスがぽつりと言う。
「……今や名も馳せているシャイン傭兵団……。」
カウラスが低く呟いた。
「ただの傭兵団であり、商会さ。」
トーマスは焚き火の方を見やる。
「……あいつを中心としたな。」
そこには、夕飯の支度をするシマの姿があった。
鍋を火にかけ、手際よく具材を刻む。
その周りではザックとヤコブにマーサ、アン、イライザが野菜やパンの準備をしている。
「キュキュッ」と鳴いては皆の足元をすり抜けていくアルフォンス。
「それ、こっちお願いね!」
アンの声に、「はーい!」とアニーとミライが元気よく返事をし、小さな手でできる範囲の仕事を手伝う。
夕暮れが深まり、空は橙から紫へと移ろっていく。
焚き火の火が揺れ、鍋から立ちのぼる湯気が、冷え始めた空気に溶けていった。
旅の途中の、名もない野営地。
だがそこには、確かな温もりと、人の営みがあった。
焚き火の周りに腰を下ろすと、日が落ちた後の空気が一段と冷えているのがわかる。
初秋とはいえ、草原の夜はもう冬の匂いを孕み始めていた。
夕飯は簡素だ。
大鍋で煮たスープと、切り分けた黒パン。
だが、旅の途中で火を囲み、温かいものを口にできるだけで、誰も文句は言わない。
――そのはず、だった。
「じゃじゃーん!」
唐突に、場の空気を切り裂くような声が響いた。
シマが立ち上がり、両手で小さな鍋を掲げている。
中では、とろりと黄金色の液体が揺れていた。
「……なんだそれ?」
眉をひそめたのはジトーだ。
「チーズフォンデュだ!」
シマは胸を張り、これ以上ないほどのドヤ顔で言い切った。
「ふむ……新しい料理じゃな……」
ヤコブは顎ひげを撫でながら鍋を覗き込む。
「チーズが……溶けておるのか?」
「料理ってほどじゃねえだろ?」
ザックが腕を組んで言う。
「まあまあ待てよ。」
フレッドが口を挟む。
「こいつがここまでドヤ顔で言うくらいなんだ。かなり美味いはずだぜ。で?どうやって食うんだ?」
「簡単だ。」
シマはパンを一切れ手に取った。
「パンをちぎって、フォークに刺して……こうして絡ませるだけだ。」
糸を引くように、溶けたチーズがパンにまとわりつく。
その様子に、子供たちが「おお……」と声を漏らす。
「……チーズはすぐ固まる。」
シマは焚き火を見やりながら続けた。
「小さな竃を作った方がいいな。」
「了解。」
オスカーはすぐに動いた。
石を円形に積み、牛糞燃料をくべ、簡易的な竃をあっという間に組み上げる。
鍋はそこに据えられ、再びチーズがなめらかに溶け始めた。
「……じゃ、いくぞ。」
最初に口に運んだのはフレッドだった。
「――うっひょぉ~!!」
思わず立ち上がりそうな勢いで叫ぶ。
「美味ッ!!」
「これはいいのう~!」
続いてヤコブ。
「簡単に作れて、しかもこの旨さ……!」
「何で!? 何で!?」
イライザが目を丸くする。
「なんでこれだけで、こんなに美味しいの!?」
「信じられないほど美味しいわ……。」
アンも感嘆の声を上げる。
「俺がこいつに教えてやったんだ。」
ザックが胸を張る。
「嘘つけッ!!」
すかさずジトーが突っ込む。
「さっき料理ってほどじゃねえって言ってたじゃねえか!」
「キュンキュン!」
まるで“その通り”と同意するかのように、アルが鳴く。
焚き火の周りは一気に笑いに包まれた。
子供たちもパンを小さくちぎり、恐る恐るチーズに絡めて口に運ぶ。
「おいしい!」
「もっと!」
「パンなくなるよ!」
小さな手が次々に伸び、鍋の周りはたちまち賑やかになる。
「シマ……。」
オスカーが真剣な顔で言った。
「これ、新しい商材になるんじゃないかな?」
「どうかなあ……。」
ロイドが首を傾げる。
「作り方は簡単だし……。」
「……ただ、発想がなかっただけで……。」
トーマスが苦笑する。
「ふむう……。」
ヤコブは改めて鍋を見つめる。
「これはあれじゃな……リュカ村の特産品のチーズじゃから、余計に美味いのでは?」
「ご名答だ。」
シマは頷いた。
「普通のチーズでもできるだろうが、これだけコクがあって濃厚なチーズフォンデュは無理だろう。」
「……リュカ村の名物になるな。」
トーマスが言う。
「広めてもいいか?」
「いいんじゃね?」
フレッドが即答する。
「エイラたちだって、そこまではうるさく言わねえだろ?」
「リュカ村のチーズがあってこそ、というわけだね。」
オスカーも納得したように言う。
「帰ったら、みんなに教えなきゃ!」
アンが楽しそうに言った。
「……広まってるかもな。」
シマは少し照れたように言う。
「昨夜、ネオたちに教えたから。」
「マルクたちへの置き土産ってわけだな?」
ジトーが笑う。
「ああ。」
シマは静かに頷いた。
「そういう楽しみがねえとな……一冬、リュカ村で過ごしてもらうんだから。」
「だな。」
ザックが焚き火を見つめながら言う。
草原の夜。
簡素な夕飯のはずが、いつの間にか、鍋一つで心まで温まる宴に変わっていた。
焚き火の火は揺れ、溶けたチーズの香りと笑い声が、静かな夜に溶け込んでいく。
それはきっと、リュカ村に残る小さな“味”の始まりだった。
いつの間にか、馬車に積まれていたエール樽が降ろされていた。
焚き火の赤い光の中、木製の杯が回り始め、気づけば簡素な夕飯はすっかり“酒盛り”へと姿を変えている。
「おいおい……明日の分も残しておけよ?」
そうやんわり釘を刺したのはシマだったが、その声は早々にかき消された。
「明日は明日の風が吹くってやつだ!」
「そうそう、今飲まなくていつ飲むのよ!」
ザックとフレッドが肩を組んで笑い、アンとイライザも杯を掲げて同調する。
大喰らいで大酒のみ――それがシャイン傭兵団の平常運転だ。
ちょっとやそっとの酒量で満足する連中ではない。
「ほらほら、次いくぞ次!」
「おせえぞフレッド、もう空だ!」
ザック、フレッド、ジトー、トーマスの杯は底が見える暇もなく満たされていく。
対照的に、ロイドは無駄口も叩かず、静かに、しかし確実に杯を空けていく。
何気に酒豪――。
「……こういう場で飲むのは、悪くないですね」
最近になって酒を覚えたオスカーは、少し照れたようにそう言いながら、ゆっくりと口をつけていた。
ヤコブはと言えば、エールには手を出さず、どこからか出てきたワインを楽しんでいる。
「やはり、ワシはこれじゃな……」
下戸のシマはといえば、最初から杯を手に取らない。
アンとイライザが飲むたびに、義母であるマーサがぴしりと視線を飛ばす。
「アン、イライザ、ほどほどにしなさい」
「はーい……」
「わかってますって……たぶん」
口ではそう言いながら、二人の杯はしっかり空になる。
カウラス、ガンザス、ダンドスもその様子を見て苦笑いしつつ、酒と料理を楽しんでいた。
そんな大人たちの様子を、焚き火の反対側からじっと見上げていたアニーが、ふと首を傾げる。
「だんちょーは、お酒飲まないの?」
その問いに、間髪入れずザックが噴き出す。
「こいつはお子様だからな! ワハハ!」
「うるせーよ!」
シマは即座に言い返し、むっとした顔で腕を組む。
「俺はジュースの方がいいんだ」
「僕も!」
「私も!」
子供たちが声をそろえる。
アルも「キュキュッ」と鳴いて、まるで賛同するように尻尾を揺らした。
「よし、じゃあ俺たちはジュースで乾杯だ」
そう言ってシマは木杯を掲げる。
子供たちも真似をして杯を上げ、アルも前足をちょこんと前に出す。
焚き火を囲む輪は、酒の匂いと笑い声に満ちていた。
野外での食事と宴は、屋内とは違う開放感があり、子供たちもどこかいつも以上にはしゃいでいる。
笑って、喋って、走り回って――やがて、その動きが少しずつ鈍くなっていった。
アニーはシマの隣でこくり、こくりと舟を漕ぎ、ミライもマーサの肩にもたれかかる。
アルはいつの間にかシマの膝の上に丸くなり、小さく寝息を立てていた。
「……そろそろ限界だな」
その様子を見て、トーマスが立ち上がる。
「お袋、アン、イライザ。それから子供たちはテントで寝てくれ」
「えー、もう?」
「明日もあるんだからね」
マーサに促され、アンとイライザは名残惜しそうに立ち上がる。
子供たちは半分眠ったまま、それぞれ抱えられてテントへ向かった。
「お前たちはどうするんだ?」
ダンドスが残った面々を見回して尋ねる。
「俺たちは交代交代で見張りだ。念のためにな」
ジトーが短く答える。
「ヤコブさんは休んでください」と言うオスカー。
「うむ、では馬車の方で休ませてもらうぞい」
トーマスはカウラスたちに向き直る。
「親父や兄貴たちも、馬車の方で休んでていいぞ」
「助かる」
「僕たちは慣れていますから」
ロイドが静かに言うと、フレッドが豪快に笑う。
「三日、四日の徹夜でも、俺たちならわけねぇ!」
夜はまだ深く、宴の余韻とともに、静かな見張りの時間が始まろうとしていた。
焚き火の爆ぜる音が、夜の静けさの中でやけに大きく響いていた。
子供たちと女性陣がテントへ引き上げ、カウラス親子も馬車の方で休んでいる。
酒盛りの喧騒も一段落したあと、焚き火の周りにはシャイン傭兵団の面々だけが残っていた。
杯を手にしている者もいれば、ただ炎を眺めている者もいる。
酒の勢いはすでに落ち着き、場を包む空気は、不思議なほど穏やかだった。
その中に、珍しくヤコブの姿もあった。
普段ならこの時間には馬車で休んでいるはずだが、今夜は焚き火の輪から離れようとしない。
何かを察したのか、あるいはただ、この時間を共有したかったのか――白い髭を指で撫でながら、黙って炎を見つめている。
シマは膝の上で眠るアルをそっと撫で、焚き火の向こうに視線を投げた。
「……クリフたちは、もう城塞都市に着いた頃か?」
誰に向けたとも知れない問いだった。
「ああ、多分な」
応えたのはザックだ。
杯を置き、背中を丸めて火に手を伸ばす。
「リズは……」
ロイドがぽつりと口を開いた。
「今頃、家族と再会しているかな」
焚き火がぱちりと音を立てる。
一瞬、誰も言葉を続けなかった。
「ああ……」
シマが静かに頷く。
「きっとな」
リズにとっては、再会の喜びと、少しの気恥ずかしさと、言葉にしきれない、やりきれない思いが交錯しているだろう――そんな光景が、自然と皆の頭に浮かんでいた。
「……オスカー」
ジトーが、不意に話題を変える。
「前に言ってたな。親に対して、特に思うことはないって」
オスカーは少し驚いたように瞬きをし、それから焚き火に視線を落とした。
「んー……」
少し考え込むような間。
「強いて言うなら……『ありがとう』、かな」
「ありがとう?」
「うん。産んでくれてありがとう、って」
オスカーは照れたように頭を掻きながら、言葉を続ける。
「だってさ……産んでくれなかったら、皆に出会えなかったし。こうして一緒に旅することも、笑うことも、なかったわけだし」
焚き火の赤が、オスカーの横顔を柔らかく照らす。
「おいおい」
そこへフレッドが、にやりと口角を上げて割り込んだ。
「それ、俺たちにじゃなくて、メグに言う台詞だろ?」
「ぶっ――」
オスカーが言葉に詰まり、耳まで赤くなる。
「う……それは……まあ……そうなんだけど……」
「ほら見ろ」
「顔に出てるぞ」
ザックとジトーが面白そうに笑う。
「兄貴公認、だしな」
トーマスが焚き火越しにシマをちらりと見て、そう付け加える。
「……まあな」
シマは苦笑しつつも否定はしない。
「じゃあそのうちさ」
ザックが、わざとらしく顎に手を当てる。
「オスカーはシマのことを、義兄さんって呼ぶのか? それとも兄貴?」
一瞬、場の空気が止まった。
「……いや」
オスカーはきっぱりと言った。
「シマは……シマだよ」
「即答かよ」
「変わんねえな」
「それでいいんじゃないか」
皆がそれぞれ笑う中、ヤコブが「ほっほっほ」と喉を鳴らす。
「今更、呼び方など変えられんじゃろう。呼び名というのはの、積み重ねた時間の重さじゃ」
その言葉に、シマは小さく息を吐いた。
焚き火の向こう、夜空には雲一つなく、無数の星が瞬いている。
小川のせせらぎ、馬の鼻息、薪の焼ける音。
すべてが溶け合い、静かな時間を形作っていた。
シマはゆっくりと顔を上げ、星空を見上げる。
「……俺たちが、こうして出会えたこと自体が」
少し間を置き、噛みしめるように言う。
「奇跡かもしれねえな」
誰もすぐには返事をしなかった。
だが、その沈黙は否定ではなく、同意だった。
剣を持つ者、学を持つ者、商いを知る者。
出自も、過去も、目的も違う。
それでも同じ焚き火を囲み、同じ夜を越えている。
アルが、シマの膝の上で小さく寝返りを打ち、くう、と寝息を立てた。
シマはその背を撫でながら、もう一度、星空を見上げる。
焚き火は静かに燃え続け、夜は深まっていく。
奇跡のような巡り合わせを、確かにここに刻みながら。




