第五夜 追撃の空
17
前触れもなく、誰かの悲鳴が遠くでこだました。遠くの喧騒は悲鳴へと変わり、徐々に近づいてくる。けたたましい鐘の音がそれらをかき消し、マイントワース社の前にいる一同は騒然となった。
「なんだ! 何が起こった?」
ドンガル巡査が喚いた。今夜で何度目かのハプニングだが、決して良い事ではないのは馬鹿でも分かる。
「警報ですよ。大規模な事故や災害の類ではありません」
ミコ探偵の声は、こんな状況でも凛とした冷静さを保っている。
「どうして分かるんですか、先生?」
「【ドーム】で何か不測の事態、例えば災害や事故が起きた際、緊急警報が鳴るのです。そして、それらは二種類あるのですよ、ノエル。事故や災害を示すサイレン。そして、外部からの来襲を示す警鐘」
「外部からの襲撃」
「すなわち、外敵の事ですよ」
「外敵ってまさか……」
ドンガル巡査長が丸顔を硬直させる。ミコは頷いて何かを言うとした時、皆が恐れていた答えをアナウンスがまくし立てた。
(緊急事態が発生しました! 緊急事態が発生しました! Gの4区画にて、人モドキが確認されました! 繰り返します。Gの4区画にて、人モドキが現れました! 皆さん、焦らずの避難場所へ移動してください! 家にいる方は、決して外へ出ないでください! 繰り返します――)
「Gの4区画って、ここじゃないか!」ノエルが素っ頓狂に叫んだ。
「カノンは? あの子はどこに行ったんだ!」
マイントワース氏が慌てた様子で周りを見渡す。
その時、ビルに渡る架橋から悲鳴を上がった。人垣が入り口に向けてなだれ込んでくる。彼らの頭上を何かが飛び越えてくる。黒い物体が【マイントワース・エンタープライズ】本社の真下にやって来た時、誰もが我が目を疑った。
痩せた長身だが、手足が異様に長いその人物は人間に似て非なる。顔の皮がずれて、そこから覗く怪物の素顔が一同を睥睨する。
ヒトモドキは、左腕にカノンを、右腕にアイルを抱えていた。
「カノン!」
人間とは似て非なる、それは真ん中に『トミー・ミート・トミー』とプリントされた赤い――血染めかもしれない――エプロンを着て、ズボンと袖からはみ出た手足は異様に長い。無精髭に、少しねじれた唇に、高い鼻に斜視ぎみの両目から成る顔は、本来目のある位置には何もなく、鼻の穴もなく、口に至っては上唇に下の歯が見え隠れする。その牙は人間のそれよりも尖っている。
「パパ!」
カノンは叫んだが、関節を無視した動きで伸びてきた手で、その口を塞がれた。
「よせ、その子に何をする!」
止める警官の制止を無視し、マイントワース氏は無謀にも突進した。怪物の長い手から軽々とアイルが放たれる。猪突猛進の勢いで向かっていた氏は少年もろとも、そばにいたドンガル巡査長とノエルにぶつかって転倒した。
『ストライクだ』
「動くな!」
ミコ探偵が拳銃を構えた。彼女に倣うように、ヒトモドキを取り囲んだ警官達も彼女に倣い、怪物に銃口を向ける。もうどこにも逃げ道はない。
顔の皮を歪め、ヒトモドキが嘲笑する。黒板を爪で引っ掻く時に似た不調和音のような鳴き声を発し、正面に向けて、片手で捕らえたカノンの頭を突き出した。
手に力が入ったのか、少女の顔が痛みに喘ぐ。
『かわいいカノンちゃんの脳みそを、ここでブチまけようか?』
女探偵は舌打ちし、警官達を制した。
「彼女を放しなさい。今なら、無傷で外に帰す事を保証します」
ヒトモドキは鼻を鳴らすと、信じられないほどの跳躍で包囲を飛び越えて、数十メートル上あるビルの壁面に張り付いた。
『外に出るつもりはねえ』
重力を無視して、ヒトモドキはカノンを抱えたまま上へ這った。一人の警官が銃を構えようとするのを、ミコがその脛を蹴った。
「令嬢に当たる!」
悶絶する警官を無視し、「屋上へ行く気かしら? それとも、彼女の部屋に……」
「よし、上へ急ぐぞ!」と父親が警備員を引き連れてビルの中へ入っていく。ドンガルやノエルと彼らの後に続いた。エントランス広場は、先ほどの出来事を疑うように閑散となった。
後に残されたアイルは、むくりと起き上がった。
ミコ探偵は駆け寄って、「大丈夫ですか?」と声を掛けると、少年は何も言わなかった。少年がどこの誰で、この件にどこまで関与しているかは不明だが、今はそれどころではない。警察の手にも余る。軍の力を借りる必要があるだろう。
「間が悪いにも程があります。ヒトモドキなど……」
「探偵さん、カノンはどこ?」アイルが問う。ミコは指を指して、「あの上に向かっているみたいです」
ミコはなんとなく、怪物がどこに向かっているのか想像がついていた。屋上ではない。逃げ場はどこにもないはずだ。
目的が何にしろ、少女を持ったまま、ヒトモドキはビルの最上階近く、彼女の部屋に向かっている。地上からでも確認できる。壁が外側に向かってひしゃげ、【立ち入り禁止】のロープが張ってあるはずだ。この問題の原因ともなったカノンの消失。それよりも気になる、牢屋のような彼女の部屋。ヒトモドキの闖入という、より大きな要因を孕んだまま、今夜の騒動の発端となった現場に戻るとは……。
一方、アイルは空を見上げていた。満天の星々の一つ、天の川を泳ぐように位置する翼を模した星座を見つけ、心の底から強く訴えた。
間もなく、アイルの周りを金色の鱗粉が舞い、彼を包み込んだ。
突然、少年が宙を浮くのを見て、ミコは驚愕した。
「あなたも星使いなのですね」
アイルが飛び立とうとするとしたのを、彼女はその手首を掴む。
「一つ聞いてもいいですか? あなたも星使いならば、彼女の心が苛まれている理由を知っていますね?」
アイルは黙ったまま頷いた。
「彼女がすべてを思い出せば、その時は、どう言ってあげるおつもりなのですか?」
「まだ分からない……」女探偵の手を払い、「でも今はカノンを助けるのが先だ!」
はるか摩天楼の頂に向けて、少年の足は地上を離れた。
18
アイルはビルの壁面の上を走った。だが、カノンを背負うヒトモドキの背は遠のく一方だった。少年の焦りは募る。挫いた左足が疼くばかりか、上空から叩きつける風が足をさらに鈍らせた。
突如、眼前に別のヒトモドキが立ちはだかった。左右に二体。アイルは思わず足を止める。背後にも気配を感じた。振り返ると、やはり、左右に二体が挟み込んでいた。
四方に包囲され、少年は舌打ちした。
「退いて!」
彼らは一様にだらしなく開いた口から涎を垂らす。どうやら、カノンをさらった奴と違って、人間の言葉は話せないようだ。だが、彼らが単なる足止めではなく、追う者も構わずに襲うであろう事は想像できた。
「ボクを食べてもアイルになれやしない」
アイルは右に駆けた。ヒトモドキの隙間をかいくぐろうとした。二体が鋭く尖った長い爪を振り下ろしたところを、寝転んだ体勢のままアイルはスライドした。風を切る凶器が眼前をかすめる。
囲いから脱出するや否や、アイルは滑空して駆けた。獲物を逃した四体の獣は怒りに燃え、四つん這いで追跡してくる。彼らの手足がやや速い。
少年と怪物達は大時計の真下に差し掛かった。少し上には盤上が控えている。
真横に追いついた一体が爪を振り上げた。掴もうとする手から逃れるアイル。その前方に回り込み、もう一体が跳躍して覆い被さろうとする。
もうダメだ。奴らに捕まる。と、頭をよぎった直後、何か大きな物体が視界の端に映った。横に大きく伸び、こちらに近づいて来る。胸辺りの高さぐらいある何か。ゆっくりと、近づくにつれ、意外と速い事に気づいた。
アイルは咄嗟にうつ伏せに倒れた。
背中と後頭部すれすれに巨大な物体が通過し、近くにいた二体のヒトモドキをなぎ払った。耳元で怪物の雄叫びが聞こえた。
それは、右へ振れて一瞬止まると、再び左の方へ振り戻ってくる。アイルはまた匍匐の体勢でやり過ごす。
図らずも、時計の振子に助けられた。残りは半分の二体。ピエロの帽子がいつの間にか脱げていた。揺り戻しで、振り子が再び迫る。咄嗟に伏せたアイルの頭上を掠める。ヒトモドキ達も難なく飛び越えながら接近を試みる。
再び戻ってきた振り子の上に跳び乗った。慣性の法則で振り落とされそうになりながらも、重心へと向かい、上に控える時計盤へ向かった。
迫りくる二体の怪物の両腕は変貌していた。普段は隠していた関節を展開させ、体の二倍はあるかと思える腕を振って、一気に少年との距離を詰めてきた。当然、振り回してくるリーチが伸び、アイルは直撃した。
バランスを崩して落ちそうになったのを、文字の縁に手を掛けた。ヒトモドキは勝利の笑いを上げて足で踏みつけようとする。足元をもう一体が待ち伏せる。
手を放せば、そいつの餌食になる。
足で踏まれ、アイルは痛さに手を放した。少年の背中を何か掴んだ。彼にしか見えない存在によるものだった。
「来てくれたんだね!」
双子座の兄妹が少年を文字盤の“12”まで引き上げた。
俊足で駆け上がる二体のヒトモドキは、怒りに駆られて少年の姿を探した。『12』の上に立つアイルを見つけると、一気に跳躍すると、長い爪で縦に引き裂いた。手ごたえを感じ、怪物は愉悦した。だが、様子がおかしいのに気がついた。少年はケロリとした顔で舌を出すと、煙のように消えた。
突然の出来事とコケにされた怒りに混乱する怪物は、脇を通っていくアイルの姿を見つけ、駆け上がると、その背中を貫いた。
今度こそやったぞ! と唇を歪めるヒトモドキ。獲物の首がこちらを向くと、えも言われない悲鳴を上げた。それは獲物の子供ではなく、もう一体の仲間であった。
双子座の力で、どちらもアイルの姿に化けていたのである。
当の本人は、時計盤を越えた先のフロア――窓ガラスが広がる壁面にいた。ガラスの向こうで唖然とする一般人を尻目に、アイルは星の力を抑えて、片足に力を入れながら急いだ。この階を越えたら、次こそ、カノンの部屋に行き着く。
彼女を連れたヒトモドキも必ずそこにいると、アイルは確信した。同時に、焦りが油断を生んでいた。
空中から飛来して殺到する追っ手に、彼は気がつかなかった。
19
いきなり肩を掴まれたかと思うと、アイルの体は壁面から無理やり引き上げられた。もちろん力によるものではない。
見上げると、ヒトモドキの足から延びる鋭い鉤爪が肩を掴んでいた。その怪物は先ほどとは異なり、両手がない代わりに体と同じ大きさの翼を備えていた。しかも、ビルの周りに同じ形のヒトモドキが多数飛び交っていた。
アイルはジタバタ暴れたが、ビクともしない。星の力を発動したが、自力では怪物の爪から逃げるだけの余裕はなかった。空を制する星座を直接呼べば何とかなるかもしれない。アイルは暗雲に願いを込めた。脳裏には、大きな両翼を羽ばたかせるワシ座を連想したが……。
一向に反応がなかった。力を使い過ぎたのか?
別の鳥形ヒトモドキが接近してきた。顔の近くで威嚇する。そして、離れると別の仲間に鳴いて何かを知らせた。
――もう獲物は何もできない。喰っちまう。怪物達の会話は、(あるわけないが)翻訳する機械がなくとも理解できた。
このままではカノンを助けるどころか、奴らの餌になる。
アイルはもう一度空に願いを強く込めた。ワシを諦める代わりに思い浮かべるビジョン。手に収まるほど小さなアイテムで、長細く手先が尖っている。
矢座。アイルの手に銀の光を放つ弓と一本の矢がたちまち現れた。使うのは初めて、などと躊躇する事なく、少年は目の前のヒトモドキに、矢先を向けた。
首をかしげる怪物に向かって、アイルは矢を放った。銀色の尾を引き、矢は怪物の翼を貫いた。激痛の悲鳴を上げると、アイルを放り投げた。
少年の小さな体は為す術もなく、巨大ガラスにそのまま突っ込んだ。大人二人分の穴を開けさせ、アイルは遊園広場にある池に落ちた。
割れたガラスは形成記憶機能を備えているのが、彼のみならず、その場にいた全員にとって幸運であったに違いない。一度は放した少年を亡き者にしようと、窓に空いた穴からヒトモドキが押し入ろうとした際、体半分が通過したのとほぼ同じタイミングで、粉々になったガラスが元の位置に瞬間的に接着したのだ。
追っ手の体が屋内外で切断された。何が起こったのか理解できないまま、羽を広げたままのヒトモドキの上半身は床に落ちる前には絶命していた。
普段は見慣れない怪物の上半身が転がり込んで、もちろんだが、館内は悲鳴と怒号とはち切れるほどの騒ぎとなった。
アイルが落ちた池。真下の数フロアを貫く深さを誇る水槽の底を、アイルの体は沈み続けていたがしかし、突然、止まると見えない力が浮上させた。彼自身の力ではない。水面が膨れ上がり、青味がかった髪を下ろす女神が姿を現した。その手には、気絶するアイルを抱えていた。
間もなく、少年は口から水を出して息を吹き返した。
「ありがとう」
水瓶座の女神は微笑み、外を指差した。空の彼方から、黄金色に輝く巨大なワシが飛来し、窓の向こうの縁に止まった。その眼はじっとアイルを見つめている。少年は窓辺に立つと、窓が熱に当てたようにグズグズに溶けていく。
「お願い。力を貸して」
アイルは外に出ると手を伸ばした。猛禽類の口ばしに触れる。大鳥は一鳴きすると頭を下げた。アイルはオオワシに飛び乗った。オオワシは大きな両翼を羽ばたかせながら、目的地をめざして飛び立った。
20
アイルを乗せたオオワシは、ヒトモドキ達の隙間を縫いながら頭上を目指した。走っていた時とは比べ物にならない風圧で振り落されそうになりながらも、アイルは黄金の羽毛にしっかりとしがみ付いていた。
あと少しでカノンの部屋に辿り着こうとしていた矢先、視界がすべて赤くなった。何事かと思うや否や、オオワシは大きく旋回した。慣性の法則に従って、アイルの体が反対方向に振れる。しがみ付く手に力を入れながら、今さっき滑空していた壁の一面が、横の一直線に溶けて消失していた。裂け目から建物の廊下が垣間見える。
第二波を予感したオオワシが、今度は急降下を始めた。やはり、アイル達の軌跡に沿うように赤い光線が走り、その直後、コンクリートの壁がグズグズに溶けていた。
「一体何? どうしたのさ!」
そう叫ぶと、オオワシはある咆哮を一瞥し、一鳴きした。アイルは、建物の間を縫いながら航行する物体を視界に捉えた。およそ地下の世界では見慣れない物の数々の中では、超弩級にして、最大級の代物だろう。
中空に漂う巨大な飛行船。アイルとカノンが地上に上がった直後に目撃したものだった。超軽量のガスで浮いたという、旧世紀の乗り物を再現したというそれは、動きは愚鈍ながら、各部位に装備された筒から掃射されるレーザーで守られ、範囲の限られた《ドーム》内部では都合の良い護衛となる。
大きな風船がヒトモドキと一緒に自分達を狙っている。
オオワシはビルから離れながら上昇する。幾重にもレーザーが空を飛ぶ少年を追いかける。目の前をヒトモドキが数匹と待ち構える。
オオワシはギリギリで真横に旋回し、レーザーの追撃を回避しながら、飛行船の周りと飛んだ。肉迫すれば安全というわけではない。飛行船の両脇に設置された機関銃が小さな光の粒を発する。風を切る凶暴な音が耳元をかすめた。
オオワシは飛行船の周りを飛行しながら、下部にある操縦室に向かった。操縦する数人が見えると、アイルは立ち上がって叫んだ。
「おーい、ボクはヒトモドキじゃないよ!」
一番前に立つ大柄な制服の男の顔が破顔した。途端、五本以上の赤い光線が発せられた。アイルは諦め、建物の方へと戻り飛行船の視界から消えた。
飛行船は空に漂うヒトモドキを散らせつつ、猪口才に逃げる少年を追った。
21
一方その頃――マイントワース氏を始めとする一同が、揺れるエレベーターから一部始終を見ていた。ミコに命じられて、ノエルは飛行船と連絡を取っていた。黒い箱型の無線機を器用にいじくり、チューニングはすぐに同調のランプを示した。
(こちら、イカロス号。ただいまヒトモドキと戦闘中……)
助手から無線機のヘッドホンを引ったり、ミコが繋いだ。。
「イカロス号の総指揮官、リーペ提督に繋いでください」
(誰か! 関係者以外の傍受は法律で禁じられている)
「ミコと言えば、分かってもらえますか?」
軍人というのはなぜこうも石頭が多いのか。事態が事態なのだ。まさに、特列が常態で然るべき異常事態。こみ上げるイライラを抑えつつ、ミコは相手の反応を期待した。案の定、慌てた様子で(ハッ、お待ちください!)とどこかへと走っていく。しばらくして、別の足音が聞こえ、受話器に大きな咳払いが響き、耳を抑える。
(やや、クリステリア嬢! 先日の事件解決はお見事でしたな。新聞で拝見させていただきましたぞ)
事態に合わず能天気な声が耳朶を打った。ドンガル巡査長以上の丸みを帯びた恰幅に、上に反った髭の顔が浮かぶ。こんな人が一隻の長に収まっているのはブ厚い神経の束がなせる業か、身内のコネか、よほど口八丁で処世術に長けているのか、はたまた強運の賜物のいずれかに違いないだろうと、ミコは常日頃から推察していた。
いずれにせよ――と、彼女は本題を切り出す。
「あなたの貴船は、今、何を攻撃しているのですか?」
素っ頓狂な声が上がり、ハウリングが起きた。また耳を塞ぐ。
(今、こちらは大変な騒ぎでね。ヒトモドキが現れまして、今現在、我が船は戦闘中なのだよ。――あ、よし、いいぞ、射程に捉えた。レーザー砲、てっ!)
リーペ提督の怒号が響いた直後、アイルがエレベーターの上を通過し、遅れて飛行船から発射された青いレーザーがビルの壁を走った。エレベーターの電気が消え、揺れた。
(おっと危ない。一般市民を巻き添いにするところであった)
「リーベ提督……今撃ったのは、あなたの船か?」
誰にも我慢の限界がある。自分の場合は、約九割九分九厘。
(はい何か? ところであなたこそ、一体この非常時にどこへいるのです?)
「あなたのせいで緊急停止したエレベーターの中です」
(ややっ)再びハウリング(申し訳ありません。まさか、あなたが乗っておられたとは【ドーム】一の頭脳を殺してしまうところでした。くそう、すばしっこい、子ネズミみたいな人モドキめが。待っていて下さいよ、我が船は必ずや、ヒトモドキの一掃を――)
臨界を越えた。ミコは肺をありったけに膨らますとマイクに向けて吠えた。
「アホンダラッ!」
女探偵はヘッドホンの向こうから、巨漢の船長が椅子から転げ落ちる音を聞いた。
視点は戻って――高層ビルをらせん状に上りつつ、アイルを乗せたオオワシは、カノンのいる部屋のある階に到達していた。
壁の代わりとなっていたガラス窓は消え、その外側のあった格子が残らず外側に向かってひしゃげている。初めてここに時と同じ光景だった。
――まさか、ここに戻って来るなんて……。
オオワシが迫るヒトモドキを蹴散らせながら、カノンの部屋に乱暴に横付けした。振動にアイルは振り落され、そのままカノンの部屋に転げ入った。
ここまで連れてきてもらったのだが、着陸に難ありのようだ。
オオワシの姿が金の粒子になって露散するのを背景に、アイルは立ち上がり、部屋の奥で倒れる少女の傍らに立つ、肉屋に扮していたヒトモドキと対峙した。
「カノンを返せ。さもないと――」
アイルは残り少ない力で呼んだ弓を構え、矢先を怪物に向けた。
つづく
次回の第六夜「ユニコーンの角」は22日(土)の同時刻に投稿します。