第16話 そして悪女は舞台を降りる
王都の外れにあるその宿は、看板こそ掲げているものの、まともな客が足を運ぶ場所ではなかった。
壁はところどころひび割れ、窓枠は歪み、隙間風が音を立てる。今にも崩れてしまいそうな小屋だった。
ミレイは、そんな場所を、あえて選んでいた。
安いこと。目立たないこと。誰も長居しないこと。それだけで十分だった。
簡素なベッドに腰掛け、ぼんやりと手元を見下ろす。掌の中には、花モチーフのネックレスがあった。
指先でなぞると、細かな装飾の感触が伝わってくる。
先ほど、この部屋に、エドガーが訪れた。
もう王子ではない男は、以前と変わらぬ落ち着いた声音で礼を告げたあと、一年は困らないであろう金貨を握らせ、去っていった。
視線を上げる。薄いカーテンの向こう、夜の気配が忍び寄る。
——今頃、二人は会えているだろうか。
きっと、会えている。そうでなければ困る。
ゆっくりと息を吐いた。
やり遂げた、という実感は確かにあった。
あの二人を、この国から解き放った。歪んだ形から、正しい形へと戻した。
セレナとエドガー。
二人であれば、きっとどこへ行ってもやっていける。穏やかに暮らせるだろう。
それでいい。そうあるべきだ。
もう一度、小さく息を吐く。
今のそれが、満足によるものなのか。それとも、どうしようもない空白から来るものなのか。
ミレイ自身にも、分からなかった。
その直後だった。
「ため息で締めるのか。なかなかいい余韻だな」
背後から声がかかる。
ミレイの体が反射的に動いた。
椅子を蹴り、半歩で距離を取る。同時に袖の内にネックレスをしまい、代わりに短剣を滑らせ、構えた。
振り返ると、開いたドアの前に男が立っていた。
足音も、戸の開く音も、まるで気付かなかった。
月明かりに照らされたその顔には、確かに見覚えがあった。
「……あなたは——ヴァン・サンライト」
「そうか、俺の名まで覚えているか」
ヴァンは、心底楽しそうに笑った。
「何の用?」
「舞台の観客として、拍手を送りに来たのさ。いやあ、見事だった」
肩のあたりで手をパチパチと叩く。
ミレイは構えを解かないまま、顎先で続きを促す。
ヴァンは一歩も動かず、しかし視線だけは真っ直ぐにミレイを射抜いた。
「“聖女の追放”。いい芝居だった。あんたは助演女優で、脚本家で……ついでに監督でもあったわけだ」
「……随分と、面白いことを言うのね。どうして私が監督だなんて思ったの?」
ヴァンは待ってましたと言わんばかりに笑った。
「根拠は三つある」
喜々として語るヴァンと対照的にミレイは警戒を緩めない。
「一つ目。セレナ・アストレアの謙遜」
軽く天井を見上げながら、思い出すように続ける。
「“献身的な心や内面の美しさならば、自分よりも聖女にふさわしい人がいる”——だったか」
ミレイの瞳が、わずかに揺れる。
「あんたも会っただろ? セレナがウチのカナンにそう言ったんだ。彼女が誰を想って言っていたかなんて、考えるまでもない」
ミレイは伝えられた親友の言葉に胸が熱くなる。
その言葉だけで自分に辿り着いたというのだから、セレナを責めるのは筋違いだ。ヴァンの洞察力が異様なのだ。
「そもそも、聖女って言葉には二つの意味があってややこしい。一つはその能力、もう一つが見た目や内面の美しさ。後者ならば、なるほど、自分以上と考える相手がいたっておかしくないか」
ミレイは何も言わない。
「二つ目。エドガー・ランドルフの証言」
室内に一歩、ヴァンが踏み入る。
「王子様はあの夜会であんたをこう紹介した。“彼女は、自分に愛するとはどういうことかを教えてくれた”と」
思わず、ミレイは唇を噛む。
「あれは“愛するセレナの為に自分がどう行動すべきかを教わった”って意味だ。愛する人を守るために、何を選ぶべきか。その計画を提示したのが、あんたってわけだ」
あの二人は、ミレイへの想いを言葉の端々に混ぜていた。
それらは計画の露見に繋がり、ミレイは気が気ではなかったが、それ以上に……嬉しかった。
その全てを“観客”を名乗る男、ヴァン・サンライトは正確に捉えていた。
「三つ目。……こいつが、一番でかいな」
ヴァンはミレイを真っ直ぐに見据える。
ミレイもそれを正面から受け止める。
——ここでたじろいでなるものか。意地のようなものだった。
「三つ目の根拠は……俺の勘だ」
「……はぁ!?」
最後に告げられたあまりにもいい加減な根拠に、ミレイは思わず、声を上げてしまった。
自分の計画は、そんなくだらない理由で暴かれたというのだろうか。
「追放される人間ってのはな、その目で分かるもんなんだよ。嫌でもな。その目には必ず、孤独が滲んでいるものなんだ。居場所を失ったやつの目。誰とも繋がってないやつの目。けれど、あの二人には、それがなかった」
そう断言し、続ける。
「セレナも、エドガーも、孤独じゃなかった。あいつらは最初から“二人で生きる”つもりだったんだからな。だが、たった一人孤独を感じさせるヤツがいた。不思議だった。そいつは聖女から婚約者の座を奪い取り、たった今、聖女の追放に成功したはずの女だった。……そう、その目に孤独があったのは——あんただ」
ひゅ、と短く息が漏れた。それが自分のものだと、ミレイは一瞬わからなかった。
ヴァンは構わず続けた。
「セレナ、エドガー、ミレイという三人組から本当に追放されたのはお前だ。仲間のために己を犠牲にする……“聖女の追放”とはよく言ったものだな」
ミレイは、ゆっくりと短剣を下ろした。
刃先が床を向く。
「……あの二人は、もう限界だった」
落ち着いた声だった。そこには、憂いも悲しみもない。
「この国は、二人に背負わせすぎていた。聖女と王子としての役割を、機能として押し付けて……人間であることを許していなかった。このままじゃ二人とも潰れてしまう、そんな状況だったのよ」
セレナが残り続ければ、国に食いものにされる。エドガーだけが残れば、セレナとの愛が実らない。
「だから——壊すしかなかった。そのための“悪女”が必要だった。それが、私だったってだけ」
ミレイの口元に自虐的な笑みが浮かぶ。
ヴァンは首を傾げる。
「で」
あっさりと、話題を切り替える。
「今後、お前はどうするつもりだ?」
ミレイは目を細めた。
「どうする、ねぇ」
これまで考えたこともなかった。二人を救えるなら後はどうにでもなれ、という思いだった。
それでもミレイは答える。
「私はこの国では生きていけない。王子を惑わせた悪女。聖女を追い落とした女。——そういうことになっているもの。今、街に出て行ったら袋叩きに遭うでしょうね」
誰にともなく、ミレイは頷いた。
「そうね、適当に国を出て、どこかで暮らすわ。名前でも変えて、誰にも知られずに——放浪の旅、かしらね」
何の意味もなく、具体性もない。そんな目的を口にした。
彼女が本当に居続けたかった場所はもう王宮にはなかった。
あてのない旅も悪くはないだろう。
「——そんなもったいない真似、させてたまるかよ」
ヴァンが、急に距離を詰めて口を挟んだ。
妙に鬼気迫った声音だった。
「当団、追放代行団リザードテイルには、追放対象者の新規パーティーを斡旋するって活動がある」
「……はぁ? 私に冒険者にでもなれって言うの?」
「いや? どう見たってあんたは参謀タイプだろ。冒険者が務まるわけあるか! 調子に乗るなよ!」
「乗ってない!」
どうにも、ヴァンという男と話していると、会話のテンポを乱される。
放っておけばいいのに、付き合わされてしまった。
「……はぁ。もういい。私は行くわ」
ミレイはヴァンに背を向けて、逃げるように安宿を出ていこうとする。
「ミレイ・ベルノア」
ヴァンが名前を、はっきりと呼ぶ。
「お前は世界最高の侍女だ」
その言葉にミレイは振り向く。
主を裏切り、国を混乱させた自分をそう呼ぶのは、この男だけだろう。
「せっかくの天職を捨てるなよ。聖女だ王子だ国王だって小さいことばっか言ってんじゃねぇよ。あんたなら、世界を支配する魔王にだって仕えられる」
そう言って、ヴァンは笑った。
そして、小声で何やら呟き始めた。
「……仕事はできる。これだけの計画を立ち上げて成し遂げた。……口も堅い。友の秘密を生涯守り通す覚悟を持っている。……信用もできる。俺の目に狂いはない」
ミレイの目を見てヴァンはその言葉を口にした。
「お前には、やってもらいたいことがある」
「……なに?」
ヴァンは頭を掻いた。
「熱い紅茶を飲ませてほしいヤツがいる」
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