【第8話】 相山隆利は釘をさす
借り物競争が始まる少し前、俺は校舎で【金持ち】の男性【ヘンリー・ミリー・マルコット】から受け取った資料を読み込んでいる。
その資料には10人ほどの個人情報が記載されていた。その中でも特に重要な2人を重点的に読む。
俺はヘンリーに頼んだ。このオリエンテーションで俺達の妨害をしている学生達、そのリーダー格の情報を集めてほしいと。
午前中はずっと観客席を見ていた。指揮しているは誰か。誰を抑えるのが効果的であるのかを。
オリエンテーションで妨害をしている主犯は、男性側のリーダーが1人、女性側のリーダーが1人、そして各クラスの1人ずつと、数人の教師である。
その中でも特に中心となっているのは、男性側と女性側のリーダーと思われる2人だ。
ヘンリーは情報収集に長けているらしいので、主犯2人の個人情報を調べてもらったのだが、まさかこれほどまでに詳しい情報が出るとは思わなかった。それと同時に、ヘンリーは普通の金持ちではないと確信に至った。
情報が膨大であるので、まずは男性側のリーダーである【心岸寺 卓也】の内容を要約する。
こいつは中学3年生時の試験成績は全教科満点で、高校入学試験もトップ。家族構成は父と母の3人で、祖母と一緒に暮らしている。小学生の時、上履きの中に犬の糞を入れられて、気が付かずに靴を履いたことがトラウマになり、それからは友人を作ることはせずに中学を卒業するまで勉強に明け暮れた。その勉強の息抜きにクラスメイトを虐めて遊んでいたそうだ。やり返していたのだろう。
どうやら虐めは周到に行われていたようだが、彼にとって不幸にもその虐めを記録した監視カメラの映像が残っていて、俺の手元にあるフラッシュメモリーの中に収められている。
女性側のリーダーである【高原桜 真理恵】。
彼女の成績は特に秀でたものはない。家族構成は父と1人の兄と、2人の弟がいる父子家庭である。父が株式会社バーネスの社長である。中学生の頃から男を手玉に取り、10人のお気に入りを自分の周りに侍らせては楽しみ、それから漏れた男を奴隷のように扱っている、という噂がある。
彼女が許されているのは彼女の父の存在が大きい。彼女の父は多方面に莫大な賄賂を渡し、決して小さいとは言えない見返りを受け取っていた。その証拠が帳簿に残っていて、その帳簿のコピーが手元にある。
2人に関する資料には、身長や体重や生年月日といった情報から、家族構成や人間性に係わる事までが写真付きで記載されている。
これらの資料をたったの1時間余りで用意したヘンリーには、感謝の気持ちよりも恐怖を先に感じてしまう。
今後はヘンリーに助けを求めない方が良いかもしれない。
俺は一通り読み終わると、横に立っている【レプティリアン】のドリッドリンにその中の1枚を差し出した。
「ドリッドリンのターゲットになる高原桜の資料だ」
「そんな物はいらねえよ」
「説得するとか言っていたけど、脅す訳じゃないのか」
「女は脅すもんじゃねえ。落とすもんなんだよ」
ドリッドリンは不敵な笑みを浮かべると髪をかきあげたその姿に、俺は男ながらに少し魅了されてしまう。こうして近くでドリッドリンを見ると、強い男を体現したような印象を受ける。
俺は「了解。任せた」と言うと、小指の爪ほどの小さく黒い物体を右耳に挿入する。
この黒い物体は耳に入れるだけで音の送受信を可能にする装置である。原理は分からないが、【人造人間】のフューレが数多持つ道具の中の1つである。
ドリッドリンの耳にも同じものが入っている。
「フューレ、聞こえるか? 心岸寺と高原桜は追えているか?」
『バッチリだよ。心岸寺君は美術室前の廊下を1人で歩いている。高原桜さんは1年の教室が並んでいる廊下だよ。高原桜さんの周りには2人の女の子がいるみたい。どうにかして1人しないといけないね』
「それは心配ない。既に手は考えている。ドリッドリン任せたぞ」
「期待していてくれ。それじゃあ先に失礼するぜ。幸運を祈っている」
ドリッドリンの背中を見送った俺は、心岸寺が歩いている美術室前の廊下へ向かった。
1年1組から5組の教室が1列に並ぶ廊下で、3人の女子生徒が歩いている。この光景を見ただけで3人の中の誰が中心人物であるのか、それがすぐに理解できる。
何故なら廊下の中央を歩いている1人と、その後ろを1歩下がってついていく2人という構図だからである。
更にその2人は僅かに体を丸めることで、前を歩く1人よりも身長を低く見せている。
しもべという言葉がピッタリの2人である。
中心人物らしき女子生徒は顔が整っていてスタイルも良いのだが、威圧感をまき散らしているので普通の学生ならば近づくことすら戸惑わせるであろう。
「6組の連中もいい気味ね。特別扱いされるから不幸な目に合うのよ」
中心人物らしき女子生徒がそう言うと、待っていましたと言わんばかりに後ろを歩く女子生徒の1人が同調して見せる。
「そうです。高原桜様だけが特別扱いされるべきなのです」
中心人物らしき女子生徒は高原桜であった。その高原桜に向かって、負けじともう1人の女子生徒が続ける。
「心岸寺などという男が、あなた様と同列に置かれているのは我慢なりません。6組を黙らせたら次はあの男にしましょう」
「それは面白いかもしれないわね。あの男に教えてやるのも愉快かもしれないわ」
そんな3人が通り過ぎた教室から2人の男子生徒が音も無く現れた。
1人は【ダークマター】のキャレットで、もう1人は【プラズマ生命体】のアストラルだ。
女子生徒3人は2人の登場に気が付いていない様子で、話を続けている
キャレットが女子生徒の3人に向けて手を伸ばす。するとキャレットと女子生徒の距離が音もなく一瞬にして縮まる。
女子生徒3人と手の届く範囲まで近づくと、キャレットがアストラルの肩に手を置く。続いてアストラルがしもべの2人の肩に手を置いた。
驚いたしもべ2人が振り向こうとしたその瞬間、4人の姿は忽然と消え失せ、廊下の長さも元に戻っていた。
「何かあった?」
振り返った高原桜は眉をひそめた。先程まで話をしていた2人がいないからだ。
「誰?」
高原桜は再び前を見ると、そこにドリッドリンの姿があった。
「お前が高原桜か。写真で見るよりも可愛らしいな」
「何かしら。1年6組の誰かさん。私は道端に転がる石ころに構ってあげるほど、暇ではないの。私に話しかけるのなら宝石になることね」
「そうかい」
ドリッドリンの赤い目が怪しく光ると、高原桜が抵抗する間もなく荒々しく壁際に押し込む。高原桜の背中は壁、前方にはドリッドリンが至近距離で目を合わせている。右側にはドリッドリンの腕があるので逃げられない。
「何かしら。力づくなら私が従うとでも思ったの? 野蛮な考えには付き合えないわ」
「お前は勘違いしているようだ。俺にとってお前はその石ころでしかない。だが俺は差別しない。たとえ石ころであったとしても幸福にする」
ドリッドリンが囁いたその声は、聞いているだけで肉体も精神もとろけてしまいそうになるほどの蠱惑的な力強さがある。
咥えてドリッドリンから甘い匂いが溢れ出ている。その匂いは何本もの思考を、柔らかい手で優しく撚るようだ。そして1本になった思考が行きつく先はドリッドリンである。
ドリッドリンは魅力の力押しで高原桜に迫ると、彼女の口から小さな吐息が零れる。高原桜はそれを直ぐに飲み込んだ。
「大胆なことね。でも良いのかしら? あなたの人生、ここで終わらせてあげましょうか」
調子を崩さない高原桜を見たドリッドリンは、柔らかな笑みを見せた。
「お前程度で終わるのなら、俺の人生は既に終わっている」
ドリッドリンは高原桜の肩に触れると、指に力を込めて一点を押す。その後も二の腕や肩甲骨、腹と続く。
「何をした!」
高原桜はドリッドリンの胸を押すが動かない。ドリッドリンはその腕をつかむと、手首、手のひら、中指を押していく。
高原桜の抵抗は徐々に力を失っていき、最後には完全にドリッドリンを受け入れ始めた。
ドリッドリンは高原桜のそんな反応を見て体を離す。高原桜は虚ろな目で力なくその場に座り込んだ。
「待って」
高原桜が腕を伸ばすと、ドリッドリンは指と指を絡ませるように手を握り、顔を近づける。
「お前を石ころだと言ったが撤回しよう。だがまだ石ころでしかない。お前の中の輝きをつまらないことでくすませるな」
「は、はい」
ドリッドリンは空いている手を伸ばし、高原桜の腰を持つと真っ直ぐに立たせると距離を取る。
「ならば自分の足で正しく前に進め。まずはオリエンテーションだ。全力で掛かって来い。その上で俺達はお前達を叩き潰す」
ドリッドリンは宣言すると、今度は高原桜の耳元に口を近づける。
「それが終わったらお前を育ててやる」
高原桜から体を離したドリッドリンは、横目で彼女と視線を合わせると廊下を歩いていく。
「お待ちしております」
残された高原桜はただ一言だけ呟くと、ドリッドリンが先程までいた虚空を暫くの間眺めていた。
特別教室が並ぶ廊下、その化学室の前、フューレに教えてもらった心岸寺がいる場所である。
俺は真っ直ぐに続くその廊下には出ずに、曲がり角に背を預けて呼吸を整える。相手は狡猾ないじめっ子である。真っ向から勝負を挑んで勝てるとは到底思えない。
だから俺はせめてもの手段して、心を落ち着かせている。
廊下に響く足音は1つだけ。間違いなく心岸寺の音であり、カウントダウンを知らせるように少しずつ音が近づいてきている。もう時間は無い。
俺は覚悟を決めて曲がり角から音を立てずに体を出すと、廊下の先を見た。
すぐ近く、ほんの5メートルほど先に心岸寺の姿を捉えたので、焦点と視線を彼に合わせた。
「心岸寺」
「どうしたのかな? 特別クラスの委員長さん」
そう言って微笑んで見せる心岸寺は、一見すると穏やかな性格に見える。だが俺はまったくその言葉と心岸寺が結びつかない。何故なら心岸寺の目が笑っていないからだ。
能面を無理やり引っ付けたような顔である。とてつもなく不気味な心岸寺は、足を止めて俺の次の言葉を待っている。
怖がっている場合じゃない。俺の、いや俺達の戦いを始めなければならないのだ。
「質問をしても?」
「かまわないよ。答えられる範囲で」
「どうあがいても勝てない相手がいるとして、君はどうする」
「答えは逃げ出すだ。そして逆らわない」
「ならば君は逃げた方が良い」
「突然どうしたんだい。おかしくなったのかな?」
そう言う心岸寺に、俺はスマホの画面を見せる。
そこに映っていたのは、同じ制服を着た2人の少年だ。その内の1人は今とは違う制服を着た心岸寺だ。
少年は止めてくれと懇願している。そして心岸寺は笑いながら、その少年の腹部を蹴りあげている。少年は崩れ落ちるが、すぐに起き上がり心岸寺に追いすがる。心岸寺はその後も、少年が動かなくなるまで、笑いながら暴力を振るい続ける。
その映像を見た心岸寺の表情が一瞬で邪悪なものとなる。
俺は逆にその表情を見てほっとした。これこそが心岸寺の顔であるからだ。
だが俺は安心という隙を作ってしまった。その隙に反応した心岸寺は、声も無く拳を振り上げる。俺はその動きに反応が出来なかった。
もし俺だけだったら、映像の中の少年と同じ目にあっていたであろう。
ここには俺達がいるのだ。
拳が俺に届く寸前、白い何かによって心岸寺は壁に張り付けになる。驚愕の表情に変わった心岸寺は静かに言う。
「これは、何だ」
「答えると思っているのか?」
答えるわけにはいかない。この白い何かは【蜘蛛】の女性であるテラーニャが出した蜘蛛の糸である。
ちなみに彼女は天井に張り付いている。
心岸寺の表情が更に邪悪に歪んでいく。
「おい。委員長さん。お前に家族はいるか。家族を愛しているか」
「答えるつもりはない」
「答えなくても構わない。だがお前は近い将来、今日を後悔することになる。はっはは。壊れた家族を見たお前の反応が楽しみだ」
「口だけの脅しで、俺が怯むと思っているのか。心岸寺君は本当の脅しの恐怖を知らないようだな」
俺はヘンリーから受け取った紙の束から1枚を取り出す。
「2月21日14時21分、母親に『今日のカレー、肉は豚がいい』とメールを送る。同日14時32分、【立花薫】に『いつもの場所に今すぐ来い。そこで裸で立っていろ。1枚でも何かを着ていたら罰ゲームはお前の妹に負わせる』とメールを送る。続いて34分、【若槻晴】に『前に連れて行った山で、裸で立っている奴がいるから、バットでボコボコに殴れ。過程も写真で撮っておけ。もし少しでも怠ったら分かっているだろうな』とメールを送る。
その後、若槻晴は2月24日に少年院に入っている。読んでいるだけで気分が暗くなってくるな。これを見てみろ」
スマホに入っている1枚の写真を選ぶと、心岸寺にその写真を見せた。
「その時の写真の1枚だ。倒れている立原薫らしき人物の傍に立っているのは、確かにお前だろ。本当に楽しそうな顔だな。気分が悪くなる」
「どうしてそれを」
「証拠は全て消したと思ったか? 俺が今お前に話してやったことは一部に過ぎない。まったく、目を通した俺の身にもなってくれ」
「だから、それをどうしてお前が持っている」
心岸寺は声を荒げる。不愉快極まりない。
「もう一度、初めの質問に戻ろうか。どうあがいても勝てない相手からいるとして、君はどうする? 俺ならば共存する」
ポケットからは茶色の小さな球体を手に取る。
「これは俺のクラスメイトが作ったものだ。少し特殊な幻覚作用がある」
この球体を作ったのは【植物】のマーガレットだ。彼女は植物を調合により、様々な効力を持つ薬を作ることが出来るそうだ。
その球体を心岸寺の口に無理やり入れると、顎を掴んで口を開けられなくした。
「お前に今見せたものを、もう一度だけ体験させてやる。但し、立場は変わるがな」
目を見開いたまま動かなくなった心岸寺から手を離すと、縛っていた糸は蒸発するように消えた。
廊下に倒れた心岸寺は依然として動かない。
「後は告発をしてこの件は終わりだ。せいぜい苦しめ」
心岸寺にそう言い残すと、グラウンドに向かった。