【0.5章 8話】 気品ある容疑者T
701号室の病室前、壁には名札が掛けられていて、そこには寶川の名前が書かれている。
個室のようなのでノックをすると、病室の中から布がすれる音の後に「どなたかしら」と声がした。
「お電話をさせていただいた、相山です」
「ああ、どうぞ」
「失礼します」
引き戸を開けて病室内に一歩入ると、中から風に乗って柑橘系の香水の匂いが漂ってきた。病室特有の薬品臭さはそこにはない。
病室の奥にはガラス窓があり、町の風景を一望できる。その窓の手前にはベッドが置かれているようで、そのベッドのパイプが見える。
そしてもう1つ、気になる物がある。それは窓の前に積み重ねられた箱である。その全てに紙が添えられている。
部屋の構造上、ここからでは寶川さんの姿は見えないが、着くずれの音と吐息が聞こえるので、角の奥に存在することだけはわかる。
何だかわからんが、凄くエロイ!
寶川さんの演出か、それとも偶然かは判断できないけど、俺の心を高揚させると同時に緊張もさせる。
息をゆっくりと吐いてからベッドに向かって歩いて行くと、寶川さんの姿がゆっくりと目に映っていく。
寶川さんはベッドの上で上半身を立てて、顔を窓の外に向けている。光に照らされたその儚げな姿は上質な絵のようである。
そして視線だけを動かして俺を見た後、柔和な動きで上半身をこちらに向けて微笑んだ。
寶川さんはネット包帯をかぶり、服装は無地で簡素な患者衣にも関わらず、なんだか蠱惑的だ。
その心情を見せるわけにはいかない。俺は平静を装いながら寶川さんの横に立つ。
俺の横にはケイが、その横には帽子を深くかぶったままの雨井が並んだ。
「初めまして。お電話をさせていただきました相山です。こちらがケイです」
紹介されたケイは1歩前に出る。
「私のペットがご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」
ケイは深々と頭を下げて、営業の清水さんの時と同様に素直に謝罪の言葉を述べた。
「頭を上げて。悪いのは私よ。勝手に驚いて転んだのは私なのだもの。私こそあなたに迷惑をかけたこと、わざわざ来させてしまったこと、謝らせてもらうわ。ごめんなさい」
「そうですか」
「今日は来てくれてありがとう」
頭を上げたケイに、穏やかな口調で話す寶川さんは微笑んだ。
先ほどから寶川さんの所作から受ける印象は、俺が思うキャバクラ譲のものとはかけ離れていた。気品があり落ち着いた雰囲気で、包容力のある女性だ。
だからこそ彼女に心を掴まれて、金を注ぎ込む男性が大勢いるのだろう。
「ところで相山君とケイちゃんはどのような関係なのかしら。もしかして付き合っているの?」
「違います」
即答したケイの眉間には深いしわが出来ていた。
そこまで嫌な顔をしなくてもいいんじゃないか。傷つくんだけど。
「フフフ、そうでしょうね。私は人と人との関係に関する観察眼と記憶力には自信がある。それで稼いできた自負があるわ。
だから1年後に相山君と偶然街ですれ違ったとしても、きっと私はあなたに声をかける」
寶川さんが勢いよく俺を右手で指差す。
「たとえ、変装をしていたとしてもね」
差された瞬間、俺の体に衝撃が走った。それは驚いたからとか痛いところを突かれたとか、そんな想像通りの理由ではない。俺はすっかりと油断をしていた。
その正体は俺の右手にあった。それは蛇のようにヒルのように、俺の右手の人差し指に絡みつき、吸い付くような感触がある。
それは寶川さんの左手の指だ。
今まで感じたことのない快感で、俺の意識の全てがそれに持っていかれている。
寶川さんは俺を指差した右手に全員の視線を集めている間に、左手で俺の指をねっとりと嘗め回している。
そのあまりにも大胆な行動に驚いても、快楽に身を任せていてもいられない。
俺は右手を背中に回すことで、寶川さんの手から逃れた。寶川さんは口角を上げると口を開いた。
「相山君とケイちゃんの関係、同級生といったところかしら。それも相山君の方が立場は上、だから委員長。どう?」
「正解です。さすがですね。ケイが困っているようだったので、委員長として俺が付いて来たという訳です」
「ところでそこの帽子をかぶっている方はどなたかしら?」
雨井が一礼をしてから自己紹介をする。
「雨井と申します。色々とあって行動を共にしている部外者です。いない者として扱ってください」
「そう……、まあいいわ」
雨井のことは説明をするのが難しい。だからこ雨井の説明に付け加えることは無い。俺は紙袋からお見舞い品を取り出すと、寶川さんに差し出した。
「寶川さん。心ばかりの品ですが、お受け取り下さい。中は……」
「ちょっと待って。それ以上は言わないで」
中身を言おうとしたとき、寶川に遮られた。そして寶川さんは視線を部屋の隅に積まれている箱に注がれる。
「あれ、何かわかるかしら?」
箱は大小様々で一様に落ち着いた色の梱包紙で包まれている。どれも空けられた様子はない。
「もしかして、お見舞い品ですか?」
「正解。あの箱の全ては私のお客様からいただいた物よ。まだ中身は見てはいないけれど、きっと良い物が入っている筈よ。だから中身を見た後で、相山君に差し上げるわ。売ると中々の金額になると思うわよ」
「いや、受け取るわけには」
「あなたの手にある贈り物、あなたが選び購入したのでしょう? では交換という名目ではどうかしら」
図星を突かれた。寶川さんは心を読めるのだろうか。
お見舞い品は俺が選び、俺が金を出した。何故ならケイはお見舞い品の選定に無頓着なうえに、お金を持ってきていない。
まさかの提案に驚きで言葉が出ない。
もし本当にくれるのなら、願ってもいないことだ。何故なら金がないから。
俺はアルバイトをしていないから、親からの仕送りに頼らざるを得ない。その中から食費を引くと、自由に使える金は少ない。だから臨時収入としてありがたい。
だけどあまりにも怖すぎる。やり手のキャバクラ嬢が得にならない事をするだろうか。俺に何をさせる気だ。
「受け取れません。これは寶川さんの成果です。それに客からのプレゼントは商売道具であると聞いたことがあります。
キャバクラ嬢やホストは貰ったプレゼントを違う客に渡す、ロンダリングを行っていると。だから寶川さんがお使いください」
「そういう娘もいる。でも私はそれをしないわ。お客様からお客様に物を流すのは、私のルールに反しているもの。
自分の立てたルールを破る行為は、自身の価値を下げる行為よ。だからあなたには私への贈り物を貰ってほしいの。
あなたは私のお客様じゃないから、プラスマイナスをゼロにした」
他人のお見舞い品を貰うという行為が、寶川さんの信念に基づく願いであるのなら、俺が固辞するわけにはいかない。
「ではいただいていきます。ですが寶川さんが自分のルールに従うように、俺も自分のルールに従います。
いただくのは1箱だけです。俺がお見舞い品として持ってきたのは1箱ですから、これでプラスマイナスゼロです。
それと選ぶ時は中身が分からない今の状態で選びます。自分の運を試します」
「面白い考えね。いいわ。これで手打ちね。それではあなたからの贈り物、受け取らせていただくわ」
寶川さんはお見舞い品を受け取ると膝の上に置いた。
「私は懇意のお客様にこう言うの。もし私が入院をすることがあれば、お金はいらないから物をくださいと。
お金は全て同じ顔だけど、物ならばあなたを思って使えるから。だからあなたの名前が入ったカードも添えてとね。勿論、そんな乙女的な考え方はしない。
本当に欲しいのは情報なのよ。
誰が何を持ってきたのか。持ってきた物でその人のセンスと社会的地位がわかる。この先、この人と付き合う価値があるのか、この人は更に成長しうるのか。
私は贈り物では喜ばない。私が贈り物の先に見える光景に喜ぶの」
寶川は俺が渡したお見舞い品の梱包紙に指をかけた。
「贈り物で大切なのは物の金額じゃない。お見舞いをする相手を考えられるかよ。あなたは何を持ってきたのかしら」
何故か俺が試される側に立たされた。




