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鬼ん子  作者: ことせき
3/8

勃発

 その日のうちに太郎と鬼ん子は、旅人と白魚の二人が手を取り合って村を発ったことを知った。


 それは、太郎がずっと恐れていたことだった。だからこそ太郎は旅人を嫌っていたし、旅人を悪し様に罵ったりもしていたのだ。旅人の持つ豊富な知識と包容力に、心の奥底で畏怖を覚えていたのであった。


 鬼ん子にとって、それは寝耳に水の話であった。

 白魚は絶対に自分のことを一番に考えてくれると、鬼ん子はそう信じ込んでいた。白魚は鬼ん子をとても可愛がっていたので、別の誰かを選ぶようなことなどないと鬼ん子は思い込んでいた。


 まして、白魚は鬼ん子が旅人に恋焦がれていたことを知っていた。なのに白魚が自分を置いて、自分が欲する旅人と一緒に去ってしまったことが、どうしても信じられなかった。


 太郎は深い悲しみに沈んでいた。もう既に住む者のいない白魚の家で、白魚のベッドに座りながら、じっと空間を見つめていた。白魚との思い出が何度も蘇っては消えて、彼は胸が突き刺さるように痛かった。


 その内に、ふらふらと迷い込んでくるように頼りなげな足取りで誰かが部屋に入ってきた。それは鬼ん子であった。


 鬼ん子と太郎は、しばらく見詰め合っていた。互いが互いを認識するまでにしばらくかかり、認識するとどちらともなく目を逸らした。


 鬼ん子は、本当に白魚が消え去ってしまったのか確かめに来たのだった。そして、本当に白魚が居ないことを確認して、今朝の伝達が事実であったことを知った。鬼ん子は目の前が真っ暗になり、そのまま立ち竦んでいた。


 視界の隅で突っ立っている鬼ん子を、太郎は邪魔に感じていた。もともと疎んじていた鬼ん子が、白魚の部屋に居る事になんとなく憤りを覚えていた。


「こっちへ、来いよ」


 苛立ちを抑えずに、太郎は鬼ん子を呼んだ。太郎は、悲しみと共に、理不尽なこの状況にとても怒りを覚えていた。長い長い時間をかけて、互いを許しあおうと努力してきた白魚が、たった一晩で居なくなってしまった。あの美しく白い姿態が、他の男に連れ去られてしまったことがとてつもなく悔しかった。自分を裏切った白魚が、とてもとても憎かった。


 鬼ん子は、打ち沈んだままよろよろと太郎の傍へと寄ってきた。大切なものをいっぺんに失ってしまい、どうしていいのかわからなかった。太郎のことは嫌いだったが、彼の言葉に逆らう気力も今は持っていなかった。


 近づいてきた鬼ん子を、太郎は殴ってやるつもりだった。白魚と自分の仲がなかなか安定しなかった時、鬼ん子が白魚の側について太郎をこき下ろした過去を思い出していた。太郎にとってその記憶は、憤怒に任せ今この場で鬼ん子を一発ぶん殴るには十分すぎるほどの理由だった。


 だが、鬼ん子の襟をつかみ拳を握り締めたとき、太郎は鬼ん子の顔を覗き込み躊躇した。


「……」


 鬼ん子は泣いていた。ポロポロと涙を零していた。いつもは恐ろしいその顔が、悲しげに歪んでいた。それはとても幼く、頼りない、子供のような表情だった。


「泣くな!」


 太郎は一喝した。とてもとても動揺した。忌み嫌っていた鬼の顔が、今はか弱い子供の顔をしていたからだ。


「泣くな! 泣くんじゃない! 鬼の癖に、人間のような顔をするな!」


 怒鳴りながらも太郎は次々と自分の中で符合していた。


 鬼の子は、小さいときに父と引き離され大きくなってから母を失くし、唯一の友人だった白魚は、敬愛する旅人が攫って行ってしまった。だからこの鬼の子には、もう誰も居ないのだ。一人ぼっちなのだ。ただ一人だけこの小さな狭い村で、たった一人の鬼として、置いてきぼりにされたのだ。


 太郎は、初めて涙が出た。白魚に捨てられた悲しみが、ようやく堰を切って流れるように泣き出した。なぜか、鬼ん子の涙を見て、自分も泣くことを許されたかのような気がした。


「白魚、白魚!」


 白魚の名を叫びながら、太郎は鬼ん子を抱きしめた。だが鬼ん子の体は白魚のようにすべすべと艶やかではなく、ガリガリと細く頼りなかった。


 太郎は、鬼ん子をとても哀れに感じた。可哀想な奴め、可哀想な奴めと繰り返しながら泣いていた。既に、白魚を失ったことが悲しくて泣いているのか、鬼ん子の境遇に同情して泣いているのか訳がわからなくなっていた。


 ただ、気がつくと太郎は鬼ん子を白魚のように抱きしめたまま、白魚のベッドの上で眠っていた。腕の中の鬼ん子を、太郎は既に嫌ってはいなかった。むしろ、庇護すべき対象として、守ってやらなければならないような気がしていた。自分がこの鬼を見捨てれば、こいつは本当に一人になってしまうのだ。


 鬼ん子は太郎に抱きしめられたまま、深い眠りに落ちていた。

 どうして太郎がいきなり自分を腕にかき抱いたのかはわからない。ただ、人から抱きしめられたのは初めてだったので、その暖かさ居心地のよさに、うっかり睡魔を催した。父の腕に抱かれているかのように、鬼ん子は安心感を覚えていた。



 だから一足先に起きていた太郎の言葉を、鬼ん子は夢うつつに聞いていた。



「いいか、鬼ん子。今日からお前は、白魚の代わりになるんだぞ。白魚の代わりに、俺の恋人にしてやろう」




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