『遙かなる誓いと星空の凱旋』
雲の切れ間から、美しい月の蒼穹が覗き始めた頃。 戦場には、血のついた剣を静かに拭うセレスティアの兵たちと、山のように積み上げられたオテゲン軍の武具、そして捕虜となった千人以上の敵幹部たちが整列していた。 これほどの歴史的大勝利に対し、セレスティア軍の損害は、驚くべきことに軽微な傷病者数十名のみという、文字通りの大圧勝であった。 オテゲン軍全滅の報は、オテゲン皇国の首都マグナオリオ、そして第一皇子ヴァルハルト率いる帝国本隊の双方に、ほぼ同時に、爆弾のごとくもたらされた。 ヴァルハルトは「先鋒の生意気な弟が全滅した頃合いを見計らい、疲弊したオテゲン軍を叩いて手柄を横取りする」という浅ましい計算のもと、ようやく重い腰を上げようとしていたのだ。しかし、もはやそんな悠長な状況ではなくなった。 「な……なん……だと……!?」 進軍してきたヴァルハルトの目の前に広がっていたのは、全滅したセレスティア軍の死骸などではなかった。 誇り高く厳然と陣を整えたセレスティアの精鋭たち、そして地に膝をついて捕虜となったオテゲン軍の将兵、その中央に掲げられた『鬼将』ガラクの首級であった。 イリアードは黒鋼の甲冑を月光に輝かせ、馬上のヴァルハルトに向けて恭しく片膝をついた。 「兄上。幸運なことに、我らのみで敵主力を殲滅いたしました。どうぞ、首都マグナオリオまでお気楽に進軍なさってください」 「五、五弟……! お前、一万五千のオテゲン主力を……たった三千で撃破したというのか!? 援軍もなしに!?」 ヴァルハルトの顔は恐怖と屈辱で真っ青になり、全身をガタガタと震わせた。 「すべては偶然にございます」 イリアードは表情一つ変えずに、冷ややかに言った。 「我らセレスティア軍は、運よく敵の待ち伏せをかわし、敵総大将を討ち取りました。これにてオテゲン皇国の侵攻能力は完全に潰えております。……我が軍が戦功を立てられるよう、あえて本隊の到着を遅らせていただいた兄上の『深いお考え』には、心より感謝いたします」 痛烈な皮肉を浴びせられたヴァルハルトは、ぐうの音も出ず、ただ屈辱に唇を噛み締めるしかなかった。 周囲に控える帝国軍の将兵たちからは、イリアードに対する圧倒的な崇敬と、私欲のために弟を見殺しにしようとしたヴァルハルトに対する、隠しきれない蔑みの視線が突き刺さっていた。 「兄上のマグナオリオまでの道筋は、我らが責任を持って全力で後方支援ロジスティクスさせていただきます。どうぞ安心して、総大将としての進軍をおねがいいたします」 先陣を任された弟は、自ら掴み取った一番の戦功(敵首都の攻略)を長兄に差し出す、と申し出ているのだ。 もちろん、これはイリアードの計算であった。オテゲンは遊牧民の国家だ。防衛拠点を失った以上、町など投げ出して北の荒野へ逃げ去るに決まっている。もはや、もぬけの殻となった首都へ進軍する行為に、軍事的な危険も価値もほとんどない。 だが、そんな高度な思惑など気づくはずもないヴァルハルトは、自分を立ててくれる従順な弟の態度に、すっかり気を良くして鼻高々になるのであった。
◇
その夜。大勝を祝うセレスティア軍の先鋒本陣にて、静かな夜間通信が行われていた。 遠くセレスティアの親王府では、大役を果たしたリゼリアとセシリアが安堵の息をつき、温かい薬草茶を手にしながら、魔法陣の前で穏やかに微笑んでいた。 『――ふふ、見事な戦いぶりでしたわ、イリアード』 脳裏に、母フレデリカからの賞賛の念話が響く。 『帝都の宮廷はいま、お前の大勝利の報でひっくり返るような大騒ぎですわ。皇帝陛下も、我が息子の圧倒的な有能さに、これ以上ないほどご満足されています』 「母上」 イリアードは幕舎で茶を一口すすり、ふっと瞳を細めた。 「これで帝都の有象無象も、容易には我がセレスティアに手を伸ばせなくなったはずです」 『ええ。ですがこれで、帝都の権力闘争はさらに苛烈を極めますね』 「ふっ、勝手に争わせておけばいい。私が欲しいのは権力ではない。セレスティアの豊かな暮らしなのですから」 精神の絆を通じて、親王府にいるリゼリアとセシリアのあたたかな微笑みが、はっきりとイリアードの胸に伝わってきた。 『どこまでも、お供いたしますわ、殿下』 『はい。殿下の歩む道、この身と千里を越える能力を賭してお守りいたします』 天幕の外では、満天の星々が静かに北の草原を照らしていた。 春の軍事侵攻は、セレスティア親王イリアードの圧倒的な完全勝利によって幕を閉じた。 その後、名ばかりの総大将ヴァルハルトが乗り込んだ時には、首都マグナオリオはすでに機能停止して陥落しており、オテゲン皇国は完全に歴史から消滅した。 そして――戦場に赴くことなく勝利を支配した「セレスティアの黒き親王」の名と、アルストラーナ帝国の威名は、大陸の東の果てまで轟くことになったのであった。




