第7話 払える命
病院の待合室には、待っている患者がほとんどいなかった。
残り二十一日。
受付で晴登の契約者証を確認すると、案内端末が病棟までの経路を表示した。
俺には来訪者用の白い札が渡された。
床に寝かされた人も、受付へ詰め寄る家族もいない。
診察室の扉が開くたび、次の番号が呼ばれる。
薬局の待ち時間は四分と表示されていた。
母の診療所で、救急車を一時間以上待った女性を思い出した。
「親父はこっち」
晴登について手術病棟へ上がった。
廊下の窓から、屋上の太陽光設備と蓄電施設が見える。
停電時でも七十二時間、病院単独で稼働できると説明板に書かれていた。
晴登の母親が手術室前の椅子に座っていた。
俺を見ると立ち上がり、昔と同じように両手で俺の手を握った。
「直路くん、久しぶり。晴登から聞いた?
もう始まってるの」
「聞きました」
「二年待ったのよ。
来るたび検査だけして、先生が足りない、設備が空かないって」
涙をこらえているのではなかった。
嬉しくて話が止まらない顔だった。
「昨日ここへ移ったら、今日よ。
必要な検査も全部一日で終わって。
こんなに早くできるなら、どうして今までって思うけど」
その先を言う必要はなかった。
今までは、全員を受け入れようとしていたからだ。
手術は予定より早く終わった。
医師が現れ、処置は成功したと説明した。
晴登の母親は何度も頭を下げ、晴登は壁にもたれて息を吐いた。
「よかったな」
「ああ」
晴登は目元を手で拭った。
「これ見た後で、制度を止めろって言われても無理だ」
俺に向けた言葉ではなかった。
自分へ確認しているように聞こえた。
病室へ移された父親は、麻酔からまだ覚めていなかった。
胸元の機器が規則正しく数字を刻み、看護師が数分おきに確認へ来る。
「前の病院では、夜に看護師が二人しかいなかった」
晴登の母親が言った。
「ここは一つの病棟に十二人いるんだって。
先生も夜ずっといるって」
直路の母さんも来られるといいのに、と続けられそうな気がして、俺は窓の外を見た。
病院の敷地外には、新しい集合住宅が並んでいた。
建設途中の棟も多い。
クレーンが動き、人が働いている。
国が終わるまで三週間なのに、ここでは未来を建てていた。
廊下で、区域運営職員が入院費の説明を始めた。
手術費は晴登の会社が保証し、十年契約の中で分割される。
術後の薬と検査も保証対象。
ただし、晴登が雇用資格を失った場合、家族の医療保障も九十日後に終了する。
「九十日あれば、次の保証者を探せます」
職員は安心させるように言った。
「見つからなかったら?」と俺が聞いた。
「地域自律医療へ移行していただきます」
「つまり外へ出す」
「契約終了後の居住地は、ご本人が自由に選択できます」
言葉は違う。
意味は同じだった。
「人数を増やすことはできないんですか」
「供給能力が増えれば可能です」
「病床、空いてましたよね」
「病床一床だけで医療は成立しません。
医師、看護師、薬、電力、水、廃棄物処理、十年間の更新費まで確保して初めて一人を受け入れられます」
職員は端末へ数字を出した。
「現行人口を二倍にすれば、三年目に薬剤備蓄が尽きます。
三倍なら、一年以内に救急体制が旧全国平均を下回ります」
「外には五千万人以上いる」
「はい」
「全員は無理だと」
「全員を受け入れられると申し上げる方が、無責任です」
淡々とした答えだった。
反論できなかった。
母の診療所にない酸素がここにある。
晴登の父親は生きている。
人数を限定した成果が、目の前で呼吸していた。
帰りの時刻が近づき、晴登と病院を出た。
区域の門前で、人が集まっていた。
契約者用の入口ではなく、緊急受付の前だった。
女が小学生くらいの男の子を抱き、警備員へ何かを訴えている。
子供の額には汗が浮かび、咳を繰り返していた。
「熱が下がらないんです。
外の診療所では検査できないって」
「緊急度判定は終了しています。
現時点で生命危機の数値はありません」
「悪くなってからなら入れるんですか」
「生命危機となった場合、空き能力の範囲で処置します」
「今診てくれれば、悪くならないでしょう」
警備員は怒鳴らず、女を押し返しもしなかった。
区域外の診療所一覧を表示し、最寄りの場所を案内した。
「そこは昨日閉まりました」
「こちらで確認できる登録情報では、診療継続中です」
「行ったんです。
先生が保障区域へ移ったんです」
警備員は端末を確認した。
謝罪し、次の診療所を示した。
そこまでは四十キロあった。
晴登が足を止めた。
「直路」
「行こう。
俺たちには何もできない」
自分で言ってから、窓口の回答と同じだと思った。
車へ戻る途中、俺は晴登に告げた。
「俺も母さんも、非継承だ」
晴登は立ち止まった。
「何言ってる」
「最終名簿。
異議申立ても終わった。
誤判定じゃない」
「お前、役所で働いてるだろ」
「二十四日後までな」
「朋江さんは看護師だ」
「区域外の看護師だから対象にならない」
晴登は何度か口を開き、何も言わずに閉じた。
「会社に聞く」
「何を」
「追加保証枠がある。
現場技能者一人につき、一人だけ申請できる」
門の内側では、晴登の父親が助かったばかりだった。
その晴登が、もう一人分の席を持っていた。




