第25話 残せるもの
全記録を持ち出すことはできなかった。
残り二十九時間。
予備媒体の容量は十分ある。
問題は、暗号化された記録を項目ごとに復号し、書き出す時間だった。
氏名、住所、家族関係、出生、死亡、医療、納税、資産、学歴、職歴、生体認証、契約評価。
全項目なら十四時間。
削除作業で俺が端末を使えるのは、長くても六時間。
誰の記録を残すか。
子供を優先する。患者を優先する。
身寄りのない人を優先する。
考えるたび、国家と同じ場所へ戻った。
試しに条件を入力した。
《十五歳以下》。
百八十万人。
《医療継続が必要》。
千三百万人。
《身寄りなし》。
九百万人。
重なる者を整理しても、時間内には終わらない。
次に市内だけへ絞った。
昨日、出生届を出した乳児。
救急車を待った女性。
門で断られた子供。
窓口へ野菜を置いた老人。
顔を知っている人だけなら選べる。
それは、顔を知らない人を捨てるという意味だった。
「選ぶな」
母に相談すると、即答された。
「でも全員分は無理だ」
「名前だけでも全員持っていきなさい」
「名前だけで何になる」
「名前もなければ、何にもならない」
母は診療所の患者表を見せた。
氏名、必要な薬、連絡できる家族。
国家の記録より小さいが、ここで人を助けるには十分な情報だった。
「国が集めた情報を、全部救う必要はないでしょ」
「納税記録がなければ、払った年金を証明できない」
「払ったから助けろって言える国が、残るの?」
「土地の記録を捨てたら、家を奪われても証明できない」
「持ち出した記録が、新しい権利書になるとも限らない」
母は画面越しに、俺をまっすぐ見た。
「全部できないなら、何のために残すのか決めなさい」
共同体へ請求するためか。
失った財産を取り戻すためか。
いつか日本国を復活させるためか。
どれも俺には約束できない。
ただ、ここに誰がいたかを、あとから数え直せるようにする。
それならできる。
納税額、将来収益、保障評価。
人を選ぶための数字まで、持ち出そうとしていた。
残す項目を決めた。
氏名。
生年月日。
家族関係。
最後の居住地。
出生と死亡。
医療は病名と常用薬だけ。
画像と詳細な請求記録は捨てる。
資産、納税、収益性評価、保障点数は残さない。
学歴と職歴も迷った。
肩書を失えば、その人が何をできたか分からなくなる。
だが公式な学歴を優先すれば、国が評価した経歴をもう一度持ち込むことになる。
最後に、資格の名称だけを残した。
看護師、整備士、電気主任技術者、調理師。
点数は捨てる。
どこで学び、何年働いたかは、本人が話せばいい。
母の記録を試しに表示した。
片山朋江。
五十九歳。
看護師。
家族一名。
常用薬なし。
保障点数、三十二。
将来負担、過大。
最後の二行を除外すると、母はただ、まだ働ける看護師になった。
推定書き出し時間、五時間四十二分。
ぎりぎりだった。
作業手順を個人端末へ写していると、背後の扉が開いた。
荒谷が立っていた。
画面には、予備媒体の製造番号と、書き出す項目が表示されたままだった。
「何をするつもりだ」
ごまかせる余地はなかった。
「記録を残します」
荒谷は扉を閉めた。




