第17話 認証失効
最初に止まったのは、金だった。
残り十日。
朝、市役所の職員給与が振り込まれなかった。
銀行口座が消えたのではない。
自治体の支払認証が無効になり、送金命令を出せなくなった。
次に燃料が止まった。
救国会議が押さえた物流拠点には、輸送車も備蓄もある。
だが給油所は契約番号のない車両へ燃料を出さなかった。
非常時命令で開けようとすると、地下タンクの管理装置が停止した。
手動ポンプは、何年も前に撤去されていた。
午前九時、消防団が給油所の地下タンクを開けようとした。
工具で外蓋までは外せたが、計量弁は電子制御で、流量記録を通さなければ閉じたままだった。
古参の整備員が配管を切る案を出し、消防署員が止めた。
静電気が一度飛べば、町に残った燃料を全部燃やす。
「昔なら、レバーを引けば出たんだ」
整備員は錆びた工具を地面へ置いた。
「便利にしたんじゃない。
許可がなきゃ触れないようにしたんだな」
医薬品も動かなかった。倉庫の扉は開く。品物もある。
配送先を確認する認証と、在庫を減らす決済が通らない。
物理的には、何も壊されていない。
社会の上に重なっていた「使ってよい」という許可だけが剥がされた。
母の診療所では、酸素濃縮装置を非常用電源で動かしていた。
昨日発注したボンベは、物流拠点で止まっている。
「残りは?」
「今の使用量なら十八時間」
母が答えた。
酸素を必要とする患者が三人いる。
使用量を下げれば、三人とも危険になる。
一人は八十代の男、一人は肺炎の女性、もう一人は在宅療養から運ばれた十二歳の少年だった。
母は三人の血中酸素濃度と残り時間を紙へ書き、消しては書き直した。
「誰から減らすの」
俺が聞くと、母はペンを止めた。
「まだ減らさない」
「十八時間しかない」
「十八時間ある」
政府の計算を責めてきた母も、目の前の残量を前にすると同じ言葉を使った。
今救える三人を、先の不足だけで一人に絞れない。
「救国会議が備蓄を開放するって」
「ここまで運ぶ車は?」
母は患者の記録を確認した。
「政府に協力再開を出せば、認証を戻すらしい」
「それじゃ何のために止めたの」
「人が死ぬよりいい」
「また選ばされてるだけだよ」
母は俺を見た。
「選ばない間にも、酸素は減る」
市役所へ戻ると、救国会議から代替計画が届いていた。
現金決済、紙の通行証、備蓄の直接徴用。
八月停止以前の方法を復活させる。
だが、現金を扱える給油所はほとんどない。
紙の通行証を確認する人員もいない。
倉庫の在庫管理を切れば、どこに何が届いたか分からなくなる。
救国会議の指示は正しい。
正しいが、遅すぎた。
社会はすでに、中央認証なしでは物を動かせない形へ作り替えられていた。
俺は救国会議の連絡窓口へ、診療所の酸素残量を送った。
《地域医療緊急。
患者三名。
酸素残量十八時間。
認証回復または手動搬送を要請》
返信は自動だった。
《要請を受領しました。優先順位を審査します》
待ち件数、四万八千。
国の異議申立てと同じ画面に見えた。
一覧の数字は一分ごとに増えた。
人工呼吸器の電源、透析液、保育施設の食料、冷蔵庫が止まりかけた血液製剤。
全国から届く《緊急》が、受付順の番号へ変換されていく。
救国会議は全員を救うと言った。
その最初の日に、全員を並べる番号を作った。
俺は追加資料を添付しようとして、手を止めた。
閉鎖予定や備蓄位置を送れば、部隊が施設を占拠する材料になる。
電話へ切り替えた。
何度目かで人間につながった。
『こちらも全件対応しています』
「このままなら今夜止まる」
『最寄りの備蓄拠点から搬送を調整中です』
「燃料はあるんですか」
相手は黙った。
「撤退してください」
『何を』
「物流拠点を政府へ返して、認証を戻させる。
要求はあとで続ければいい」
『それでは計画を止められません』
「止めてる間に、外の人間から死ぬ」
俺が送った資料を、相手も読んでいた。
『あなたの資料で、政府が何をするか分かったんです』
「俺は占拠しろとは書いてない」
『では、どう止めろと?』
答えを持っていなかった。
通話の向こうで、別の誰かが怒鳴っていた。
病院からの要請を先にしろ。
いや、浄水場が止まれば人数が違う。
限られた燃料をどこへ回すか、議論している。
俺たちが壊したかった選別が、名前を変えてそこにあった。
晴登へ酸素のことを送ると、すぐに《区域の配送車を出せないか聞く》と返った。
二十分後、《契約外搬送は不可》の画面が届いた。
晴登は続けて、自分で車を出すと書いた。
《門を出たら再入域保証が消える。
お父さんはどうする》
俺が送ると、返事は途切れた。
晴登が冷たいのではない。
こちらへ来るには、救われた父をもう一度危険へ戻す必要があった。
夜、酸素残量は十二時間になった。
救国会議はまだ、降伏を発表しなかった。




