第12話 高慢な女の勘違い
王都の一等地にある、バルモン伯爵家が管理する豪奢な貸し別邸。
天蓋付きの豪奢な寝台の傍らで、カサンドラは極上の絹の寝衣を纏い、極上のワインを口に含んでいた。その傍らには、第一騎士団の制服を崩して着たダリルが、慣れた手付きで彼女の肩を抱き寄せている。
「ねえ、ダリル。あの冴えない侍女は、今日も健気にあなたの部屋を掃除して待っているのかしら?いくら尽くしても裏切られているなんて、気づきもしないで」
カサンドラは真紅の唇を歪め、くすくすと意地の悪い笑みを漏らした。
彼女がダリルを呼び出し、こうして逢瀬を重ねている最大の理由は、ダリルへの純粋な愛などではない。学園時代から常に完璧で、誰からも信頼されていた有能なメリッサに対する、狂おしいほどの嫉妬と、それを裏返した「歪んだ優越感」だった。
学園首席の看板を持ち、オレオ侯爵家の令嬢にも実の姉のように慕われているメリッサ。
そんな完璧な女が、学園二年生の頃に婚約し、卒業後も結婚を信じて縋り付いている唯一の男。メリッサが純潔に守り抜いてきた絆を、自分の指先一つで簡単に奪い、男を犬のように侍らせる。その優越感こそが、カサンドラにとって至高の蜜の味だった。
「メリッサなら、今頃俺の部屋の掃除でもしてるんじゃないか? 彼女は物分かりが良いからな。俺が『緊急の任務だ』と言えば、一言の疑いも持たずに見送ってくれるさ」
ダリルはカサンドラの機嫌を取るように、軽薄な笑みを浮かべてその髪を指に絡めた。
彼にとって、カサンドラとの関係は「都合のいい派手な遊び」に過ぎなかった。
裕福な伯爵令嬢が自分を熱烈に求め、貢いでくれる。弱小伯爵家の三男坊に過ぎないダリルにとって、それは最高の快感だった。だが、カサンドラと結婚する気はない。我が儘な上級貴族を妻にするより、結婚後は有能なメリッサに自分の実家や生活を支えさせる方が、遥かに安泰だと小賢しく計算していたのだ。
(結婚するなら、やっぱり優しくて俺のすべてを愛してくれるメリッサに限る。彼女を裏切る気なんてサラサラないさ。カサンドラは向こうから勝手に貢いできているだけ。カサンドラの金で贅沢をして、最後は最愛のメリッサの元に帰る。それが二人にとっても一番幸せな形だろ?)
そんなダリルの冷めた本音に、カサンドラは全く気づいていなかった。
彼女は自分が世界の中心にあり、すべての男が自分に平伏していると本気で信じ込んでいたのだ。
「可哀想なメリッサ。身の程知らずにもオレオ侯爵家に囲われて、いい気になっていたけれど……。男を見る目だけは無かったみたいね。あなたが本当に愛しているのは私なのに、あんなボロ雑巾みたいに扱われて、哀れなこと」
カサンドラは勝ち誇ったように胸を張った。
彼女の頭の中では、すでに完璧なシナリオが出来上がっている。近々催される王宮の夜会。そこで、まずはオレオ侯爵家との婚約を予定通りに成立させ、莫大な結納金をバルモン伯爵家へと流し込ませて実家の借金を完全に帳消しにする。
しかる後に、スティーブには「政略による夫婦関係」として大人しくしてもらい、自分は第一騎士団の広告塔であるダリルを「私の専属護衛騎士」という名目で常に身傍に侍らせ、公然の愛人として囲うのだ。
そうすれば、侯爵夫人の絶対的な地位と富、そして最愛の男、そのすべてを同時に手に入れることができる。有能なだけで身分の低いメリッサからダリルを完全に奪い、泣き寝入りする姿を特等席で眺めることもできる。すべてが自分の思い通りになるはずだと、カサンドラは微塵も疑っていなかった。
「次の夜会が楽しみだわ。私、最高に美しいドレスで行くから、あなた、しっかりエスコートして頂戴ね?」
「ああ、もちろんだよ、カサンドラ。俺の隣には、君のような美しい薔薇が一番よく似合う」
ダリルは調子の良い言葉を並べ、カサンドラの首筋に顔を埋めた。
カサンドラは歓喜に身を震わせ、メリッサの絶望する顔を思い浮かべて、暗い悦楽に浸っていた。
――しかし、彼らは知らなかった。
自分たちが「世界の中心」だと思い込んでいるその部屋のすぐ外で、すでに蜘蛛の巣が張り巡らされていることを。
別邸の向かいにある建物の陰。
夜闇に紛れるようにして立つ、スティーブ直属の隠密が、二人の睦み合う声を冷ややかに聞き届けながら、素早く手帳に筆を走らせていた。
『五月三十日。深夜二時。騎士ダリル、カサンドラ伯爵令嬢の貸し別邸にて夜を明かす。不貞の証拠、十五件目を確保』
カサンドラがメリッサを「ボロ雑巾」と蔑み、ダリルがメリッサを「便利な道具」と侮っている間に、メリッサの手元の日記帳、そしてスティーブの机の上の告発書には、着実に彼らを破滅させるための数字が積み重なっていく。
「さようなら、私の愛した騎士様」
あの日、メリッサが心の中で告げた静かな決別の言葉が、巨大な刃となって自分たちの首元に突きつけられていることなど、この愚かな二人には、夢にも分かっていなかった。
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