第九話 変わるもの変わらないもの
街に出るのが、少し億劫になっていた。
理由は分かっている。
人が多すぎる。
そして、人が増えるほど、この世界は壊れやすい。
ログアウト不能が公になってから、
この街は“集まる場所”になった。
最初は情報交換。
次は愚痴。
そして今は――発散だ。
掲示板を開けば、
名前も知らない誰かの怒りが流れていく。
「PKされた」
「先に手を出したのは向こう」
「PK狩り募集、即参加できる人」
街の端で、短い悲鳴が上がった。
視線を向けると、
一人のプレイヤーが地面に倒れている。
武器を持った二人が立っていた。
周囲は、誰も近づかない。
ほんの数秒後、
別の集団が現れる。
「PKだ」
誰かが言った。
次の瞬間、
倒れていたプレイヤーのことなど、
誰も気にしなくなった。
正義が、正義を殴りにいく。
残ったのは、
プレイヤーの残滓と、
気まずそうに散っていく野次馬だけだった。
――日常だ。
そう認識してしまった自分に、
軽い吐き気を覚える。
もし、あそこにいたのが俺だったら。
誰も、助けに来なかっただろう。
俺は、それ以上街にいられず、
そのままホームへ戻った。
ルナの顔が見たくて仕方なかった。
木造の小屋。
変わらない配置。
変わらない静けさ。
「おかえり」
ルナの声を聞いた瞬間、
張りつめていたものが、少しだけ緩む。
「ただいま。これ、お土産だ」
「やった! 本だ、ありがとう!」
街でなんとなしに買った本を渡す。
喉の奥に何かが詰まったようで、
それ以上、言葉が出なかった。
夕食の支度をしながら、
外の音に耳を澄ます。
昼間の喧騒が、まだ耳にこびりついている。
武器がぶつかり合う金属音。
罵り合う怒声。
魔法で破壊され、建物が崩れる音。
まるで戦争だ。
戦国時代じゃあるまいし。
だが、違うのは、
それがもう“珍しくない”ということだった。
この世界は、確実に変わり始めている。
そして――
この場所も、いずれ変わる。
いくら俺が強くても、
数の暴力には抗しきれないかもしれない。
そう考えた瞬間、
胸の奥が冷たくなった。
向かいに座って本を読むルナを見る。
お土産の本に夢中で、
こちらの不安など気づきもしない。
ここは、逃げ場だった。
戦わなくていい場所。
選ばなくていい場所。
誰かを傷つけなくていい場所。
それが壊れる未来を、
初めて、はっきり想像してしまった。
俺は決めた。
ここを離れる。
壊れたからじゃない。
壊れる前だからだ。
「引っ越す」
ルナが本を置き、少しだけ目を見開く。
「何かあった?」
「いや。何もない。今はまだな」
――だからこそ、だ。
「でも、街が少し騒がしいからな。
少し距離を取った方がいい」
ルナはしばらく黙ってから、
小さくうなずいた。
「一緒なら、いい」
必要なものだけを、
アイテムボックスへ詰めていく。
荷物は最低限。
一時的に離れるだけだ。
また、ここに戻ってくる。
扉の前で、一度だけ振り返る。
変わらない小屋。
変わらない日常。
それを守るために、
俺は背を向けた。
世界は、壊れ始めている。
そして――
逃げても、完全には逃げ切れない。
それでも今は、
剣を抜かないという選択をする。
この判断が、
正しかったのかどうかは、
きっと、後になって分かる。
――まだ、何も起きていない。
少なくとも、
この選択の結果は。
俺は歩き続ける。
守るために離れるという、
矛盾した決断を抱えたまま。




