後編
「え?」
「国を捨てて逃げだした? いったい、どこへ?」
呆然とする攻略対象者たちの中で、声を出し聞き返したのは騎士団長の息子だ。
「異世界だよ。もうこの世界は魔王に征服されて逃げ場がないと思ったんだろう。聖女を召喚する魔法陣を利用して、主だった王侯貴族は全員城を後にしたぞ。……行先は地球じゃなかったから放っといたがな」
聖女の父は、少し残念そうに笑った。
その表情から、もしも王族たちが地球に逃げていたならば、きっとひどい目に遭わせていたのだろうということがわかる。
私も……笑うしかなかった。
だってそれは、私たちを魔王討伐の旅に送りだしておきながら、国王も他の貴族も、誰ひとり成功するとは思っていなかったということだから。
彼らは私たちを捨て駒にしたのだ。
私たち一行を、国民や周辺諸国へのカモフラージュにし、一生懸命魔王討伐をしていますよと見せかけて、逃げていった。
「ハハ、ハハハ……私たちはいいように利用されたんだな」
「期待すらされていなかったんだ」
力なくうなだれる攻略対象者たち。
「うそだ。うそだ――――」
王子はまだ信じたくないみたい。
「信じたくなければそれでもいいさ。どのみち俺には関係ない。……あ、そうだ。奴ら魔法陣ごと異世界に転移したから、もう召喚魔法は使えないぞ」
さらりと付け加えられた言葉に、耳を疑った。
「魔法陣ごと転移を?」
「ああ。後を追ってこられるのがいやだったんじゃないか? バカな奴らだよな。転移先は魔力がない世界だから、魔法陣なんて持って行ってもなんの役にもたたないのに」
「この世界の人間は、なにをするにも魔力頼みだからな。あいつらが向こうの世界でどれだけ生き延びられるか楽しみだ」
聖女の父は嘲るように顔を歪め、クーリは意地悪そうに口角を上げる。
「あっちの風土病で全滅するに一票。治癒魔法が使えなきゃ一発だろう?」
「その前に、野生の肉食獣に食い殺されるに一票。あそこの野獣の強さは、さっきの魔王より上だぞ」
ふたりは、身も凍るような話を賭けて笑った。
憤るべきなのかもしれないが、とてもそんな気になれない。
きっと私の家族も異世界に逃げだしたはずだから。
彼らにとって、私はもう死んだも同然……生きていたら困る存在なのだ。
――――今さらそんなことに傷ついたりしないわ。
それより問題は召喚の魔法陣が失われてしまったことだった。
先ほど聖女の父が言ったとおり、これでもう異世界から聖女を召喚することはできない。
次に魔王が復活したときに、この世界の人々はどうなってしまうのだろう?
――――どうすることもできないわ。今の私には。
できるとすれば、今から百年後の魔王復活に備えるよう警鐘を鳴らすことくらいだけど……私の言葉をまともに聞いてくれる人なんていないもの。
どう考えても八方塞がりだ。
落ちていくばかりの私の思考とは正反対の明るい声が聞こえた。
「よし、帰るぞクリリン」
聖女の父が、クーリに声をかける。
「そうだな。あまり遅くなるとご主人さまに叱られる」
「……遅くならなくても叱られるだろうな」
「悠愛のためだ。仕方ない」
「だよな!」
勢いよく頷くと聖女の父は、私たちに背を向けた。そのまま消えていきそうだったのだが――――。
「ま、待って! 待ってください!」
それを引き留めたのは王子だった。
「なんだ? まだなにか聞きたいことでもあるのか?」
振り返った男の眉間には、不機嫌そうな縦皺が寄っている。
「あ……いえ、た、ただ、私たちはこれからどうしたらいいのかと」
寄る辺ない子どものような表情で、王子は聖女の父を見た。
「――あ? 好きにすればいいだろう」
返ってきたのは、心底面倒くさそうな声。
「でも!」
「でも、なんだ? おまえたちを魔王から助けるという娘の願いは叶えたんだ。これ以上俺たちがこの世界にいる必要はない」
ぞっとするほど冷たい声が浴びせられた。王子に似た目は、極寒のアイスブルーに染まり私たちを見下してくる。
ゾクリと背中に悪寒が走り、私は動きを凍らせた。
先刻までまみえていた魔王など、問題にならないほどの迫力だ。
「で、でも! このままでは私たちは死んでしまいます。せめて、安全なところまで送ってくれませんか!」
王子が言葉を続けられたのは、それだけ必死だったのだろう。
しかし、どれだけ必死であろうとも、応えてもらえるとは限らない。
「だったら、死ねばいい」
男はあっさり言い捨てた。
「忘れていないか? おまえたちは、俺の娘をないがしろにして泣かせたんだ。本当は魔王を倒すのもいやだったのに、これ以上? 図々しいにもほどがある。絶対お断りだ」
男の言葉はにべもなかった。
「それは! ……私は、私たちは彼女に騙されて!」
そう叫んだ王子が、私を指さす。
胸にズキンと痛みが走って、私は驚いた。
もう、ずっと傷つき続けて痛みもなにも感じなくなったと思ったのに……まだ、私の心は悲しむことができるんだ。
驚きすぎて、なんだか笑いたくなった。
唇が変なふうに歪んでいく。
「だから? たとえ騙されたとしてもおまえたちのしたことに変わりはない。そもそも、聖女が自分たちを救ってくれる存在であることを、おまえたちは知っていたはずだ。それがわかっていてないがしろにした時点で、有罪は確定なんだよ!」
厳しい叱責に、王子は反論できずうなだれた。
「……う、うぅっ」
押し殺したような泣き声が漏れてくる。
「行くぞ」
それには目もくれず、聖女の父はクーリを促した。
「ああ。帰ろう」
クーリも迷いなく頷く。
そして、本当にあっさりとふたりはこの場からいなくなった。
「うっ……うっ……うぅっ」
王子の泣き声につられるように、攻略対象者たちからも泣き声が聞こえてくる。
それが、ひどく滑稽でたまらなかった。
「ハ、アハハ、ハハハハ――――――――」
ついに私は笑いだす。
攻略対象者たちが泣き濡れる中、私はいつまでも笑っていた。
その後、攻略対象者たちがどうなったか、私は知らない。
彼らは私を置き去りにして行ったから。
無事に国に帰ったのか? 道半ばで死んだのか?
たとえ無事に帰れたとしても、そこで待つのは王侯貴族に置き去りにされた国民たちだ。彼らが歓迎されるとは、とても思えないのだけれど。
―――――たとえ魔王を倒した勇者一行だと嘘をついたとしても、受け入れられるかどうかは疑問よね?
人は、権力に固執する生き物だ。今まで王侯貴族に搾取されてきた国民が、せっかく手に入れた権力を脅かす『王子とその取り巻き』などという存在に寛容になれるとは思えない。
―――――そんな権力争いをしている場合ではないのにね。
魔法陣は失われ、この世界はもう聖女を召喚することができなくなった。
それなのに、百年後かどうかはわからないけれど、やがて魔王は確実に復活するのだ。
生きたいならば、人間はそのときに備え力を合わせなければならない。
それをきちんとわかって対策を立てることのできる人が……果たしてどれだけいるのか?
――――まあ、今の私が考えてもどうにもできないことなのだけど。
「せんせい~! 転んじゃったぁ!」
考えこんでいた私の方に、すりむいた肘を押さえながら小さな男の子が駆け寄ってきた。
「またなの? 気をつけなさいって言ったでしょ」
「へへへ」
私に叱られテヘッ笑う彼の手足は、痩せ細っている。
ここは、人の国と魔族の国の境界近くにある小さな村。
山間のいわゆる隠れ里で、百人足らずの住人が住んでいる場所だ。
ここに行き着く者たちは、みんな私のような訳ありばかり。人や魔族に追われ居場所のない者たちが身を寄せ合って暮らしている。
互いの過去を詮索しないこの場所で、私はなんとか生きのびていた。
私の拙い治癒魔法でなんとか傷が治った男の子は、迎えに来た母に連れられ帰っていく。
母親もまた息子と同じくらい痩せていたが、それでも彼らの笑顔は明るかった。
この村に来て、ようやく笑えるようになったのだと親子は話す。
かく言う私も同じだ。
この村に辿り着いた頃の私は、半ば狂い壊れていた。
奇声を発し自分も他人も呪い寄せつけなかった私を、住民たちは辛抱強く癒し傍にいてくれた。
そして、生きる価値なんてないと思いながらも、自殺もできなかった臆病者の私に、村人の治療を任せて生きる目標を与えてくれたのだ。
それ以来私はこの村を終の棲家と定め、生きている。
もちろん隠れ里の暮らしは楽じゃなかった。
あばら屋に住み、日に一回、粗末な食事をすする日々だ。
その一回も最近は子どもたちにあげて、なにも食べない日が多い。
そんな一日を終えた深夜。
私は静かに起きだし戸外に出た。
毎日続けている作業を今夜も行うためだ。
着いた場所は、村はずれの大岩。
そこで私は、ガリガリと岩に文字を彫っている。
刻んでいるのは、ゲームで知った魔王を倒すための知識だった。
聖女を失った未来の勇者一行が、少しでも楽になれるかもしれないもの。
――――これが、本当に役に立つかどうかわからないけれど。
そもそも、こんな辺境の村にある岩に気づく者など誰もいないだろう。
未来の魔王討伐一行が見つけられる可能性はほとんどないと言ってもいいかもしれない。
そう思いながらも、私は手を止めなかった。
せめてこれくらいはしなくてはならないと思うから。
これが、自分の都合でこの世界から聖女を失わせてしまった私の、精一杯の贖罪なのだ。
岩を削る音だけが、夜の荒野に響いていく。
私の命はもう長くないだろう。
短いその間、私は精一杯この作業を続けた。
八十年後――――。
砂に埋もれた辺境の小さな村の遺跡で、文字を刻まれた岩が発掘される。
民主国家ベスラの調査団によって研究されたその文字は、発掘から二十年後に復活した魔王を討伐するのに大きな役割を果たした。
『聖女からの贈り物』と名付けられたその岩が、聖女を陥れた悪魔と伝えられる『悪役令嬢』の遺したものだと知る者は、誰もいない。