第十話
参ったな……。泣き続ける男の子を前に頭を掻く。正直言ってしまうと、お手上げな状態だった。
なんとか元気付けてやりたいところだが。こういうとき、どういう言葉をかけるのが正解なのだろうか?
「ぐすっ。ひっぐ」
「その。元気出せ、よ……。あー、ほら。えっと……」
しゃくり上げて泣く男の子をなんとか慰めようと、口を開く俺ではあったが、気の利いた言葉が出てこない……。
「……良かったらこれ、使ってくれ」
「ひっぐ。あり、がとう。ぐすっ。ございます」
結局、かけるべきうまい言葉を見つけられず。そっとハンカチを差し出すという、申し訳程度の気遣いしかできなかった。
「こういうときは。ほんと、どうしたらいいんだろうな?」
「だから。妾に言われても知らんと言うておるじゃろうに……。まあ、ほうっておけば良いのではないかの」
「……」
「こういうときは落ち着くのを待つのが一番じゃ。あるいは、気の利いた言葉でもかけてやれるのなら別じゃがの」
まあ、そう言われればその通りかも。確かに下手な言葉をかけれは逆効果、状況を悪化させてしまう可能性は否めない。
ちょっと心苦しいが、ここは大人しく……。
「……落ち着くのを待つよ」
「それがよいじゃろう」
待つことに決めた俺は、デスクから椅子を引き出すとベッドの脇に置いて座り、男の子の様子をそっと見守ることに……。
そうしてしばらくすると、男の子も徐々に落ち着きを取り戻す。
「もう。大丈夫かな?」
「はい……。ご迷惑を、おかけしました」
「いや。そんなことはいいんだが……」
頬を掻きつつ、俺は頭を悩ませる。
結局まだ、梓さんの元へもう戻らないでくれるのかどうか、その答えをしっかりとは聞いていないんだよなぁ……。
こういうことは、きちんと確認を取っておきたいという思いがある。しかし、それでまた男の子が泣き出したりしても困る。
うーん。でも、きちんと確認しないことにはやっぱり……。仕方ない。
「あー。それで、言いにくいんだけど――」
「大丈夫です。ご迷惑はおかけしません」
遠慮がちに切り出した俺の言葉を、言いたいことはわかっているとばかりに遮った男の子。さらに続ける。
「本当は僕も、気付いていたんです。いつの間にかゴミ捨て場にいたときに。捨てられたって、気付いていたんです」
「……」
弱弱しい口調で話す男の子の顔は、くしゃっと歪んでおり、俺は言葉を失う。
「でも。お姉さんは僕を買ったとき、とても嬉しそうだったから……。だから、捨てられたとは信じたくなくて……」
男の子の目尻から涙が溢れそうに。
「馬鹿ですよね。捨てられたと決まっているのに……。落としちゃっただけだと、自分に言い聞かせて、お姉さんの所に戻るなんて……」
ぽろぽろと男の子の頬を涙がつたう。
「そんなの迷惑をかけるだけだと、わかっていたのに……。お姉さんを不安に、怖がらせるだけだと、わかってたのに……」
ぽたぽたと布団に落ちる雫。
「君は……。それだけ梓さんのことが好きだったんだね……」
「はい……。だけど、もうお姉さんの所には戻りません。もう皆さんに、ご迷惑は、おかけしません」
ハンカチで目元の涙を拭いながら、力強く宣言する男の子。
な、なんという後味の悪さだ。まさかこんな展開になるとは、まったくもって思ってもみなかった。
だってつくも神がこんな……、こんな男の子だなんて。そんなの予想できるわけないじゃないか……。
ああもう、罪悪感が……。
この子が梓さんに捨てられることになったのは、俺がいろいろと騒ぎ立てたことがきっかけだろう。
そう考えるとやはり、このまま男の子を放置するなんてことはさすがに……。俺にはできそうにない。
「なあ。君はこれからどうするつもりなのかな?」
「……えっと。まだなんにも考えてなくて……」
「そうか……」
何も考えていないのか。となればやはりここは……。
「ならさ。良かったらだけど。俺に、君の新しい持ち主を探す手伝いを、させてくれないかな?」
俺のせいでこの子は居場所を失ってしまったのだ。だからせめて、新しい居場所を探す手伝いをしたい。
「えっ?」
ぽかんと驚いた顔をする男の子。
「やれやれ、お主はまた。ほうっておけばよいものを」
ひどく呆れた様子をみせる照子。
「君の話を聞いたら、なんだかほうっておけなくなってさ」
「で、でも。迷惑をかけるわけには」
「そんな迷惑だなんて。君の持ち主を探すことぐらい、わけはないさ。だから是非お手伝いさせて欲しい」
「だけど――」
「それで! ええっと……。何か希望が……、持ち主に求める条件みたいなものってあったりするのかな?」
なんだか断られそうだったので、強引に話を進め、なし崩しを狙う。
「そ、そんな。条件だなんて。大事に使ってくれる人なら誰でも……」
「大事に使ってくれる人なら、特にこだわりはないんだね?」
「はい」
「そうか。だったら、案外簡単に見つかるよ」
狙い通り。いい感じに、俺が手伝う方向で話が進んでいる。
「そ、そうでしょうか?」
「もちろん。すでにいくつか候補地が浮かんだよ。というか、なんだったら家でもいいくらいなんだけど。どうかな?」
「こ、ここですか!」
「そうここ。俺が持ち主になる。なかなか良い物件だと思うよ? 家なら多少動き回っても大丈夫だし。どうかな?」
家に来てくれると非常に助かる。妖怪が見え、理解がある俺の傍にこの子を置いておいたほうが、どこにも迷惑がかからないからだ。
もし家が駄目となると、次の候補地は佐々木さんの所だが、妖怪憑きの手鏡を押し付けるのは抵抗があるし……。
いや、無害なのもわかっていて。佐々木さんなら喜んで受け取ってくれたうえで、大事に扱ってくれそうだとは思うけど。
「でもその、あの……。ここには神様もいらっしゃいますし。……僕なんかがいても、いいんでしょうか?」
なぜか、照子に向かってお伺いを立てる男の子。いやいや、照子はただの居候で、家主は俺だからな。
「大丈夫じゃ。妾は見かけ通り寛大じゃからの。お主一人が増えたところで、気にしたりはせん」
「いやだから。家主は俺だからな」
偉そうな照子の頭に、思わずチョップを入れた。
というかおまえ、見た目通りって……。照子、おまえは中身も見た目も、まったく寛大って感じではないからな?
一人居候が増えたところで気にしないのは、寛大というより無関心だからで。見た目に関しては言わずもがなである。
「おい幸一。なぜ叩いた?」
「居候のくせに偉そうにしたからだ。……こいつも君と同じで居候だから、こいつのことは気にしなくていいよ」
抗議する照子を適当にあしらいつつ、男の子に言った。
「お主……。前々からずっとそうではあったが。最近、益々妾の扱いが雑にはなっていないかの」
「そうだったか?」
最初からこんなものだったと思うが……。
「今更言うまでもないがの。妾は神じゃぞ。それなのにこの扱い……。もっと敬意を払わんか!」
「いや。そうは言ってもな。だったら、もっと神様らしくしてくれよ」
日頃の行いを見ていると、とても敬意なんて抱けそうにない。
「なっ。妾が神らしくないと、そう言いたいのか!」
「ノーコメントだ。というか、ちょっと黙っていてくれないか? この子が困っているだろ」
「えっと……。お二人は、仲が良いのですね」
別に話を振ったわけではないのだが、反応した男の子。今のやり取りのとこが仲良さそうに見えたのか……。
「まあ、別に悪くはないな。それでえっと、家に来てくれるか?」
「その……。ご迷惑――」
「おい幸一! 妾のどこが神らしくないと言うのじゃ?」
「ああもう。今大事なところなのがわからないのかよ!」
「むっ! 風ちゃん、何を。雷ちゃんまで! むぐっ」
「おー。二人ともサンキュー。そのままもうしばらく頼む」
俺の意を汲んでくれたらしい風ちゃんと雷ちゃんが、被さるように照子に襲い掛かり、照子の口を塞いでくれた。
「えっと……」
「後ろは気にするな」
「もがもがもが」
「だ、大丈夫なのですか?」
部屋の隅でばたばたと、風ちゃんと雷ちゃんと戯れる照子のことが気になっている様子の男の子。
「気にするな」
「でも……」
「気にするな」
「わ、わかりました」
強引に話を進めると、なんとか納得してくれる男の子。それでもまだ、ちらちらと照子たちを見てはいる。
「それで。さっきの話の続きだが、迷惑だなんてことはまったくない。だから遠慮せずに家に来てくれると嬉しい」
「本当に、いいんですか?」
「ああ。歓迎する」
「えっと……。じゃあ。その、よろ――」
「えっ?」
ええっ! ちょっと! いったい何が? 肝心なところで男の子の姿が、元の手鏡に戻ってしまったぞ!
「おい照子!」
「もがもがもが」
「あー。二人とも放してやってくれ」
俺がそう言うと、風ちゃんと雷ちゃんが照子を開放する。
「……ぷはっ。まったくひどいのじゃ。妾は主なのじゃぞ」
「照子。つくも神が手鏡に戻ったんだが……」
「みたいじゃな。どうやら妾が分けてやった力が尽きたようじゃ」
「そうなのか……」
「うむ。少量しか力を分けてやらんかったからの」
「もう一度力を分けることは可能か?」
「無論。可能じゃ」
「そうか。だったら頼む」
男の子がなんと答えようとしたか、凡そ見当は付いているが、答えを確認しないことには絶対はない。
あの会話の流れならば、十中八九家に来ることを拒まれはしないと思うが、万が一ということもある。
「ふっふっふっ」
「照子?」
「のう幸一。それは少し虫が良過ぎるのではないかの? 妾はそう都合の良い神では、決してないのじゃぞ?」
勝ち誇ったような口調で話す照子を見て、そうきたかと思う。これは困ったことになってしまった。
どうやら、先ほど照子をぞんざいに扱ったことに対するツケが、早くも回ってきてしまったようだ。
「えーっと。さっきは悪かったよ。おまえは素晴らしい神様だ。だからどうか俺のお願いを叶えてくれないか?」
「ふーむ。どうしようかのう……」
ちらちらとこっちを見る照子。言外に見返りを要求しているようだ。
「まあ。言いたいことはわかるけどさ。知っての通り、俺のお財布事情はあんまり明るくないわけで……」
照子にケーキを買うために前借したせいで少なかった今月のお小遣いが、学園祭で早くも大打撃を受けたことを、忘れたわけではあるまい。
「あー。そういえばそうじゃったか……」
「というか。学園祭で飲み食いした分とか、今日食ったプリンの分とかを考えれば、無償で協力すべきじゃないか?」
「うーむ。仕方ない。ならば夕食のおかず増量で手を打とう」
「いや。仕方ないなら無償でやってくれよ。まあ、いいけどさ。じゃあ、それで手を打つから、さっさとやってくれ」
「うむ。では――」
照子が動こうとしたとき、勢いよく部屋の扉が開く。
「お兄ちゃん。いる?」
「おい恵美。だからノックをだな」
「まあまあ、別にいいじゃん」
俺の言葉を軽く流し、無遠慮に部屋の中に入ってくる恵美。
「何か用か?」
「うーん。カッターを借りに来たんだけど……」
そんなことを言いながら恵美は、俺の背後にあるデスクの引き出しを勝手に開け、ごそごそと中を漁り出した。
「おい。勝手に漁るなよ。カッターなら筆箱だ。というか、おまえ。自分のカッターがちゃんとあるだろ?」
立ち上がり、入り口付近に置いたままだったカバンの中から筆箱を探し当てると、中からカッターナイフを取り出す。
「なんか切れ味悪くてさ。……あれ? お兄ちゃん、こんなの持っていたっけ?」
「何がだ?」
「これこれ。この手鏡」
「だから。勝手にあれこれ触るなよ」
振り返ると、ベッドの上に置かれていたつくも神憑きの手鏡を、恵美が持っていたので取り返そうと手を伸ばす。
「あっ。おい……」
「どうしたのこれ? 綺麗な手鏡だね」
手鏡に伸ばされた俺の右手を、ひょいっと軽やかな動きで避ける恵美。まじまじと手鏡を観察している。
「もらったんだよ」
「へぇー」
「ほら。カッター貸してやるから。それ置いてさっさと出てけよ」
「ねぇ。これ私に頂戴! お兄ちゃん、手鏡なんて使わないでしょ?」
「いやまあ、確かに使わないが」
「でしょ! じゃあ、もらっていいよね?」
「待て。その手鏡は――」
「やったー! ありがと!」
「おい……」
俺の答えを聞かずに、強引に手鏡を持っていく恵美。すれ違いざまに、ちゃっかりカッターナイフも奪い。
そのままさっさと部屋を出て行った。
「なあ照子。あれ、大丈夫かな?」
「まあ。大丈夫ではないかの」
「そうか……」
俺の知る限り、恵美は物を粗末に扱うタイプでないから良いかな?
つくも神のほうも、家に来てくれることに対しては肯定的な様子だった。だからまあ、なんとかなるだろう。
仮になんとかならなくても、そのときはこっそり手鏡を回収すれば良いし。しばらく様子を見ることにしよう。
普通に返せと言っても、あの様子じゃあたぶん無駄だからな。
「はぁー。とりあえず。夕食はいつも通りの量な」
「まあ。そうじゃろうな」




