21.彼らの飛空船で(3) ※旧「20.彼らの飛空船で(2)」を一部改稿
2017.2.7 一部改稿
──先代マイアが交わした約束。
エアはあごを引いて青年を見た。
そうだ。そもそもの発端──彼らが《女神の庭》に乗りこんできたのは、これが目的だったのだったか。
「……何度も言うけど、わたし、先代が何を約束したのか知らないの」
女神廟の階段で青年が怒りだしたことを思い出し、エアはやや身構えながら言った。
「本当だよ。知らないふりをしてるわけじゃないの」
はあぁっ!? と青年の後ろで声があがる。少年と若者が目をむいている。
「何だよ、それ!?」
「どういうことだ?」
青年が顔をしかめて仲間をにらむ。
「うるさいなあ。やっと本題に入ったんだから、ちょっと黙ってろよ」
「そうはいくか。当のマイアが約束を覚えてないんじゃ、はなしにならないだろうが。そもそも、なんで覚えてないんだ。マイアには、歴代のマイアたちの記憶があるんじゃないのか?」
若者がじろりとエアを見る。
「あんた、本当にマイアなのか?」
剣呑な視線に、エアは身をかたくした。
神力と同様に、当代マイアが歴代の記憶をもっていないなどと、彼らに知られるのはまずい。
一瞬緊張し、けれどふと気づいた。考えてみれば、彼らにエアがマイアだと信じてもらう必要はまったくないのだ。
それに気づくと、強烈に反発する気持ちがこみあげてきた。
「疑うなら、お好きにどうぞ。とにかく、知らないものは知らないよ」
あごを上げて若者たちをにらみまわす。
「はずみでついて来ちゃったけど、わたし、あなたたちと一緒に逃げるつもりなんてなかったの。まぎらわしいことして、悪かったわ。手当してくれたことにも、お礼を言います。だけど、用がないなら、早く帰らせてほしいんだけど」
「あー、待ってまって。怒らないで」
寝台から立ち上がろうとしたエアを、手のひらを広げておしとどめ、青年が若者を小突いた。
「……ったく、ジョット。怒らせてどうするんだよ。これから頼み事しようって相手を」
「俺は思ったことを言っただけだ。それより、先代の約束を覚えてないって──」
「はいはい、落ち着けって」
目をいからせている若者と少年に、青年がひらひらと手をふる。
「最初に聞いたときは、俺もびっくりしたけどさ。べつに大した問題じゃないだろ。覚えてないなら、俺たちが説明して、あらためて知ってもらえばいい」
「しかし……」
「べつに約束を覚えてなくたって、かまわないさ。俺たちにとって大事なのは、当代のマイアに、先代が約束した事柄を確実に実行してもらうことなんだから。だろ?」
こともなげに言った青年に、若者が苦い顔でうなる。その間で、少年が困惑したように二人を交互に見上げている。
青年たちを見回して、エアはちょっとため息をついた。
ひととおりはなしを聞かないことには帰してもらえそうにないが、先ほどからどうにも進まない。いったい、マイアに──エアに、何を要求するつもりなのか。
「……約束って、何? あなたたち、わたしに何をさせようって言うの?」
青年たちが、ちらりと視線を交わしあう。
「神水と神苗の分与」
「え?」
きょとんとするエアに、青年が繰り返す。
「《神護院》が秘蔵している神水と神苗だよ。君には、先代のマイア・ルドゥーテの約束に従って、神水と神苗を隊商連に分けてほしいんだ。俺たちは、隊商連の総意を受けて、これをマイアに請願するために来たんだよ」
神水と神苗――はるかな昔、女神マイアが神々の庭からもたらしたと伝わる、《神護院》の霊宝である。
この水と苗が本当に女神の時代から伝わるものなのか、その真偽は定かでない。けれど、その呼称にふさわしいだけの不思議な力があることは確かだった。
神水は地面に注げば豊かな水源を生み出し、神苗はそれを植えた後の土地をほかの植物をよく育む肥沃土に変えるのだ。
「隊商連って……?」
「隊商交易を生業にしている商人の連合だよ。まっとうな商いをしている隊商は、たいてい属してる。もちろん俺たちも」
(……まっとう?)
思わず、まじまじと青年を見てしまう。
「あ、なんだよ、その目。すっげーまともだろ。まじめで紳士的。おまけにイイ男」
「……つまり、隊商の集合体ってことね?」
この青年たちのような商人の集団というわけだ。そんな集団に、《神護院》の霊宝を分け与えろと?
「承知できるわけないよ、そんなこと」
エアは呆れて首をふった。
「神水も神苔も、軽々に扱っていい代物じゃないの。使いどころを誤れば、水や耕地をめぐる争いを引き起こすことにだってなりかねないんだから。《神護院》以外の手にゆだねるなんて、とんでもないよ」
「どうしてさ。そんなことないだろ。あちこちの国が《神護院》から神水と神苗を分与してもらってるじゃないか。その分与の対象に、隊商連も加えてくれって言ってるだけだよ」
たしかに《神護院》では四年に一度、友好国の代表を招いて、神水と神苗を分与している。けれどそれは、そうすべき理由があってのことだ。
「それは、水や耕地を必要としている人たちのもとへ、女神の恩恵を漏れなく届けるためだよ。各国の統治機構を使うのが、いちばん効率的で確実だから。そのかわり、各国の水源や耕地の分布状況は逐一監視してるよ。分配に偏りがあれば、指導もしてるわ。《神護院》は、そのために存在してるようなものなんだから」
《神護院》にとって、神水と神苗は女神マイアの意思そのものだった。これらを守り、またこれらを使って地上に水と緑を広げることは、《神護院》が自らに課している最も重要な使命である。
「先代のマイアが、このことを理解していなかったとは思えないよ。本当にマイアがそんな約束をしたの? ちょっと考えられないんだけど……。それに──」
エアはちょっとためらった。青年たちをうかがい、思い切って続ける。
「もし、本当にマイア・ルドゥーテがそんな約束をしていたのだとしても、わたしは賛同できないわ。悪いけど、あなたたちの要求に沿うことはできないよ」
エアが口を閉じると、つかの間沈黙が落ちた。
青年が額をおおってため息をつく。
「あー……、やっぱすんなりとはいかないか」
「まあ、予想の範囲内の反応だな」
「んー、簡単に承知してもらえるとは思ってなかったから、いいけどね」
エアは眉をよせた。
どうやら彼らは、要求を諦めるつもりはないらしい。どれだけでたらめなことを言っているのか、わかっていないのだろうか。
「……だいたい、隊商が神水や神苗を手に入れて、どう使うつもり? 言っておくけど、仮に分与が許されたとしても、商品になんてできないよ。そんな使い方、《神護院》が許すわけないもの。そもそも一時に分けられる量には限りがあるし……」
「わかってるよ。神水や神苗を直接商おうなんて、思ってないって」
青年がかるく身をのりだす。
「俺たちが商品に加えたいのは、水と農作物──特に水だよ。今はどこの隊商も、水や農作物はほとんど扱ってないんだ」
首をかしげるエアに、若者が言い足す。
「どちらも足が早くて、扱いづらいからな。何より、儲けが少ない。多くの水源は国や《神護院》に抑えられていて、隊商が使おうとすると高額の使用料がとられるし、農作物にしても、隊商が買い付ける場合は、どこでも高額の税金を取られる仕組みになってるから」
「だけど、需要がないわけじゃないんだよ。むしろ切望されてる。辺境は、どこでも水も食糧も慢性的に不足してるから。もし、隊商が神水と神苗を得て、自由に使える水源と耕地を作ることができれば、そうした地域に今よりもたくさんの隊商が、広く安価に水や農作物を提供することができるようになるんだ」
「なっ──、あなたたち、神水と神苗から得た恵みを金儲けの道具にするつもり?」
エアは眉を吊り上げた。
「ダメだよ。神水や神苔苗を商品にするのと同じくらい悪いわ。そんな目的のためになんて使わせられない。絶対にわたせないよ」
とたんに、三人分のため息が流れた。
落胆というより、呆れられたような気配に、エアはたじろいだ。
「な、何……?」
「あのねえ……、そう言うけど、神水と神苗を金儲けに使いまくってるのは《神護院》だろ」
は? とまばたいたエアに、青年がやや意地の悪い目つきになる。
「神水や神苗と引き替えに貢物を巻き上げるのは、金儲けに使ってるって言わないんですかね? 現に、今日び各国に分与される神水と神苗の量は、《神護院》に寄付をどれだけ積んだかで決まるだろ」
「ちょっ、何言ってるの!?」
エアは思わず声を上げた。
「そんなわけないでしょう。いいかげんなこと言わないで。各国に配る神水と神苗の量は、各地の天候や人々の暮らしぶりについての事前の調査に基づいて、神使が慎重に検討して──」
「さらに言わせてもらうと、さっき君は《神護院》が、各国における神水と神苗の運用を管理してるって言ったけど、もうずいぶん長いこと、神使による監視も指導もまともに機能していないよね。神使による巡見は、今や貢納の回収がいちばんの目的だ」
「そんなことないよ!」
エアは寝台から飛び下りた。瞳を燃やして、青年をにらみつける。
「言いがかりはやめて。……そういえば、あなた、前にも同じようなことを言ってたわね。いったい、何を根拠にそんなことを──」
「証拠かい? 今の地上の状況を見てごらんよ。辺境はどこもやせた土地とわずかな水で、ぎりぎりの生活を強いられてるうえ、水源や耕地をめぐる紛争も年々増えてる。それにもかかわらず、《神護院》は蓄財に夢中で、何ら手を打とうとしていない。……まあ、緑いっぱいの庭の奥で、大事に守られてきた女神さまは知らないかもしれないけど」
「そんなこと……」
言いかけて、エアは言葉を途切らせた
脳裏をよぎったのは、数日前に見た地上の景色だった。
乾いた空気のただよう埃っぽい町並。赤茶けた小さな家々──
青年が行儀悪く組んだ足の上に頬杖をついて、エアを斜めに見やる。
「先代のマイアは、そういう地上の状況や、《神護院》の腐敗っぷりに気づいてたみたいだよ。緑の庭の奥でかしずかれながら、外で何が起きているかが見えていた。少なくとも、君よりはずっとね。だから、隊商連の嘆願に応じることを約束したんだ」
エアはくちびるをかんだ。
混乱と憤りと不安が入り混じり、頭がくらくらする。
それに、悔しい。数日前に会ったばかりの、神使ですらない相手に、エアのことも、《神護院》のことも、こんな言われ方をするなんて。
気持ちを抑えてかるく息を吸いこみ、口を開く。
「……あなたたちの言い分はわかったわ。だけど、やっぱり納得できない。というより、たちの悪い中傷にしか聞こえない。どれひとつ本当のことだとは思えないよ。先代マイアの約束にしたって、実際のところ、あなたたちだって伝聞で知ってるだけじゃない」
「それなら、俺たちと一緒に来る?」
木箱から腰を上げて、青年がエアをのぞきこむ。
「隊商連の総会が、十日後にエラトリア砂漠で予定されてるんだ。十五年前、先代マイアとの交渉にあたった奴らも来るはずだから、当時の詳しいいきさつを直接きけばいい。先代マイアから送られた証文も、原本を見せてあげられるよ。ついでにあちこち回って、《神護院》の怠慢ぶりと、それがどんな状況を引き起こしているかも見せてあげる」
とっさにエアは返答につまった。
このまま彼らと一緒に行く? 《女神の庭》へ戻らずに──?
少女のためらいを見透かしたように、青年が口もとに薄く笑みをはく。
「それとも、怖い? 清廉だと信じてた《神護院》の本当の姿を知るのは?」
「──っ、そんなことないよっ!」
エアはきっとなって言った。
「いいわ、わかった。あなたたちと一緒に行くよ」
おい……、と、若者が見かねたように口をはさんだ。
「本当にいいのか? 無理やり連れて行くつもりはないんだぞ?」
「いいえ。これだけ《神護院》を悪しざまに言われて、引き下がるわけにいかないよ。あなたたちの言うことが正しいって言うなら、証拠を見せて」
「やった、そうこなくっちゃ」
青年が指を鳴らして、仲間たちの肩を叩いてまわる。
あまりに得意げな青年の様子がしゃくにさわり、「ただし──」とエアは言い足した。
「その総会とやらが終わったら、わたしは《女神の庭》に帰らせてもらいますからね」
「わかったよ。そのときは、俺が責任をもって、無事に帰りつけるように手配する」
青年が満面の笑みをエアにむける。
「それじゃ、あらためて。これからしばらくの間、よろしく。俺はバーム。こっちはジョットとクレイン」
いつの間にか青年の足元によってきていた銀灰色の猫が、存在を主張するように短く鳴いた。
「っと、はいはい、おまえのことも忘れてないよ。こいつはシロメ。ーーえっと、マイア・エウファ……」
「エウフェミア。……エアでいいわ」
そう言って、エアは口もとを引きしめた。
青年の挑発にのせられたことには気づいていた。
けれど、これだけのことを聞いて、このまま《女神の庭》へ帰ることはできない。
それに正直なところ、帰るのが怖い気もしていた。
ラベル、スワニー、そして神使長と神兵たち──
《女神の庭》へ帰ったとき、彼らがエアをどのように迎えるのか、想像がつかない。
彼らのとった行動についても、どう理解したらよいかわからなかった。
帰るつもりではいるけれど、今は少しだけ、頭の中を整理して心の準備をする時間がほしい。
最後に風の中で聞いた、ラベルとスワニーの声が耳によみがえる。
このまま何日もエアが帰らなければ、二人は心配するだろうか。
(ごめんなさい。……だけど、ちょっとの間だけ、わがままを許して)
必ず帰るから、少しの間だけ、勝手を許してほしい。
エアは祈るように、遠く空のむこうにいる人たちに願った。
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