1-3
都合により、三部あげさせてもらいます。
俺はいま、自分のクラスで席についている。果たし状は既に司の机の中に入れてきた。今朝方までかかったので眠くて眠くてしょうがないが、やけに目が覚めてしまって気が張り詰めてしまっている。貧乏ゆすりが無意識のうちに出てしまってみっともない。
「炎燈寺くん、落ち着きなさいな。皆が登校してくるまであと1時間はあるわ。少し眠ったらどう? 私が起こしてあげるわ」
夏瀬くんがそう言ってくれるが、この精神状態では眠れそうはない。それより彼女と話して気を逸らしているほうが楽だ。
「それより夏瀬くん、悪かったな。まさか俺の家に迎えに来てくれるとは思わなかったぜ」
俺の前の席に座ってこちらを向いている夏瀬くんが心外そうな顔をした。
「あら? 迷惑だったかしら。炎燈寺くんは普段は完璧ですが藤堂くんたちが絡むと途端にダメダメになるから不安になっただけですわ」
「普段の俺が完璧……? それは夏瀬くんの勘違いだぜ? 俺だって人間だ。100m走で16秒切れないし、八カ国語しか話せない。まだまだ未熟だぜ?」
「それであなたは未熟と申しますのっ? 謝りなさい、全世界の学生諸君に!!」
夏瀬くんがポカポカと俺の頭を叩いてくる。痛くも何ともないのでそのままにしておく。
「しかし10年以上、血反吐が出るくらい努力していればそのくらいには誰でもなれるぜ? 夏瀬くんだって学年でトップの成績だろう? 君も君なりに全力で努力してるはずだ」
その言葉に「ぐっ!」と変な声を上げると、夏瀬くんは息を吐き出しながら
「……適いませんわ、炎燈寺くんには。そんなこと言われたら何も言えませんもの」
と、答えた。俺は何か悪いことを言ったのだろうか。夏瀬くんは、彼女なりに頑張っているのを俺は知っている。俺は人には頑張れる”容量”があることを知っている。俺はその”容量”が人一倍大きいだけだ。俺はそれをいっぱいいっぱいに使っているし、夏瀬くんも”容量”ギリギリまで頑張っている。成し遂げていることの大きさが重要なのではない、どれだけ自分を引き出しているかが重要なのだ、と俺は思っている。
(司は全く自分を引き出していないがな……!)
清十郎も晃も彼らなりに己に鞭を打っている。俺はそれを知っているから彼らが愛しいし、気に入っている。しかし司は努力らしい努力をしていない。その”容量”は俺のモノより遥かに大きいのにも関わらず、だ。それでも司は都合良くその自己の限界というのだろうか、”火事場の馬鹿力”とでも言うべきだろうか、本当なら努力しなければ到れない高みへと瞬間的に自己を持っていくことが出来るのだ。それも”主人公補正”というものが引き起こす現象だろう。
そのせいか、俺は漫画やアニメでよく登場する”眠れし本当の力”とかいうモノが大嫌いになった。
「ま、頑張っている人間というのは見れば分かるもんだぜ? 夏瀬くんはそれを誇るべきだ。俺が保証するぜ!」
「……なんか、良いこと言った感じにして騙そうとしてるのが手に取るように分かりますが、そういうことにしておきましょうか。それより、手紙の内容はどのように?」
当然、訊かれるだろうと思っていた俺は、スラスラと答えた。
「”汝、我が怨敵なり。汝を憎悪すること幾星霜。今日こそ憎き汝が胸に我が牙を突きたて、地に組み伏せん。炎燈寺仁”だ! 勿論、放課後に屋上に来る旨も書いてあるぜ!!」
最初は普通の手紙を書いていたのだが、何度も何度も書き直しているうちにどんどん短くなり、最終的にこんな形になってしまった。司に伝えたいことはいくらでもあるが、それは手紙ではなく、自分の口で言いたかった。
「……まぁ、手紙は呼び出す口実ですものね。言うべき事は直接言えば良いでしょうし、問題ないですわ。しかし、まさかそんな文章を書くなんて……ふふっ、今のご時世、そんな手紙は無いでしょうに……ふふふっ!」
夏瀬くんがそう言って笑う。釣られて俺も笑ってしまう。彼らがいれば本当にどんな願いも叶うような気がしてくる。勇気付けられる。その後、俺は夏瀬くんと、清十郎が教室に入ってくるまで下らない大切なお喋りを続けた。
時間はあっという間に流れ、もう放課後だ。司には屋上に来るように手紙で伝えてある。司が来ようが来まいが、俺は一足早く行って待つべきだろう。そのためには――
「……とっととこの宿題たちを始末するぜ! いくら何でも相手を待たせるのは失礼だからな!!」
宿題を終わらせなければならない。習慣は大切だ。それも自分が決めて始めたものなら尚更、だ。一度の甘えが今後のミスに繋がる。出来ることならば屋上に来てもらう時間も部活動の後にしてもらいたかったが、司は帰宅部だ。そこまで待たせるのも悪い。迅速に行動し、部活動が始まるまでには済ませなければ!
「清十郎、仁は――って、君はまだ教室にいたのかっ!? 早く屋上に行ったらどうだ!?」
晃が教室に入ってきたようだ。気配で夏瀬くんも一緒なのが分かる。だが、顔を上げるわけにはいかない。今やっとプリントが一枚終わったところだ。あとはこのページの英文を日本語に訳しておけば……。
「大将が『ルールは破れないぜ!』とか言って聞く耳持ってくれねェんだよ……。頑固だから動かざること山の如しだ……」
あの清十郎が疲れたような声色をしている。そんなに俺の行動は間違っているのだろうか? あ、全部終わった。
「心配無用だ清十郎っ! 既に宿題は俺の前に跪いたぜ!!」
親指を立てて、任務完了をアピールする。しかし、夏瀬くんにその指を下に向けられてしまった。
「あ・な・た・はっ! 何をしてるの!? 早く行きなさいなっ!!」
耳元で叫ばれ、キーンと耳鳴りがして思わず手で押さえてしまう。見ると晃も怒っているようだ。友人同士で悪いことは悪いと言い合える仲、本当に素晴らしいことだと思う。
「『友達の間でちゃんと叱り合えるのは素晴らしいぜっ!』みたいな顔をしてないで、早く行ったらどうだい? いや本当にね……」
これ以上ここにいると何か碌でもない目に遭いそうだ。俺の鍛え抜かれた感覚がそう告げてきた。はやいとこ、逃げよう。
「じゃ、じゃあ俺は行ってくるぜっ!? すぐに帰ってくるから部室で落ち合おう! さらばだーっ!!」
俺は急いで鞄を掴み、教室から出た。無論、走らない。あくまで競歩だ。焦らず落ち着いてゆっくり急ごう。
「司、首を洗って待っていろ……!」
階段で太ももを機関車のピストンのように動かしながら俺は呟いた。
「大丈夫かね、炎燈寺の大将……不安だぜッ」
仁のいなくなった教室に、三人は準備を始めていた。清十郎は腕を組んで顔を顰めている。
「その足りないところを補うのが私たちの仕事ですわ、竈門くん。あなた、今日の部活動はどうしますの?」
緋織に訊ねられた清十郎は「ハッハー! 今日の俺はボランティア部だぜェ!」と答える。
「どちらにしろ、僕らも行動開始だ。屋上が監視できるのは第二教室棟の天文台だね。早く行こう」
「えぇ、鍵は私がもう手に入れています。炎燈寺くんの競歩は私たちの全力疾走以上ですわよっ!」
三人は教室を出て、大急ぎで天文台へ向かう。最初こそ早歩きだったが緋織が途中で走り始めたので、二人もそれに追従する形で走り始めた。
「おいおいおいッ!? 会長が走って良いのかよ!? それに天文台から大将の声が聞こえるとでも思ってんのかよォーッ!?」
清十郎の疑問に、二人は何でもないように答える。
「生徒会長権限です! 私にとって校則より大切なものなど炎燈寺くんしかありませんわ!!」
「読唇術ぐらいながら僕にも出来る。そのために双眼鏡も持ってきたしね」
緋織は叫ぶように、晃は独り言のように。その言葉を聞いて清十郎は、
「俺はお前らが少し怖いぜ……!」
その言葉に晃は「君も周りから見たら立派な僕らの一員だよ」と返し、清十郎はまたも顔を顰めることとなった。
俺はいま、階段を昇っている。もう少ししたら見えるであろう扉を開けたら、そこには司がいるはずだ。何故かこみ上げてくる吐き気をグッと飲み込み、下を向いていた顔を上げて口を真一文字に閉じる。
(大丈夫だ……。俺はやれる、やれるんだ……!)
晃がいる。夏瀬くんがいる。清十郎がいる。そう思うと前に進める。自分を鼓舞するように足を踏み鳴らし、階段を昇りきった。
「っしゃあ! 行くぜ!!」
目の前にある扉を思い切り開ける。暗い通路に春の日差しが差し込み、目を眩ませる。コンクリートが敷き詰められた屋上には――
三人が天文台に到着し、カーテンを開け放って屋上を見たときには、既に仁が姿を現していた。
「まだ仁も来たばかりみたいだね。いや、間に合って良か……っ!?」
窓から顔を出して双眼鏡を覗いていた晃が、絶句した。その様子に、
「どうしたの煙崎くん!? 私にも見せなさないな!!」
「何だ何だッ!? まさかリンチじゃねェだろうなァッ!?」
他の二人が慌てふためいた。晃はどうにか、言葉を紡いだ。
「藤堂がいない……! あそこに、あそこに居るのは橘だっ!」
彼の言う通り、屋上のフェンスに寄りかかっていたのは――橘美衣だった。
俺はいま、何処に居て何をしているのだろう。自分の鼓動がやけに大きく聞こえる。風が轟々と吹き抜ける。ネクタイがはためく。何だろう、やけに世界が静かだ。
「――仁くん、仁くんだよね。この手紙書いたの」
美衣ちゃんが伏し目がちなまま、手紙をポケットから取り出した。その大きく筆で”果たし状”と書いてあるのは確かに俺が書いたものだ。しかし、何故美衣ちゃんが――
「アタシね、仁くんとはお友達だと思ってたのに……。最近、違うお友達と一緒にいるけど、ずっと仲の良い幼馴染だと思ってたのに……」
美衣ちゃんの声がやけに震えている。風がうるさい。くそ、うるさいぞ。
「ち、違うんだ美衣ちゃん!! その手紙は司に……!」
俺の言葉は届いていないのか、美衣ちゃんはそのまま話を続ける。
「そんなにアタシのこと嫌いだったの? アタシが何か悪いことした? 言ってくれれば良かったのに。ひどいよ、だからってこんな手紙……!」
美衣ちゃんがボロボロ泣き始めた。あぁ、違うんだ。俺はそんな、なんだって、こんな……。
ついに膝から崩れてしゃくりを上げ始めた美衣ちゃんに俺が近づこうとしたとき――
「――美衣? ここにいるのか? ……おい、仁。お前、美衣に何したんだっ!?」
司が現れた。俺はそのとき、どんな顔をしていたのだろう。驚愕? 恐怖? いや、どれでもないはずだ。きっとアレは”絶望”と呼ばれるヤツだ。
「…………」
俺は何も答えない。心にポッカリと穴が開いてしまったように、何も感じない。心が麻痺してしまったようだ。弁解をするべきなのだろう、なのに俺は何も出来なかった。ただ、美衣ちゃんの傍で突っ立ているだけだった。
「おい! 仁、答えろよッ!! 美衣に何したかって聞いてんだよ!」
司が俺に詰め寄ってきて、そのまま襟首を掴み、フェンスに叩きつけてきた。いつものヤル気のない澱んだ目じゃない、怒りに燃えた目で俺を睨みつけてくる。
「おらッ! 何とか言えよ!?」
「司くん、違うの……! アタシが悪いの!!」
美衣ちゃんが立ち上がって司の腕にしがみ付く。俺はその光景を、感情の灯らない目でジッと見ていた。
司が美衣ちゃんの握っていた手紙に気付いた。
「何だそれ……。美衣、見せろ!!」
司は握られていた手紙を奪い、読み始めた。美衣ちゃんは「あ……!」と少しだけ嫌がる素振りを見せたが、そのままオロオロするだけだった。
手紙を読んだ司が震えている。俺はただ、ぼぉとそれを眺めていた。あぁ、風がうるさい。やけに耳に付く。不愉快だ。
手が襟首から離された。と、思った瞬間――
「――この馬鹿野郎ッ!!」
ガッ! と鈍い音とともに頬に痛みが走った。どうやら俺は司に殴られたようだ。口の中が切れたのか、血が垂れた。幸い、体は鍛えているためそれほど痛くない。むしろ痛いのは頬などではなく――
「何で……っ! 何でこんなことしたんだ仁!? 何か文句があれば直接言えばいいだろッ!! どうして、こんな……!」
俺は、俯きながらボソリと呟いた。
「なんで……」
「なに?」
やっと反応した俺に、司が耳を傾ける。
「なんで、お前なんだ? なんで俺は――生きてるんだ?」
その言葉に司と美衣ちゃんは少し驚いたような顔をした。しかし、司はすぐに我を取り戻し、
「……ッ!」
もう一発頬を殴られた。そして、
「……幻滅したぜ、仁。お前はもう、幼馴染でもなんでもない。金輪際俺たちに近寄るな。……美衣! 行くぞ!!」
美衣ちゃんの手を引いて屋上から姿を消した。美衣ちゃんは、何度かこちらを心配したように振り返っていたが、そのまま司とともに屋上から出て行った。
「…………」
誰もいなくなった屋上は静かだった。ポタポタと血が顎を伝ってコンクリートを赤く染める。風は、相変わらずうるさかった。
俺は、何なんだ? 何だって世界は、運命は司の味方をするんだ? 俺じゃ駄目なのか?
「…………」
俺は美衣ちゃんを泣かせた。そして、司は俺を殴って、絶交を言い渡した。二人はまた一緒に出て行った。そのときの繋がれていた手が目に焼きついて離れない。
「…………」
涙が出た。一度流れ始めると自分で止めることが出来ない。次から次へと、止め処なく。
「……くそ」
言葉も出た。言葉も一度出ると次から次へと出てくる。
「くそっ! くそ! くそ! 俺は何をやってるんだっ!? 俺はっ、俺は……!!」
立っていられない。四つんばいになって無様に涙を流し続ける。苛立ち、コンクリートを殴りつける、何度も何度も。肌が擦り切れ、血が出る。それでも殴り続ける。
「―――――ッ!!!」
声にならない叫び声を天に向かって上げた。俺は、俺をどうすることもできなかった。
仁が司に殴られたとき、誰よりも早く天文台を出て、現場に向かったのは緋織だった。彼女は自分の長いスカートを捲り上げ、遮二無二走る。止めようとした清十郎が後を追いかけ始めたがとても追いつかない。
(炎燈寺くん、炎燈寺くん炎燈寺くん炎燈寺くん炎燈寺くん!!)
彼女の頭の中には仁のことしかなかった。廊下を行きかう生徒たちが何事かと振り返るが、緋織はそんな事など目にも留めない。
「あ、こら! 緋織くん、廊下を走るもんじゃ……」
「黙れッ!」
注意した教師が驚き、言葉を失うほど彼女の顔は怒りに歪んでいた。晃の同時翻訳で話の内容を理解していた緋織は怒りに震えていた。怒りが沸点を超え、頭の中が真っ白だ。
階段を転がるように降り、跳ぶように昇る。廊下は一陣の風が如く。緋織は走り、辿り着いた。
この階段を昇るとそこは屋上だ。緋織は息を整えていると、上から司が美衣と手を繋いで降りてきた。美衣は未だに涙ぐんでいる。
「……アンタ、確か会長だよな? 悪いがそこ、退いてくれないか?」
司が緋織に話しかける。しかし、緋織は階段から降りてきた二人を睨むばかりで、何の反応を見せない。一向に退く気配のない緋織に司はイラついたのか、先ほどより大きな声で呼びかけた。
「退いてくれ、と言っているっ。虫の居所が悪いんだ。退いてくれ!」
司が緋織を睨む。緋織はさらに憎しみを込めて睨み返す。一瞬、場が凍ったがそこへ、
「会長―ッ! 待て、いま屋上に顔を出すのはやべェ!! ……って何だよオイ!?」
清十郎がやっと追いついた。そして、その状況に驚いた。当然だ、とても誰かが入っていけるような空気ではなかったのだから。
しかし、清十郎の登場は凍った空気を再び動かし始めた。
「お前ら、確か仁の友達だったな? お前らか? 仁に変なこと吹き込んだのは」
司の怒りが炎とするならば、緋織の怒りは氷だった。彼女は底冷えするような声で言い返した。
「あら? 無抵抗な人間を殴って良い気になっている人間が何を言っているのかしら?炎燈寺くんの気も知らないで……誰もがあなたの味方だとは思わないでくださらない?」
緋織は髪を横に流しながら、あくまで優雅に答えた。司は腕を横に振りながら、
「俺と仁は幼馴染だッ!! あいつが何考えてるかぐらい分かる! 仁があんなことする奴じゃないことも分かってるッ!!」
吼えた。緋織はやれやれとジェスチャーをして、
「やっぱり、何も分かってないわ。それは一方的に分かっているつもりの独りよがりですもの。――橘さん?」
「ひゃっ!?」
美衣は自分に話が振られるとは思っていなかったようで、司の後ろに隠れ、肩越しに怯えた目で緋織を見ている。
「橘さん、あなたは炎燈寺くんの気持ちを”本気で”考えたことがあるかしら? 小学校中学校高校と、10年以上一緒にいて彼の心に向かい合ったことはあるのかしら?」
緋織の目は、司に向けられていたときよりも鋭い。まるで目線で美衣を刺し殺そうとしているかのようだ。
「ア、アタシは……」
美衣は更に怯え、どもってしまい、「あの……その……」と言葉にならない言葉を繰り返している。その様子に、
「あるのかって聞いてんのよッ!!」
次は緋織が吼えた。その迫力に、清十郎は肝を潰した。
「無いでしょう!? あなたたちは彼のことなどこれっぽちもッ! 炎燈寺くんの優しさに凭れかかって楽をしていただけ! それをどうして、”全部分かっている”ですって!? のぼせあがんのもいい加減にしなさいなッ!!」
緋織は二人を睨んだまま涙を流していた。彼女は涙を流れるままにしている。その緋織の烈しさに司も美衣も何も言えず、遂には司も俯いてしまった。
「そこを退きなさいなっ。自称”幼馴染”さんたち!」
緋織の勢いに思わず二人は道を開けてしまう。清十郎も慌ててついていく。
話をしても司と美衣には聞こえない距離まで階段を昇ったと判断した清十郎が、緋織に訊ねる。
「しかし、会長怒るとおっかねェぜ……。横に居ただけの俺でも鳥肌立ったぜッ」
「ふんっ。むしろあの二人には良い薬ですわ。炎燈寺くんの痛みの万分の一でも味あわせてやらないといけませんもの」
「まぁ、なんつーか……俺もスッキリしたぜッ! 会長がアイツラ凹ましてくれたお陰で、無性に殴りてェってのが引っ込んじまったからなァッ!」
清十郎が小気味良く「ヒャハハハッ!」と歯を剝き出しにして笑った。緋織は前を見据えたまま、階段を忙しく昇っていく。
「竈門くん、その元気を炎燈寺くんに分け与えてくださいな。……きっと彼、泣いてるでしょうから。お願い、ね」
先ほどの勢いは何処へやら、緋織はやけに不安そうに清十郎に頼んだ。「オウッ!」と答える清十郎に緋織は弱々しく微笑んだ。
(竈門くんの良いところね……。私では炎燈寺くんを立ち直せられないもの)
緋織は自分の性格を考え、清十郎に仁のことを頼んだ。しかし、それでも仁を励ますことが出来ない自分を歯がゆく思った。
「さぁ、お願いしますね――」
緋織はゆっくりと屋上へ到る扉を開いた。
俺が叫んでいると、また扉が開いた。そこには司と美衣ではなく、夏瀬くんと清十郎が居た。二人の姿を両の眼で捉えても俺は涙も叫びを止めることが出来なかった。
恥ずかしい。無様だ。それでも俺は泣きじゃくった。本当はこんな姿を見せたくはなかった。それでも俺の中で溢れる”何か”を止めることが出来ずにいた。鼻水まで流れ、口に流れ込んでしょっぱい。
「大将……。炎燈寺の大将……ッ!」
清十郎まで何故か涙を流し始めた。夏瀬くんは黙って扉の近くで立っている。しかし、その目は泣き出した子供を見守る母のように穏やかだ。
「大将ゥ……! アンタ、覚えてるか?」
清十郎がこちらへやって来て、俺と顔を合わせようとしゃがみ込んだ。その顔は涙でぐしゃぐしゃだ。
「俺が以前、退部になったことがあっただろ? そん時アンタは俺と一緒に泣いてくれたんだぜ……。『俺がどうにかする! 俺がどうにかするから……!』ってなァ。俺はあん時、絶対にこの人についていこうって決めたんだぜ……? 大将、今度は俺がどうにかするよ! 必ずどうにかする!! だから、だから立ってくれよォ……立ってくれよ、炎燈寺の大将……ッ!!」
そう言うと清十郎は俺の頭を抱え込んだ。俺に清十郎の震えが、熱が伝わる。何でお前が泣くんだ? 何で……。
清十郎が泣いている。俺のために泣いてくれている。あの時の清十郎は確か、さらに凄い勢いで泣き出した。あれは凄かったな。滝みたいに涙を流して、そのまま干からびてしまうんじゃないかと本気で不安になったものだ。
そんな下らないことを思い出しているうちに、不思議と落ち着いてしまった。涙が引いていく。
「……悪かったな。取り乱してたみたいだぜ」
俺は涙を手の甲で拭いながら立ち上がる。馬鹿みたいに泣いた為か、先ほどまでの絶望感は無くなっている。
「大将……! 良かった、本当に良かったぜッ!!」
清十郎に手を伸ばす。彼は俺の手を強く握り返し、立ち上がる。しかし、泣き止んだ俺とは対照的に、清十郎はさらに凄い勢いで泣き始めた。
「あぁダメだ! 嬉しくて涙がちょちょ切れるぜ……ッ!」
その姿を見て、俺は友達に恵まれていることを感謝した。
「炎燈寺くん、もう大丈夫……? はい、これ。血が出てるから拭きなさいな。ほら! 竈門くんもいつまでも泣いてないで! 男の子でしょうに!!」
先ほどまで泣いていた俺には耳が痛くなる言葉だ。夏瀬くんはこちらへやって来て俺と清十郎にハンカチを手渡した。
「ありがとう、夏瀬くん。心配かけたな。もう大丈夫だぜっ!」
いつものように俺は親指を立てる。勿論、口をハンカチで拭きながらだ。
「良かったッ! マジに今回はダメかと思ったぜ!!」
ちーん、と清十郎は鼻をかんでいる。
「そうね、今回ばかりは私もダメかと思いましたわ。遠くから見てても炎燈寺くんがボロボロに打ちのめされていくのが分かりましたもの」
「……ん? いや、ちょっと待ってくれ。見てた……のか? 部活動は?」
夏瀬くんの言い方だと、まるで何処かで見ていたかのような言い方だ。三人ともボランティア部へ行っている予定なはずだ。
「あぁ、アレですか。――嘘ですわっ」
全く悪びれず夏瀬くんが答える。えっ、嘘?
「当然です。私たちは一蓮托生。炎燈寺くんにだけ闘わせるわけないでしょう?」
驚いた俺に夏瀬くんは当然のように言う。いや、確かに彼女の言うことも尤もだが……。
「あぁ良かった……! どうやら仁は立ち直ったようだね。僕は藤堂たちの監視に回るべきだったかね?」
晃までやって来た。息が荒いのはここまで走ってきたのだろう。これで屋上に”俺たち”が集合だ。……いや、やはりおかしくないだろうか?
「じゃあ! 保健室でも行って大将の傷を治療したら次の作戦でも練っちまおうぜーッ! “果報は寝て待て”なんつーのは俺たちには似合わねぇッ!!」
涙が止まった清十郎は腕をブンブン振り回して屋上から出て行こうとする。夏瀬くんまで「しかし厄介ですわね……。そもそも何で橘さんがあの手紙を持ってたのかしら?」とか言いながら行ってしまう。晃がポリポリと頬を掻き、
「あぁ見えても二人とも仁のことを想ってるんだ。さぁ、そんな変な顔してないで僕らも行こう。実際、けっこう僕らは追い詰められてるんだよね……」
確かに晃の言うとおりだ。俺たちはいま、窮地に立たされている。俺がこんな風にクヨクヨ悩んでいたら出来ることも出来なくなってしまう。俺は自分の頬を思い切り叩き、
「しゃあ! やってやるぜ!!」
この程度で諦める俺じゃないはずだ。俺と晃は急いで先に行ってしまった二人を追いかけた。




