六十五話 ハクチュウノケンゲキ
フィーザが、ガイザー・ドルベンの娘?
「君が、あのガイザーの娘?」
「そうだ。ずっとお前を探してたぜ、アルフレッド・エイドス。虫一匹殺せない顔して、人を平気で殺せる冷血野郎……」
「まさか、さっきのレストランの攻撃は……君が?」
僕はフィーザに刺された。ナイフではなく、その凄まじい瞳で。
「オレのフランベルジュをどうやって察知したのかは解らねえが……お前には直接体に刻み込んでやる必要があると思った。それに、親父を殺した理由も知りたい。ここがルーンナイトの家だってこともわかってたさ。けどオレは別に生きたくて生きてるわけじゃねえ。オレの心臓が命の音を刻んでるから、それに従ってるだけ。そう、ここでお前を刺し違えてでも殺せれば、それでいい」
「……」
「おい、なんとか言えよ! アルフレッド・エイドス! どんな理由があって親父を殺した!?」
フィーザが語気を荒げた瞬間、ドルイドが右の掌に力を込めて握った。
フィーザの痛みに堪える声。彼女の首がまるで見えない力で絞め付けられているようだった。
「調子になるなよ、小娘。その首、今ここで捻り潰してもよいのだぞ」
ドルイドの目がフィーザを射抜く。しかし、フィーザも負けてはいない。スカートの下からナイフを取り出してそれをドルイドに投げつけた。
「む」
ドルイドが左手を目の前の空間にかざすと、まるで見えない壁にナイフが突き刺さって止まった。何も無いはずの空間。まるでナイフが空中を浮いているかのような不可思議な光景だった。
「ほう。トンビがタカを産んだか。私の『アブソリュートリポーズ』から逃れるとは、あのガイザーの娘とは思えんほど素材は良いモノを持っている。しかし、不運であったな小娘よ。アルフレッド・エイドスは今やこの国にとって必要な人材だ。お前の手にかけさせるわけにはいかん。それでも刃を収めぬと言うのならば、致し方ない。その首を刈り取る」
突然周囲の空気が変わった。一瞬張り詰めたと思ったら、まるで浮遊しているように感覚が無くなり、次の瞬間地面に叩きつけられたように……。
強烈なプレッシャー。いくつもの死線を潜り抜け、いくつもの命を奪ってきた者が放つ波動。
ドルイドが放った殺気は、一瞬でこの空間を支配した。
僕とは年季が違う。
このままフィーザがドルイドと戦えば、まず間違いなくフィーザは死ぬだろう。
しかし、これは僕の問題でもある。
「待ってください。ドルイド様……フィーザは僕が引き受けます。ですから、どうか手出しはお止めください。仮に僕が命の危険に陥っても……です」
「ほう? 何故だ」
「彼女の父親を僕が殺したのは事実です。しかし、かといって僕はここで殺されるつもりは無い。降りかかる火の粉は自分で振り払います。それができなければ、黄金のヴァンブレイスを討ち、姉達の仇を討つ事など夢物語。彼女の気持も解るが、それは僕には関係ない。僕にはやらなければならないことがありますから」
ドルイドの目を見る。
「ふむ……その意気やよし。己が決めた道を突き進むがいい。まったくお前と言う奴は、つくづくロイド様に似ている。よかろう。好きにせよ。私はお前が死に掛けようと助けはせん。お前の決めたことならば、それを尊重しよう。ここでその小娘に殺されるのであればそれまでだったということ」
「ありがとうございます」
「ちょっと、アル! 何を言ってるの?」
「手は出さないでくれ、ロッテ。彼女は……僕が殺す」
フィーザを見る。右手でナイフを構え、その牙を光らせている。右手が求めているのは僕の命。
そうか、彼女はガイザーの……ガイザーにも、家族がいたんだな。もしかすると、僕がいままで手に掛けてきた人間にも同じ様な思いをさせてしまっているのかもしれない。
「まったく、面白い男だ。アルフレッド・エイドス。エリスの婿にと思っていたが……ますますもって惜しい。しかし、それは言っても仕方がないことか……」
「ドルイド様……?」
「オレに殺される覚悟ができたか? アルフレッド・エイドス」
「覚悟なんてないよ。それに、僕は死ねない。自分の命と引き換えに助けてくれたカリンのためにも」
「カリン? 何だそりゃ、食い物か?」
「僕が……僕に優しくしてくれた女の子の名前だ。再びヴィーグの墓前で彼女に手を合わせるまでは、死ねない。君が父親を失った気持は解るつもりだが、同情する気はない」
「当たり前だ、同情なんているか」
直線的な突き。――早い。
抜剣ぎりぎりでそれを受ける。
ほんの一瞬だった。逆手で剣の柄を握り、引き抜いた間際。
気を抜けば一瞬で心臓がえぐられる。
間合いを一瞬で詰める疾風が如き刺突。フィーザの小柄な体型からは想像できないほどの脚力と、まっすぐに心臓を貫き命を奪うという、殺すことになれた人間がなせる業だ。
初手で全てがわかる。それはチェスでも囲碁でも同じだろう。相手の力量を知れば知るほどこの一戦を御するのが困難なモノであることを理解していく。
「……やっぱりな、お前。オレと同じニオイがするぜ? お前の剣は人殺しの剣だ。子供みたいに無邪気な顔して、今まで何人殺してきたんだ? あ?」
僕は右手に力を込めてフィーザを弾き返す。単純な力比べとなればそこは男女の差。僕に分がある。
だが、フィールドがまずい。こんな屋内で剣を振り回すのは不利だ。それに加えて相手は小振りのナイフ。
しかもおそらくは暗殺を生業としている。屋内での戦闘経験が僕よりも豊富なのだ。
総合的に考えれば、このままではフィーザのペースで戦局は進み、僕は終始圧倒される。
だから、まずは……。
フィーザと対峙しながら、一歩一歩移動する。慎重に、床の上を滑るように。
背中を見せれば一瞬で彼女の牙に食い破られる。
「ちょこまか逃げてるんじゃねえよ。去勢野郎」
彼女の暴言が終わる前に一気に駆け出す。向う先は広間の窓。そこを突き破り、外に出る。
背後に気配を感じ、真横に刃を薙ぐ。
重い金属音が白昼どうどうきれいな……というか、何も無いだだっ広い庭に響き渡る。
「逃げるんじゃねえよ」
「逃げたんじゃないさ」
ここならば気兼ねなく使える。ルーンが。
意識を集中する。左手に燃え盛る炎を宿し、炎を纏った拳をフィーザに向けて繰り出す。
陽炎をそこに残し、フィーザの体が大地を飛びはね、屋敷の壁を伝い縦横無尽に動きまわり、かく乱させられる。
まだだ。
左手の炎をムチのようにしならせて彼女の動きを止める。
そして、そこを追撃。右の剣で斬撃を繰り出し、彼女の足を狙った。
はずだったが、ぎりぎりでかわされ、スカートをかすめただけだった。
「ち。動きづれえな、こんなヒラヒラしたもんはいてられねえ」
そして、僕は思わず声を上げそうになった。
彼女はこともあろうに、メイドさんの衣装……エプロンドレスを脱ぎ捨て下着姿で僕に向ってきた。
フィーザのみずみずしい白い足が、草が青々とした庭に映える。上下がそれぞれ淡い水色をした薄布で覆われており、目のやり場にこまる。
ムダな肉は一切ない、シャープなボディライン。丸みを帯びた少女の体。
命をやり取りをしている相手のはずなのに……思わず目がそちらにいってしまう。
「まったく、男ってのはバカな生き物だな。命の危険にさらされてるのに、次世代残すことしか頭にねーのか? いや、命が危険だからこそか?」
今この庭には僕とフィーザしかいないとはいえ……こんな昼間に屋外で下着一枚になるとは思いもしない。
いや、これが女の武器なのかもしれない。使えるものは全て使う……そういう意味ではやはり、プロなのだ。
フィーザがそのままの姿でナイフを握り締め、走る。陽光を受けた刃が輝き、その切っ先が僕の体をかすめる。
くそ。何をやっているんだ、僕は。
集中しろ。でなければ、やられる。
そうだ。
僕はこんな所で死ぬわけには行かない。相手がなんであろうと、どんなかっこうをしていようとやってやる。