五十二話 カットウ、ソノアカシ
「どういう事ですか、ジーン卿! アルはもう、抹殺命令を解除されたはずでしょう! それに昨日の件だって、アルがいなければ今頃私達は、領地の一つを失っていたかもしれないのに!!」
ロッテがルヴェルドに食いつく。襟をつかんで今にも投げ飛ばしそうな勢いで。
ルヴェルドは、表情も語気も変えずにロッテの目を見て、静かに、優しくロッテの手をほどく。
「ルーインズ卿。我らの主君は陛下ただ一人。ルーンナイト第一席の命令は、陛下の命令と同義である。卿は陛下に楯突くとでも言うのか?」
今まで見たことの無い、ルヴェルドの恐ろしいまでに冷酷な表情。ロッテからはみるみると覇気が消えうせていく。
「その……ようなことは」
「ロッテ。いいよ。何か事情があるんでしょう、ルヴェルドさん? ここで言い争うだけ時間のムダだ。早く、僕をエリオの所に連れて行ってください」
「話が早くて助かる。抵抗した場合は、ルーンの使用も許可されていたからな。何、連行するといっても、牢に入れるとかそんな物騒なモノじゃない。ちょっと、お話しがあるんだとさ」
「エリオが僕に話?」
「詳しくは、お前さんの家で、な。ルーインズ卿も同行せよとのことだ。リトたんもセインちゃんも悪いがしばらくここで待っててくれ。寂しくなったら、俺の笑顔を思い浮かべるんだぜ」
最後は元のルヴェルドに戻っていたが……あれが、本来のルヴェルド・ジーンという男なのかもしれない。態度も、実力も、内面的なものも、ずっと猫をかぶっていたのかもしれない。
『アルちゃんよ。大人ってのは、ズルくて汚い生き物なんだよ』
ふと、シャイドさんたちが殺されて、激昂していた僕に語りかけたルヴェルドの言葉が蘇る。……ルヴェルド、あなたもそうなのか? 僕を弟だと言ってくれたその言葉……どこまでが本当なのだろうか。あっさりと、ルーンナイトに返り咲いたルヴェルド。戦争の前に己を殺したといえば、それまでだが……フィーナ姉さんの仇討ちは、あなたにとって、その程度のモノだったのか。
ルヴェルドの背中は何も語らない。いつも、ムダに大きくてスペースを取ってるその背中は……僕の知っているルヴェルドのモノではなかった。
「懐かしいか?」
「え?」
「お前さんの家だよ」
立ち止まって周囲を再び見回す。気が付くと僕の家の前に到着していて、庭の様子が目に飛び込んできた。
「あ」
思わず声を上げてしまった。昨日の荒れてしまった庭がまるで何事も無かったかのように、綺麗に整備されていて……リリアンの花が咲いていた花壇には、新しい小さな花が咲いていた。
「一晩かかっちまったが、なんとか元通りだ。せっかくキレイに咲いたってのにな。花には何の罪もねーのに、酷い事をする奴もいるもんだ」
「ルヴェルドさんが、直してくれたんですか?」
「おおよ。あのまんまじゃ、フィーナがかわいそうだからなあ。アルちゃんの驚く顔が見たいってのもあったし、どうだ。驚いただろ?」
「ええ」
「花は枯れても、また咲き誇る。人間も悲しいことがあってもまた立ち直る……ってな。この花壇を作った人間がよく言ってた」
ルヴェルドは花壇の前まで歩いて、しゃがみこむ。僕もそっとその大きな背中の後ろに立つ。
「昨日、ここにあいつが現れたんだろう? まったく、前線で指揮なんか執らずにこっちに来ればよかったぜ。そうすれば、この花壇だって、こんな目に合わなかったかもしれないってのに」
「また、逃げられてしまいましたけど……」
「仕方ないさ。そう、仕方ないんだ。便利な言葉だよなあ。『仕方がない』って。できない事にフタして、嫌な事を遠ざけられる魔法の言葉だよな。俺はこの魔法の言葉で……何度、逃げてきたか……」
ルヴェルドは立ち上がり、振り返ると僕の前にやってきて、僕の手を握る。
「俺には、やらなきゃいけない事がある。フィーナの死体を抱いて血にまみれた8年前から、ずっとそれだけを考えてきた。けどだ。心の中で……『もういい、やめにしよう』って囁く自分がいたんだよ。『フィーナは復讐を望んでいない』そう思うようにもなった。行方不明になったフィーナの弟を探して、俺があいつの代わりに幸せに育ててやろう。そう、考えてたんだよな」
ルヴェルドは泣いていた。
「俺は今、他にやらなきゃいけない事がある。だから、『仕方がない』んだよ。アルちゃんよぉ……俺にしかできない、俺だから出来ることなんだ。だから、頼む。こんなバカで頼りない義理の兄貴の代わりに……奴を仕留めてくれ。奴が存在し続ければ、もっとたくさんの人間が不幸になる。もう、十分だろう? こんな思いするのは俺たちだけで……」
「ルヴェルドさん……」
「悪いな。本当はもっとお前と一緒にいたかったよ。けどもう、ここでお別れだ。中でエリオが待ってる。かなり、難しい話だろうから、覚悟するんだぜ」
「うん。行って来るよ……兄さん」
ルヴェルドはルヴェルドなんだ。表も裏も全部がルヴェルドなんだ。ルヴェルドだって、本当は今すぐにでも再び復讐の旅に戻りたいんだろう。花壇の前で僕の手を握ったルヴェルドの手……爪が掌に深くささって、出血していた。
……堪えているんだ。大局を見て、自分を殺す事を決めた。けれども、本当の心はそうじゃない。その葛藤が、その証が僕の手にこびりついている。
背中を向けて懐かしの我が家へと足を踏み入れる。まさか、こんな形で、帰るのではなく、入ることになろうとは……。
「あらん。かわいい男の子! あなたがアルフレッド・エイドスね?」
「は? そうですけど……」
扉を開けた途端、オネエ口調の男が僕の手を取り、顔を近づけてきた。ヒゲが暑苦しくてたまらない。
「ファイゼル卿……彼が、嫌がっています。その手を離してください」
背後でロッテが、男に嫌悪感を隠さずにはっきりと敵意を込めて言った。
「あらん、ごめんあそばせー。オネエさんの大好物なのよー! カワイイお・と・こ・の・こ! ウフ」
気持ち悪い。
「ほらほら、こっちよお。エリオちゃんがみんなをお待ちかねー。二名様、ご案内いたしまーす」
オネエさんに手を引かれ、二階の……生前、父の書斎だった部屋に通される。
「エリオちゃまー。入るわよー」
『どうぞ』
ノックもせずに、一言だけ言って僕らは部屋の中に入った。
「おはよう、お兄さん。会いたかったよ。さあ、座って座って」
エリオは無邪気な笑顔で僕に擦り寄ってくる。昨日初めて出会った時の様に、僕の手を引っ張って来客用のイスに座らせる。その姿は、とてもルーンナイト第一席という、威厳ある役職に就いている人間とは思えない。普通の少年だ。
エリオが机のイスを引っ張り出し、そこにちょこんと座る。僕とエリオはお互いを見つめあう形になった。
「昨日はお疲れ様! バイエルの首を取っちゃうなんて、お兄さんはやっぱりすごいね! ぼく、びっくりしちゃった!」
表裏のない言葉。表情と言葉の完全な一致。ただ純粋な賛辞。そこに、何も警戒を持つ必要は無い。だが……。
「そんな事はどうでもいいんだ。エリオ。ルーンナイト第一席の君が僕に用事があるんだろう? 早くそれを聞かせて欲しい」
エリオの無邪気な笑みが消える。途端に、室内の空気が変わったのが、解る。ぴんと張り詰め、背筋が凍るような……エリオは……まぎれもなく、ルーンナイト達の頂点なのだと言う事を改めて実感させられる。
「お兄さんがガイザーを殺した罪はもういんだ。それは、今回のバイエル・シャウターを討った功績で帳消し……どころか、むしろご褒美もあげていいくらい」
にっこりと微笑むエリオ。
「アメやクッキーがいただけるんなら、もらうよ。うちには育ち盛りでたくさん食べる子がいるからね」
「そう? じゃああとでいっぱいあげるね。ぼくも大好きだよ、クッキー。あ、もう。お兄さんがお菓子の話するからお腹すいちゃったじゃないか! もぅ」
エリオは口を尖らせて、そっぽを向いた。……ダメだ。話が一向にすすまない。
「僕を……どうするつもりだ?」
「お兄さんはね……とっても危険な人なんだよ? 解る?」
エリオは席を立ち、書斎の窓に向かって歩く。
「ルーンナイトをあっさりと殺せる程の実力を持ち、シャナール軍と互角以上に渡り合い……そして、昨日の昼間見せた『アレ』だ。まったく、エイドスの血筋ってズルイ。あんなバケモノみたいなのを生み出しちゃうんだもの……」
昨日の昼間……僕がロッテと戦っているときに、発動させてしまった闇のルーンの事か。……あれを見られていたのか、エリオに。
「このエルドアという檻の中に……何の力も持たないウサギがいて……そこに鎖に繋がれていないライオンが一緒にいたら、どうする? 怖いよねえ? 危ないよねえ? ううん、食べられちゃう! きっとそう!」
「僕はライオンか?」
「うん。そしてウサギは民。お兄さんの牙が、いつウサギの王様に噛み付くか解らない……だから、賢いウサギたちはこう考えたの。調教して、鎖につなぐか、檻から追い出してしまうか」
「つまり?」
振り返ったエリオが威厳ある声で言葉を放つ。
「アルフレッド・エイドス。ルーンナイト第一席の権限を知っているかな?」
「さあ、解らないな。教えてくれないか、エリオ先生」
「緊急時はルーンナイトを選定会無しで、臨時に任命することができる」
「ルヴェルドの件か……それで? 今、ルーンナイトは満席だろう?」
「戦時特例。というのがあってね。今はまさにそれを行使できる環境が整ってしまっている。戦時特例第四号……ぼくはそれをお前に適用する」
「あら、第四号? エリオちゃん。本気だったのね」
オネエさんが驚いて、席を立った。
「ファイゼル卿。何ですか? それは?」
ロッテが疑問をオネエさんにぶつける。
「アルフレッド・エイドス……お前を……ルーンナイト第八席に加える事を許可する、これは命令だ。お前に拒否権はない。逆らえば、宿にいるお前の連れは丁重にこちらで預からせてもらう」