第一話 霧に絡むもの
※3話までで作品の方向性が見えてきます
静かな始まりですが、
この物語は“違和感”から動き出します。
まずは、空気だけでも感じてもらえたら。
霧が、すべてを隠していた。
――だが、その中で“こちらを見ている目”があった。
視界は白く濁り、音さえも遠い。
まるでこの場所だけ、世界から切り離されたようだった。
その中を、一人の男が歩いている。
刀を携えた侍――蒼真。
足を止める。
わずかな気配。
霧の奥で、“何か”が動いた。
「……いるな」
低く呟く。
次の瞬間、霧が揺れた。
人影が現れる。
だが――その目は、人のものではなかった。
山あいの宿場町に、雨が降っていた。
細く、音もなく降り続くその雨は、まるで町の気配そのものを薄めているかのようだった。
街道を歩く一人の男がいる。
腰に刀を差し、濡れた羽織を静かに揺らす。
――蒼真
足を止めることなく、町の入口をくぐった。
灯りはある。だが、人の気配が薄い。
軒先に吊るされた提灯が、風もないのにかすかに揺れている。
「……妙だな」
呟きは、雨に溶けた。
⸻
宿の戸を叩くと、しばらくして中から年老いた男が顔を出した。
その目はどこか怯えている。
「旅の者か……泊まりかい」
「ああ。一夜、厄介になる」
蒼真は静かに頷いた。
囲炉裏の火は弱く、部屋の空気もどこか重い。
蒼真は腰を下ろし、しばらく黙って火を見つめていた。
「……人が少ないな」
やがて口を開くと、宿の主人は小さく肩を震わせた。
「出るんだよ……夜になると」
「何がだ」
主人は声を潜めた。
「霧だ。あの霧が来ると……人が、消える」
蒼真は視線を上げる。
「消えた者は、翌朝……戻ることもある」
「戻る?」
「だが、様子がおかしい。目が……空っぽでな。
ふらふらと歩き回って……」
言葉を切り、主人は唇を噛んだ。
「まるで……誰かに操られているみたいに」
⸻
その夜。
雨は止んでいた。
代わりに、白い霧が町を包んでいた。
音が消える。
空気が重く沈む。
蒼真はゆっくりと立ち上がり、刀に手を添えた。
外へ出る。
視界は数歩先までしか効かない。
だが――気配がある。
足音。
ゆらり、と霧の向こうから人影が現れた。
男だ。
だが、その目には光がない。
「……止まれ」
蒼真の声にも、反応はない。
次の瞬間、男は不自然な動きで跳びかかってきた。
蒼真は半歩引き、最小の動きでそれをかわす。
だが――
(斬れぬ)
……まだ、人だ。
刃を抜きかけて、止めた。
相手は人間だ。
再び、影が現れる。
二人、三人……霧の中から、同じような人間たちが集まってくる。
その動きはぎこちなく、だが確実に蒼真を囲む。
⸻
(……糸、か)
わずかに、何かが光った。
霧の中。
月明かりに、細い線が浮かび上がる。
人の体から、どこかへ伸びている。
見えぬほど細い、だが確かに存在する“糸”。
「……そういうことか」
蒼真はゆっくりと目を閉じた。
視界を捨てる。
呼吸を整える。
雨の匂い。
霧の湿り気。
人の足音。
――そして、張り巡らされた“違和”。
⸻
一歩、踏み出す。
襲いかかる腕を紙一重でかわし、蒼真は刃を抜いた。
閃きは一度。
だが斬ったのは、人ではない。
――糸。
空気を裂くような音と共に、一本が断たれる。
男がその場に崩れ落ちた。
さらに二本、三本。
蒼真の動きは速く、無駄がない。
絡みつく糸だけを、正確に断ち切っていく。
⸻
霧の奥。
何かが、わずかに揺れた。
「そこか」
蒼真は一瞬で距離を詰める。
霧の中心。
ぼんやりと浮かぶ影。
糸を無数に伸ばし、人を操る存在――
絡霧。
その姿は定まらず、霧と溶け合うように揺らいでいる。
だが、中心に“核”がある。
蒼真は構えた。
「……断つ」
一歩。
静かに踏み込み、迷いなく振るう。
刃は霧を裂き、核を捉えた。
刃が核を断ち切った、その瞬間。
――声が、流れ込んだ。
「……父ちゃん……」
一瞬だけ。
それだけで、十分だった。
だが――
その声は、確かに残った。
次の瞬間。
霧が、崩れた。
糸はすべて解け、操られていた人々はその場に倒れ込む。
やがて静寂が戻った。
⸻
夜が明ける。
町には、久しぶりの声が戻っていた。
宿の主人は何度も頭を下げた。
「助かった……本当に……」
蒼真は何も言わず、外へ出る。
山の向こうに、薄い朝日が差していた。
その光の中で、ふと呟く。
「……繋ぐ力があれば」
刀に触れる。
「もっと、救えたか」
⸻
風が吹く。
霧の名残は、もうない。
蒼真は振り返らず、再び歩き出した。
探すものがある。
紬――
その名だけを胸に。
だが、その名を呼んだとき。
ほんのわずかに、
胸の奥に“ざらつき”が残った。
――理由は、分からない。
第一話 終
▼続きはこちらから(次話)
まだ何も起きていないように見えて、
少しずつ“ズレ”は始まっています。
次話から、
違和感が形になっていきます。




