第一部 尼子秘帳 九
瑞竹寺に戻った黒鷹精久郎は、円仁和尚に訪ねた。
「塚原道場に詳しい者を知らないか?」
「有名な道場ですから、大抵の者は知っていますよ」
円仁和尚は、瑞竹寺に近い剣術道場の名前を挙げた。
「もうひとつ。江戸で算術の名人といえば、誰だろう?」
「さあ、それは、知りません」
黒鷹精久郎は、円仁に聞いた道場を訪問し、いくつかの質問をした。
そして、酉の刻になった。
料亭の『桔梗楼』は、池之端仲町にあった。
不忍池を見ながら料理を楽しむ趣向である。
池之端仲町。
刀屋の神田相生町から近い場所である。
黒鷹精久郎は、女中に案内されて、部屋へ入った。
部屋にいた侍が挨拶をした。
「塚原道場、西野金四郎です」
小太りの体型である。
塚原道場四天王の一人、と呼ばれるほどの剣技があるようには見えない。
それで相手を油断させる、ということを読んでいるのかもしれないが。
西野金四郎が、上座を指して、言った。
「お待ちしておりました。さ、どうぞ、こちらへ」
黒鷹精久郎は、立ったまま、言った。
「どういうことだ?」
「それでは、話も出来ません。ささ、先ずは、お座り下さい」
「分かった」
黒鷹精久郎は、上座に座り、聞いた。
「それで、話とは?」
「ここは、ごゆるりと……」
西野金四郎は、廊下の方を向き、両手を叩こうとした。
黒鷹精久郎が言った。
「無用だ」
「そうおっしゃらずに。近頃は、江戸で飲む酒も、捨てたものではありませんぞ」
「酒は飲まない」
「では、料理。この店は煮魚が名物で……」
「策士、精貧を好む、と言うが、貴公は、酒や料理が好きか?」
「策士? 私が?」
「私の住まいを調べた。
おそらく、もっともらしいことを言って、同心の芥川行蔵に聞いたのであろう。
江戸で名の通った刀屋の中で、私の住まいとの距離から『逗子屋』に目を付た。
そして、伝言を託す。
そんなことをする者を策士という」
「わかりました。ざっくばらんに申し上げましょう。
黒鷹殿、私は、あなたと試合をしたくない」
「試合? なぜ、試合をする必要がある」
「あなたは、大山と試合をし、昨日は後藤を斬った。
道場は、大変なさわぎになりましたよ。
塚原道場の四天王を、すべて倒すつもりとお見受けする。
ところで、私、四天王などといわれていますが、自分の技量が分かっています。
私は、どちらかといえば……」
「剣よりも策」
「さよう」
「大山氏との試合は古くからの約定。
昨日の試合は向こうが望んだことだ。
ただ、尼子秘帳のことを聞きたかっただけなのだが」
「では、四天王すべてを倒すのではない?」
黒鷹精久郎は、頷いて、言った。
「ちょうど良い機会だから、聞きたい。
大山氏との試合のこと、誰かに話したか?」
「いいえ」
黒鷹精久郎は、少し考えてから、言った。
「分かった」
黒鷹精久郎は、立ち上がろうとした。
「あ、ちょっと……」
「何だ?」
「尼子秘帳を探しているんですか」
「そうだ」
「そんなに大切なものですか?」
「私のものだ」
黒鷹精久郎は、部屋を出て行った。
それから数日、黒鷹精久郎は、江戸の町を歩き回った。
塚原道場四天王の残った二人、東上晋太郎と西野金四郎の顔は分かった。
二人とも、尼子秘帳の事は他者に話していない、という。
言うまでもなく、その言葉が真実かどうかは、分からない。
では、どうする?
二人のこと、塚原道場のことを、外郭から調べることにしたのである。
塚原道場は、塚原卜伝以来の新当流として、江戸でも名の知れた道場である。
東上晋太郎は安芸家の侍である。
西野金四郎は御家人である。
こうしたことが分かった。
また、瑞竹寺の円仁和尚からの伝で、いくつかの寺を訪れた。
寺の住職なら、故事来歴に詳しい。
それで、尼子秘帳のことを聞いたのである。
だが、新しいことは分からなかった。
そもそも、剣術では、流派ごとに、秘伝の巻物というのがある。
尼子秘帳も、そういった巻物の一つであろう、としか思われていないのであった。
尼子秘帳には、金山や銀山などの位置が書いてあり、そこに重大な価値がある、とは考えないのであった。
同心の芥川行蔵の方が、はるかに鋭かったのである。
それと、尼子秘帳を奪った者――。
黒鷹精久郎は、同心の芥川行蔵を訪ねた。
もちろん、芥川行蔵が鋭かった、と褒めに行ったのではない。
考えたことを話し、それを調べてもらおうと、頼みに行ったのである。
芥川行蔵は、頷いて、言った。
「鋭いですな。調べてみましょう」




