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第一部 尼子秘帳 十一

 次の日の朝。

 湯島の聖堂近くの塚原道場である。

 塚原道場の内弟子の門人が潜り戸から出た。

 道場の前の道を清掃するのだ。

 道場の門に書状があるのを見つけた。

 小柄で、門に張り付けてある。

 その書状には、『塚原千秋殿 黒鷹精久郎』と書いてあった。

 すぐに塚原千秋へ届けた。

 塚原千秋は、書状を読み、控えている門人に言った。

「東上様が見えられたら、呼んで下さい」

 塚原道場の稽古は辰の刻から始まる。

 東上晋太郎は、普段は、稽古開始前から道場に来ていた。

 なにしろ、四天王の一人なのだから、他の門人に対する示しがある。

 だが、今日は来ていなかった。

 東上晋太郎が道場に現れたのは午の刻であった。

 門人が言った。

「お嬢様が、呼んでおられます」

 東上晋太郎は塚原千秋の部屋へ行った。

「東上、参りました」

「お入りなさい」

 東上晋太郎が部屋へ入る。

 塚原千秋は黒鷹精久郎からの手紙を手にしていた。

「今日は遅いのですね」

「は、急な用事が入りまして。

 申し訳ございません」

 東上晋太郎は、詫びを言ってから、聞いた。

「お呼びだそうですが、何か?」

「黒鷹様から、書状が参りました」

「え?」

 塚原千秋は、手紙を、東上晋太郎に見せた。

 手紙には、次のように書いてあった。


  塚原殿の仇をお教えする。

  本日、酉二ツ。

  仇討ちの用意をし。

  本郷、大田備中守下屋敷近く、瑞竹寺裏念仏堂へ来られたし。


 東上晋太郎は驚いた顔をしている。

 塚原千秋が、凛然とした声で言った。

「一緒に来て頂けますね?」


 酉二ツ。

 塚原千秋と東上晋太郎は瑞竹寺へ来た。

 塚原千秋は、小袖に袴姿で襷を掛けている。

 手には大刀を持っている。

 暮れの空に鳶が飛んでいる。

 寺を回り込み、裏手へ出る。

 大きな竹藪があり、小道が中へ続いている。

 東上晋太郎は、手早く襷を掛け、鯉口を切った。

 塚原千秋と東上晋太郎は小道を進んだ。

 鬱蒼とした、かなり大きな竹藪である。

 彼方に念仏堂があった。

 念仏堂の前に、人が立っている。

 黒鷹精久郎である。

 塚原千秋が言った。

「お約束通り、参りました」

 黒鷹精久郎が言った。

「尼子秘帳は、確かに頂戴いたしました」

 塚原千秋は驚いた。

 東上晋太郎は、怒った顔をしている。

 黒鷹精久郎が続けた。

「尼子秘帳は、剣術の奥義を記しただけではありません。

 塚原卜伝が調べ上げた金山、銀山の場所を記した地図でもあったのです。

 尼子晴久とその一族だけが、それを知っていた」

 塚原千秋が言った。

「尼子一族は、戦国の世に滅亡しています」

「さよう、だが、あの地を継いだ萩家に、尼子秘帳の事が代々伝わっていました。

 まちがって、尼子秘帳そのものが萩家にある、と思われたようですが」

「そうです。尼子秘帳そのものは塚原家に伝わっているのです。

 しかし、それをなぜ、今になって、父を殺してまで……」

「今は、どの家も台所が苦しい。

 どうしても、金山や銀山の地図が欲しくなったのでしょう。

 それで、大きな策をめぐらした」

「どういうことです」

「塚原道場に入り、免許皆伝の腕前となって尼子秘帳を貰う」

「では、四天王の中の」

「四天王の中の一人、西野金四郎。

 実は萩家の侍です」

 塚原千秋は驚いた。

 だが、納得したような顔でもある。

 黒鷹精久郎が言った。

「それだけではない。

 念のため、もうひとつ、策を用意した。

 もっと自然に尼子秘帳を手に入れるために」

「もうひとつ?」

「そこの、東上晋太郎が入門したのは何時です?」

「それは」

「西野金四郎と、ほとんど同じ頃入門したのは?」

 塚原千秋は、愕然として、言った。

「まさか……そんな」

 黒鷹精久郎は静かに言った。

「尼子秘帳を手にするいちばん良い方法は、塚原の家の者になること」

 東上晋太郎が言った。

「おい、何を言う」

 黒鷹精久郎が言った。

「西野金四郎が、全部話した」

 塚原千秋は、東上晋太郎から離れ、大刀を抜いた。

 東上晋太郎が塚原千秋に言った。

「ま、待って下さい。

 あ奴の言うことは、嘘です」

 黒鷹精久郎が言った。

「嘘ではない。千秋殿」

「はい?」

「今日、東上は、道場へ、遅れてきませんでしたか?」

「そういえば……」

「昨晩、尼子秘帳が盗まれたことが分かり、これからの策を相談していたのです」

 黒鷹精久郎が続けた。

「千秋殿は、私の手紙を東上に見せた。

 そうですね」

「はい。

 敵討ちに助勢はいらない。

 でも、東上には、許嫁として、敵討ちに立ち会ってもらいたいと思いました」

「その後、東上は出かけませんでしたか?」

「はい出かけました」

「本郷の瑞竹寺と場所が分かったので、待ち伏せの相談をしに出かけたのです」

 黒鷹精久郎は、四顧して、言った。

「弓矢を持った者たちが、この竹藪を取り囲んでいる」

 東上晋太郎が言った。

「西野は?」

 黒鷹精久郎が言った。

「同心の芥川行蔵が押さえている。

 自分では策士とうぬぼれていたようだが、しょせんは太平の世で、空論を弄んでいただけの者だ」

 黒鷹精久郎が、塚原千秋に言った。

「千秋殿」

「はい?」

「千秋殿、お父上の仇、一人で討てますな?」

「もちろんです。

 新当流道場の娘です。黒鷹殿は?」

「十人が集まって矢を射るとなると、手強くなる。

 それが破れるか、試します」

 東上晋太郎が叫んだ。

「これまでだ。

 おい、やれ!」

 弓弦の音がした。

 一本の矢が飛んでくる。

 黒鷹精久郎が矢を切り落とした。

 黒鷹精久郎は竹藪へ飛び込んだ。

 増上寺の裏の野原で矢を射った者は十人、と芥川行蔵が読んだのは正しかった。

 だが、その中には、東上晋太郎と西野金四郎も含まれている。

 ここにいるのは八人。

 黒鷹精久郎は、走りながら、左右に、刀を払った。

 弓ごと敵の腕を斬り落とす。

 正面に現れた敵を、裟懸けに斬る。

 これで、三人。

 本来ならば、止めをさすべきである。

 だが敵は多い。

 一刀で怪我を負わせるだけで次の敵に向かった。

 敵は、竹藪で矢を射ることの不利を覚った。

 矢を捨てて刀を抜く。

 黒鷹精久郎は動き続けた。

 腹を横に斬る。

 胸から上へ斬り上げる。

 合計、五人。

 眼前の侍は戦意を喪失した。

 中段に刀を構えているが腰が引けている。

 かまわずに、黒鷹精久郎は斬った。

 六人。

 残りの二人が、逃げ始める。

 振り向きかけたところを斬り下ろす。

 最後の一人が、かけだした。

 竹に邪魔されて、速く走れない。

 黒鷹精久郎は、追いつくと、背中に刀を突き通した。

 

 黒鷹精久郎は、抜身を持ったまま念仏堂の前の小道へ戻った。

 そこには、塚原千秋が、やはり抜身を持ったまま、立っていた。

 足許には、東上晋太郎が倒れている。

 黒鷹精久郎と塚原千秋は、顔を見合わせた。

 二人とも、刀を拭い鞘に収めた。

 寺の方から、芥川行蔵が近づいてくる。

 芥川行蔵が言った。

「また死人が出ましたな」

「やむを得ない」

「まあ、萩家江戸家老吉田吉次郎殿に連絡すれば、始末してくれるでしょう」

 黒鷹精久郎が歩き始めた。

 芥川行蔵が聞いた。

「何処へ、行かれます?」

「刀を研ぎに出す」

「その前に、相談ですが」

「何だ?」

「今は、御公儀も台所が苦しいんですよ。

 新しい金山が見つかると、助かります」

「私の知ったことではない」

「どうです、尼子秘帳、頂戴出来ませんか?」

「私のものだ」

「公儀に逆らうのですか?」

「葵が恐くて刀が握れるか」

 黒鷹精久郎は、振り向くと、歩き去った。


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