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9 潜入

「チエをこの洞窟空間へ拐い連れて来い。そのあとは、地上の全ての人間を、最後の爆発で絶滅させよ。」

 ヒロアキに発せられた康熙老人の命令の後部分は、流石にヒロアキを躊躇わせた。それでも、ヒロアキは下田に潜入した。チエに近づくために。


 ヒロアキが降り立ったのは鍋田浜の海水浴場。冬の雨の中であるために誰もおらず、深夜にまぎれたまま陸に上がっていった。

 彼の深夜の闇にまぎれた黄土のストールは、まるで砂の煙のようにあたりを視界不良にし、見せたいもののみ浮かび上がらせる闇の空力術。ヒロアキはその黄土を幾重にも巻き、周辺の人間たちの視覚聴覚を奪っていた。

 ヒロアキの狙うチエは、簡単に見つかった。鍋田浜の別荘。ほかには誰もいない。ちょうど一人でシェルターに寝かされたままだった。彼は手際よくチエの体を担ぎ上げると、ストールの作り上げた煙の中に消えていった。

 それと入れ替わりににリディータたちが別荘に到着していた。彼女らは間に合わなかった・・・・。


 ミツルの奥でリディータの声がした。

「ユウト、チエがどこにもいない…」

「俺はシェルターに寝かせたんだ。あんたたちがすぐ来るだろうと見込んだから・・」

「でも、彼女はどこにもいない」

「どうして・・」

「黄土のオーラ、チエは彼らに連れ去られたんだ」

 呆然自失のユウトに、ミツルの声が聞こえた

「長白山の噴火口から新たな黒雲が出現。以前のペクトクラウドと同じ巨大な黒雲だ。また、放射性物質の塊が中に含まれている」

 リディータが叫んだ。

「どこへ向かっているの?」

「どこへ行くんだろうか…まるで誰かが操縦しているような動き・・・・」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 チエは元水泳部部長の灰田ヒロアキを尊敬していた。彼自身が奥深い思慮を示しているように錯覚し、チエが連れ去られる時もヒロアキの言葉に導かれ、下田を後にしていた。

「ユウトを元の人間に戻す方法がある。それは、あんたが身を清め、自ら白き装束に包まれた上で、明龍様を迎え入れるだけでいい。それが彼を、人々を救う道だ」

 素直に従ったチエをヒロアキはだましつづけた。

「これが悟りへの道なのですか」

「人それぞれに悟りへの道がある」

「それは魂の遊びでは?」

「いや、必ず道があるからわかるはず・・・・・」

「道とは何ですか?」

「この世界の中心、太極へ至る道。そこで、明龍様と一体になることが、奇跡を生むのだ」

 いつかチエの聞き覚えのある誘いの言葉。それを目の前のヒロアキは真剣に訴えていた。チエは、また昔の記憶がよみがえった。その時、ヒロアキの催眠術が解けた。

「私、帰ります。返してください」

「急にどうしたのだ。なぜわかってくれない。なぜ理解しない。これこそが人類全体を救いに導くのに」

「そのあとに何が起こるのですか?」

 その質問はヒロアキを躊躇させた。

「それは全人類を涅槃へと導くこと」

「嘘! 以前にもこんなことがあったのに・・すべての人類の涅槃は・・・・死を意味します」

「そうだ。だが強制ではない」

「でも、誰が好き好んで涅槃を選ぶというのですか」

「俺の周りの者たちは喜んで涅槃を受け入れている」

「騙されているのです」

「だましではない、涅槃こそ救いだ。確かに、死を意味するが、それが幸せなのだ」

「みんなを死に至らしめることではないですか。私はごめんです」

 ヒロアキは顔を伏せた。そして、つぶやくように言葉をつづけた。

「やはり康煕老人の言っていたことは本当だった。涅槃を受け入れず自分勝手に生きる者、その最たるものがあんた、チエさんだった。やはり必要なのは強制的な涅槃への導きだったんだ。チエさん、あんたには来てもらおう。強制的な涅槃への初穂として必要な存在だからな。そして、全人類には強制的な涅槃をもたらそう」

 チエは悲鳴を上げた。

「先輩!」


 そのヒロアキに康煕老人の声がかかった。

「その女は、ここへ連れて来い。お前は、いまこそ明龍ヴィジャナーガカンマン悪衆羅アスラの力を授ける力によって働け。まずは先ほどと同じように放射能を含んだ二体目の黒雲を作り出し、聖杯城を狙え。次に三体目は南朝鮮そして日本・・・いくつもいくつもわきださせろ。そして、長白山にて最後の大噴火を起こすことによって、渦動結界が爆発的にこの惑星全体へと拡大させよう」


・・・・・・・・・・・・・・


「二体目の黒雲がすでに形成されてしまった。南下して貿易風に乗った。この雲はまるで操られているように進んでいく。このまま、たぶん聖杯城に向かうに違いない」

 ミツルが叫んだ。

「俺は今すぐチエさんを助けに行く」

 ユウトはガルガリムユニットを、カスピ海上空から日本に戻し始めた。

「だめだ。今はその時じゃない」

ミツルが叫んだ。

「聖杯城も、世界もどうなったっていい。今の俺はチエさんのためだけに存在するんだ」

「それでは黒木先輩もチエさんも、世界とともに滅びることになるよ」

「いや、ならない。なぜなら、チエさんを俺が大切にするからだ。俺が崇拝し、俺が仕え、俺が養い、俺が守る」

「そんなことは不可能だ。考えてもみろ」

「考えろ? 俺には無理だ。俺が分かるのはチエさんの思いだけ。チエさんへの思いだけ」

 横からリディータが太い声を出しながらユウトに命じた。

「天の御名によって命じる。まず天の義と天の国とを求めよ。すなわち、基となる聖杯城を救え」

 ユウトは抵抗した。

「いやだ。俺はチエさんを支えるだけの存在だ。俺に余計なことをさせるな」

 しかし、ユニットの後ろにいた熾天使がユウトを拘束してしまった。ユウトの意思とは関係なく、ガルガリムユニットはカスピ海からインド洋上空へ向かった。


 熾天使が二体めの黒雲を粉砕すると、ふたたびユウトを追い立てるように連絡が入った。

「三体目の黒雲が出現。東へ向かっている。想定コースは、日本の伊豆半島」

 もうユウトは最後まで聞いていなかった。

「日本にはチエさんがいる」

 ユウトはすでに限界を迎えたまま、ユニットを日本海へと向かわせた。すでに黒雲は長白山の頂上を離れ、日本海上空へ登ろうとしていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 地中深く残っている者が、まだ噴火をさせ黒雲を制御しようとしている。ユウトはそれを感じていた。

「多くは悪衆羅(アスラ)たちの思念、康煕老人の思念も・・・。だが、今までに感じたことのない思念が混じっている。何か、懐かしいものだ…誰だろうか?」


 長白山火山湖へのアプローチ途中、ユウトはリディータに思念を送った。

「三体目のペクトクラウドが正確にこちらを邪魔している。」

「ペクトクラウドは、偏西風に乗っているはずが、あまりに気ままに動いているわ。まちがいなく誰かに操られているようね」

 その推定は、ユウトを愕然とさせた。意識的に放射性物質を蔓延させたばかりでなく、いまだに攻撃手段として活用していることに、恐ろしさと罪深さを感じた。

「誰かが、ペクトクラウドを操っている。まずはそいつを何とかしなければ。そしてチエさんをたすけなければ」

 ユウトのまずの目標は、潜入、チエの救出、そしてペクトクラウドを操る者を探し当て排除することだった。


 黄土のストールを二枚重ねての潜入。門番は怪しいと考えなかった。

「ここから先は、中枢部、長白山渦動結界空間「蠱喰魔虚空」だ。静かにすすめ」

 大空間の奥には、いくつもの空洞が設けられ様々な剣、杵、鉾などが収められている。戦士たちの部屋のように見える。それらの中央に置かれているのは、悪衆羅鬼の玉座。しかし、もぬけの殻。いや、確かに先ほどまでいたのだろう。だがどこにいるのか。

 ふと、空間の中央に目をやると、そこに残っていたのは、玉座、正に康熙のオーラが残っていた。そして、その奥には何か懐かしい男の残像。そして、チエの残像・・・・。この男がチエをここまで連れてきたことに他ならない。そして、また何らかの祭事によって、チエを利用しようとしているに違いなかった。

 それは、どこで。外か。ユウトはまだ立ち入っていないエリアを思い出した。長白山の南東エリア。山体が吹き飛ばされた後の長白山の東側、そして南側には鏡面が広がる。全ての岩石や鉱物が融解したのちに急冷されたことがわかる。その鏡面にチエの白い姿が反射していた。

 チエは首から、手首までをドレスで覆い尽くし、白いベールを被う。その隣には、介添人の灰田ヒロアキ。彼女は、今、再び林康熙を迎え入れ、一体となる儀式を迎え入れようとしていた。残留放射能の濃いところへチエは連れて行かれている。躊躇っている猶予はなかった。

 ユウトは地上へ飛び出し、ヒロアキ、そして康煕老人と相対した。そこにはまさに康煕老人と並ぶ白いドレスのチエがいた。そして、チエは正気を失っていた。

悪衆羅(アスラ)と呼ぶべきかな」

「黒木ユウト、再びお前が来たのか」

「チエさんを返してもらおう」

 ユウトがチエを抱える康煕老人へ走り寄ろうとした時、その前に立ったのは灰田ヒロアキだった。

「お前、灰田…ヒロアキ。お前がなぜここにいるんだ・・・・」

「黒木ユウト、久しぶりだね」

「ヒロアキ、お前はなぜこんなことを・・・・」

「俺は地脈学を極めたいと思ってね。マントルを、大気を、そしてそれらを動かす力をね」

「それがチエさんを拉致することになるのかよ」

「何を怒っているんだね。チエさん、そうか、彼女をお前は大切にしていたものな。今でもそうなんだろうな。でもな、この大地と大気、その中に構成される涅槃。これこそ人類の救いだ。その涅槃への強制的な初穂、それがチエさんだ。お前と言い、チエさんと言い、お前たちの仲間たちは涅槃を受け入れず自分勝手に生きる者だ。それゆえ必要なのは強制的な涅槃への導きだ。それを端緒にして、全人類には強制的な涅槃をもたらすんだ」

「そうはさせるか。自由を、天からの愛を裏切り、あまつさえ自由を奪うとは。そうはさせるか」

「自由だと? 救いがなくて何が自由だ」

「自由こそ救いの前提だ」

「何を言っても互いに相いれないようだな」

 ヒロアキがそう言ったとたん、ユウトはヒロアキと康煕とが作り上げたオーラを引き破った。いや、ユウトは四翼の鋭さをもって康煕の黄土のオーラを引き裂いた。同時にチエを攫ってその場を飛び出した。

 そこまでの時間は短いと思えたが、ユウトは強かに放射能にやられていた。ユウトの体には異変が起きていた。嘔吐を繰り返し、髪の毛が抜け始め・・・焼けただれた皮膚が剥け始めていた。だが、チエを日本に連れ戻すことができた安心感から、ユウトは飛行中のユニットの中で眠ってしまった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ユウトの髪の毛が全て抜け落ちたのはその三日後だった。ユウトは食事をとれなくなっていた。痩せ細っていくユウト。

 チエはユウトの思考を理解しつつ看病を重ねた。点滴だけで命を長らえているユウトの心の中は、戦いのことばかりだった。

「地下の奴らを何とかしなければ、繰り返しになる。」

 チエは心が塞ぎがちになつた。


「大丈夫だよ。」

ユウトは掠れてしまった声で、チエに語った。

「痩せてしまっても、俺の体は人間の身体はもうダメだろうけれど、騎士としての体がある。食べなくても大丈夫だから。」

 チエはその声を聞いたものの耐えられなかった。彼の意味していることは、人間部分は死んでいくことを意味する。ユウトは、チエがまだ塞ぎ込んでいる理由がまだ分からなかった。

「大丈夫だから」

「何が大丈夫なの?」


 病室にての二人のやりとりはとても終わりそうもなかった。だが、チエを助けたとはいえ、これから長白山の火口下に残っている悪衆羅アスラの最後の拠点を潰さなければならないことは明らかだった。

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