ワイバーン
果たして、俺の前に姿を現したのは件のワイバーンだった。黒い森に溶け込む体色は、強者から隠れる為の擬態ではなく、待ち伏せをするための保護色だ。事実、俺の目でないと視覚的にワイバーンの姿を見ることは難しい。
鶏のような鶏冠が揺れ動き、その下についている縦に切れた瞳孔は、絶えず大きさを変えている。豹のナノマシンの体長の半分はある牙がガチガチと鳴り、長い尾っぽが幹を叩く。
その音は低く、野太く、巨人の行進を思わせる迫力だった。ぬらぬらとした鱗には無数の傷が走り、このワイバーンが戦い慣れしていることを想像させる。体長の割に短い手足には、鋭い爪が付いていた。この爪で何人の人間を屠ってきたのだろうか。大きさ、形、色から簡単に想像出来た。
ワイバーンは動かない。空から出てきた俺をじっと見つめている。恐らくは俺の魔力を測っているのだ。そして、困惑しているのだ。俺はインプを食らったが、だからといって完全に体に馴染んだとは言えない。先行して視覚に割り振ったので、体裁を保てているものの、馴染むのはもう少し時間がかかるものと思われる。
つまり、俺の体は魔力を発する部位とそうでない部位があり、それの差異がワイバーンを困惑させているのだ。
であるならば、今のうちにエリシャに知らせなければ。
「エリシャ! 空から絶対に出るな! 外にワイバーンがいる!」
「……! ワイバーンが!?」
「恐らくだが、ここはワイバーンの巣だったんだ!」
「Grrrrrrrrr!」
俺の大声にワイバーンが威嚇を始めた。これは見過ごしてくれなさそうだ。ワイバーンの巨体を支えるこの大木もそうだが、強靭な筋肉と硬い皮膚は、生半かな攻撃を弾き、傷を付けることすら敵わないだろう。
加えて、相手は精霊だ。俺が魔術の鎖を触れなかったことから、何の策も無しには触れることも出来ない。俺はインプの魔素を取り込んだナノマシンを大量に増殖させた。それらは、遺伝機能でより多くの魔素を含んだナノマシンへと進化する。
この世界では魔素を含ませた攻撃が非常に有効になる。それを踏まえての行動だ。一瞬急激な増加に目眩がしたが、なりふり構ってはいられない。
先に動いたのはワイバーンだった。頭上から強力な突撃をかまされた。俺はそれを避けて距離を取る。
「糞が……!」
スライムの姿では防戦一方だ。一応、ニードルを作り出し、ワイバーンに何度も突き刺そうとしているのだが、当たる気配はない。
「一度隙を作らなければ!」
着地したワイバーンが長い尾っぽを鞭のようにしならせ、俺へと攻撃してきた。俺はわざとこの攻撃に当たり、吹き飛ばされることで、増殖させたナノマシンを四つに分裂させ、同じ姿の俺を作り出す。
俺はワイバーンを取り囲むことに成功した。
良し! これならば避けられまい! 貰ったぞ!
『フラグですね』
うるさい黙ってろ!
俺は渾身の一撃をワイバーンにお見舞いした。魔素をニードルの先端に集め、硬い鱗を貫通しようと四本の太い槍がワイバーンに殺到する。
しかし、ワイバーンにそれが届くことはなかった。ワイバーンの放出する魔力が桁違いに上がる。ワイバーンは俺のニードルを魔力のみで打ち砕いた。
俺は絶句する。
「ネモ!」
エリシャが叫ぶが、気付いたときには遅かった。ワイバーンは俺の分身の内の一体を丸飲みにした。だが、これは勝機だ。このままワイバーンの内から破壊してやる!
『分身からの信号が途絶えました。完全に沈黙です』
「何!?」
俺のナノマシンが食われた? 何故だ? 侵食速度でナノマシンに勝てるわけがない。他に原因があるはずだ。
『いえ、侵食速度で完全に負けています。ここは一時撤退が宜しいかと……』
機巧核さんはこいつから逃げ切れるとでも思っているのだろうか? 絶対にそれは無理だ。このワイバーンはどんな手を使ってでも止めを差しに来る。
「糞が……!」
俺はもう一度叫んだ。
流石は森の王者だ。死角がない! 内も外も駄目となると何処から攻めればいいのやら……大体、ナノマシンの体になったからといって上手く行くはずがない。その土地の習慣、気候、生態系がすべて違う。これでは機巧核の強みが生かしようがない。情報が圧倒的に不足している。何か……! 何か……手はないのか?
そうして手をこまねいている間に、第二第三の分身が食べられた……残るは俺一人。機巧核さん、何か案はありませんか? このままでは俺はワイバーンに食べられてしまいます。
『無いことはありませんが、それには大きな代償を支払わなくてはなりません』
早く言え!
『現在、ナノマシンの魔素保有率は九十九パーセントに上ります。一度それらを破棄してください』
「…………」
今何と……? 俺の耳にはナノマシンを捨てろと聞こえたのだが、幻聴か? そんなことをしたら一瞬で食べられてしまうぞ。
『それでいいのです。食べられましょう……マスターはお忘れですか? ドラ司令官が出した鎖がどうなったことを』
ん? あれはドラ司令がエリシャを拘束するために出した鎖で……しかし、人間に使用する鎖の太さではなくて……猛獣やそれに準ずる……ん? まさかあれは俺を拘束するための鎖だったのか!? それが俺ではなく、エリシャに向かったこと……加えて、俺が鎖に触れられなかったこと……おいおい、まさかのまさかだよな。そんなことが可能なのかよ……良し……やってやるさ。やってやるとも!
「魔素を含んだナノマシンすべてをパージする! エリシャ! 少しそこで待っていてくれ!」
「ネモ!? 何をする気!?」
俺は本体と僅かなナノマシンを伴い空中に躍り出た。俺を覆うナノマシンは厚みが一センチにも満たない。魔素の流れも見えなくなり、ワイバーンの姿も掻き消えた。ただ、何かに体を挟まれる感覚と、狭い通り道を通る感覚だけが俺にはわかった。
……………………
………………
…………
……
俺はワイバーンを喰らうことに成功した。




