監視者
どれくらい走っていただろうか。俺はもう十分だろうと足を緩めた。サーマルカメラで見渡しても、遥か遠くに熱源が見えるものの直ちに驚異になり得るとも思えなかったので、放置することにした。
「これくらいでいいだろう。俺もそろそろ分離させたナノマシンを回収したい」
俺は本体である機巧核付近のナノマシンを分離させ、豹は遠隔操縦することにしてエリシャの肩に乗った。きちんと超音波カメラとサーマルカメラを併用し周囲を索敵する辜とは忘れない。
「ねえ、さっきネモはウィル・オー・ウィスプが見えなかったのよね?」
「ああ、見えなかった」
「じゃあどうしてちゃんと精霊たちがいない方に逃げられたの?」
「俺はいくつか『目』を持っている。今は生き物の発する熱を見る『目』に切り替えているから見えたんだ」
「その『目』はいくつあるの?」
「五つだ。まずはエリシャみたいな普通の『目』、次に今言った熱源を見る『目』、人間の可聴領域外の音を出してその跳ね返りで見る『目』に、一兆分の一秒の動きすら見える『目』、最後は重力を見る『目』だ」
「よくわからいけど、兎に角ネモは目がいいってこと?」
「まあ、そうだな」
ふうん、とエリシャは納得したらしく、俺を目線の高さまで抱えて前後左右から俺の目を探している。
「それはそうと、エリシャたちはどうやって精霊を見ているんだ? 何か魔法で見えるようにしているのか?」
「いいえ、魔法は使えないわ。ネモは魔族だから何てことないのでしょうけど、私たち人間は魔素的適性が低い生き物だから魔法は使えないの。代わりに魔術を使うのよ」
「魔術?」
「そうよ。空気中にある魔素を魔法陣で引き寄せて発動させる魔法を魔術というの」
「魔法は?」
「体内の魔素を消費して使うことを言うのよ。魔族は体が魔素で出来ているから沢山使えるけれど人間には無理ね」
成る程ね。ドラ司令の出した鎖も魔術によるものということか。物理法則もへったくれもないな。脱出するときに魔術師らしき兵士を攻撃していて本当に良かった。俺がエリシャに巻き付いた鎖を触れなかったのも、それが魔術だったから?
「いいえ、魔術や魔法で産み出されたものは魔素を含むものでしか触れないわ……ほんの少しでも含んでいればいいの。人間でさえ触れるくらいの量よ」
「…………」
だから俺は見えなかったのか。魔素を取り込んでいないから――しかし魔素はどうすれば取り込める? エリシャの話を聞く限りでは、固体の魔素を作るのは難しそうだ。空気中の魔素が膨大に必要となるだろう。
「ネモ? 近くに何かいない? どうしてもさっきから目線を感じるの」
不意にエリシャの様子がおかしくなった。びくびくと震え俺を胸に掻き抱くと、豹の首にしっかりと掴まった。
「俺の『目』には何も映っていないが……だが油断はいけないな。もしかしたら俺の『目』を盗める奴がいてもおかしくない。なんたって異世界だ」
「人じゃないかも」
「人ではない?」
「使い魔かも」
「インプとか?」
「うん。腐ってもインプは低級の魔族だから、私たちの目を欺くのも簡単よ」
姿を看破するには一定の魔素を保有しないといけないということだろう。であるならば、俺が魔素を取り込むことが出来れば、よりエリシャを守ることが易くなるに違いない。
俺の魔素保有飽和量がどれくらいか知らないが、まあ有機物さえあればいくらでも分裂できるのでいつか実験してみよう。
「……噂をすれば何とやらだ。来たぞ」
俺は予め周囲に充満させておいたナノマシンの流動性とサーマルカメラで尾行者を見つけ出すことに成功した。
そいつは木の上から俺たちを見下ろしていた。サーマルカメラではただのぼんやりとした熱源にしか見えない。が、確実にそこにいた。
大きさは三十センチにも満たない。しかし、仄かに見える輪郭は、ボールに手足をくっつけたような何とも不格好な輪郭だった。俺が言った通りである。
俺は常にナノマシンで周囲を索敵しながら進んでいるので、尾行者の存在を気取るのは容易い。もしそれにも反応せずに追跡できるのならばそれはもう人間ではないだろう。
「エリシャ、見て。あの木の上だ。人間の目には見えないけれど、あそこに尾行者がいる」
「本当に?」
「思った通りの姿だよ。まだ、向こうはこちらが気が付いていることに気が付いていない。仕掛けるのなら今の内だな……何!?」
突如、尾行者が姿を消した。
俺は知覚出来る範囲を三倍に拡張し、エリシャを守るようナノマシンを配置した。
尾行者はエリシャの背中に現れた。そして、鋭い爪を振りかぶり、彼女の心臓を一突きにせしめんと振り下ろした。
この尾行者の不運を挙げるとするならば、それはエリシャに俺が付いていたことだろう。俺は尾行者が何をするのかが一部始終見てとれた。だから、対策も容易に出来た。しかし、慢心はしない。俺は万が一のことに備えて、尾行者が現れた場所に一瞬でナノマシンを集め、球体の壁を尾行者の周りに作り出した。
尾行者は俺の作った檻に閉じ込められた。
「ネモ!」
「大丈夫だエリシャ!」
捕らえた尾行者は檻ごと地面にごとりと落ち、中から僅かではあるが許しを乞う声が聞こえた。
「これが尾行者? 何か随分と丸々としているわね」
「正確にはこの中にいる。でも、中にいる奴も似たようなものだな」
俺は早速尋問することにした。とはいえ、尋問するのに立ち止まってはいられないので、歩きながらだ。檻には自走させ、俺はその上に乗った。
「チイチイ、出してくれよう。俺はただの使い魔だよう。俺は主人の命令に従っているだけなんだ。だから出してくれよう」
「中々ふざけた奴だな。少しきつくしてみるか」
「チイチイ、そんなこと言うなよう。出してくれたら何でもするからさあ。秘密の文書から気になる子の入浴まで、色々覗けるんだぜ」
俺は檻の内部をゆっくりと縮めていくことした。質量を持つのならいつか押し潰されるはずだ。その前に自白するだろう。
今の大きさは直径四十センチ程。それが、徐々に小さくなっていき、三十センチになった。
「チイチイ、狭いよう! 出してくれよう! 大体あんたは何者なんだよ! 俺の目から見ると、あんたは生き物ですらないよ! この檻もとっても頑丈だし、魔術を使った形跡もないし……」
「うるさい。お前は何者だ?」
「俺はただのインプだよう。俺はドラに仕えているんだ」
「あいつか……」
ドラ司令は一人だけ早くに昏倒させられていたのもあって回復も早かった。インプが俺のことを追ってきているということは、この場所も割れている。彼が森を怖がってくれるかはわからないが期待してみよう。
「ドラの他に目を覚ました奴はいるか?」
「チイチイ、誰もいないよう。ご主人は滅茶滅茶怒っていて、お前たちのことを地の果てまで追いかけていって殺すって言っていたよう」
「…………殺す?」
「チイチイ、あんた怖いよう。俺は情報を吐いたんだから逃がしてくれよう」
「……殺すと言ったのか?」
「チイチイ、言っていたさ。危うく俺まで殺されそうになったよ」
いい度胸だ。一度は死んだエリシャを二度まで殺そうとするとは、俺に喧嘩を売っているということだよな。大事な仲間を殺すというならば、そうされる前に対策を打っておいても文句は言われまい。専守防衛だ。
昔俺の父親が言っていたことを思い出した。
大事な人に危険が迫っているのなら、お前が盾になれ。お前が盾となり、矛となれ。
俺はその言葉を反芻した。
遂に、檻の大きさが二十センチになった。
「チイチイ! 早く出してくれよう! もう限界だ! これ以上小さくはなれない!」
「もう少し頑張れ。……っと」
ふと、エリシャが俺を抱えあげた。そして、胸にかき抱く。
「殺すの?」
「生かしておいても意味がないからな。それに……ちょっとこいつを喰ってみたい」
「絶対美味しくないわよ」
俺はエリシャに抱かれながら、檻をどんどん小さくしていく。すると、インプがなりふり構っていられなくなったのか本性を現した。
「早く出せ! このうすら糞スライムがああ! 俺はインプ様だぞ! お前ら人間なんて一瞬で殺せるんだぞ! 早く出さないと、お前の女を犯して孕み袋にしてやる! うぇへへ! ああ楽しみだ! この女はどんな声で鳴いてくれるのだろうなあ!!」
エリシャが俺を強く抱き締めた。
それが合図だった。
俺は一瞬で檻を限界まで圧縮させる。
「うぇへへ! 純潔を貪り食らって……!」
その後には静寂が訪れた。インプの汚ならしい声は聞こえてこない。インプは死んだ。
俺は圧縮させた檻を解放し、中で未だ揺れ動いている熱源をナノマシンに食べさせてみる。正鵠を期すならば、ナノマシンが熱源を吸い込んだ、といった方がいい。しかし、細かいことはどうでもいいことだ。ただ俺は初めて地球にはいなかった生き物を補食した。
何とも不思議な感覚だ。一見すると、ただ空気を飲み込んだように感じるが、空気の中に暖かいところがあり、それを取り込むと、俺のナノマシンがほんのりと熱を帯びる。
俺はすべての熱源を食らった。すると、食らったナノマシンにある変化が起こった。ナノマシンたちが妙な光に包まれたのだ。光は熱に変わり、やがて冷める。しかし、それで終わりではなかった。俺のナノマシンが新たに空気中に大量に漂う何かを知覚出来るようになった。
それは魔素だった。




