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逃亡

 あいつらの見開かれた目を見せてやりたかった。

 天幕の上へ飛び上がる俺を天使か何かだと思っているのだろうか? まあ、わからなくもない。事実俺は頂点まで来ると、豹の姿から大きなコンドルに変身したのだから。

 眼下の兵隊たちは呆けた顔で俺を眺めている。見たこともない生き物を見れば誰もがそうなるだろうが、それにしてもあの顔は見物だった。

 …………ふむ、少し意地が悪いか。言葉を変えよう。

 エリシャのことを謀殺しようとしていた連中の顔を上から眺めるのは、思いの外楽しかった。

 悠々と上空を旋回し、奴等を視界に収めながら俺はナノマシンの粉末を下へ向かって散布する。

 ばらまいたナノマシンたちは、お互いの情報を常に同期しあっているので、俺が一つ命令を出せば一瞬で伝達し、その命令の遂行が可能なのである。

 その様な極悪非道の極みである俺のナノマシンたちは、それを露とも知らない愚かな兵隊たちに降り注いだ。

 俺がどんな命令を下すかって? そんなものは決まっている。俺の大事な保護対象に傷を付けた奴等には死刑お似合いだ…………何てね、冗談だよ。一時的に昏倒してもらうだけだ。

 下を見ればどうやら兵隊たちも状況を飲み込めたらしい。俺に向かって銃やら弓やら飛び道具を構え始めている。……ん? 中に数は少ないがローブを着込み、魔法陣の書かれた紙切れを翳している奴もいるではないか。

 恐らくあれからは鎖なり雷なり何かが飛び出してくるだろう。あの紙切れの力が不透明な内は、エリシャの安全を優先させて、無力化しておく方が良さそうだ。

 俺はいち早く魔法陣を持った人間を一瞬で全員把握すると、彼らに向かって音響攻撃を仕掛けた。簡単に言えば、人口音声に指向性を持たせて投射した。攻撃を受けた兵隊たちは、もんどり打ってのたうちまわり、耳を押さえて倒れ込んだ。

 その間に幾つもの銃弾や矢の雨をお見舞いされたが何のその。効かぬと言わんばかりの優雅さで、俺はそれらすべてを避け切る。

 魔術師らしき人間の近くでは一種の恐慌が現出されていた。俺から攻撃を受けたと気が付いても、端から見れば俺は何もしていないようにしか見えないから、魔術師たちがどうして倒れたのか理解できていないのだ。

 さて、パフォーマンスもここまでにして早く逃げなければ。いよいよ、俺は空中に散布したナノマシンたちに信号を送った。

 強力すぎる信号だ。それは散布されたナノマシンからもほぼ同時に発せられる。それこそ人間が直接食らえば昏倒は間違いない。稲妻と化したそれは、本来電気を通さないはずの空中にも伝播し、一帯を制圧する。

 金属の鎧や武器を持った兵たちが耐えられるはずもなく、為す術もなしに倒れていった。

 ナノマシンはこのために空中に散布したのだ。本当は微粒子状のナノマシンを吸い込んだ兵隊たちを操り、仲間割れを引き起こしたかったが、それは上手くいかなかった。

 代わりとしての電撃作戦だ。これが思いの外上手くいき、俺自身驚いている。

 いやはや、見事に決まった。今日の天気が良かったことが幸いだと断言できる。もし、雨なり風なりが降ったり、起こったりすればこれは成功しなかった。そういう意味では使い勝手の悪い攻撃方法である。




 俺は全員が昏倒したのを確かめると、駐留地へ来たときに通り抜けてきた森の中に着地した。切り離したナノマシンを回収しなくてはならない。

 森の中は陽光が届かないほど暗かった。幾重にも重なった小さな葉っぱたちが空に天然の屋根を作り出している。昨日の夜は雨が降ったのだろうか。未だ地面が湿っており、うっすらと靄のようなものも見えた。視界は五十メートルもない。

 ふと、背の高い木々がじっと俺を見ているような気がした。俺も負けじと見返した。それでも頑なに木々は俺たちから目を離さない。ここを通り抜けてきたときには全く感じなかった、妙な違和感が俺の背中をチクチクとつついた。

 何かがいる? 

 俺は直感的にそう感じた。

 だが、何がいる?

 周囲に超音波を飛ばしても反応するものはない。しかし、確実に何かがいる。何故、機械の体である俺も感じるのかはわからないが、ロボットの第六感というものだろうか?

 そのとき、エリシャが俺の中で目を覚ました。最早慣れたのか、動じることなく上体を起こして辺りを見渡す。相変わらず寝覚めは弱いらしく、ぼんやりと周囲の風景を確認していき……顔色が真っ青になった。


「お、おはようネモ。え、えーと、私が気を失っている間に色々あったみたいだけれど、ここはどこかしら? まさかじゃあないけど……森じゃあないわよね?」


「ああ、森だ。隠れるにはぴったりだからな。それと隠しておいたナノマシンの残りも回収したい」


「……。もう一度聞くわよ? 本っ当にここは森なの?」


「だからそうだと言っているだろう。何度も言わせるな」


「う、嘘でしょ? お願い嘘だと言って!」


「どうしてだ? 姿を隠すには森は一番だろ?」


「うぅ……。確かにそうだけれど……でも森だけは……」


 歯切れの悪いエリシャ。何やら森に悪い印象を持っているようだ。思えば確かに、森には人間の住む世界にはないある種の畏怖めいた何かを感じる。日本の白神山地やドイツのシュヴァルツヴァルトなどの名前が最たるものだろう。


「もしかしてエリシャの世界では、森は神聖な場所だったり禁足地だったりするのか?」


「ううん、そうじゃないの……森には精霊たちがいるのよ」


「精霊?」


 ヨーロッパに伝わる羽の生えた小さな小人のことを言っているのだろうか。悪戯好きでよく人間をからかい惑わすが、たまに宝の在り処を教えてくれたりする、ピクシーとかブラウニーみたいな幻想上の生き物?


「ええそうよ。人間を騙したり誘惑したり、もっと怖いのは人を食べる精霊もいるの。昔から森に近付いた人間は皆精霊に魅せられるって言われてて……私も父さんからよく聞かされてわ。だから……」


「すまない。それは知らなかった。じゃあすぐにここを抜けよう」


 俺はコンドルから豹の姿になった。


「……もう遅いわ。ねえ、あれを見て」


 エリシャは震える声で虚空を指差した。


「何もいないぞ」


「いるわ」


「何が?」


「ウィル・オー・ウィスプよ」


 俺は光学カメラからサーマルカメラに切り替えた。すると、エリシャの指差した先には確かに熱源反応があった。それは直径二十センチメートルくらいの球体で、ふわふわと浮いていた。それだけではない。少し離れた木陰にも同じような熱源がいくつも漂っている。


「逃げた方がいいか?」


「ええ、逃げないともっと深みに嵌まるわ」


「よしっ」


 エリシャの言葉が言い終わるのも待たずに俺は駆け出した。道中、いくつもの熱源を関知した。エリシャはそれを見るのも怖い様子で、ずっと俺の首に顔を埋めていた。

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