第九話 新しい仲間と勘違い
麗らかな日差しを背に、ユグラスト公爵の屋敷の裏庭で再び妖精たちが大集合していた。その注目を一身に浴びているのは、噴水の中で顔を赤らめている一人の少女である。
日の光を浴びて輝く金の髪と、少し色素の薄い緑閃石の瞳を持った美少女である。そしてその隣に立っているのは、薄桃色の淡いドレスをまとったこれまた可憐な少女、サーラだった。
「と、いうわけで、今日からロウィーナも屋敷で暮らすことになったから、みんな仲良くしてねー」
「「「「「はーい!」」」」」
『はーい……って違うだろ!』
思わず便乗しそうになり、慌ててしかめっ面でサーラを睨み付けるコリン。
「ん? どうしたの?」
『どうしたのじゃないだろそれはむしろこっちのセリフだよ! 何でこいつ連れてきちゃってるんだよ!』
噴水の中の少女をビシイッと指さして叫んだコリンに、ロウィーナはびくりと身をすくませた。ぱしゃりという水音と共にその身が一瞬で水中に沈む。
「あ、ちょっと、怖がらせちゃったじゃないのよ」
不満そうに口をとがらせたサーラは、優しく、しかし強引にロウィーナを水中から引っ張り出した。
「……あ、あの、ごめんなさい。私、あなたたちに危害を加えるつもりは……」
おどおどしながら一生懸命に声を出そうとするロウィーナ。
ただいま絶賛男性恐怖症中である。
失恋と言うにはあまりにも辛すぎるあの出来事は、ロウィーナの心を深くえぐっていた。コリンのような少年一人に怯えるくらいだから相当だ。まあもちろん、コリンの態度が悪いというのもあるのだが。
「えっと、えっと……」
サーラの後ろに隠れ、さらに噴水の中に隠れながら、少女はぺこりと頭を下げた。
「あ、あの、みなさん、えっと、これからよろしくお願いします……」
『結局居座るのかよ……』
「え、あの、ごめんなさい……」
舌打ちでもしそうなコリンの雰囲気に気圧されて、ロウィーナはつい涙目になる。すると、横からコリンの頭をぺしっとはたくものが現れた。
「やめなさいコリン。傷ついた淑女に向かって」
先ほどサーラの『還す』場面を一部始終見ていたサティラスである。手にはタオルと女性物の着換えがある。もちろんロウィーナのための物だ。
ウンディーネは四六時中水の中に居なければならないというわけではない。ただ、水の中のほうが体力が回復し、力が強くなるというだけのこと。人間でいうところの睡眠みたいなものだ。
「はい、これに着替えてください。ああ、まずは体を拭いてくださいね。そのままで屋敷中を歩かれては困りますので」
「は、はい、ありがとうございます」
「いえ」
サティラスは穏やかな微笑みを浮かべてタオルと着替えを差し出した。ロウィーナもほっとした様子でそれを受け取る。
その様子を見ていたサーラは何を思ったか、急にサティラスの腕をぐいと引っ張り耳に口を近づけた。
「女性に興味はないんじゃなかったの?」
「妖精に女性と男性の判断があるのかはあいまいなところでしょう」
「……さっき淑女って言ってたじゃない」
「それとこれとは別です」
何が別だというのだ、何が。
つっこみたくなる気持ちを抑えてロウィーナを見やる。彼女は幸せそうにタオルに顔をうずめていた。
……まあ、いいか。
彼女が幸せならば自分が口出しをする必要はないだろう。これ以上はお節介になる。
「じゃあ、ロウィーナ着替えてきて。サティラス、侍女たちのところまでこの子連れて行ってね」
「分かってますよ」
言うと、サティラスはさっとロウィーナを立ち上がらせ、彼女の髪と体をタオルでぐるぐる巻きにすると、あろうことか素早く横抱きにしてしまった。
「ふぇ!?」
驚いて逆に固まってしまったロウィーナは、なすすべもなくサティラスに連れられて行ってしまう。
「あ、あのあのあのあの!」
「どうしました? このほうが屋敷に入っても濡れないと思うのですが」
「えと、でも……!」
「侍女たちも仕事があります。待たせるといけないと思いますよ」
「だ、だからって抱える必要は……」
「この方が早いですから」
ああ言えばこう言う方式でロウィーナを丸め込んだサティラスは、悠々とした足取りで屋敷の中へと入っていった。
『そういえばサティラスってSだったな』
「思い出すのが遅いわよ……」
呆れたように額を押さえるサーラ。あれは男性恐怖症になってしまったロウィーナには少し刺激が強すぎるのではないだろうか。
いやでも、暴露療法というやつっぽいから逆に大丈夫か……?
いや、あれは怖いと思っているものにあえて身をさらし、怖くないことを確かめる方法であって、相手がサディストだったら何の意味もない。逆効果だ。
「後でフォローしとかないといけないわね……」
それとサティラスをとっちめよう、と心に決めた時。
「!?」
急に何か硬いものが首に巻き付いてきた。そして背中に結構な重みがのしかかる。
突如襲ってきたその得体の知れないものに悲鳴をあげそうになりながら、サーラは確信をもって後ろを振り向いた。こんなことをサーラにするのはただ一人である。
「アラン、何してるの」
非難するようにそのアメジストのような瞳を見つめ、ぐっと足腰に力を込める。
アランは長身痩躯だが、だからと言って重さがないわけではない。一介の令嬢であるサーラにとってはのしかかられるのは苦痛でしかない。
「重いわ、やめ…………どうしたの?」
しかし、アランの瞳をよく見て、サーラは訝しげに首を傾けた。
その瞳は相変わらず透明だが、サーラには分かる。これは何かが不満な時のアランの表情だ。こんなことをしてくるあたり、原因は自分にあるのだろうということは予想がつくが、さっぱり心当たりが見つからない。
しばらく重みに足を踏ん張って耐えていると、不意にアランが少し身を起こした。思わず力が抜けるが、首に巻き付いた手の力だけは一向に緩まらない。
「……私、何かした?」
本当に分からないので率直に尋ねると、アランはまっすぐにこちらを見下ろして口を開いた。透き通った氷のような銀髪が顔にかかる。
「浮気はしないでほしい」
「は……?」
アランの口から飛び出た衝撃発言に、サーラの動きは完全に停止した。
ウワキ……うわき……浮気? 自分が?
漢字変換を終えてなお、サーラはアランの言っている意味が分からなかった。今の自分のどこに浮気する余地があったというのか。大体妖精達全員の目の前でそんな馬鹿なことをするものではないだろう、普通は。
浮気は最低だという認識をしているし、そもそもアランしか見えていないサーラには、浮気をしろと言われても即座に却下することしか出来ない。
そんなサーラの心境などお構いなしに、アランはさらに言い募る。
「サティラスの顔に、口づけをしていた」
「は!?」
ますます身に覚えのないことを言われて、さらにサーラは困惑した。確かにサティラスとは先ほどまで一緒だったが、そんなことはしていないし、したいとも思わない。サディストは嫌いだ。
「何を言っているのか分からないわ………私がいつそんなふしだらなことをあの変態サディスト野郎にしたっていうの」
困惑の後には怒りがふつふつと沸いてきた。一体何を見てそんなことを言うのだろう。アランは自分を信じてくれないのだろうか。
『おーい、なんか誤解があるみたいだけど』
すると、なぜか呆れた表情でしゃしゃり出てきたコリンが二人を交互に見た。
『アランって、あそこから見てたんだよな?』
言いながら、コリンはサーラの背後にある茂みを指さす。その確認に、アランは事務的に頷いた。
「そうだよ、あそこが一番寝心地がいいんだ。さっきまで寝てたけど、サーラたちの声がしたから起きた」
寝ていたのか。道理で屋敷中を探してもいないはずだ。
そんなことを考えていると、コリンは『やっぱりか』と一人納得していた。どういうことかわからずに首を傾げる。といっても首をがっちりホールドされているので、顔が少し動いただけだが。
「何がやっぱりなの?」
聞くと、コリンは肩を竦めつつ答えた。
『さっき、お前サティラスに耳うちしただろ。それって、あそこから見ると頬にキスしているように見えるんじゃないかって思っただけだ』
事の真相をあっさりと語られ、サーラはぱちくりとする。アランも同様なようで、首に巻き付いていた腕があっさりと離れた。
「え……つまりの、勘違いってこと?」
振り向いてそう言うと、アランは気まずそうに目を逸らした。なんだか可愛らしい。思わぬところで新しい表情の発見だ。
「……ごめん。早とちりしたよ」
こちらを見ないように、しっかりと目まで閉じながらそう言うアランに、サーラは思わず噴き出した。
「あはははは! そんなに思いつめなくてもいいわよ~、怒ってないから」
それでもかたくなにこちらを見ようとしないアランを見て嘆息し、サーラはそろりとかかとを上げた。ぐっと背筋を伸ばしてその両肩に触れる寸前まで手を近づけると、意を決したようにがっと掴み、全身全霊で自分の体を彼に近づける。
そして驚く彼がこちらを向く前に、サーラはその頬に唇を押し付け、さっと離れた。その時間、わずか数秒である。
「これでいいでしょ。怒ってないから、今度からはもう少し私を信じてね」
アランはそれには答えずに、柔らかなものが触れた自分の肌を触った。
「そうか……今度は唇にしてほしい」
「あとでならいいわよ。今はお茶しましょ」
何事もなかったかのようにアランの手を握って、少女は屈託なく笑う。アランはそんなサーラに一つ頷き、お茶を飲むためのスペースがある薔薇園に向かって歩き始めた。
そんな様子を、あんぐりと口を開けて見つめていたコリンは掠れた声を上げた。
『なんだよあいつら。恋愛のプロか? 化け物か?』
どちらかというと後者に近いような気がしてきた。コリンにとっては、今の二人が何故かとてつもない脅威になっている。
ほかの妖精がうらやましそうに二人を見ながら頬を染めている間、コリンはずっとぽかんとしていて上の空であり、それは見かねたリリスが軽口をたたきにやってくるまで続いた。