No.9
No.9
「……うっ、……こ、ここは……?」
シンが『気絶状態』から目を覚ますと、そこは『高殿の搭』にある。飲食が出来るフリースペースのテーブル席であった。
「あら、目が覚めたのね。気分はどう?」
「貴女は……Dさん」
シンが目覚めた前の席では、導き者・Dが眼鏡を掛け、本を片手に読んでいた。
「目の前がいきなり真っ暗に……もしかしてあれが『死亡』ですか?」
シンは自分の先程の状況を冷静に分析するが少し見当違いな結論に至った。
それを聞いていた導き者・Dは。
「違うわよ。『気絶状態』よ。まったく、こちらの世界ではあなたの体は弱体化してるってことを忘れてたんじゃないの? 向こうの世界と同じように行動したら、こっちの世界での体は付いていけないわよ」
「申し訳ありません。つい、同じような感覚で動いてしまって、ご迷惑をお掛けしたようで」
「気にしないで良いわよ。私たちじゃなくても誰かがきっとあなたを助けていたわ。今回はそうね」
そう言って導き者・Dは本から目線を外し。チラリと奥のテーブルに視線を送る。
そこには山。文字通りに山となっているチャーハンを一心不乱に貪り食べているのは、あの定食屋にいた猿の賢獣であった。
「ガツガツガツガツガツガツガツガツガツガツ!!!!」
「もうちょっと待っててねおさるさん。もうすぐ追加の分が出来るからねー」
バーテンダーの居る簡易厨房から明るい声の女性が猿の賢獣へと向けられる。
猿の賢獣はその声に尻尾で答え。更にチャーハンを食べるスピードを上げた。
「あの賢獣の方が?」
「そうね。大分気にしていたみないね」
「……そうですか。お礼をーーー」
「今は止めておきなさい。食べているあの子達の食事を邪魔すると怒るわよ。それにもうしばらく待ってなさい。今あの子があなたの分の料理も作ってるから」
立ち上がって猿の賢獣にお礼を述べに行こうとしたシンを止め。そのまま席で待っていろと言う導き者・D。
「いえ、しかし。ご迷惑をお掛けして食事までと言うのは……」
「食べずに行ってまた倒れたら、あの子が何のためにあなたを助けたのか分からなくなるわよ。お礼をしたいと言うのなら、先ずは食事をしっかり取って、元気になるのが、お礼になると私は思うけど」
導き者・Dの言葉に確かに失礼に当たると、頷こうとした時。
「それにね。あなたがこちらで倒れたってことは、普段からそんな生活をしていたってことでしょう?
別にその生活に対して私がとやかく言える権利は無いけど、それでもあなたの周りにいた人たちが心配していたと思うの」
導き者・Dは読んでいた本を閉じ。説教染みた言葉を言い始めた。
ああ……始まったわ。こいつ気に掛ける人間が出来て、無茶な行動を起こしたりする奴が要ると説教するんだよな。自分も昔はよく説教されたわ……。
「あ、いえ、Dさん……」
「なに? もしかしてあなたは向こうの世界ではそんな生活をして来てなかったって言うの? なら私の勘違いと言うことで謝るけど」
見た目からは到底出せる筈の無い貫禄に圧倒され。シンは押し黙ったように「……違いがありません」と、そう答えることしかできなかった。
「あなたは私の知っている人とは性格は違うけど、自分が大丈夫と思えば、平気で無茶なことをするタイプよ。それが良い結果を生む時もあるけど、命を落とす時もあるんだからね。あなたはそこで終わっても良いと思うかもしれないけど、そこで残された人はどう思うかってことを考えるのーーー」
「お姉さまお話はそれくらいにしよう。お腹すいてる人にご飯を我慢させるのはよくないと思うの」
長い説教を始めた導き者・Dの言葉を止めたのは、簡易厨房で料理をしていた女性であった。
「うっ……確かにそうね。ごめんなさい……出すぎた言葉だったわ」
「いえ、ご心配をして頂きありがとうございます。私の方も今後は気を配り、注意していきたいと思います」
導き者・Dの言葉を真摯に受け止め。今後の糧とすることを誓うシン。
ああ気にすること無いぞ。年寄りの説教は長いってやつだ。
「ーーームッ! 『踊れ! 舞え! 木々たちよ! 不埒なモノに鉄槌を下せ!』」
突如導き者・Dは短い術式の言葉を紡ぐ。
すると『高殿の搭』に備え付けられていた植木が、まるで動物のように躍動し。その場で暴れまわる。
ーーーどわっ!? あぶねえー! 他の誰かに当たったrーーー
「ーーーだあああ!? なんだ!? 急に植木が襲ってきた!?」
「誰だ! 塔の中で術式使ったやつは!」
「縛れ縛れ! 動きを制限しろ! 術が解けるまで押さえつけろ!」
『高殿の搭』の中に居た渡界者達に犠牲者が出た。
……どうすんだよおい……。関係ない奴らに被害が出てるじゃないか……。
しかしこちらの事情など知ったことかと言うように、導き者・Dはそっぽを向いて知らんぷりしていた。
「……お姉さま」
「平気よ。あいつが何とかするわよ」
「向こう側が騒がしいようですが、何かあったのでしょうか?」
「あなたが気にする必要はないわ。ちょっと女性に対して心無い言葉を言ったバカが居ただけよ」
「……はあ、そうですか」
シンは導き者・Dの言葉に何かしらあったことを感じ取ったが、若干刺々しい言い方に突っ込んで聞かない方が懸命と思い黙る。
そんな黙っていたシンの前にチャーハンの小山を置く女性。
「はいご飯。好き嫌いが有るかどうか分からなかったから適当に作ちゃったけど、食べれる?」
そう聞いてきたのは、黒をベースに朱色の色が混じったロングの髪を、桃の花が描かれた木で作られた髪留めで束ね、纏めている。
年齢は十七、八くらいのまだ少女と言っても差し支えないほどの見た目の、身軽な服装をした女性。
そして年齢の割には女性として羨むほど豊かな体つき。細くしなやかな手足。
しかしこちらも見た目とは裏腹に極限まで無駄な筋肉を落とした、スポーツ等をしている者の体であることが伺えた。
実際にシンは彼女の立ち居い振舞いから何かしらの。そう立ち技系の格闘技をしている者の雰囲気を感じ取った。
「あ、いえ、食べれないものはありません。しかし宜しいのでしょうか?」
「うん! 食べて! そのために作ったの」
天真爛漫と年不相応にも感じさせられる彼女の笑顔。だがその笑顔は作り笑顔や愛想の笑顔ではなく。本当に心からの笑顔であることが分かる笑顔であった。
「ありがとうございます。ええっと……」
「わたし? わたしは導師・T。『傭兵ギルド』のギルド長をしてるよ。それでお姉さまの義妹だよ」
「Tさんとお呼びしても?」
「うん。いいよー」
導師・Tが笑顔で答えるとエメラルド色をした虎柄の小猫が、導師Tの頭の上にちょこんと乗り。自分も自己紹介をすると言うように声を上げ鳴いた。
「うにゃーん」
「あ、虎次郎。この子はねえ、虎次郎って言うの」
「にゃ~ん」
「その毛並み。それからその虎縞模様からして、虎の賢獣の方ですか?」
「うにゃ!? うにゃにゃーん!」
「すごーい! 虎次郎の事すぐにわかった人がいた!」
虎の賢獣の正体をすぐに看破できた者がいたと、導師・Tと虎の賢獣がはしゃいで喜ぶ。
それを止めたのが導き者・Dである。
「こらこら。今度はあなたがご飯を食べさせないようにしてどうするの。ほらあなたも話はいいから、先ずはご飯を食べなさい」
導き者・Dが食事を食べるようにシンに促すが、流石にこの量は食べきれないと思うシンであった。
そしてたまたま自分と同じように導師・Tの食事を食べている猿の賢獣と目が合う。
猿の賢獣はそのぬいぐるみの様な愛らしい顔から一転。やたらと彫りの深い劇画調の顔となり。チャーハンを食べていたスプーンを両手で剣のように構え。
「ウキキィ……ウキッ!」(別に、残して貰っても構わんのだよ……残ったものはオレがすべて食す!)
と、シンには伝わらない言葉であったが、その雰囲気から何を言っているかを悟ったのであった。
しかしそんな猿の賢獣の言葉よりも、猿の賢獣の顔が変化したことに大いに驚く。
「えっ!? 賢獣の方の表情がッ!?」
シンの驚きに何を驚いているのかと、シンの向けている視線の方を見て。
「ああ、あなたはこの子達の表情が変わるところを見るのは初めて?」
「……はい。あれは一体どう言う理屈なのでしょうか? 骨格から変わられてますが……」
「さあ? 私たちもあの子達の表情がなんでこんなに変化するのかは知らないわ。ただ、あの子達がものすごく真剣だったり。ひどく驚いたりするとああ言った表情になるわよ。そうそう、特に猿の賢獣はよく変わるわね」
「生命の神秘を通りすぎていますが……」
「深く考えない方が良いわよ。ああ言った"生き物"とでも思っておきなさい。それより早く食べなさい。この子の料理がちゃんと美味しいことは保証するから」
そうだな。おまえの料理は料理であって料理じゃないからな。あれはどちらかと言うと料理をする材料で毒物を生成してると言った方が近いな。
「『鋭く棘在るモノよ。急ぎ。素早く。彼の者を刺し貫け!!』」
うぎゃあぁあぁああああ!! ケツに! ケツに棘があああ!!
「ちきしょう! 今度はこっちの植物から棘が飛んで来やがった!」
「誰か盾を! いやダメだ! 鉄すら貫通してくる術だ! 誰が障壁の術式を組め!」
「ムフー! いまどこかで誰かのおしりがスゴいことになってる気がする! どこ! どこのだれ!?」
「なんなんだ今日の塔は!? 突発的なイベントか!?」
「こんなイベ要らねぇよ! くそっ! 誰ださっきから術を使ってるのは! それからそこの腐女子は黙らせろ!」
遠くの方では阿鼻叫喚となった地獄絵図の様な状況になっていた。
こちら側はそんな状況になっていたが、シン達に影響することなく。食事が続けられる。
そしてシンに出された料理は、シンが思っていた通りに半分も食べきれることができず。猿の賢獣がラッキーっと言う様な表情をして、シンの分まで平らげたのであった。
「折角作って頂いたのに残してしまい。申し訳ありません」
「ううん。ご飯一杯食べれたなら良いよ。残ったご飯もおさるさんが食べてくれたし」
シンは結局自分が予想していた通りに山盛りに盛られたチャーハンの山を、半ばに行くことも出来ずにギブアップした。
その残りを嬉しそうに猿の賢獣が掻き込んで食べて、その腹を膨らせ。満腹感に身を委ねていた。
そして導き者・Dは読んでいた本を仕舞い。席を立ち。調理道具など使ったものをすべて洗い終わり。帰り支度をしていた導師・Tの方を見て。
「貴女も悪かったわね。仕事中に呼び出して」
「ううん平気だよ。また何かあったら呼んでねお姉さま。あなたももし『傭兵ギルド』に来たら声をかけてね」
「にゃーん」
「ごちそうさまでした」
手を振って帰っていく導師・Tと虎の賢獣に慌てて礼を言うシン。
そんなシンに変わらぬ天真爛漫な笑顔で去っていった。
「さてと、私も仕事があるからこれで失礼するわ。何度も言うのもあれだけど。今後はきちんと食事を取って。適度に休憩を入れて。自分の体を労りなさい」
「はい。わかりました。この度はどうもお騒がせして申し訳ありませんでした。今度お礼をーーー」
「それは気にする必要はないわ。これも今の私たちの仕事のひとつだから」
それから導き者・Dは猿の賢獣を見て。
「あなたはどうするの? 帰るの? それともーーー」
その先の言葉を告げず何かを確認するように猿の賢獣を見続ける。
そうして見続けていると。膨らんでいた猿の賢獣の腹が萎んでいく風船のように小さくなる。
そして食休みは終わったと言うように立ち上がり。シンの方をチラリと見て、首を捻り考えてから。
「ウキ」(帰る)
と、短く告げると。『高殿の搭』を去っていった。
「フラれたわね」
「どう言うことでしょう?」
「あの子があなたの事を心配していたからね。もしかしたら気に入ったのかも、とも思ったんだけれど」
賢獣。彼らは仲間する事が可能な存在である。
しかし既存のモンスター類とは違い。通常のテイムの方法では彼らは仲間にはならない。
それは彼らが人と同じほどの知能を持っていることも関係するが、それ以上に彼らは『人の心を読む』と言う特異な力を持っている。
それ故に彼らは人の心根を知り。その人物の善悪を計る。
そして自分達がその人物に付いていっても良いと思えた時、賢獣は渡界者達に付いていく。
そう言う意味ではシンは猿の賢獣に気に掛けられる存在ではあるが、まだ一緒に付いていこうと言う気にはなれない人物だと言われたのと同じなのである。
「じゃあ私も自分の仕事に戻るわ」
「Dさん。本日は本当にご迷惑をお掛けしました」
何度も礼を言い。頭を下げるシンに苦笑し。手を振ってその場を離れていくシン。
その場にただ一人残ったシンは、普段であればすぐに仕事を探しに向かう自分であるのだが、導き者・Dに言われた通りに、少し自分を労り。休憩してからまた仕事を探しにいこうと決めたのだった。
そしてーーー
「だれか! 誰が救命者の職業持ちはいませんかー! 仲間が! 仲間が重症なんです!」
「ちくしょう! なんなんだ! この植物は!? 斬っても斬ってもそこから再生しやがる!」
「やめろ! くるな! もう尻を狙うのは勘弁してくれ!」
「だれか! 誰か助けてくださいー!」
後ろでは本当に地獄と化した戦場で、渡界者達が木々を相手に奮闘していた。
そして重傷者が続出している戦場に、本来この場所には絶対に現れる筈のない治療を得意とする賢獣が現れた。
あなたの心の声、確かに聞き届けました。
何処からともなく女性の声が聞こえてくる。
「ゲッ!? この声は!?」
メェ~ディカル。ケミカル。メェ~ディック。
心の叫びを聞き届けたなら、必ずあなたの下へ駆けつけましょう。
「不味い奴だ! 何で『聖地』でもないのに現れるんだ!?」
「お待たせいたしましたですよ。聖なる地の流浪の薬師『メェメェ』。緊急と聞き、駆けつけてきた、ですよ!」
何処からともなく現れた紫色のファンシーな羊の賢獣がくるりっんと、その場で一回転をしてポーズをとる。
その仕草に和ませる雰囲気がある羊の賢獣。
この賢獣は『薬羊護』と書きメェメェと読む。
メェメェは賢獣のなかでも取り分け珍しい『ですよ』と言う語尾がつくが、人語を解する事のできる賢獣である。
『聖地』内では怪我をしたものに対して無料で治療を行う心優しき賢獣であるのだが……。
「誰も呼んでねえ!」
「なんで猿の賢獣以外の賢獣が単独で『聖地』から出てくるんだよ!? こんなのバグだろうが!」
「いやあああああ!? メェメェだあああああ!!」
阿鼻叫喚としていた地獄に更なるメェメェの出現で、辛うじて正気を保っていた渡界者達の精神が異常に来してしまった。
「みんな失礼ですよ。メェメェ患者さんが居るところならどこへでも行くですよ? 『聖地』にいるのはお薬の材料がたくさんあるから、患者さんが居てもすぐに対応できるからですよ。と、言うわけで、ですよ。治療を開始するですよ。大丈夫ですよー。みんなちゃんとメェメェが治すですよー!」
メェメェはそのモコモコな毛の中に手を入れ、出すと。薬箱が握られていた。
そして渡界者達に向かって。
「ヒャッホーイ♪ ここには患者さんがたくさんいるですよ♪ 今度からメェメェ『聖地』だけじゃなくて、町の方にも様子を見に来るようにするですよ~♪」
ものすごい良い笑顔で治療を始めるメェメェ。
彼女の治療は確かに適切だ。怪我を負った渡界者達がみるみる内に治っていく。
ーーーしかし。
「がっああああ!? マ、マ、マ、ヒヒヒ!?」
「おや? ですよ。この薬を混ぜて使うと麻痺の効果があるようですよ。大丈夫ですよ。これもすぐ治すですよ」
「ささささぶぶぶぶぶぶっ!!!」
「こっちは冷症ですよ?」
「ぎゃああああ!? くるな!? くるな!? くるなあああーーーガクッ……」
「まだなにもしてないですよ? 大人しくするですよ。えいっ! ですよ!」
と、まあ、治療にかこつけて渡界者達に未知の新薬を使っていたりするので、渡界者達からは紫の悪魔として怖がられる存在であった。
「あなたも怪我してるですよ。治すですよ」
自分で直せるから! いい!!
「素人治療はダメですよ。専門家に任せるですよ。特にあなたはひどいですよ。見せるですよ」
新しい治療薬を試したいだけのくせに! やめろ! くるな! ぶっとばすぞぉおおおお!!
「メェメェは治療を行うだけですよ? 改造手術は行わないですよ。それにメェメェのモットーは『患者であるなら、たとえ死人でも治してみせる』ですよ。さあ、治療を開始するですよ」
どこかの『死線』持ち少女のような言い分でにじり寄ってくるメェメェ。
そしてあえなく語り部もメェメェの(無理やりの)治療が施された。
びきゃあああああ!!??
「これは毒物に変化してたですよ。メェメェちょっと失敗したですよ。でも、治すから平気ですよ」
この日『高殿の搭』では、メェメェの治療が奮われたのであった。
「……自分の体を大事に、ですか。久しく言われてなかった言葉ですね」
そんな地獄となった場所とは違い。フードコートでは、導き者・Dに言われた言葉を反芻するように呟いていたシンがいた。
敢えて副題を付けるなら『紫。襲来』でしょうか。
次回は11月18日の更新となります。