父の願い
久々の更新。ミナの父・ヴァガンス視点です(三人称)
「お前がいれば、我が家は安泰だ」
「兄さん、すごい!」
「その年で、よくぞそこまで……素晴らしい! 天才だ!」
そんな風に、よく家族にも他人にも褒められたが――彼からすれば、教えられた通りにやっただけだ。本当に、ただそれだけで。逆に何の応用も、工夫もしていないのに。
(私はそんな、褒められるような人間じゃない)
そもそも褒められて素直に喜べない辺り、出来が良い良くない以前に人としてどうかと思う。
けれど周りの評価は高くなる一方で、本人が否定しても聞いては貰えず――結果、その落差に耐えられなくなったヴァガンスは、全てを捨てて逃げ出した。発作的な逃走の為、金など持っておらず。それでも少しでも故郷から離れたくて昼夜問わず歩き続け、とある村の外れで倒れてしまったのである。
「あなた、成人しているんでしょう? それなのにいい年して、空腹と睡眠不足で倒れるなんて……馬鹿なの?」
そんなヴァガンスを、助けてくれた女性――後の妻は、呆れて叱ることで彼の心も救ってくれた。
※
昔は天才だ神童だと言われたが、今の彼はただの平民である。そしてマナーとして、発言は目上の者からと言うものがある。
「ようこそ、ディアスキアへ。私はシラン・セイフ・ディアスキアです」
「初めまして……ミナの父の、ヴァガンスです」
それ故、先王の弟である青年に声をかけられてから、彼は挨拶をした。顔を上げた先、シランの横では久しぶりに会う娘が緊張した表情を浮かべている。多分、傍から見ていると瓶底眼鏡で気づかれないだろうが、父であるヴァガンスには解る。
(そりゃあ、そうだろう……結婚を決めた相手と、父である私の顔合わせなんだから)
あとは、ヴァガンスが何か言い出さないか心配しているのだろう。
……まあ、その心配は正しい。身分差を考えて、そう何度も会える相手ではないのだ。それならば今日、言いたいことを言うつもりである。
そんなことを考えているうちに、高級そうなソファへの着席を促され、同じく高級そうな紅茶を出されたところで、義理の息子になるシランとの会話が始まった。
「本来なら、こちらからご挨拶に行くべきだったのですが……まずは、ご足労頂き感謝します」
「いえ、小さな村ですのでお断り致しました。娘はもう、成人して自立しておりますし……ですが、これからのお願いは持参金と言うには少々、大掛かりですので。本日は、こうして貴重なお時間を取って頂きました。こちらこそ、感謝しております」
にこにこ、にこにこ。
笑顔での言葉に、娘とシランが僅かに、けれど確かに動きを止める。
しばしの沈黙――その中で、口を開いたのはシランだった。
「……大掛かり、とは?」
「実は昔、私は娘に『勉強がしたい』と言われたことがありまして」
ヴァガンスの言葉に、口こそ出さなかったがミナがハッと顔を上げて彼を見る。一方、娘の話が聞きたいのか向かいに座るシランは身を乗り出してきていた。
(ミナが愛されていて、何よりだ)
しみじみと思いつつ、ヴァガンスは話の先を続けた。
「ただ、平民だからと諦めようとしていました……幸い、私に多少の知識があったので、勉強を教えることが出来ましたが……それは本当に偶然であり、結果論です。私はあの時、己の無力を痛感しました」
「そんな……」
「……だから、決めていたんです。本人は生涯、一人で生きていくと言っていましたが……もし、誰かに嫁ぐ時には私の願いを伝えようと」
申し訳なさそうな娘に、安心させるように微笑んで見せて。
そこで一旦、言葉を切ると彼はシランの琥珀色の瞳を見つめて口を開いた。
「娘が、そしてその子供が働きたい、学びたいと望んだら可能な限り叶えてほしいのです……いかがでしょう? 叶えて頂けますか?」
「……可能な限り」
「はい」
そう、たとえば同じ村人ならミナや孫に反対さえしなければ良い。
もし商人など、多少の余裕があるのなら娘の支援。あと孫には学校や、教師を。
万が一、貴族なら――孫への教育の他、ミナには富裕層の働き先を紹介してほしい。
……もっとも、他国の王族は想定外だったので、どこまで叶えて貰えるかは思いつかなかったけれど。
「そうですね……ならば私は、彼女の職場を用意しましょう」
「……えっ?」
「元々、考えていたんです。ミナのような女性の家庭教師は今後、もっと必要になると……最初は独立した学校ではなく、特別クラスの扱いになると思いますが」
「シラン様、初耳です」
「そうだろうね。ある程度、形になってから打ち明けるつもりだったから……君には講師をお願いすると思うけど、良いかな?」
「……逆に、良いのですか?」
「勿論」
「ありがとうございます」
「どう致しまして……あ、我が子にはいくつか選択肢を与え、将来の希望が出たら出来るだけ支援するつもりです……どうでしょう? 私は、合格でしょうか?」
言葉通り、ミナも聞いていなかったのだろう。驚きの声を上げ、シランの説明に恐縮しつつも、最後にはお礼を言っていた。
そんな娘に満足そうに微笑むと、シランはヴァガンスにそう尋ねてきた。
(ああ、彼女が言った通りだ)
……思い出したのは昔、何度も言われた妻の言葉だ。
最初、馬鹿扱いをされたが畑仕事や料理をすぐ覚えたヴァガンスに、亡き妻は驚いた。けれど出会いが出会いだったので、事あるごとにヴァガンスに言ってきた。
「いい? 確かにあなたは色々と器用だけど……針仕事だけは、未だに苦手でしょう? 一人に出来ることには、限界があるの。だから全部、自分でやるんじゃなくて、ちゃんと人に頼らないと駄目よ? そうすれば、もっともっと良くなるから」
そう、大抵のことは人並み以上に出来たが、針仕事だけはどれだけ頑張っても駄目だった。
逆に亡き妻は、そんな針仕事で生計を立てる程で――村娘で、学校になど通っていないが妻はいつも真っ直ぐで、逆に余計な知識がない分正しかった。現に彼女の言った通り、ミナは女性としての幸せの他に、仕事まで保証されることになった。
「勿論です。娘をどうか、よろしくお願いします」
だからシランの言葉に満足し、ヴァガンスはそう言って頭を下げた。
……そして今なら幻滅されようが、逆に崇拝され続けていようが受け流せるので、久々に弟に会って来ようと思った。
 




