第3話:引き抜かれた運命
創作話
エイデンが十四歳になった頃の、ある酷く冷え込む夜のことだった。
日が完全に落ち、祈りの時間が終わっても、エイデンにはまだ仕事が残されていた。神官たちから「昼の分の贖いだ」と押し付けられた、誰もいなくなった礼拝堂の裏手へと続く、長く暗い回廊の床掃除だった。
冷たい井戸水に浸した雑巾を絞り、冷え切った石床に膝をついて、黙々と手を動かす。地上の華やかな光から隔離されたこの薄暗い通路こそが、彼のいつもの仕事場だった。
パタパタと、不自然に慌ただしい足音が静まり返った回廊に響いたのは、その時だった。
「おい、隠せ! 誰かいるぞ!」
聞こえてきたのは、教会が運営する孤児院の、体格の良い少年たちの声だった。未来の兵士を目指して日々身体を鍛えている、粗暴な子供たちだ。彼らは夜中に寮を抜け出し、教会の厨房から食料を盗み出して分け合おうとしていたところだった。
運悪く、曲がり角でバケツを持ったエイデンと正面から鉢合わせてしまう。
「……なんだ、キノコ男かよ。驚かせやがって」
中心に立つ大柄な少年が、盗んだパンを背後に隠しながら、忌々しげにエイデンの胸元を小突いた。その拳がエイデンの信じられないほど頑強な胸板に当たり、少年の方がわずかに顔をしかめたが、彼は体面を繕うように声を張り上げた。
「おい、お前、こんな時間にここで何を見てた? 神官たちにチクる気じゃねえだろうな」
「ううん、僕、何も見てない、です……掃除をしてただけで……」
「信用できねえな。おい、だったらお前にいい役割をやるよ。教会の最奥の祭壇に祀られてるだろ? 選ばれし勇者にしか抜けないっていう『聖剣』がさ。今からあれに触ってこい。証拠に、祭壇の飾り布を一枚破って持ってくるんだ。できなきゃ明日からお前の飯は全部俺たちのものだ。神官たちにお前が盗みを働こうとしてたって嘘を吹き込んでやるからな」
エイデンは恐怖に肩を震わせ、白銀の髪の隙間から碧い瞳を泳がせながら、ただトボトボと頷くことしかできなかった。神官に嘘を吹き込まれて、ただでさえ狭い地下室の居場所すら失うことの方が、自信のないエイデンにとっては恐ろしかった。
少年たちに背中を押され、エイデンは裸足のまま、冷たい石床の感触に身体を強張らせながら、最奥の礼拝堂へと忍び込んだ。
高い天井。ステンドグラスを透過した青い月光が、厳かな祭壇をうっすらと照らし出している。その中心に、数百年の間、誰の手によっても微動だにしなかった伝説の聖剣が、深く台座に突き刺さっていた。
「触るだけ……触るだけだから……」
エイデンは心臓をバクバクと激しく高鳴らせながら、おそるおそる台座へ近づいた。震える両手を伸ばし、冷徹な意匠が施された聖剣の柄に、そっと指先をかける。
その刹那。
静寂を切り裂いて、コツン、と鋭い足音が遠くの廊下から響いた。夜間の見回りの神官が持つランタンの明かりが、壁を伝って近づいてくる。
(見つかったら、大変なことになる……! 猛烈に怒られて、今度こそ地下室から追い出されてしまう!)
恐怖で頭が真っ白になったエイデンは、咄嗟に【剣の柄を強く掴んだまま】、すぐ近くにある太い大理石の柱の物陰に飛び込もうとした。引き抜こうという意志など、微塵もなかった。ただ、必死に掴んでいただけだった。
しかし、その瞬間、彼の魂の奥底に眠っていた「天上の細工」が、聖剣の放つ神聖な魔力と完全に共鳴した。
聖剣は、その底なしに清らかで、誰よりも強大な少年を【正真正銘の、真の勇者】として認めた。
抵抗は一切なかった。まるで熱いナイフを温かいバターに滑り込ませるかのように、あるいは最初から固定などされていなかったかのように、光と共に「するり」と、音もなく呆気なく、聖剣は台座から抜けてしまった。
「え……?」
物陰に飛び込んだエイデンの腕の中には、ずっしりとした、しかし驚くほど肌に馴染む大剣が抱えられていた。
神官の明かりが礼拝堂を通り過ぎていく間、エイデンは冷や汗を流し、ガタガタと激しく震えながら、重い聖剣をただ強く抱きかかえていた。
(どうしよう……大変な泥棒をしてしまった。大変なことをしてしまった……)
彼は恐怖のあまり動けなくなり、そのまま物陰で一睡もできずに朝を迎えた。
翌朝、教会は未曾有の大パニックに陥っていた。
「聖剣がないぞ!? 台座から消えている!」
「魔王軍の襲撃か!? それとも、神の罰が下ったというのか!?」
地上の礼拝堂からは、血相を変えた神官たちの怒号と悲鳴が響き渡っている。いつもエイデンを罵っていたあの脂ぎった神官も、大粒の汗を流しながら狂ったように走り回っていた。
その大人たちの尋常ではない様子を、礼拝堂の隅から見ていたエイデンは、恐怖で涙目になっていた。
(やっぱり、僕はとんでもないことをしちゃったんだ。極刑になるかもしれない。でも、白状しなきゃ……)
いたたまれなさと申し訳なさ、そして「怒られる」というビクビクした恐怖が限界に達した時、エイデンは意を決して前に出た。
ボロ布の衣服の裏に必死に隠していた、眩いほどに美しい聖剣。それを両手で、宝物のように、しかし酷く気まずそうに差し出しながら、蚊の鳴くような、今にも消え入りそうな声で呟いた。
「あの……すみません……これ、抜けちゃって……」
涙目で俯く白銀の髪の少年と、その手にある「本物の聖剣」。
大騒ぎしていた神官たちの動きが、まるで見えない壁に衝突したかのように、完全に、シュールに静止した。
これが、世界最強の幸薄き英雄――勇者エイデンの、あまりにも締まらない旅立ちの瞬間だった。
楽しめ




