然らば既成事実を……
若輩故、交渉の席に呼ばれなかったアイシャとダウド将軍の大天幕まで赴き、進捗状況の確認など済ませた帰り道、先ずは足掛かりとなる話を切り出す。
「…… まだ幾つかの争点はあれども、数日の内に休戦協定が結ばれそうだな」
「ん、私も弓兵殿と同じ見解だ。実効期間の合意が取れたのは大きい」
当初はアルメディア王国の提示した “新王が成人を迎える” までの十年間に対して、政情不安に付け込みたいザガート共和国は難色を示したものの、最終的には交換条件を呑んだらしい。
「まさにシャーディ宰相様々といったところか」
「父上の仰っていた通り、随分と狡猾なようだ」
彼の人物はナイア平原での勝利などに続いて敵地侵攻を聞くや否や、二個連隊規模の義勇兵を王都エディルで組織して前線へ向かう輜重隊に紛れ込ませ、国境沿いにある共和国側の小都市二つを陥落させていた。
恐らく、堅牢な防壁を誇る相手方の首都コンスタンティアは落とし切れないと判断した上で、手打ちの際に必要となる交渉材料として確保したのだろう。
それが奏功して二都市を返還する代わり、幾つかの項目で王国側の優越が認められた訳だ。
「余りに平等性を欠くと反故にされる可能性は…… 有り得ないか」
「それも同意、神前形式の取り決めでやったら愚か過ぎる」
通常、東方諸国の条約や協定文書に於ける冒頭は “私は神に懸けて、神に懸けて、神に懸けて、神に懸けて、神に懸けて誓います” という月神への宣誓から始まり、具体的な合意事項の詳細を記した本文に続き、約款を破った者達は以後の信仰が許されない主旨の文言で締め括られる。
“信仰の禁止” は背教者認定によるものであり、民衆や月神法学者らの支持と支配の正当性を失わないためにも、名を連ねる双方の権力者及び国家は布告した事柄を正当な理由なく破棄できない。
これは遡れば信仰の源流が同じとされる聖堂教会を奉じた西方諸国も同様なので、類似した神前形式の文書で東西に係る様々な契約を交わす事も可能だ。
(旧アトス王国とか、発展のため積極的に西側と折衝していたからな。月神教諸派や東方諸国の反感を買い、内乱を煽られて分裂したのは皮肉だが……)
付随的に呼び起こされた前世の記憶を辿る傍らで、隣を歩くアイシャと少々認識の擦り合わせをしながら本題に誘導していく。
「此処まで至れば戦争も終盤だな、俺達が帰国するのも遠い話では無いか……」
「ん、率直に指摘しても構わないぞ、バスター殿の件だな?」
殊の外、察しの良いアイシャは歩みを止める事無く此方を一瞥し、さらりとした態度で不敵な微笑を浮かべてきた。
そこに諦観などは微塵も含まれておらず、小麦色の肌と金糸の髪が相まって無駄に眩しく感じてしまう。
「私の傍に留めおくのは早々に無理だと分かっている。でもな、弓兵殿…… 惚れるというのは理屈じゃないんだ、刹那的な関係でも求める想いは抑えられない」
衒わずに言い切った後、はにかんで “特に私は身長が高いだろう” と付け足す。
確かに俺よりも背丈があるかもしれない騎士令嬢の場合、釣り合う手頃な異性を見つけるのは困難だ。
「…… 見合いの相手を気遣って口にした事など無いが、私よりも上背があった方が嬉しいし、強者であって欲しいと希い願うのは淑女として可笑しいだろうか?」
「いや、寧ろ普通だ。アイシャが相応の手練れでなければな」
以前、自身を圧倒的に凌駕する猛者が好ましいと発言していた事実から、要望を満たすには冒険者の基準で “金” 等級相当の強さが必要だと思われる。
仮にも国務執政官を務める領主ウィアド・ハーディの娘という立場なので、交友範囲に制約を受けるのは避けられない事もあり、条件に叶う御仁と出会える確率は極めて低いだろう。
一応、善意から指摘してやると彼女は自嘲気味に嘯いた。
「諦めずにバスター殿へ迫っているのもその為だ。妥協して望まぬ相手に身を捧げるつもりが無い以上、この機を逃したら無為に歳だけ重ねそうだからな」
「まぁ、諸々覚悟の上でなら何も言うことは無いさ、好きにしてくれ」
「むぅ…… 実際はどうなのだ、私に勝算はありそうなのか?」
心の裡を聞かせたからには多少なりとも協力しろという魂胆か、戦場では勇ましい騎士令嬢が若干の期待と不安を覗かせた表情で此方の主観を問い質す。
適当にあしらうには付き合いが長くなってきたので沈思黙考し、経験の浅い色恋沙汰では受け身になりがちな腕黒巨躯の幼馴染を鑑みつつ、長期の人化により感性が変調している最近の様子なども振り返った。
「……………… 押し切れると思う」
「なッ、本当か!? 弓兵殿!!」
喰い気味に真顔で迫る年頃の御令嬢を片手にて留め、余さずに否定的な要因も伝えて釘を刺しておく。
「あれでいて意固地な性格だ。一時的に流されても惚れた相手を忘れる筈が無いし、所詮は国元に帰還する身だぞ?」
「ふふっ、東方の文化圏では一夫多妻など常識、それに貴殿らの祖国は従叔父殿が治めているから、手の打ちようはある。然らば既成事実を……」
俺達も顔負けの獲物を狙う目付きとなったアイシャに呆れ、奴も厄介な相手に惚れられたものだと、少しだけ内心で同情したのは秘密だ。
以後、彼女のアプローチが一層激しさを増していく最中、晴れて二国間の休戦協定は締結と相成り、ザトラス領軍を含む凡そ一万数千の王国勢は撤収の運びとなる。
今回は中世時代の条約文書について論文などを調べました。西欧と中東は神に誓うという神前形式で実効性を確保していたようです。破ると背教者になるので、宗教的な影響力が強かった頃は軽々に破棄できなかったのでしょうね。
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