駄目だこの酔っ払い、早く何とかしないと……
兎角、手を結んだ軍部と財務官僚たちが主導する叛乱により、クヴァル師や月神教過激派の議員は聖戦旅団が犯した異教徒虐殺などの罪状で身柄を拘束され、教団本部にも第一師団より二個連隊が派兵される。
広大な敷地に駐屯していた約三千名の民兵達は矛先を向けて抵抗の素振りを見せたものの、提案された司法取引を受け入れて武装解除に応じた。
こうして昼下がりの共和国首都で電撃的に敢行された軍事クーデターは次の段階へと至り、市街地での騒動に疑念や不安を抱いた臣民に向けて、現状の周知が徹底されていく。
当然、相応の混乱が散見される街頭で集まった群衆に紛れ、フード付き外套を羽織った鋭い目つきの男がほくそ笑んだ。
「何やら面白い事態になったな、アイマン殿やディウブ様が喜びそうだ」
ぼそりと呟いたのはデミル領の軍勢に先んじて、街中に潜伏していた人狼族の密偵兵であり、実は他にも人の皮を被った数匹が滞在している。
昨夜未明の襲撃にも我関せずだった彼らの仕事は敵国の内情を把握して、嗅覚を刺激する匂い袋付の矢文で壁外の同胞に伝える事だ。
(あんまり、物覚えは良い方じゃないが……)
内心で愚痴を零してから、酒場や商店など傾注され易い場所に兵士が貼った布告文書と睨めっこする。手早く要点を纏めて口に出さず反芻した後、その男は雑踏に姿を眩ませた。
警戒しながら向かう先、港湾地区の波止場付近には多数の倉庫があり、黒海で獲れた海産物の干物や塩漬けなどが保管されている。
それらの一部に関して所有権を持つラムジ商会の創始者は謎多き人物だが…… 実は先代のデミル領主を務めたディウブ・ジャナバルの亡き父親の血縁であり、つまりは身元を巧妙に偽装した人外だ。
元々、人狼族の経済基盤を確立する事や、人族の情勢調査など兼ねて商会が設立された経緯から、当代の老領主と現会頭の半狼も緊密な関係を維持していた。
そんな諸事情に基づき借受けた塒の倉庫へ男が戻り、先ずは羊皮紙に群長への文章を書き終えてから、作製途上の木製彫刻に取り組んで夜の帳を待つ。
やがて街から人々の姿が見えなくなった頃、内壁付近の路地裏より人狼由来の膂力で曲射された矢文は300mほど飛翔して、外壁と川堀を越えた草むらにトスッと突き刺さった。
他の密偵兵たちも同様の行為を済ませた上で刻限と相成り、鏃に括られた匂い袋を探知して人狼娘のウルドらが姿を現す。
「さて、疾く回収しましょうか」
「ん、了解、早く帰って眠りたい」
「全く以って、その通りだな」
若干の不平を零しつつも雑用を頼まれた人狼兵たちは一斉に散開し、優れた嗅覚で次々と矢文を集めていった。
然程の時間を要さず、順当に確保された密書は侍従兵の人狼娘により、野営地の大天幕へ届けられて老領主と酒など酌み交わしていた銀狼犬の視野に留まる。
「別に答えなくて良いが、それは密書か?」
「あぁ、そうだ。読みたいなら構わんぞ」
「ちょッ、ディウブ様!!」
一切目を通していないにも拘わらず、俺に差し出された羊皮紙を横合いからウルドが奪い取り、自身の主君へと胡乱な視線を投げるも……
大和言葉の “暖簾に腕押し” 又は “糠に釘” といった態度で老人は高笑いした。
「戯言を本気にするな、もっと揶揄いたくなるではないか」
「いえ、止めなかったら先に読ませていたでしょうッ」
「ふむ、よく分かっているな」
「幾ら相手が使徒たる銀狼種でも無警戒は駄目だと思います」
ともすれば大神信仰の否定とも取れる台詞を言い出した彼女に小さく頷いてから、肴として提供して貰った黒海産カタクチイワシの干物を齧る。
前世の記憶にて、大和出身の武士と名乗る出稼ぎ傭兵たちが “めざし” だと歓喜していた逸品はほろ苦く、絶妙な塩分も相まって酒が進んだ。
(確か、連中が青魚の腹を捌いて作った干物、あれも旨かったな)
ふと思い出したのでウルドに特徴を教えて確認したら、片隅にあった食料袋をごそごそと漁り出す。
「えっと…… “アジの開き” で合っていますか?」
「おぉッ、それだ!!」
「では、炭火で軽く炙りましょう」
「すまんが、儂にも頼む」
手にした文書から目を離さず、声だけ掛けてきたディウブに意識を戻すと、悩ましくも楽し気な表情を浮かべていた。
「一体、どういう類の話なんだ?」
「朗報なのか、凶報かは軽々に判断しかねるが、複数の文面から察するに首都防壁の向こう側で軍事政変があったようだぞ」
さらりと告げられた言葉に押し黙り、無言で幾つかの事柄を吟味してから、堪え切れずに重い溜息を漏らす。
「あいつら、性懲りも無く内輪揉めが好きだな、不毛極まりないアトス内乱から何も学習しなかったのか?」
「まぁ、今回は臣民を分断するようなモノでも無いだろうし、月神教に係る戒律の厳しい共和国でもコレが飲めるようになるやもしれん」
にやりと嗤って杯を掲げた精強な老領主に釣られ、暫時瞑目したまま明日以降の展開などに思考を割いていく。
そもそも、政変が生じたという事は統治機関内で意見の相違があった訳で…… ここ最近、アルメディア王国側が優勢になっている事実を鑑みれば、“継戦” 若しくは “停戦” の判断が起因しているのは容易に想像可能な範疇だ。
「…… さて、問題はどちらかだな」
「賭けるか、銀狼殿? 御主が勝ったら大姪のウルドを嫁にやろう」
「ッ、駄目だこの酔っ払い、早く何とかしないと……」
「呵々、そう怖い顔をするな、幼い頃は銀狼王に憧れていたではないかッ」
御伽噺の英雄を引き合いに出して笑う老人に抗い、やや赤面した人狼娘が喰って掛かる様子など見流して、くいっと片手の杯を傾ける。
ちびりと啜った酒で喉を潤し、開放されている大天幕の出入口から吹き込む夜風に目を細めた瞬間、仄かな焦げ臭さに気付いて鉄網に乗っている“アジの開き”の焼串を掴んでひっくり返した。
「うぅ、すみません、ディウブ様のせいで忘れてました」
少しだけ気まずそうな人狼娘と苦笑を交して、良い感じに仕上がってきた焼物をしっかりと頂戴した後、この戦争も終盤かと物思いに耽りながら帰り道を歩む。
敢えて言及しておくと、軍事政権下のザガート共和国より、非公式な休戦交渉の打診があったのは翌々日の事だった。
いつも読んで頂き、ありがとう御座います!
日本人の感覚だと、忘れがちですけど…… 中東国家の多くはお酒が宗教的な理由で禁じられていますね。作中の人狼達は大神信仰者ですから大丈夫ですけど!
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