ザガート共和国首都の攻防戦
少し時間は遡り、アルメディア王国軍が共和国の首都に夜襲を仕掛ける半刻程前…… 仄かな月明かりだけを頼りにして、その反射光で目を光らせた群狼が草原を疾走していた。
彼らが目指しているのは第三首都門から大きく逸れた人気のない石壁だが、手前に飛び越えるのは困難な外堀が設けられ、コンスタンティア北側の港湾部から海水が引かれている。
勿論、外堀を越えて各首都門に繋がる埋立て式の街道は常時監視されており、幾ら狼姿であっても門前まで不用意に近付いたら、外壁と内壁の間に設けられた狭い区画に詰めている敵弓兵から射掛けられてしまう可能性が高い。
そんな事は百も承知なため外堀の傍にて肢を止め、赤銅色の狼が背後を振り向いて小声で語り掛けた。
「ワォオウ…… アヴァル、ワァク (出番だぞ…… アゼル、マリク)」
「ワォオウァン (分かりました)」
「グルゥアオゥ ヴァクル (任せてください、戦士長)」
呼び掛けに応えた魔術師級の白狼二匹が進み出て微細な魔力波を飛ばし、半径30m以内に共和国の魔術師兵がいない事を確認する。
元々、中級以上の実戦的な魔法を扱える存在は引く手数多なので、経済的理由で軍校の術師科を選んだ者たち以外は魔術師兵とならず、どの国でも軍部に於ける絶対数は少ないのだが…… 念には念をという事だろう。
暫時沈黙していた二匹は障害が無いのを確認してから外堀の縁まで進み、ちゃぷりと片方の前肢を海水に浸した。
「「ヴァオアルォオ、グォフ (万物は流転する、氷結)」」
指向性を持たせた水属性魔力を変質させ、可能な限り音を立てないように焦らずじっくりと、幅広い外堀の水面を徐々に凍らせていく。
他の仲間達が周辺警戒のため聴覚と嗅覚に意識を傾ける中、実際よりも多少長い体感時間が経過した後、皆の眼前には氷の架橋ができていた。
仕上がり具合を一瞥した戦士長の赤狼アイマンが率先して渡り、後続の狼らも伸ばした爪を滑らないように突き立てながら追随する。
外堀の先は整地により草木が刈り取られているものの、壁際の暗がりに身を寄せておけば人間の暗視能力は低いため、距離のある監視塔から認識するのは不可能な筈だ。
(松明の光に目が慣れると近くは見えても、遠くが見えなくなるだったか?)
若い頃に尊敬する群長のディウブから教えられた話を思い出しつつ、アイマンは傍にいた一匹の革製ハーネスに噛みつき、取り付けられていた駄獣用鞄を外してやった。
それに続いて同様の動きを見せた狼らが身軽となった頃合いで、王国軍が動き出して複数の監視塔より警鐘が鳴り響く。
「ワゥ、ワォアオォン (よし、この機に乗じる)」
「「ワォアゥ (了解です)」」
大きな音で誤魔化せる内に狼たちが骨格を鳴らし、一般的なコボルトよりも大柄で爪牙と筋肉が発達した人狼本来の姿へと身体を変貌させる。
心なしか解放感を滲ませた彼らは革鞄から腰布を取り出して徐に着用した。
(やはり腰布一丁は良い……)
最近でこそ防御性能の観点から軽装鎧や武器を装備している人狼族だが、歴史的な経緯を見ると自前の毛皮で体躯を護り、研ぎ澄ませた爪や牙で獲物を狩ってきた狩猟文化がある。
ひと昔前の隠れ里でも雄は腰布一枚で、鍛え抜いた肉体を意中の雌たちに堂々と披露していた。
ただ、この場で弓矢を受ければ直撃して負傷するため、長居無用とばかりにアイマンは指揮を執り、皆で小分けにされた布袋の約半分を三個ずつ麻紐で一括りにする。
その作業を人狼たちがしている間にも、交戦圏付近まで到達した王国軍の前衛兵らが一斉に雄叫びを上げ、内外二枚の防壁上に集まった共和国軍の守備隊を威嚇し始めた。
「ヴァクル、ウルァオゥ? (戦士長、頃合いでは?)」
「ワォアァ、ガォオッ (確かにな、行くぞッ)」
負けじと呼応して守勢側からも雄叫びが轟く状況の下、相手の注意が正面に向いた隙を突き、壁面直下の死角を低い姿勢で人狼らが走り抜ける。
どさくさに紛れた彼らは閉鎖された第三首都門まで疾く忍び寄り、破城槌を警戒して既に降ろしてある板金製の落とし格子に取り付いて、纏めた火薬入り布袋を幾つも一定間隔に結び付ける。
さらに小分けで残していた物も格子の隙間より手早く門扉の前に放り込み、慎重に漸進してきた王国軍とは逆に離脱していった。
灯台下暗しというべきか、近接する軍勢に意識を奪われた敵兵たちは群狼の存在に気付かず、外壁上から円滑に前後が交代する事で速射可能な二列横隊にて弓矢を放つ。
「「「撃ち方、始めッ!」」」
「「「応ッ!!」」」
「「ッ、風切り音!?」」
「「盾を構えろッ!!」」
随所で王国軍の前衛部隊が防御姿勢を取り、補給物資の木材を繋ぎ合わせた即席の大盾を構えるも…… 十分な数量を準備する余裕など無く、やむを得ず中型盾で急所を覆った者たちの四肢に鏃が深く刺さった。
太腿や脚などに直撃した兵士は体勢を崩し、思わず苦痛混じりの呻き声を漏らす。
「「ぐうぅッ」」
「「うぁ、うぅ……」」
「負傷者は下がれ、無理はするなッ」
「お前らッ、焦って死ぬんじゃねぇぞ!!」
大声を上げた小隊長らの言葉通り、攻城戦に於ける守勢側の主な攻撃手段は弓矢や投石なので、無謀な前進をしなければ落命する確率は高くない。
されども首都防壁までの距離を徐々に詰めていく王国軍中央や右翼は良いとして、弓矢の有効射程ぎりぎりで停止した左翼は何処か異質な様相を呈していた。
事情を知るザトラス及びデミル領軍の一部を除き、何故に動かないのか友軍ですら疑問を抱き始めたところで左右に軍勢が割れ、指揮を執る屈強な老人ディウブ・ジャナバルが姿を現す。
先程、研ぎ澄ませていた人狼由来の聴覚に赤狼の遠吠えが届き、首尾よく事が運んだと知った老領主は口端を吊り上げ、隣で佇む銀髪の弓兵に揶揄うような表情を向けた。
「見せて貰おうか、セルクラムの聖獣の技量とやらをッ」
「…… 聞き齧ってやがったのか」
「呵々ッ、聖堂教会が “黒雨” を討伐した御遣いだと喧伝しておったわ!」
「ちッ、曲射は余り得意じゃないんだ、過大な期待はするなよ」
転ばぬ先の何とやらで言い訳を用意しつつも、俺は鏃の直下に油紙が何重にも巻かれた矢を真横へ差し出す。
「うぉわん (火をくれ)」
「ん、わぉあうぅ (ん、分かったよぅ)」
僅かに亜麻色の髪を揺らしたマリル(偽)が頷き、両掌の間にぼうっと狐火を浮かべて、矢の先端部へ通常の手段では消えにくい呪力の焔を灯してくれた。
いつもお気軽に扱っている姿を見ていた事もあり、深く考えず機械弓バロックを斜に構え、仰角調整して弦を引き絞ったものの術者本人である妹には補正が入っていたらしい。
(熱ッ、めっちゃ熱いな!?)
それが無い俺は熱源に近い左手を炙られながらも、痩せ我慢で辛うじて恰好を付け、夜光蝶の鱗粉で付けられた目印へと火矢を射掛ける。
相応の距離がある上に的は小さいため、外したら周囲のデミル領兵が一斉に火矢を放つ手筈となっていたが……
鏃に込めた風除けの魔法が奏功したのか、若しくは運が良かっただけか、程なく轟音が鳴り響いて第三首都門は凄まじい爆炎と喧騒に包まれていった。
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