袖振り合うも他生の縁
「むぅ、逃げられると何処までも追いたくなるが……」
うずうずと狼犬人としての本能に駆られつつも、筋骨隆々な黒髪の大男が遠ざかる敵兵を眺める。その周囲には強引な吶喊に付き従い、少なく無い損耗を負いながらも聖戦旅団を瓦解させた槍兵達が居並んでいた。
彼らの疲弊した表情に加えて中央部の戦況も確認したバスターは身を翻し、傍に控えていた中隊副官のハムザに言葉を投げる。
「凡その趨勢は決したな……」
「えぇ、中隊長殿ッ、我々の勝利です!」
「御嬢様と弓兵殿が首尾よく敵本陣を崩してくれましたね!」
「倍近い兵力差を覆せるなんて、凄いことですよ!!」
興奮気味に応えるザトラス領の槍兵らに頷き、事後的な戦死者の弔いや途中で脱落した負傷者の治療などに意識を切り替えていると、斜め前方から友軍らしき歩兵部隊が近づいてきた。
どうやら王国軍中央から救援に駆け付け、聖戦旅団の後方に襲い掛かった何処かの領軍のようだが…… 風に紛れて馴染みのある匂いが嗅覚まで届き、思わず警戒したバスターが身構える。
それは軽装で統一された歩兵隊から歩み出た筋肉質な老人と側近らも同じだったようで、暫く互いに胡乱な視線を交した。
「ふむ…… これは珍しい、異郷の同胞か」
「ディウブ様、そうとも言えないかもしれません」
胸元まであるダークブラウンの艶やかな髪が印象的な侍従兵の少女が小首を傾げ、淡い黄金色に輝く瞳を細めて、好奇心が混じった眼差しで黒髪の大男を無遠慮に観察していく。
やがて納得がいったのか、右隣に立つ無骨な老人の袖を引いて屈ませてから、その耳元へ可憐な唇を無造作に寄せた。
「多分、あれはコボルトが混じってます」
「そうか、ならば場数を踏んだ上での先祖返りだろう」
何やら得意げな少女の頭を左掌で軽く撫ぜ、老いても覇気に衰えを見せない化物染みた老人が不敵に嗤えば、近場にいた精悍な青年も口端を釣り上げる。
「つまりは猛者という事ですね、歓迎すれども厭う理由にはならない」
「然り、されども先ずは挨拶だな、儂はディウブ・ジャナバルと申す」
「ザトラスの槍兵中隊を預かるバスターだ、姓は特にない」
いつもの如く生来の粗忽な態度で応じた上役に焦り、一緒にいたハムザが慌てて取り繕いながらも笑顔を浮かべ、王国北西の森林地帯デミル領を治める旧アトス内乱で活躍した武闘派領主に向き合う。
相応の立場がある格上の相手に緊張しつつも、自領とハーディ家に余計な反感を持たれるのは得策でないため、彼は脳裏に浮かんだ月並みな台詞を並べる事にした。
「先程は敵左翼の後方を押さえて頂き、感謝の至りです。申し訳ありませんが、我が主アイシャ・ハーディは不在でして……」
「ははッ、知っておるよ。見事な先駆けであったな、噂に聞くじゃじゃ馬娘のお陰で共和国軍の陣形を崩すことができた」
呵々大笑して開戦直後の奇抜な陽動を褒め、やや砕けた雰囲気となった老人がバスターを見流す。少しくすんだ黄金の瞳に害意などは感じられず、寧ろ親愛に近いものが籠められていた。
「大和言葉に “袖振り合うも他生の縁” というものがある。今夜は共に酒でも酌み交わそう、他に仲間がいるなら連れてくると良い」
「決めるのは俺じゃないからな、うちの大将には伝えておこう」
「分かった、好きにせい。儂らも事後処理があるので失礼するぞ」
機嫌良さげなディウブは片手で重厚なハルバードを軽々と担ぎ直してから、踵を返して指揮下にある軽装歩兵隊の中心へと戻っていく。
それに合わせて人の皮を被った側近兵らも追随する傍ら、態と出遅れた侍従兵の少女が可愛らしく微笑んでお辞儀をした。
「では、失礼します」
「あぁ」
くるりと反転して所属部隊の人垣に紛れ込む彼女を見送り…… 姿が見えなくなった頃合いで、バスターは再び中隊指揮を執って負傷者の手当てに向かう。
既に共和国軍の掃討を終えた部隊などは衛生兵と連携して救護活動に取り掛かっており、必要十分な時間を投じて治療行為が行われていった。
ただ、それで事後的な処理が全て終わる訳でもなく、並行して力及ばず果てた者たちも敵味方の区別をせず、敬意を払って弔わなければならない。
本来なら聖堂教会と月神教の双方が “最後の審判における復活” を意識して土葬を推奨するものの、多くの落命者が出てしまう戦場ではこの限りに非ず、数か所に集められて荼毘に付される。
この過程で大体の撃破対被撃破率が明らかとなり、ダウド将軍から領軍司令官らにも伝えられて、仲間達と合流を果たした銀髪の弓兵にも届いた。
「推定される死傷者、六百余名の王国軍に対して共和国軍は七千名以上か……」
「随分と一方的な勝ち方だが、歴史的に見れば可笑しくもないだろう」
一段落して戦いの昂ぶりが抜けてきたアイシャの冷静な指摘通り、傭兵が戦力の中核として徴用兵を勢いづける東方諸国では、均衡の崩壊に伴って両軍の明暗が大きく分かれる事も多い。
なればこそ、傭兵時代の相棒であるサクラが言っていた “勝って兜の緒を締めよ” という諺を思い出したのだが…… 俺の眼前には若干迷惑そうなバスターの肩にしな垂れ掛かり、諸事情で遅くなった昼食を摂る騎士令嬢の姿があった。
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