鬼蜘蛛の娘と辺境伯
因みに楓が言うオルゲンス・ラドクリフはフィルランド共和国のドルノ領を治める辺境伯であり、芸術分野に秀でた中核都市ヴァロアに屋敷を構えていた。
縁あって旧知の権力者に都合よく取り計らってもらい、人化能力を得たブレイブの冒険者登録を済ませる目的で、彼の屋敷へ訪れたのが数日前となる。
用件だけ済ませてさっさと塒に帰ろうとしたものの、出不精な事を棚上げにして退屈を訴える辺境伯に引き留められ、彼女は二匹の連れ合いと一緒に暫く滞在していたのだが……
「何やら良からぬ企みを感じますね」
差し出された最高級品の紅茶と都市ヴァロアで最も人気の店で作られたパンナコッタを一瞥し、視線を眼前のオルゲンスに向け直す。
彼は生クリームと卵白を煮詰めた菓子にスプーンを突き刺し、口に運んでは表情を綻ばせていた。
「これ、凄く美味しいよ、楓は食べないの?」
「用件を聞いてから頂きます」
「相変わらず、その辺はしっかりしてるね~」
砕けた口調でおどけるが、滅多な事では衆目に姿を晒さないにも関わらず、領民からの支持が厚い稀有な若手領主の視線は鋭い。
故に楓は深く溜め息を吐いた。
「かれこれ、百年以上の付き合いでしょう…… 貴方の魂胆くらいわかります」
実際、彼女の倍以上は生きていると嘯く吸血鬼の領主は油断がならず、大枠でみれば遠縁の同類だとしても、何度か厄介事を押し付けられた経験があったりする。
そもそも曲者でなければ何世代にも渡り、同一人物なのに代替わりしていると領民や元老院を信じ込ませる事などできまい。
現在に至るまでの経緯もあって、冷たい疑惑の目を向けられたオルゲンスはしれっと言ってのける。
「つい先日の冒険者登録の貸し、早速だけど返して欲しいんだよ」
「まぁ、面倒事は早く済ませたほうが良いわね」
「勿論、ギルド経由でちゃんと依頼を出す…… 訳にいかないなぁ」
芝居がかった台詞と共に差し出された羊皮紙を楓が受け取り、記載されていた近隣のリヴァル領に属した村で起きた事件の概要を読み流す。
昨秋の収穫前、水害に見舞われた事により不作となった村がその影響から回復できず、春先の税を納められなくなって、徴税官を力尽くで追い返したとの事だ。
「その徴税官が領主の従弟殿だったんだよ、しかも怪我をさせたらしいね」
「中々に厄介な事を……」
楓の生国では農民が領主の子弟などを傷つけたら、即座に首を刎られてもおかしくない。
さらに羊皮紙を読み進めていくと共和国でも大罪にあたるようで、件の領主が衛兵隊を村へ派遣して暴走した村人とその家族、約80名以上の捕縛を試みたようだ。
だが、首謀者と目される村長の息子夫婦を中心にした農民たちが出奔し、ドルノ領と境界を隔てる森に逃げ込んだらしい。
「これ…… 別に無視しても良いんじゃないの?」
「おやおや、お優しい君らしくない言葉だね」
「あくまで一般論としてよ」
確かに聞いてしまえば見捨てるのも後味が悪いものの、これに関してオルゲンスが動く必然性をあまり感じられない。
「ん~、でもね…… 境界線を越えてこっちに向かってるんだよ」
「それは確かなの?」
「というより、逃げた彼らを陰で支援していた村長の入れ知恵だね」
言われて文末をみると確かに署名がディエル村の村長になっており、人望厚いドルノ辺境伯へ逃亡農民の保護を求める内容で締め括られていた。ご丁寧な事に彼らが移動予定の経路まで添えられている。
「君の言う通り、無視しても良いけど…… こっちに流れて来て野盗化されても困るし、ちょうど都市周辺の耕作地拡張を考えているから、戸籍を弄って組み入れても構わない」
「…… つまり、逃散した農民たちを保護してくれば良いのね」
「どうだろう、引き受けてくれるかい?」
暫時、楓は思考に意識を割き、連れ合いの小鬼二匹の事を考える。
屋敷の書斎を占拠して、本の虫となっているブレイブに関しては家主の頼みを断りづらいだろうし、ソードは魂の一部を分け与えた経緯から彼女の頼みを断った事がない。
「一応、連れの意向も聞くけど…… 前向きに検討するわ」
そう言いながら彼女はスプーンを手に取り、切り取ったパンナコッタを口に含む。
「ん、美味しい…… でも、甘いわね、貴方と同じで」
「いや、僕も善意だけで動いている訳じゃないよ? 情けは人の為ならずって言うじゃない、こうやって好印象を作っておけばさ…… いざという時に活きてくるからね」
それが彼の処世術であり、人に紛れて領主になった手腕でもあると先刻まで楓は思っていた訳だが…… やはり吸血鬼の辺境伯は喰えない相手であった。
「…… グリーディヴァイパーが繁殖してる事、黙ってたわね」
冷静に考えれば逃亡農民らの行く先に貪欲な大蛇が巣くう場所があるくらい、オルゲンスなら知っていても良さそうなものだ。
恐らく彼らが襲われるだろうことも計算済みで、楓たちに大蛇討伐をやらせる事も予定調和の内なのだろう。
若干、腹立たしく思いながらも剛糸の結界を維持し、緩ませた箇所から外に出たブレイブとソードが残りの蛇たちを駆逐するのを待つ。
やがて間断なく響いていた硬い体鱗と剣戟が打ち合う音も散発的になってきた中、まだ終わらないとばかりに剛糸の隙間から一際凶悪な大蛇マザー・グリードの姿が見えた。
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