森の大賢者
水源に近い場所なだけあって透明度の高い綺麗な水で身を綺麗にし、ついでに革水筒の中身を入れ替えたり、岩塩塗れで保存していた昨日の猪肉を流水に晒したりもしておく。
塩抜きした猪肉は焚火で炙って美味しく頂き、今は食後の休憩がてらにリスティが淹れてくれたペパーミントティーを皆で味わっていた。
「グウァ、クァアクル…… クォ ヴァウルォオゥ
(しかし、さっきの奴ら…… 割と技量があったな)」
「ワァオ~ン (そうだねぇ~)」
何気なく零した言葉に反応して、片手で木製マグを掴んだアックスが同意を返し、傍らに座すセリカもコクリと首を縦に振る。
「わぅるぅ…… るおがぅお がぉうわぉあ
(生き物は…… 棲む場所で強さが変わる)」
「ガルゥ、ガゥガォウ グオゥウァアオゥ
(ふむ、この辺りだと妥当な連中だったか)」
会話を聞き流して “やれやれだぜ” と言った感じで肩を竦めるブレイザーに苦笑しつつも、木製マグを傾けて程よい苦みの液体を喉に流し込む。
(後、ひと踏ん張りだな……)
想定通り、偶発的に危険な魔物を生じさせている原因が “穢れた大樹” だとすれば、影響は同心円状に波及するため、その位置はバルベラの森中央部で間違いない筈だ。
なお、目立つ大樹が誰にも知られていない事実から、人型種族を対象としたエルフ族由来の “迷いの結界” も周囲に存在するのだろうが、術理に精通した巫女殿がいる時点で何ら支障はない。
半日ほど掛けて森林地帯を北東へ進み、件の結界に遭遇した俺たちは寧ろ目標物が近い事を悟り、意気揚々と残り数㎞の道程を踏破していく……
そんな狼混じりのコボルト一行が向かう先、木々が開けた広い空間に家屋であっただろう残骸が散らばる傍で、太く短い歪な樹木が鎮座していた。
各部に希少鉱石を埋め込まれた人為性を感じさせる “穢れた大樹” の根元には、干乾びた古い遺体が転がっており、より一層の奇妙さを醸し出す。
もはやただの抜け殻に過ぎない木乃伊は…… かつて大賢者モロゾフと呼ばれていた人間だ。
人族の英雄、西方諸国にエルフの知識や技術をもたらした者として、多くの人々は彼を称賛するだろうが、それは事実の一面に過ぎない。
エルフの秘儀を得るため、機に乗じて種族間対立を煽り、先頭に立ってフォレストガーデンの戦いを巻き起こしたのが彼だと知る者は極少数である。
終戦後、中核都市ラッセルに移植された若い世界樹や提供された種を管理した大賢者モロゾフという人物は…… 少なくとも善人では無かった。
才能に恵まれた本物の天才であるが故、自分以外が有象無象の愚図にしか思えず、表面上は温厚を装いながら全てを見下した性格と言えば分かって貰えるだろうか?
兎角、自身と知的探究にしか興味が無かった事が功を奏したのか、彼は次々と新しい魔法や知識を祖国にもたらして英雄となるが、三十歳を過ぎた頃に治癒魔法が効かない致死性の病を患ってしまう。
「何故だッ…… 愚図どもがのうのうと無駄に生きているというのにッ、優良な私が短命に終わるなど、道理が通らないではないか!」
そう憤っても病に蝕まれる状況は好転せず、日々身体が膿爛れて魔力なども衰えていく中、どうしても許せなかったのが…… 取るに足らない連中が持つ健康を “羨ましい” と考えてしまった惨めな自分自身だ。
仮に刹那的な感情だとしても、認める事など彼の矜持が許さない。
折しも、戦争奴隷として長命なエルフたちが共和国首都に連行されており、彼らを素体として研究を深めれば病を克服できる可能性は残っていたが…… 希少種の奴隷は需要が高く、特に白磁のエルフなど貴族に囲われていて手が出せなかった。
そこで思いついたのが、森へ還してやると逃亡の手助けを持ち掛け、自発的に脱走させた上で騙し討ちにするという手法だ。
善意を装う事に慣れていた賢者モロゾフは立場や信用を利用して、上手く捕えたエルフたちを世界樹のある都市ラッセルまで密かに運び、そこで精神的、物理的な負荷や損傷を伴う非人道的な実験を繰り返す。
十数名程の生命を無慈悲に使い潰した結果、エルフたちは自然を通して星の活力を日々取り込んでいるからこそ、長命なのだという結論に至る。
そこから世界樹に手を加えて媒介と成す事により、人族でも同様の試みが可能だという仮説を導き、病を克服する希望が持てたところで…… ついに諸々の悪行が明るみに出てしまう。
国内外に名の知れた英雄の凶行に対し、頭を悩ませた元老院は秘密裏に処分を検討するも既に彼の姿は無く、管理を任せていた世界樹の種や実験成果などを持ち逃げされた後だった。
実際の顛末と異なり、残された記録で追放扱いになっているのは元老院の失態を隠すためなのだろう。
以降、行方を眩ました大賢者モロゾフについて語られた書類は無いが、様々な魔術的延命措置を施した彼は流れ着いたイーステリアの森北東部にて、採取しておいたエルフ達の血肉で強引に芽吹かせた “穢れた大樹” と自身を繋ぎ……
地中から湧きだした根や蔦に絡めとられて、抵抗むなしく同化された。
その際に最後の力で張り巡らせた抑制の封印や、狭い範囲に常時展開していた迷いの結界は大樹が吸い上げ続けている星の力を根源としており、六百年近く経った現在もなお健在である。
皮肉にも大賢者が悪あがきで施した封印が “穢れた大樹” の暴走を押し留め、意図せず被害を限定的なものにしていた。
されども長い年月の負荷で、幹へ埋め込まれた術式を補助する幾つかの希少鉱石には罅が刻まれており、バルベラの森に端を発する危険種の増加に繋がっている。
いつ破綻するかもしれない薄氷の上、今日も穏やかに夕暮れを迎えようとするその場所に魔獣や獣を除き、数百年振りとなる訪問者があと少しの距離まで来ていた。
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