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天使の仕事ほど嫌なものはない  作者: 大上丈
第三章 悪魔の求愛
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君に手を伸ばして

 「…………」


 あれからいったいどれだけの時間が経過したのだろうか。


 暗闇の中、口元から現れる小さな泡を見つめて、自分がまだしぶとく生き残ってるんだなということを自覚する。


 (あぁ……)


 息が出来ない、体も動かせない。


 それでも水中だからか心音だけはハッキリと聞こえてきて、吸血鬼が故にお腹の傷もゆっくりと再生していっているのを感じた。


 どうやらこの肉体は……このに及んでまだ、懸命に生きようと必死に藻掻もがいているらしい。


 ……恥知らずな奴め、早く死んで詫びろ。


 そう思うも、


 (まだ、死にたくないなぁ……)


 恥知らずな心もまた、生を願っていた。


 冷たい水の中、冷たくなっていく体の中で、目頭だけが熱くなる。叶うはずのない願いを、いつまで経っても性懲りもなく唱え続ける。


 裏切者の……恥知らずな願いを……いつまでも……。


 (会いたいよぉ……アマネ様ぁ……)


 だけど、ここから生きて帰れる可能性は万に一つもないだろう。


 例え吸血鬼の力で腹の肉が再生したとしても、呼吸が出来なければ私は普通に死ぬ。完全に再生されるまでまだしばらく時間がかかるだろうから、その間に溺死しておしまいだ。


 裏切り者である私にとって……ふさわしい末路。


 お似合いだ、受け入れろ。


 それなのに──


 (誰か……たすけて……!)


 『生きたい』という意思が、これっぽっちも消えてくれない。


 胸の内に湧いてくるのは計り知れない程の後悔と、自分に対する侮蔑の感情。それと、アマネ様に対する懺悔ざんげの想いだ。


 (ごめんなさい……アマネ様)


 決して死ぬのが怖いという訳ではない。


 この命はアマネ様の為に使うと決めていたから、彼女のためになるのならどんな死だって受け入れられるつもりだった。


 彼女の為に生きて、彼女の為に死ぬ。


 それは地獄で手を差し伸べられたあの日から、少しも変わっちゃいない。


 だからこそ、


 (迷惑ばかりかけて……本当にごめんなさい)


 なに一つ恩を返せず、あまつさえ彼女にとっての一番大切な人を危険に晒したまま死ぬのが、どうしても受け入れられなかった。


 私は最低な行いをした。


 良かれと思っての行動とはいえ、結果を見れば誰もが私のことを『恩知らずの裏切り者』と罵るだろう。


 大好きな人を失って一番辛いときに、私はまた、彼女の心に深い傷をつけることになるのだ。


 ……最低だ。


 自分で自分のことを殺したくなる。


 (ごめんなさい……ごめんなさい……)


 許されるなんて露ほども思っちゃいない。


 だけど、せめて最期に謝りたかった。


 会って直接、地に頭をこすり付けて、何度でも彼女に謝りたかった。


 せめて……せめて自分が心の底からアマネ様のことを想っていると、それだけでも彼女に信じてほしかった。


 ──怖い。


 このまま裏切り者として死ぬのが、何よりも怖い……!


 (う……うぅ……)


 涙が溢れてくる。


 私には泣く資格すらないというのに、それでも熱いくらいの涙が止まることなく溢れてきて……そして、私は──



 光を視た。



 (…………え?)


 暗闇でしかなかったはずの世界が、天から降り注ぐ光によって一気に輝きを取り戻す。視界は真昼のように明るく透き通り、美しい光景を生み出していた。


 (……なに、これ?)


 訳が分からない。


 一瞬自分の脳がバグって幻覚を見せているのかと思ったが、本当に幻覚だったのなら、わざわざこの美しい世界に、煙のように上っていく私の薄汚い血を差し込む必要はないだろう。


 「ごぽっ!」


 なんて、突然の出来事に混乱してしまったせいか、体に残っていた最後の空気が大きな泡となって私の口から溢れてきた。


 体内に残っていた酸素が全て消費され、意識が急速に遠のいていく。


 苦しい。


 あぁ……なんて間抜けな最期なのだろう。


 ちょっぴり早まってしまった自分の死に……こんなんだから『上月君をデートで手中に収める』なんてバカなことを考えてしまったんだろうなぁと、己のポンコツっぷりを嘆いていると、


 「──!?」


 こんなバカな私に、手を伸ばしてくれる少女が現れた。


 三ノ輪環。


 私が目的のために利用しようとした、上月君に恋をしている……可愛い女の子だ。


 ただの人間だと思っていたけれど、その正体は実は聖書なんかに出てくるキリストと同種の存在である『神の子』で、私達悪魔とは根本的に敵対関係に当たる人物。


 そんな彼女が、今まさに死にゆく私に向かって手を伸ばしていた。


 「────」


 『なんで?』と思うよりも先に、もう動かないと思っていた体が自然と動く。


 人間だろうが神の子だろうがなんだっていい……。


 まだ生きることを許されるのならと、救いの手を求めて、私も必死になって彼女に手を伸ばした。


 環ちゃんはそんなみじめな私に向かって嬉しそうな顔で微笑んで──そして、









 「ぶはっ!」


 水面に上がる。


 久方ぶりの空気に触れて、私は貪るように新鮮な酸素を求め、吸い込んだ。


 「すぅーはぁ! すぅーはぁ! はぁ、はぁ! あ──うぐっ!」


 呼吸によって機能の停止していた細胞が甦り、思い出したかのように腹部の痛みが再燃する。大量の水を飲んでいたということもあってか、私は猛烈にせり上がってくる吐き気に耐えきれず、


 「おえぇぇぇ!!」


 血と水の混じった吐瀉物を、環ちゃんの胸にぶちまけた。


 「ごめんっ、もうちょっとだけ辛抱しててね! すぐおかにあがるから! それまでがんばって!」

 「あ、うぅ……」

 

 環ちゃんはそんなことをされても嫌な顔一つせず、それどころか励ましの声なんか掛けて、懸命に私を抱えながら泳いでくれた。


 その姿を見て、腹の底から申し訳なさが込み上げてくる。


 「ご……ごめん、なさい……ごめん……ごめんなさい……!」


 込み上げる涙と共に、謝罪の言葉が止まることなく口から溢れてくる。


 環ちゃんはそんな私に向けて、


 「こんなことでいちいち謝らなくていいわよ、どうせ泳いでる内に綺麗になるんだし」

 「うぅ……」


 ニッと、屈託のない笑顔を見せてくれた。


 そうじゃない……そうじゃないよ、環ちゃん。


 私の汚い血と吐瀉物で体を汚したこともそうだけど……それ以上に私は、あなたを利用しようとしていたことを謝りたかったんだ。


 こんな最低な私に必死になってくれていることに、心の底から謝りたいんだ……!


 私はあなたに助けられるような存在じゃない。


 こんな命なんて、早々に消えてしまった方が良いに決まっている。


 「あ……」


 でもきっと──私が本当に伝えたい言葉は、これじゃない。


 私は痛む腹部と、込み上げてくる吐き気を必死になって押し殺し、今できる精一杯の気力で声帯を震わせた。



 「あ……あり、がと……。た、まき……ちゃん。わたし、を……たすけて、くれて………ありがとう……!」




 そして、


 「うん!」


 私の精一杯の声に、環ちゃんは満面の笑みで応えてくれた。

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