もう一度
「…………うるせぇ」
ウザったい騒音で目を覚ます。
イライラしている。
「……なんだよこれ?」
先程から爆発音のようなものが響いてきてロクに眠れやしない。せっかく人が気持ちよく休んでいたというのに、それを邪魔されたようで非常に不愉快な気分となった。
イライラする。
イライライライライライライライライライライライライライラ。
「あれ? そういえば俺、死んだんじゃなかったっけ?」
イライラしているおかげか、眠気も急速に吹っ飛んでいった。
覚醒した脳みそが描き出すのは、ラミアにいいようにされていたクソッたれな記憶。それと、自分の命が消えていく確かな感覚だ。
「…………」
思い出したらなんかまたムカついてきたな。イライラする。
イライラしながら、俺はむくりと上体を起こした。
「…………は?」
起き上がれた?
あんなにもボコボコにされていたというのに、あんなにも死にかけていたというのに、あまりにもあっさりと、俺は普通に上体を起こしていた。
意味が分からない。
一瞬幽体離脱でもしてるのかなとも思ったが、肌で感じる空気は確かなものだ。息を吸えば肺は膨らむし、血流が酸素を全身に運んでくれている。心臓はバクバクと安定した鼓動を聞かせ、脳が指示を出せば問題なく手足も動いてくれた。
「……うーん、絶好調?」
問題なく動かせるどころか、痛みすら感じない。
むしろかつてない程の力に満ち溢れているような、そんな気がした。今なら何でもできそうな、全能感すら感じている。
「いひひひっ」
「…………」
イライラする。
遠くから聞こえてくるラミアの醜悪な笑い声に、腹の底から殺意が湧き上がってきた。
健康な肉体。ピンク色に光るハート型のチャーム。それと右手の甲に浮かび上がる『謎の紋章』。
「…………まっ、今はどうでもいっか」
気になることは山ほどあったが、とりあえずそれらのことは一旦全部無視して、俺は湧き上がる衝動のまま速やかに立ち上がった。
バキボキと軽いストレッチで全身の状態を再確認して、
「よし──ぶっ殺そう!」
俺は楽し気に笑うラミアに向かって、全速力で駆け出した。
そして──
「いっ、ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??」
熊谷を殺すことに夢中になっていたところを背後から飛び掛かり、後ろから乱暴な手つきでラミアの眼球を抉り取る。
「目がぁ!? アタイの目がぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
抉り取った眼球から伸びている筋も容赦なく引きちぎり、そのままぐしゃりと握り潰す。ウザったらしいラミアの悲鳴を聞きながら、俺は高笑いを浮かべた。
「ふはははははは! 痛いかぁ? 痛いよなぁ! やっぱり腕が使えるってサイッコーだぜぇぇぇ!!」
「お前っ、お前っ、なんでぇぇぇぇぇぇぇぇ!!??」
歓喜の声に震えながらも、ラミアの声に耳を傾ける。
「──なんで!? んなもん俺が知るかボケぇ!!」
気づいたら健康体になってたんだよ! 以上! 俺の知っていること終わり!
聞かれたことに対する説明責任をモノローグで済まし、俺はようやく自由となった両腕を思う存分振るわせてもらった。
「そぉらっ、もう一つ!!」
「ぐっ、ぎゃああああああああ!!!」
「ははははははは!!」
振り落とされないよう髪の毛を鷲掴みにし、残っていたもう一つの眼球も容赦なく抉り取る。
ラミアの絶叫を聞きながら、俺も負けじと大きな声で笑い返してやった。
うーん、いいね! とてもいい! ラミアの絶叫を聞くたびに、胸の内に溜まっているイライラがスーッと晴れていくようだ!
この声をもっともーっと聴いていたいので、俺は親指を立てて、あるべきものが無くなったラミアの眼窟へとそれを突っ込んだ。
ぐちゅぐちゅと、血と肉をかき混ぜる。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!!」
「はははははは! ちゃんとお前も良い声で鳴けるじゃねーか! それでこそ殺りがいがあるってもんだぜぇ!!」
ぶんぶんと頭を振り回してくるが、そう簡単に離れてなんかやらない。こっちも死ぬ気で髪の毛を掴み、しがみ付く。
楽しい時間よいつまでも続けと、眼窟に突っ込んだ指を更に奥へ奥へと押し込んだ。
「ぐぅあああああ!! うぐぅ──このっ、いい加減にッ!!」
「──おっ!?」
すると突然、掴んでいたラミアの髪が変化を見せる。
グネグネと蠢く細長い髪が一瞬にして何十組分もの束になったかと思えば、次の瞬間には毛色を変え、更には顔まで生やし、小さな蛇へと変貌を遂げていた。
「おっとと──あいてっ!?」
急に髪質がキューティクルなものへと変化したので、ツルツル滑って危うく落ちかける。が、遠心力で振り落とされそうになったところを、蛇となった髪が一斉に俺に対して牙を剥き、助けてくれた。
──ふぅ危ない危ない。振り落とされるかと思って冷や冷やしたぜ。
ほっと一息ついて、眼窟の掘削作業を再開させてもらう。
「ぐあああああああああああ!!?? なんでっ!? なんで効かないぃぃぃぃぃぃぃぃ!!??」
はて、コイツはいったいに何を言っているのだろうか?
効いてない? バッチリ効いてるっつーの。
「こんな針みたいな細い牙で俺を殺せるわけねーだろうがボケぇ! めちゃくちゃ痛ぇんだよクソ野郎がぁ! 死ねぇぇぇ!!」
「ああああああああ!!??」
ただ、死なないだけだ。
小蛇の牙はしっかりと俺の肌を貫いてるし、毒でも流し込んでいるのか噛まれた患部が焼け付くように熱い。気を抜けば発狂してしまいそうなくらい、痛くて痛くて仕方がなかった。
あともう少し刺さっている牙が太ければ、毒が強力であれば、俺は痛みのあまりみっともなく泣き叫んでいたかもしれない。
良かった、死ぬほどイライラしてて。おかげで恥を晒さずに済んだぜ!
「ぐぅぅ、痛いぃぃぃ! やめろぉ、動くなぁ!」
それにしてもさっきから噛みついてこないでジッとこっちを見ているこの蛇は何なんだろう? どうせなら全匹で噛みついてくればいいものを、見ているだけで済ますなんてお優しい奴だ。
「…………」
目が光ってるからなんかビーム的なものでも出してくんのかなと警戒もしていたが、それも全然ないし…………あっ、光が消えた。マジで何がしたかったんだ、コイツ?
気にせず、親指をラミアの眼窟の中でグルグル動かさせてもらうことにする。
ぐりぐりぐちゅぐちゅずっぽずぽ。
そろそろ脳にまで到達するかなーとなったところで、
「──あ」
ラミアが鋭い爪を輝かせ、高々と腕を振り上げた。
それとほぼ同時に、こちらに向かって猛スピードで走ってくる奴が視界に入る。
剥き出しの殺意。迫りくる刃。
「──やべっ」
俺は慌てて差し込んだ指を引っこ抜き、髪を引っ張ってラミアの首をひん曲げた。
直後、
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!??」
「──はぁ!!??」
ラミアの腕が宙を舞い、環が驚愕の表情を浮かべた。
「ちょ、ちょっと!?」
空中で身を捻り、俺に刀の切っ先を突きつけながら怒鳴ってくる。
「このクソバカ! 首を斬れるとこだったのに、なんで邪魔すんの!?」
「あぁ?」
クソバカとはなんだクソバカとは。イライラする。せっかくのお楽しみの時間を邪魔されたので、めちゃくちゃイライラする。
イライラして仕方がないので、俺も環に怒鳴り返してやることにした。
「テメェこそ俺の邪魔してんじゃねーよバーカ! コイツは俺の獲物だ! 俺が殺す! 誰にも渡さねぇ!!」
「──はぁぁぁ!!??」
再び環が驚愕の表情を浮かべる。
しかしそれも一瞬の出来事で、一秒後には血管を破裂させるかのような勢いで憤怒の表情を作り、俺にブチギレていた。
「バッッッッッカじゃないの!? 後悔したって知らないからね!!!」
そう言って、環はこちらを睨み付けながら池へと落ちていった。そしてそのまま水面に顔を出すことなく、くるりと反転して、ペンギンの如く猛スピードで水の中へと潜行していく。
たぶん、先に落ちた熊谷を助けに行ったのだろう。
俺のせいで熊谷には悪いことしちまったなぁと、今の今まで心の片隅で悲しんでいたわけだが……これにてようやく一安心。
環の介入により、熊谷の死は完全になくなった。
やったね。
安心して、このドブカス蛇女を殺すことが出来るというものだ!
いい加減俺の体に噛みついてる小蛇も鬱陶しくなってきたので、掴める部分だけを残し、一匹ずつ丁寧に引き千切らせてもらうことにする。
「シャァァ!?」
ブチブチと、小蛇の息の根を止めていく。
そして三匹ほど引き千切ったところで、
「こ、このっクソ餓鬼がぁぁあ! 調子に乗るなぁぁぁぁ!!」
「うおっと!?」
咆哮を上げながら、ラミアがもの凄い勢いで自身の頭部を振ってきた。
「やっば──!」
鞭のようにしなり、急速に迫りくる地面。
このままの速度で叩きつけられては流石の俺とてひとたまりもないので、俺は吹っ飛ばされるのを覚悟で手を放し、強烈な遠心力のもと、公園に設置されている東屋へと突っ込んだ。
「ぐはっ!」
幸いにも木製で出来た東屋だったためか、大ダメージを受けるだけに留める。何か所も骨に罅が入り全身が痛くて痛くて仕方がないが……まぁでもこれくらいのダメージならよくあることだし、気にする必要はないだろう。
あのままコンクリートに叩きつけられてたら絶対にこんなもんじゃ済まなかった。たぶん、骨どころか内臓も破壊されて、今頃は完全に動けなくなっていたと思う。
その証拠とでも言うかのように、地面に激突したラミアの頭からは大量の血が溢れていた。
奴にとっても捨て身の一撃だったのか、少なくないダメージを負って、今は起き上がるのも辛そうだ。
いい気味だ。
嘲笑ってやる。
「ははははは、あっぶねー。マジで死ぬかと思ったぜ!!」
「いいいいいいいい、ぎぃぃぃぃぃぃぃぃ!! こぉぉぉろぉす!! 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!! 絶対に殺してやるぅぅぅ!!!」
俺の嘲笑が余程効いたのか、ラミアは先程の環にも負けないくらいのキレっぷりを見せ、咆哮を上げた。
「ごぷっ」
「──あ?」
「ごぱぁ!」
「──っ!?」
そして、ラミアの頬が急速に膨れ上がり、上空へと特大の毒玉が吐き出される。
「おいおいおい!?」
吐き出された毒玉は夜空に向かって高々と打ち上がり、やや前へと進んで、俺の頭上にて炸裂した。
花火のように炸裂した毒玉は当然の如く地球上の物理法則に従い、落下を始める。無数の雫となって。超広範囲に渡って、落下を始めた。
──ヤバいヤバいヤバいヤバい!!!
右に逃げても左に逃げても確実に当たる超広範囲攻撃。唯一毒液の雨を防いでくれそうだった東屋はたった今俺が派手にぶっ壊してしまったため使用できない。
──どうする!? どうするどうするどうする!!??
「──ッ!!」
考えてる時間はあまりない。
己の直感を信じ、全速力で走り出す。
「うぉああああああ!!」
「──!?」
走り出した先は前! 目指すはラミアの懐!
毒液の広がり方から見て左右後ろは絶対に無理、東屋は破壊されているため傘としては不十分、池の中に飛び込むのは俺が泳げないから論外、毒玉が空中でやや前に進んだことにより奴の周辺に落ちてこない可能性が大、しかも今の奴には両目両手がなく攻撃手段が限りなく封じられている──が故に!
ラミアの懐! そこが唯一にして最大の安全地帯だ!!
「──ッし!」
己の直感が正しかったことを確信し、スピードを上げる。全身の骨が軋むのを必死に我慢し、俺はなりふり構わず足を前へ前へと動かした。
彼我の距離はおよそ30メートル、着弾まで長く見積もって約2秒。
間に合うか? 間に合えっ!!
毒液が髪の毛に当たる寸前、ヘッドスライディングする勢いで地面に転がる。伸びた足に数滴掛かってしまったが、これにて毒液の雨は最小限の被害で回避することに成功した。
ラミアの傍に転がっていた紅槍を拾い上げ、雄叫びを上げる。
「しゃあぁっ!!」
「そこかぁぁ!!」
当然の如く、ラミアが俺の声に反応した。例え目が見えなくともこれだけ近くではしゃいでいるのだ、反応されない方が無理に決まっている。
天に向かって高々と振り上げられるラミアの尾。俺に向かって正確に、叩き潰すかのような勢いで強く振り下ろされる。
「にぃ!」
──そこに、鋭く尖った紅槍が待ち受けてるなんて知らずに。
「はいっ、大当たりぃぃ!!」
「ぐぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??」
次の瞬間、どっしりと構えて立てられた紅槍がラミアの尾を貫いた。
インパクトの瞬間に軽く体を吹っ飛ばされはしたが、これにてドブカス蛇女に大ダメージを与えることに成功する。
やったぜ!
これで死んだ(死んでない)熊谷もあの世(池の底)で浮かばれる(沈んでいる)といものだ。
熊谷の残してくれた紅槍での一刺し。素材が良いのか刺し味は抜群。いったい何の素材を使ってるんだろうな? って、そんなの熊谷自身の血に決まってるか、ハハハ!
「あああああああああ!!! このクソ餓鬼がぁぁぁぁぁぁぁぁ、轢き殺してやるぅぅぅぅぅ!!!」
「うえっ!?」
が──喜んだのも束の間、ラミアが怒りの形相で振り向き、こちらに向かって猛スピードで突っ込んできた。
「あでっ!」
慌てて逃げようとしたのも虚しく、立ち上がりに失敗して転んでしまう。どうやら先程の全力疾走と毒液のせいで、思ったよりも足にガタがきてしまっていたらしい。
「あ──ちょ、まっ」
逃げる機会を完全に失ってしまった俺は、宣言通りラミアに轢き潰された。制止の声なんてこれっぽっち聞いちゃくれない。
「ぐあああああああああああ!!!」
ゴリゴリゴリ! と、背中の上を巨大な質量が走り抜ける。
洗濯板で念入りに背中を擦り洗いされているかのような強烈な痛みに、俺は堪らず悲鳴を上げた。既に至るところの骨に罅が入ってることも相まってか、体が粉々に砕けそうなほどに痛い。
「ぐっ、うぅ……!」
たっぷりと5秒程掛けて、クソ蛇女による背中の擦り洗いが終わる。皮膚が剥がれ落ち逆に汚くなってしまった背中の痛みに苦しみながらも、俺は自身を鼓舞し、死ぬ気で立ち上がった。
のんびりしている時間はない。
苦しんでいる内にも、次なる攻撃が迫ってきている。
「そぉぉぉぉらっ! もういっちょぉぉぉぉぉ!!」
ぐるんと急旋回し、今度こそ俺の命を絶とうとするラミア。ドドドドドド!! と、土煙を上げながら猛スピードでこちらに向かってきていた。
「──っし!!」
気合を入れる。
体力的にもダメージ的にも、これ以上の長期戦は不可能。長引けば長引くほど不利になっていくのは間違いなくこちらの方だ。
だからこそ、やるべきことは一つ。
全身全霊をもってして奴を殺しきる──それだけだ!
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「────」
咆哮を上げながら突進してくるラミアを静かに待つ。全身から感じる痛みを今だけは無視して、脳を殺意で支配する。
奴を殺す。それだけを考え、俺は行動に出た。
「──同じ技がっ!」
ラミアを引きつけ、ギリギリのタイミングで横にズレる。
回避ですらない僅かすぎる移動、接触は避けられない。
「二度も通じるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「──あぁ!?」
が、それでいい。
もとより安全策で勝ち切るつもりなどない。捨て身だろうが何だろうが、死ぬ気で奴を殺すために食らいつく!
「おおおおおおおおああああああああああああ!!!!」
「コイツっ──!」
爪を立て、両腕を大きく広げ、巨大な顎となって掴みかかる。
摩擦熱で接触部分が燃えるように熱いが今は気にしない。鱗と蛇腹に指を差し込み、体全体で覆うようにして蛇の尾にしがみ付く。それから震える足を叱咤し、どっしりと腰を落として踏ん張ばった。
「バカがっ、お前ごときがこのアタイを」
「ああああああ!!」
だんだんと落ちていくラミアのスピード。それでもなお止まることはない。
矮小な身が織りなす無謀な行動に、奴の嘲笑うような声が聞こえてくる。すり抜けるようにして俺の腕の中を通過するラミアの尾。それが先端まで差し掛かったところで、
「──がっ!?」
「何っ!?」
蛇の尾に突き刺さっていた紅槍が俺の背中にぶち当たった。
同時に、ラミアの進行が完全に停止する。
「はぁ、はぁ──うあああああああああ!!!」
「ば、バカなっ!? うわぁぁぁぁぁぁぁ!!??」
俺は全身の力を振り絞り、丸太のような尾を腕一杯に抱きしめたまま、ラミアの体を持ち上げた。
巨大な体が宙に浮く。夜空にラミアの驚愕の悲鳴が鳴り響く。
「ああああああああ──ぐぎゃ!!」
そしてそのまま、渾身の力で地面に叩きつけた。ぐしゃりと、奴の頭が割れる音が聞こえる。
「あっ、あああぁぁあっぁ……」
ぽたぽたと頭部から血を垂れ流すラミア。ただでさえ先程の自滅行為で頭が割れていたのだ。その痛みは計り知れないものだろう。
──だけど……ああ、残念だな。まだ生きている。
「ふっ!!」
「んなっ!?」
もう一度、渾身の力を込めて振り上げる。そしてもう一度、渾身の力で叩きつけた。
「あがぁぁ!! ──くっ、うぅぅ……」
まだ生きている。もう一度。
「あっ、う……」
もう一度。
「ぐっ……も……やめ」
もう一度。
「……が」
もう一度。
もう一度。もう一度、もう一度、もう一度もう一度もう一どもういちどもういちどもういちどもういちどもういちどもういちどもういちどもういちど──!!
も う い ち ど !!!
──そして。
「────」
「はぁ、はぁ……!」
奴が完全に動きを止めたところで、俺は全身から力を抜いた。
いったい俺は何度奴を地面に叩きつけたのだろうか? 途中から数えるのも億劫になったから、まったくもって回数は分からない。
分かるのは途轍もない回数をこなしたという確かな疲労感。それと、憎き相手をぶち殺せたという得も言われぬ達成感だ。
「はぁ、はぁ…………もー無理、一歩も動けねぇ……」
体力を限界まで使い果たし、バタンと仰向けに倒れる。腹の内から湧いていた怒りが静まり、安心した心持ちで夜空の月を見上げると、
「──ごぼはぁ!!」
次の瞬間、大量の血が胃の中からせり上がってきた。
口から噴き出した鮮血は噴水のように赤い水柱を作り、俺の顔を中心に地面に真っ赤な花を咲かせる。
「うっ、ああぁぁ……」
内臓がドロドロに溶かされるように痛い。体の芯がキンキンに氷漬けにされてるかのように冷たい。にも拘わらず、脳みそだけが沸騰するように熱かった。
もしかしなくても、これは──
「くそっ……ここにきて毒が回ってきやがった……!」
小蛇に注入された毒が、今となって全身を蝕み始めたのだろう。
調子に乗ったツケが回って来たか、最後の最後で俺を殺しにきたというわけだ。
ガッデム。結局はこうなるのかよ。
「はぁ、はぁ……げほっ、ごはっ、がはっ!」
腹の内からせり上がってくる血が止まらない。もはや体は呼吸をするのも困難な状態となってしまい、心臓を動かすのだけで精一杯だった。酸素が脳にまで回らなくなったのか、だんだんと意識も遠のいていく。
「はぁ、はぁ……」
たぶん、俺はこのまま死ぬ。今度こそ間違いなく死ぬ。
……でも、悔いはない。
俺のことを散々痛めつけたラミアをこの手でしっかりと殺せたのだ、後悔など生まれるはずがなかった。
「少し、休もう……」
だから、目を閉じる。このまま死んだところでどうせ神の奇跡を扱う環に生き返らされるのだ。ならば、一休みする気分で死んでも構わないだろう。
そう思っていたのだが、
「──は?」
ズズンと、何か巨大なものが蠢くような音が聞こえてきた。
驚き目を向けると、殺したはずのラミアが今まさに、起き上がろうとしているところだった。
──おいおいおい、冗談だろ?
「う……そ、だ……ろ? なんっ、で……まだ……ごほっ」
慌てて起き上がろうとするも、体を蝕む毒がそれを許しちゃくれない。すでにこの身は死に体だ。動けるはずがなかった。
「ふー、ふー……まだ……まだ、憤怒の餓鬼を食えばぁ……あ、アタイはぁ……アタイはぁぁ……!!」
「はぁ、はぁ……ぐぁ」
満身創痍のラミアが大口を開けてこちらに迫りくる。
その動きはノロノロとナメクジのように遅いが……それでも確かに、俺の元へと向かってきていた。
なんてタフな野郎だ……あんだけ叩きつけられてまだ生きてるとか、色々とおかしいんじゃねぇの?
「ぐ……く、くそ」
必死に逃げようとするも体が全く言うことを聞いてくれない。1メートル地面の上を這いずるだけで、絞り出した体力も底を尽いた。
確実な死を前にして、後悔が生まれる。
「こ……こんなことなら……あの時……環に、殺してもら……ってたら」
いくら文句を吐き出そうとも、すべては後の祭りだ。あの時の選択を後悔したところで、もう結果は変わらない。自分の犯したミスは、自分の死をもって償う。それだけだ。それ以外にない。
「シャアァァ」
「…………」
ラミアの大口がすぐ傍に迫りくる。
俺は生きる意志を放棄して、全身から力を抜いた。眠るように目を閉じて、その時を待つ。
そして──




